2005年 08月 02日

【ビデオ】 「二十四の瞳」 天皇陛下ハ押入レノ中ニオラレマス

◆ずっと昔の義務教育時代を振りかえると教師運はあまりいいほうではなかったな。男の先生はやたら体罰をふるうし、女の先生はキーキー怒ってばかり、そんな印象しか残っていない。
中学時代に懐いた先生がひとりいたが、突然首吊り自殺してしまう。失恋したらしいとの噂があったがよく分からない。
だいたい日教組教育云々を云われるが、田舎の先生はたいてい兼業農家で農協の組合員でもある。役場や国鉄の職員と似たようなもの、選挙のときは夫婦でちゃんと自社に分散投票する、いってみれば家庭内55年体制である(笑)。だから大半がデモシカ先生みたいなもんだった。世間の目も寛容であったから、アルバイトもし放題、大らかというべきかいい加減な教師が多かったのである。代用教員あがりもまだけっこういたのではないか(もっとも教育者の質とは無関係であるが)。
さて、本日は素晴らしい先生が登場する映画をみる。そーかあ、オレが根性曲がりになったのは、いい先生に出会わなかったせいかもなと、早速他人のせいにしたりする。b0036803_232412100.jpg
◆1954年松竹映画、子供のとき、学校か公民館でみたことはたしかであるが、サッパリ憶えていない。錦ちゃんのチャンバラものならともかく、こんな160分もの映画、子供がおとなしくみられるわけがない。いまあらためて見直すとだいぶ思い違いをしていた。分教場のオナゴ先生と子供たちのほのぼの交歓映画だと思っていたのだ。前半だけであればそうかもしれないが、後半の辛くなるところが、すっかり脱落していた。実際は、戦時下の女性の半生を描くとともに、反戦平和を静かに訴えた映画である。涙腺がゆるくなったのか、最後のほうはもう涙がとまらない。
同年公開の「七人の侍」を抑えてキネ旬1位というのも納得である。ただし、いま現在となれば、当時の貧しさが想像しがたいかもしれない。若いひとはアルマイトの弁当箱なんて知ってるだろうか。

◆1928(昭和3)年4月4日に小豆島の分教場に入学した12人の子供たちと新任の大石先生(高峰秀子)の18年間にわたる物語である。高峰秀子、最初は洋服で自転車乗りのキャピキャピ、モダンガールで登場するが、最後は戦争で苦しめられた40歳前後の疲弊した中年女性である。声の調子も変えて、年令進行を無難に演じている。
この18年間は昭和の激動の時代である。支那事変、上海事変、満州事変と戦火が拡大したあげく太平洋戦争に突入、そして終戦。この間男の子は出征、女の子の一部は辛い奉公である。
◆老練な校長先生が大石オナゴ先生に訴える。
“兵隊になっちゃつまらんと云うたそうだが、お国にご奉公できる国民を育てるのが義務じゃ”
“うまく云わんとバカをみる、みざる云わざる聞かざる、本音と建前を上手に使い分けにゃいかんときもある”
オナゴ先生、12人の教え子の卒業とともに、とうとう教師を辞めてしまう。
オナゴ先生が息子に云ったことば、先生を辞めても信念はいささかも揺らがない。
“靖国の母がそんなにいいのんか” “ただの人間になってほしい”
◆18年後の1946(昭和21)年4月4日に集まった元の子供たち、12人が7人に減っている。戦死が3人、病死が1人、そして1人は不明である。なお戦死した3人の墓碑は中尉に軍曹に一等兵、ホトケさまになっても差がつけられている。そして戦地から生還した1人(田村高広)も失明している。オナゴ先生自身も母親が亡くなり、夫(なんと天本英世)は戦死、腹を空かせた末娘が柿の木から転落死する不幸もあって、息子2人と慎ましやかな3人家族である。
今となっては分教場時代の記念写真が宝物だ。盲目になった磯吉がみたいという。
“この写真はなぁ見えるんじゃ”
“これが先生じゃろう、この前にわしと竹一と仁太が並んどる”
“これがまあちゃんで、こっちがふじこじゃ……”
いかんいかん、ここまでこらえていた涙がこぼれそうだ(泣)。
◆唱歌でいっぱいの映画である。
「仰げば尊し」「蛍の光」はいうに及ばず、「七つの子」「故郷」「冬の星座」「浜辺の歌」「埴生の宿」「おぼろ月夜」「荒城の月」など懐かしい歌が流れる。とくに「アニー・ローリー」が印象的である。
倍賞千恵子の抒情歌集が聴きたくなった。

◆たまたま偶然にも、日本テレビで黒木瞳版があったので、こちらも途中からみる。
もう大違いだった。黒木瞳ではオナゴ先生の清新さは無理というもの、ファンの方には申しわけないが、オバサン先生である(汗)。
ハナシもだいぶいじっているし、もう別の映画とみたほうが無難でしょう(苦笑)。
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by chaotzu | 2005-08-02 23:36 | 日本映画


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