2005年 08月 25日

高校野球かくも奇妙な世界

◆駒大付属苫小牧高校、57年ぶり夏の甲子園連続優勝で大フィーバーかと思いきや、一転、教師(野球部長)による部員への「暴力」事件で大揺れである。

b0036803_2152267.jpgこの事件、正直云ってよく分からない。事件そのものの中味以前に、なぜこれほど騒がれるのか理解できないのだ。「暴力」事件をないがしろにするつもりはないが、とても全国ニュースでとりあげるネタとは思えない。せいぜい地方版ではないか。マス・メディアはもっとほかに調査報道すべきことがあるはずだし、まして衆議院が解散して選挙告示直前である。

夏の甲子園優勝校野球部の事件だからニュース・バリューおおありという考えもあるだろうが、100人近くの部員がいてそのうち登録外で試合に出ていない部員が、しかも「被害者」であるという事件である。甲子園あるいは南北海道の地区予選で現実にあった野球試合となにか特別な関連があるのだろうか。
まして、優勝を勝ちとったのは出場した選手の力である。大人が仕出かした「暴力」であるのに、優勝の辞退あるいは取消しの事態まで想定した報道は、すこぶるこっけいにみえてしまう。

◆問題があるとしたら、「暴力」事件そのものよりも、事件が発覚すれば甲子園に出場できなくなるという学校側の発想ではないのか。現実に明徳義塾高校は部員の集団喫煙と下級生部員への暴力事件で、甲子園に到着してから出場辞退に至っている。学校としてのリスク管理の拙さとそれを誘引する高野連の旧弊体質である。
また、当該部員の父親が云うように「40発殴られてアゴが曲がった」としたら、それこそ刑事事件である。学内の調査委員会や高野連への報告がどうたらの密室的な対応は不信感を生むだけではないだろうか。

だけど、もういい加減にしてほしいものだ。まして、苫高の事件は部員の起した「不祥事」ではない。こうなると際限のない連帯責任の追及である。高野連はいつまでサル芝居をやるつもりなのか。
昔からそうだが、高校野球を聖なる祭典に祀り上げたいマス・メディア(朝日と毎日そしてNHK)の思惑がなんでも事大主義にしてしまう。高校生のクラブ活動のひとつであって、それ以上でも以下でもない。ところが、商業ベースにのった大人の打算が、いつのまにやら高校野球だけ卓越した存在にもちあげて、ありもしない純真な高校球児の虚像をでっちあげてしまう。だいたいが球児である以前に、17、18歳の遊びたいさかりが大半であって、そっちのほうもまた自然なのである。
夏の大会で優勝した金村義明(報徳学園→近鉄)の本なんかみると、球児の「悪がき」ぶり横溢である。受け狙いの誇張部分はあるかもしれないが、メディアが報道するうわべだけの高校球児イメージを見事にぶちこわしている。

◆かつての週刊ベースボールのグラビア、甲子園出場有名球児(のちドラフト1位入団)の紹介写真をみると、なんとテーブルの上に堂々と百円ライターを置いている。どうみても持ち主はその選手である、オイオイ大丈夫かい(笑)。実際は、取材記者の前で平然と煙草をふかしていたのだろう。そして、そんな選手がいくらいようが、メディアも商売ネタ優先でそれを看過していたのではないか。
セリーグの某球団監督の高校球児当時なんかは、見るからにワルの雰囲気たっぷりだった。野球番長そのもので、このひとなんかは部内で出場停止20年分相当ぐらいの「不祥事」をやっていたにちがいない(笑)。
しかし、それぐらいのやんちゃ坊主じゃないと大舞台で実力発揮できないぞといった見方があったことも事実なのである。同じ球児のなかでも、熱血青春部分と思春期反抗部分が並存している。それが、タレコミがあるかないかでどちらかに偏ってしまう。同じことをやっても、人間関係次第で、指導的行為になれば暴力行為になったりもする。

このままでいくと、外部?からの「タレコミや告発」次第で、高野連の運営が左右されることになりかねない。いやもう既になっているか。
いつまでも建前的な高校野球観に固執して、連帯責任ばかり振りまわすことはもうやめたらどうか。高校野球はなにも特別なものではない。
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by chaotzu | 2005-08-25 21:57 | 野球


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