2005年 03月 22日
◆録画しておいたNHK・BSドキュメンタリー「東京を爆撃した兵士たち~アメリカ軍パイロット60年後の証言」をやっとみる。放映されたのは半月ほどまえであって、毎度遅れ遅れである。我ながら自分らしいことだ。 犠牲者約10万人の東京大空襲を実行したB29のパイロットたち、生きていても既に80代の高齢であり、今のうちに彼らのインタビュー記録を残しておくことは重要である。それでも番組に出演した元米軍パイロットの人たち、年老いたとはいえ、みんな元気そうでかくしゃくとしている。 ◆出演者に共通しているのは、「戦争中の任務であり、いささかも逡巡しなかった」という出撃当時の意識である。まあ当時はそんなものだったかもしれない。死亡した僚友の復讐や真珠湾の仕返し意識もあったろう。 しかし、60年経った今でも大半は「戦争を終結させるために必要だった」「誇りに思っている」と悪びれた様子はあまりみられない、なかには「日本人のために良いことをした、本土上陸ならばもっと日本人が死んでいた」とまで云ってのける人もいる、これには思わず目が点になる。戦闘参加者でもない女子供、年寄りなど無数の一般民間人に、高いところから雨あられの爆弾を浴びせて、よく平気でそんなことがいえる、はっきり云って人種差別意識じゃないか。逆の立場だったらいったいどうだろう、同時テロ事件当時のアメリカ人の反応を思い出す。 救いはただひとり反省の弁を吐露したひと「いま思えばなんというひどいことをしたのだろう」、この人は息子さんが日本女性と結婚、焼き物職人として日本に住み着いており、戦後の日本を実際によく知っている人であった。 無差別爆撃そのものは、東京空襲に先立つ5年前、旧日本軍も中国重慶でやっている。だから、日本人もあまりえらそうなことはいえないかもしれない。しかし、重慶も含めてナチス・ドイツによるスペイン・ゲルニカ、米英軍によるドレスデンなど著名な無差別爆撃のなかでも、東京大空襲は桁外れの無差別殺人であり、ひと言でいえば度が過ぎている。おまけに広島・長崎の原爆投下のさきがけにもなっている。 ◆この空襲を立案推進したカーチス・E・ルメイ少将(当時)のことを、属官であったマクナマラ元国防長官は「とにかく戦争大好き人間だった」と云っている。東京大空襲の際は、前もって日本家屋のセットを作って爆撃実験したり、効果的な焼夷弾の開発を進めるなど、日本の都市爆撃にかける熱意は半端ではない。自伝で曰く「木と紙でできた日本の民家は、全てボルトやナットなど武器を作る軍需工場だった。それをやっつけてなぜ悪いか」 どこか異常である。日本陸軍の「名物」参謀であった辻政信に代表される旧日本軍人のダメさ加減とは全くタイプの異なる冷血軍人であり、人間としての大事な部分が欠落したような人物にみえてならない。その後ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下にも関与しているし、キューバ危機のときにはケネデイ大統領に空爆を進言したらしい。はっきりいって戦争キ○ガイ。こんなアブナイ人物でも、最終は空軍参謀総長まで栄達している。平時であれば異常な大量殺戮嗜好者が、時勢で軍隊の司令官になったようなものである。 ◆あきれたことに、戦後の1964年、当時の佐藤内閣は、「航空自衛隊の育成に貢献した」としてこんな男に勲章を授与している。それも勲一等旭日大綬章である。日本政府とて愚鈍ではなかろうし、ルメイ将軍が日本人にやったことを百も承知のうえの確信犯的な叙勲だろう。勲章そのものはたいしたことはないが、政治的な意味合いが大きい。アメリカ政府となんらかの取引があったとみるのが自然である。日米安保の強化あるいは沖縄返還の地均しか。アメリカにしてみれば長年の精神的負い目が払拭されるのだから万々歳である。 この時の防衛庁長官は小泉純也、いまのコイズミ総理の父親である。二代続けてアメリカのポチをやっていた(苦笑)。未来志向はいいとしても、叙勲まではいくらなんでもやりすぎだと思う。どんなに小細工をしても、歴史上の事実を消すことはできないんだから。
by chaotzu
| 2005-03-22 23:36
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