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マイ・ラスト・ソング

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2005年 06月 16日

【読書】 久世光彦「大遺言書」 森繁爺さん、長生きの秘密

◆このところ、森繁映画にのめりこんでいるので、少しは俳優知識も仕入れねばならない。
3年前から週刊新潮に連載がはじまり、今も続いているコラム?を単行本化したものである。久世光彦が毎週世田谷区経堂の森繁邸を訪問して、聞き取った森繁節をまとめるという趣向。【読書】 久世光彦「大遺言書」 森繁爺さん、長生きの秘密_b0036803_520596.jpgなにせ森繁翁も気ままに語っているので、聞き書きといっても、大半は久世光彦の作家仕事であろう。また、書き手とモデルの距離が近すぎるので、よいしょ本のきらいもある。それでも面白く読ませる。
 だけどここまで続くと、森繁Xデーの前に久世光彦のほうが先に逝ってしまうかもしれない。
オソルベシ森繁ジイサンである。ただいま92歳。

◆これまで、森繁久弥はてっきり満州帰りの東京人だとばかり思い込んでいたのである。ところがとんでもない勘違い。実際は大阪・枚方生れの西宮(鳴尾)育ちである。佐藤紅緑一家と隣り近所だったらしい。なんだ関西人だったのか(笑)。
関西訛りがないし、「森の石松」イメージもあった、さらに上方の藤山寛美と並びたつ東京喜劇人の旗頭であった、いろいろあっての思い込みが重なりずっと勘違いのままだったのか。関西弁が意外とうまいなんて、そりゃあたり前だ。20歳ぐらいまで鳴尾にいたのだから(苦笑)。
参考までに云うと、鳴尾小→堂島小→北野中→早稲田大学(中退)が森繁久弥の学歴である。小学生時代から、大阪(梅田)まで越境通学していたのだから、子供当時は恵まれた階層だったのだろう。
◆とにかく、助平爺さんとしての森繁語りが多い。わい談が大好きで興がのるとアケスケにしゃべりまくる。50歳過ぎまでナンパしまくっていたそうで、松山英太郎にたしなめられた話や新珠美千代に連夜夜這い攻撃をかけたはなしなど出てくる。淡島千景とは誓って何もなかったと弁明している。八千草薫にもフラれたことがあるらしい。八千草薫叙勲祝いの会の森繁節“私は嘗ての日、この方と結婚したいと願っていました”もう爆笑である。
もっとも、今となれば、どこまで本当かウソか、もう本人ですら分からないだろう。ただ、黒柳徹子は会うたびに“いっぺん、どう?”のお誘いを受けつづけてもう50年と、本人自ら語っている。
◆驚嘆すべき健啖家である。食いものばなしのよく出ること。「経堂・江川」の鰻重、「とらや」の栗蒸し羊羹、「銀座コージーコーナー」のショートケーキ、「柳月」の三方六……、ぱくぱく食べている。おまけに肉も好きでお酒もなお現役である。タバコは90過ぎまで喫っていた。オンナも食うほうもそれぞれ好き放題している。
舞台役者は長生きするという、観客の生気を吸い取るのだろうか、それを地でいっているようだ。座長格であったから、ストレスがたまることもなかっただろう。テレビドラマでもアドリブをやって共演者を困らせるはなしがたくさんある(そんななかで、樹木希林がお気に入りだったそうだから、よほど役者としての勘所がよかったのだろう)。
◆それでも、敗戦後の一時期は相当に苦労したらしい、満州でのソ連兵の暴虐、母親と子供3人を抱えて引揚げ難民、日本帰国後の窮乏生活。それやこれやで俳優としてのデビューが遅くなったことが、逆に芸の肥やしになっている。人生万事塞翁が馬。

by chaotzu | 2005-06-16 23:59 | 読書


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