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マイ・ラスト・ソング

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2005年 05月 15日

イラク人質~あのパッシングはなんだったのか

◆カンヌ映画祭に出品の日本映画「パッシング」、1年ちょっと前のイラク人質事件高遠さんをモデルにした映画らしい。
実際のパッシングもものすごかった。解放されて新千歳空港に帰還したときまで低劣なプラカードで出迎える輩がいたのに呆れた記憶がある。
たしかに彼女の弟妹の無思慮な態度にはすこぶる違和感があった。しかし、それは本人の与り知らぬことである。何も喋っていない高遠さんにまで波及したのは実に気の毒なことだった。
あのとき、政府与党の首脳が先導した「自己責任論」でポコポコ叩かれ、一部のマスコミもそれに追従したが、以前から取り組んでいる外地のボランティア行為がはたして、日本人全体の利益を著しく損なう行為だったのか。まして、解放されたのは、当のボランティア活動が評価されたゆえであり、政府の救出支援はなんの手助けにもなっていない。文字通り自助努力で助かったのにである。
イラク人質~あのパッシングはなんだったのか_b0036803_22571042.jpg◆1年たって、民間軍事会社員で元傭兵の斎藤さんが反米武装勢力に拘束された。今度はフランス外人部隊所属歴21年の元軍人で、イラク入国も米軍からの受託仕事である。まさに危険と隣りあわせの職業であって、冷徹にとらえれば自己責任がピタリあてはまる。外務省もイラク全土について「いかなる目的であれ渡航は延期されたい」旨の危険情報を依然発出している。
だけど、高遠さん批判のときの如き「自己責任」論はぴたりと聞こえない。
 斎藤氏を悪く云うつもりは毛頭ない。結局1年前の政府与党の態度は「法の下の平等」を踏みにじっていたのではないかということである。政治家が自らの政治的保身のために、日本国民を差別扱いした、いみじくも斎藤氏の件でそれが露呈したのではないかということである。
そして1年前に自己責任をさんざんぶった一部マスコミ、今度はなぜ云わないのだろうか。もとよりそういうことを云うべきではなかったのだ。
◆なお、現下の状況に照らして不謹慎な物言いかもしれぬが、斎藤氏について「いまどきこんなすごい日本人がいたのか」と思うことしきりである。フランスの外人傭兵部隊に所属する日本人は他にもいようが、21年間の傭兵歴というのがすごい。余人には想像もつかない人生を全力で駆け抜けているようで、なにやらうらやましく思えぬこともない。
 重傷の様子で安否が気遣われているが、なんとか生きのびていてほしいものと願っている。
ご家族の気持ちも察してあまりある。

by chaotzu | 2005-05-15 23:02 | 時事


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