2005年 01月 22日
◆2004年 日本映画(井筒和幸監督) 封切の初日に映画を観るのは何年ぶりだろう。本作は1968年の京都が舞台、そして、フォーク・クルセダーズ(フォークル)の音楽が主題歌ということで、どうしても観たかったのである。期待にたがわず、当時のふんいきを少しでもかじり、今やおじさん道まっしぐらの者としては感涙ものであった。同時代グラフィテイなのである。 まず冒頭、失神騒動で名をはせたオックスの「スワンの涙」でいきなりその時代に引きこまれる。きのこ頭の赤松愛が懐かしい。今どうしているんだろう。 ◆フォークルは解散記念で製作した「帰ってきたヨッパライ」の思わぬ大ヒットで時の人になったが、はじめはアングラ系あるいはおちゃらけのイメージがあった。だから、注目の2作目として「イムジン河」が紹介されたときは正直とまどった。その「イムジン河」がよく分からぬ理由(後で知ったことだが朝鮮総連の猛抗議でレコード会社が面倒になったらしい)で急に発売中止になった後、発表されたのが「悲しくてやりきれない」。なんだか語呂合わせみたいだなと思った記憶がある。で、そのふたつの歌が本作のモチーフであり、エンディングに加藤和彦&北山修の「あの素晴らしい愛をもう一度」(1971年)も出てくるとなれば、あっという間に30年前の気分にタイムスリップできるわけで、だから映画は面白いというかやめられない。 ◆とにかくあの時代というか当時の空気をよく活写している。「女体の神秘」という洋画、あったあった。毛沢東に心酔する教師、そんなのもいたよな。「フリーセックス」の国北欧への憧憬、そうそうそれをいちばん煽ったのは、いまや抹香くさくなった五木寛之だよ。ってな具合でおじさんのノスタルジーをかきたてることかぎりなし。しかし、この映画はそれだけではないと思う。 ◆おそらく京都の朝鮮人集落を初めて描いた映画だろう。入り口を壊さないと棺桶が入らないような川べりのボロ家、貧相なホルモン焼き屋にバタ屋、ありのままである。まさに千年の古都だからなんでもありだが、これだけ正面から採りあげたことはこれまでなかったのではないか。きれい事だけのノスタルジー映画にはしていない。 それだけに、気になることがある。この映画をみて、朝鮮人が好き放題して日本人はやられっぱなしで不愉快だとか、一種の「反日映画」みたいだなどの反発になりはしないかということである。なにより、拉致問題で日本人の嫌北朝鮮感情がいちばん高まっているときである。 ◆しかし、それだからこそ、この映画を製作したというその心意気をかいたい。朝鮮高校生の乱暴騒ぎや公衆電話の現金窃盗などの悪事もありのままに表現している。円山公園で日本人主人公が朝鮮人の宴会に加わるシーンがあるが、それは「イムジン河」がきっかけである。現在の状況はどこか近親憎悪に似たところがあるが、その状況は北朝鮮の一部権力層が恣意的な思惑でつくりだしたところもあって、民衆の大半にその責があるわけではない。 いつか将来、互いの文化がもっとひんぱんに交流して、いまの不幸な状態を脱するきっかけにならないか。日本人の俳優が朝鮮語を喋り朝鮮人を熱演したこの映画がそのひとつになることを願いたい。
by chaotzu
| 2005-01-22 21:58
| 日本映画
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