マイ・ラスト・ソング

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2005年 01月 12日

阪神大震災回想~その時

◆10年前の平成7年1月17日の朝5時46分、阪神大震災がおきた。昨年は中越地震やインド洋の巨大津波があり、なにを今更の感があるかもしれない。阪神間の街も見た目では復興している。個人的にも大した被災をしたわけではなく、家族も親類もみんな無事であった。はっきり云って恵まれたほうである。それでも自分にとっては、これまでの人生で最大のストレスであった。
◆起床して点灯した直後にそれがやってきた。電気が消えていきなり暗闇ジェットコースター状態。部屋の壁が目の前にのしかかってきそうでとても立っていられず、ベッド脇のイスにしがみつく。ああこれでもう終わりかと一瞬観念する。揺れがやっとおさまるも暗くて様子が分からない。物が散らかった寝室、廊下を抜けるのに大苦労したあげく妻子に向けて声をはりあげる。返事が帰ってきてやれやれ。明るくなるにつれ、各室の散乱状況がみえてくる。家具はみな倒れているか場所が変わっている。部屋中に物が散乱して手のつけようがない。足を切って血を流しており、履物を探してから通路を確保する。次いで住戸の外に出てみると共用の廊下は浸水状態である。エレベータが使えず非常階段をえんえんと下ってやっと外に出る。西のほうを見やれば、赤い空をバックに巨大な黒煙がたなびいている。誰かが神戸の西半分は壊滅状態というが、地震の全容がまだ分からない。全体の被災状況に係るニュースが入りだしたのはやっと10時頃である。b0036803_221822.jpg
 自宅に戻って、倒壊した家具等に埋没してしまった電話機をなんとか「発掘」する。しかし全然つながらない。最初の着信はなんとアメリカからで、発信元はアメリカ在住の妻の甥、CNNのニュースで神戸がたいへんなことになっているとのこと。震災に関する客観情報をはじめて入手したのは国際電話であった。その後も東京からの電話があったが中・近距離の電話はさっぱり通じない。勤務先にもまったく連絡がとれない。
 自治会の役員をしていたので、この日は団地全体の安否確認、施設点検等で動きまわる、余震の恐怖感から何かしていたほうがむしろ落ち着く。夜は家族そろって川の字になって寝る。ラジオが安否情報をはじめている。後で知ったが、小学校の体育館は避難者でいっぱいだったらしい。災害当日の役所はまずあてにできない。初期の対応は住民が判断して動くしかないということだ。
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by chaotzu | 2005-01-12 22:29 | 身辺雑記


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