2005年 07月 17日
◆女優高峰秀子の名著「わたしの渡世日記」、もう30年も昔の本であるが、今でも十分読み応えがある。戦前戦後における映画関係者など著名人の素顔も面白いが、いちばん興味深いのはやはり本人の自叙伝部分である。実に率直で自分を飾るところがみじんもない。初潮のことや黒沢明に抱いた初恋心まであっけらかんと開陳している。 そして、なにより驚くのは、養母平山志げとの確執を実に生々しく吐露していることである。 四歳で実母の結核死を契機に、叔母(父の妹)の養女になって、函館から東京鶯谷にうつる。それ以来養母の圧制と呪縛に苦しむ人生である。戦後間もない頃1本100万円の出演料を得ていた人気女優が、昭和30年に松山善三と結婚して、やっと養母から自立するも、そのときのあり金が6万円きりということからも搾取の凄まじさが想像できる。どこまでも娘に捧げつくした美空ひばりの母親とまるで対極にある義母、娘から搾り取って麻雀狂いの贅沢し放題である。 ◆しかし、気になるのはこの「渡世日記」が出版された昭和51年5月において、半ボケとはいえ養母がまだ存命中だったことだ。平山志げが亡くなるのは昭和53年12月である。いったい、有名人がそこまでして身内の恥をさらけ出せるものなのか。事実がどうであれ、世間に向けて親を悪しざまに云うのは、日本人の感性からすればあまり好まれることではない。 「渡世日記」も自叙伝にしては妙なところがある。写真ページがいっぱいあるのに、親族が写った写真が全くない。幼時の頃は単独写真ばかり、長じてからは芸能人とのツーショットばかりである。そして、養母のみならず、実父や兄弟に対する突き放したような記述。 ある部分ではきわめてミステリアスな本である。 ◆斉藤明美著「高峰秀子の捨てられない荷物」文春文庫、単行本初刊は平成13年3月。 この本は第三者が書いた「渡世日記」の後日談ともいえるものである。これを読んで、前述の疑問がいくらか解ける。 つまるところ、養母は死ぬ寸前まで高峰秀子を悩ませ続ける吸血ヒルみたいな存在だったようだ。「渡世日記」では「母」としているものの、実際は「デブ」と呼んでけっして母とはいわない。そんなトンデモ養母だったらしい。「渡世日記」でも書いてあるが、この本でも贅沢し放題のいっぽう、あの手この手で金を無心しあるいは搾取するさまは、お金に狂った人間の狂態そのものである。おまけに他の親族も油断ならない。なにか事あらば「有名人の親不孝」を世間に喧伝するぞと「脅迫」をしかけてくる。 ここから先推測であるが、「渡世日記」の連載時にあえて内情を公表することで、金目当て親族の「介入」をけん制したのではなかろうか。そう思ってしまうほどだ。事実、昭和52年6月には親族による義母の「拉致」事件まで起きて、双方の弁護士同士の交渉に至っている。 ◆養母が亡くなったときの、高峰秀子のノートは「12月3日デブ死す」の記述があるだけ。 そして、著名人の「慶賀」である。 川口松太郎「お袋さん、死んだんだってなあ、よかったなあ、デコッ!」 市川昆「死んだんやてなあ、おめでとう!よかったやないか」 高峰秀子本人「あんまりみんなに『おめでとうおめでとう』って言われると、デブが可哀想になってね。全員がだよ、全員が同じことを言うんだよ。死んでそんな風に言われるのは、やっぱりイヤだよねぇ」 もう絶句してしまう、だけど、その養母なかりせば、女優高峰秀子は出現していない。墓の世話まではしたが、墓参りは一度も行っていないという。 なんともいいようのない人気女優の壮絶きわまりない人生である。 ◆この本には、その他、人生の「救世主」たる松山善三との婚約エピソードなど、感動的なはなしもある。しかし、残念なことに著作物全体のレベルとなれば、かなりの不満は否めない。 著者は松山夫婦の信頼が厚いらしく、親族からの手紙や弁護士との会話テープなどの閲覧を許されているので、記述内容の信憑性は高いだろう。しかし、ところどころに自分語りが混じりすぎるのである。高峰秀子を出汁にして自分のことを語りたいとすれば、読者にとっては迷惑千万なことだろうし、被写体との距離感の近さをアピールしたいとすれば、それも甚だしい勘違いである。なにより情報の信頼性を揺るがしかねない。 なんだか、一級の材料があるのに、調理の仕方を間違えたような作品にみえてくる。 いや、これは云いすぎだろうかな。まあ、もったいない本であるとは思う。
by chaotzu
| 2005-07-17 23:08
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