マイ・ラスト・ソング

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2005年 08月 22日

【ビデオ】 「濹東綺譚」 偏屈じいさんのラヴ・アフェア

◆他人の日記を読むということは、その人の私生活なりアタマのなかを窃視するスリルを擬似体験できることでもある。日本近現代人の著名な公開日記といえば、やはり永井荷風の「断腸亭日乗」だろうか。いまや荷風のメイン・プロダクツである。
半藤一利によれば、荷風じいさんは先行き公開することを前提で書いていたふしがあるらしい。生前に発表された日記と死後のそれとは随所に内容の異なる箇所があったり、戦時中の軍部批判などは削除修正したり戻したりの忙しさ。なかには韜晦したような記述もある。だから日記研究家となれば、交流のあった著名人の日記との突き合わせもする。そうするとこれまで分からなかった人間関係の機微が浮かび上がってくるそうな、こうなるとなんだかミステリ小説を解いていくみたいである。
さて、荷風は37歳から死ぬまで日記を書き続けた。42年間になるが戦前戦中の異常な時期も含まれる。国民の多くが戦争熱に浮かれているときに、麻布六本木から玉の井(東向島)の私娼街まで通いつめる。この人にかかっては戦争批判もオンナや食い物の好みもみんな等価である。
実家とも断絶しある意味好き勝手に生きて、79歳で孤独死したひとりの人間の記録、うーん、うらやましくもあり、うらめしくもあり。

b0036803_22281295.jpg◆1992年日本映画(東宝&ATG)、豊田四郎監督の同名映画とは異なり、永井荷風その人が主役。おおむね「断腸亭日乗」に沿った展開であるが、玉の井の娼婦お雪とのエピソードは「濹東綺譚」を参考にしている。あくまで新藤監督脚色の「濹東綺譚」である。
津川雅彦が永井荷風を演じる。たいして似ていないが、この前みた東條英機よりはまし、やはり生真面目な役よりも、飄々たる軟派人間のほうが断然あっている。あと、いまや消えた女優になってしまった墨田ユキがモーレツなハダカ演技をみせる。そういえぱ新藤監督の作品では故殿山泰司がモデルの映画で荻野目慶子が突然すっぽんぽんになったこともあったし、ときどきびっくりさせられる監督さんである。

◆それにしても、荷風ほど好き放題に生きた人間はそういないだろう。悪く云うと金持ちの放蕩息子、狷介偏屈、吝嗇、オンナ好き、ジコチュー……、もう悪口だらけになってしまう。それで文化勲章までもらっちゃうのだから、正直、近場におられたらむかつくかもしれない嫌味野郎(笑)。だけど、悪口まみれでも破天荒な生き方のほうが断然面白い。なにせ戦時下の抑圧された時代に「愛の流刑地」みたいな享楽小説をせっせと書いていた剛胆したたか人間である。当然映画のほうも格別に面白い。

◆冒頭、50歳バツ2の息子荷風に再婚を奨める母親(杉村春子)、そのとんでもない会話。
(息子)“ぼくはねえ、処女性を大事にしたいんですよ”
(母親)“サックつけていても挿入すれば同じじゃないの”
そして、荷風は母親の面前で20歳そこそこの女中(当然関係あり)にブチューと接吻する。
もー、みている方が恥ずかしいというかミもフタもない。とにかくとんでもないおっさんであったことを、まず観客に知らしめたわけだ。

◆そんなとんでもないおっさんだから、関係をもったカフェの女給(くわえ煙草の伝法な宮崎美子)に財産の半分を分けろとゆすられたりする。
“もてるブルジョアがもたざるプロレタリアにやるのはあたり前じゃないの”
音を上げた荷風じいさん、とうとう警察をつかって撃退するが、本人も刑事に説諭される始末。
“こんなくだらんことで警察の手を煩わすな”
まー、こんなことまで面白がって日記に書いているのだ。冷徹な目で観察しているもうひとりの荷風がいたんだろう。

◆いちばんのみどころは、戦前の玉の井のまちを映画で再現したことだろう。路地が入り組んだ迷路みたいなところである。あちこちに「ぬけられます」のネオン看板がかけられている。置屋には小さなのぞき窓があって、そこから娼婦が道行くひとに声をかけている。夏はどぶ蚊がすごいので、いつも蚊帳をつっている。そんな街に50代後半の荷風が地下鉄とバスで通いつめるのだ。なんたるスケベじいさん! そして“文学とオンナは一体、子供は文学のジャマ”とうそぶいている。いや、おそれいりました。

◆戦争も終わる。お雪も頑張って生きている。だけど新聞で荷風をみても気がつかない。もとより、エロ写真家とにらんでおり、勲章をもらうようなエラい先生なんて思ったことがないのだ。
いっぽう荷風のほうは浅草のロック座に入りびたり、踊り子さんといっしょにカメラにおさまったりしている。こうなると男子の本懐みたいな人生である。
晩年になると市川の自宅から浅草まで食事に出かけるだけの毎日。アリゾナ・レストランに尾張屋。日記のほうは連日、“晴れ後に陰、正午浅草”のような記述が続くだけ。
昭和34年4月30日胃潰瘍吐血による窒息死、享年79歳。
映画のシーンにはないが、現場にかけつけた半藤一利(当時週刊文春記者)によれば、警察調達の棺桶が小さすぎて納棺に苦労したらしい。
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by chaotzu | 2005-08-22 22:34 | 日本映画


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