2005年 05月 19日
◆1965年日本映画、182分の長尺かつ白黒映画である。こういう長い映画を「完走」したとき、感想は甘めにならざるを得ない。3時間もつきあって「クソみたいな映画でした」では、観ているほうがそれこそおバカさんになってしまうからだ。だから、長尺ものの感想は常に「なかなかよかった、飽きませんでした」になる。半分は自分へのご褒美心理である(笑)。 もしかすると、評論家の心理も似たようなものかもしれない。例えば5時間を越えるベルイマンの「ファニーとアレクサンドル」(311分)とかボンダルチュクの「戦争と平和」(424分)の辛口評価をこれまで聞いたことがない。ひとりぐらいは「死ぬほど退屈な映画」とか云ってもよさそうだが(汗)。 ◆閑話休題、本作は、貧乏人の悲哀をとことん描いた映画である。冒頭のナレーションからして気合がはいる。「飢餓海峡、それは日本のどこにでも見られる海峡である。その底流に、われわれは貧しい善意に満ちた人間の、どろどろとした愛と憎しみの執念を見ることができる」。 いわば筋金入りの貧乏映画。昭和22年当時東京の盛り場を再現したセットもよく出来ており、あっという間に戦後の貧しい時代へタイム・トリップできる。 冒頭の長尺映画評価基準によれば、建前評価「切った足の爪をずっと持っていた薄幸の女の一途な思いに思わず落涙」となるが、本音評価は「旧くさすぎるし、爪フェチ女もなんだかなあ」になる。ただし、クソみたいな映画ではけっしてない。傑作はともかくとして力作であることは間違いない(以下モゴモゴ……)。 ◆1965(昭和40)年の公開当時は、多くの観客の共感をよんだことだろう。10年遡った1954(昭和29)年9月の洞爺丸転覆遭難事故~犠牲者1170人余、や同日起きた岩内大火事件の記憶もまだ生々しいし、戦前戦後の窮乏生活がどんなものか、観客の想像力も十分にあったはずである。 だけど、時代がすっかり変わってしまった。重要な舞台である青函連絡船はとっくに廃航され、北海道の玄関口は函館ではなく、新千歳である。津軽の森林鉄道もない。そして下北大湊の遊郭や亀戸の赤線も既にない。だいたい、左幸子演じるヒロインの貧しい育ちを象徴するキー・ワード「娼妓」も死語である。飢餓海峡自体が日本のどこにももう見当たらないのだ。 だから、いま現在で若い人がみて、はたして分かるのかなという疑問が拭えない。それと、はなしの説明都合だろうが、人物の独り言がとにかく多すぎる(苦笑)。 家族を描いた小津映画は意図的に貧乏くささを排除しているからこそ、いまみても普遍性がある。それに比べるといささか気の毒かもしれない。 ◆主役の三国連太郎、もしかすると被差別部落出身という隠れ設定があるのだろうか。映画の冒頭、網走帰り2人にバシリ扱いの小心演技と対照的な社長演技、そして最後の絶望感まで見事である。 拮抗するのが、喜劇役者伴淳三郎のシリアス演技。小林信彦のエッセーで年下芸人に意地悪な伴淳が描かれるが、もっと早くから役者の間口をひろげておけばよかったのにと思ってしまう。森繁につきあいすぎたのだろうか。この映画の粘着刑事は半分地でやってるみたいである。 加藤嘉、このひとが出ると、なんでも「砂の器」になってしまう。加藤嘉の「砂の器化現象」(笑)。 最後に大熱演の左幸子、2001年に肺がんで亡くなっている。合掌。
by chaotzu
| 2005-05-19 22:25
| 日本映画
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