2005年 04月 27日

国鉄民営化の光と影

◆JR事故があったせいか、全国の親類縁者あちこちから電話がかかってくる。みんな脳内地図がアバウトなのである。こちらにすれば、ほとんど行き来がない場所であるが、どこもかも「大阪あたり」でひと括りにされている。もっとも、それはお互いさまかもしれない。
 それにしても犠牲者が100人を超えそうな大事故であり、単純にこちらの無事を喜べない。とくに若いひとがたくさん亡くなっており、胸が痛むものがある。
月並みだが、真に人生はままならないものだ。
b0036803_2213522.jpg◆事故が発生した福知山線、もともとはマイナーな路線だった。めったに乗ることはないが、かつて宝塚から三田までの区間は峡谷列車の趣があり、紅葉の時期など眺望がすばらしかったように憶えている。それもいまは複線電化に伴ってトンネルだらけだろう。
そんなのどかなローカル線が8年前の東西線の開業で一変、急に都市近郊線になった。通勤快速がどんどん走り、平日朝8時台の尼崎駅には1時間で100本近く停車する。なにもなかった同駅の周辺はいまや高層団地が林立している。
◆事故の原因、いろいろ取り沙汰されているが、それを職員の能力なり資質に求めようとするのはどうにも納得できない。そもそも、現状の過密運行を職員の個人能力に委ねているとしたら、とんでもないことだ。
それより、もともと大量輸送できるインフラがなかったのに、競争意識で無理を重ねていたのではないのか。いったいJRの内部にそれを懸念する声はなかったのか
 ルーツは1987年国鉄民営化の過程で、労働組合を圧殺しすぎたことにあると思う。錦の御旗をふりかざして不当労働行為のしたい放題であった。そして、それらがこれまでまかり通ってきたため、企業統治は歪み、労働組合の大勢は御用組合である。民営化はいいとしても、やり方があまりに乱暴であった。いまそのつけを払わされているのかもしれない。
 しかし、世間一般の空気も民営化歓迎のあまり、JRの無茶苦茶な労務管理を容認してきたのではなかろうか。正直云って内心忸怩たる思いがある。
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by chaotzu | 2005-04-27 22:28 | 時事


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