マイ・ラスト・ソング

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2005年 04月 06日

波照間島のカラス~八重山マラリア事件

◆日本新聞協会による「HAPPY NEWS 2004」大賞に選ばれたのは沖縄・波照間島の“カラスがクロだった事件” 昨年11月共同通信配信のこの記事、日本最南端の碑付近で、女性観光客レンタサイクルのかごから財布がなくなった訴えに、「島民が盗むはずはない」と考えた島唯一の警察官が“おとり”のパンを仕掛けて、カラスが真犯人だったことを突き止めたてん末である。元ネタは琉球新報の記事らしいが、この1年間では波照間発唯一の全国ニュースだったそうな。
 とかく殺伐たる記事が多い新聞ニュースに、このようなほのぼのネタを採りあげた記者やデスクはすばらしいし、共同通信のセンスもなかなかナイスである。
 お手柄の駐在さんは愛知県木曽川町のご出身だそうで、沖縄本島勤務を経てこの島に妻子連れで着任している。あと4~5年は居たいそうだが、この人が沖縄の離島に勤務するまでの経緯にも、ひとつの物語があるんだろうなと勝手な想像をする。
◆波照間島は人口600人足らずの小島であり、日本最南端にあるのはご存知のとおり。水場がなく海水の淡水化プラント頼みがネックで、観光開発はあまりすすんでいない。さとうきび畑と山羊さんだけの地味な島である。ただ、それがいいんだという人もいる。b0036803_21291579.jpg
 名産は黒糖と泡盛の「泡波」、波照間純黒糖は上質で知られており、百貨店でもたまに見かけるが、泡波は生産量が少ないゆえかほとんどみかけない。
 いちばんの観光資源といえば、前述、日本最南端の碑である。二つあって、旧いほうはなんと個人の手作り作品である。北海道出身の全国放浪青年(名前忘れました、千葉県でご健在らしい)が波照間島に逗留したときに自力でこしらえたそうだ。損耗がひどくなったため、後に修復のため再訪されたという後日談もあるそうで、これもまた波照間であったひとつの物語である。
◆島ネタはハート・ウォーミングな話ばかりではない。過去には陰惨な事件もあった。太平洋戦争末期におきた「強制疎開によるマラリア禍」である。昭和20年の3月、米軍の襲来もないというのに、当時の島民1275人が西表島に強制疎開させられ、大半がマラリアに罹患、戦後も含めて
461人も亡くなったという凄まじい「人災」である。子供も66人亡くなっている。戦後の一時期はマラリア地獄であったらしい。
 この強制疎開を指示したのは「青年学校指導員」として来島した山下某、むろん偽名で正体は陸軍の秘密工作員である。本名は酒井清。日本刀を振り回して島民を恫喝しマラリアが猖獗する地へ追いやっている。島民の伝え話によると、無理やり疎開させた目的は、島の豚や山羊など軍隊の食糧確保であったらしい。伝聞であるので真偽は断定できないが、島民はいまもなお事実として伝えている。問題の山下こと酒井清は、何の追及もお咎めもなく本土に逃げ戻り、あまつさえ戦後ものうのうと島を訪問している。さすがに島民から抗議状を突きつけられたそうだが、そりゃそうだろう。大日本帝国の軍隊は立派な人材も輩出させたが、後になるほど、どうしょうもない卑劣クズ人間を生みだしている。
◆戦後日本の誤りのひとつに、サンフランシスコ講和条約で独立した後、日本国として独自の戦争犯罪調査組織を立ち上げなかったことがあると思う。戦勝国側の軍事法廷でいい加減に裁かれたBC級戦犯がいる一方、この酒井のように追及を免れた人間もいる。ドイツがナチス犯罪を自国でも追及したのとは対照的である(うまくすりかえたという見方もあるが)。
 いま中国や韓国とぎくしゃくしている一因には、日本人が自らけじめをつけなかったことをつかれている側面も否定できない。おそらく昭和天皇の責任論議が再燃するのをきらったのだろうが、いまそのつけを払わされている気がせぬでもない。くどいようだが、こんなことからも「昭和の日」はイヤなのである。
 なんだかカラスのはなしから、思わず長くなってしまった、ふーっ。
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by chaotzu | 2005-04-06 21:39 | OKINAWA


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