マイ・ラスト・ソング

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2005年 09月 03日

【読書】 新藤兼人「愛妻記」 不倫愛のかくも見事な昇華

◆映画監督と女優の夫婦はけっこうある。吉田喜重と岡田茉莉子、大島渚と小山明子、篠田正浩と岩下志麻……、そのなかでいちばん強烈なカップルといえば、新藤兼人と故乙羽信子だろうか。
12歳年上の新鋭監督兼脚本家に女優が惚れこんでしまい、大映専属女優の座まで捨ててしまう。ところが男のほうは妻子もちである。不倫ではじまった関係は女優が死ぬまで42年間つづく、うち16年間は正式な夫婦で過ごす。
乙羽信子の最期のことば
「センセイが目が見えなくなったら、仕事をやめて手をひいてあげようと思ったのに…」
82歳の夫が70歳の妻に接吻する。もう涙なくして読めない愛情物語である。

b0036803_21125052.jpg◆岩波現代文庫、単行本初刊は1995年12月。
新藤兼人の監督第一作が「愛妻物語」(1951年)、脚本家修業で苦悩する夫とそれを献身的に支える妻の物語である。監督自身がモデルであるが、この最初の妻は戦争中に結核で亡くなってしまう。洗面器一杯に血を吐いてしんでしまう妻を演じたのが乙羽信子で、実際イメージも似ていたようだ。
その乙羽信子も亡くなってしまい、夫が綴ったのがこの「愛妻記」。新藤監督は愛妻を二度喪ったことになる。

◆妻は亡くなる1年半前に肝臓ガンの手術を受けるが、既に末期状態で医師から夫に余命1年から1年半を告げられる。そして夫は告知せず、妻にとって最後の映画制作を決意する。この本は新藤映画のメイキング・ブックでもある。
女優乙羽信子の遺作「午後の遺言状」、何度みても胸に迫るものがある。異様な迫力と言いかえてもよい。じいさんばあさんだらけで、なんのサスペンスもアクションもあるわけでなく、しいていえばコメデイに近い映画であるが、今から思えば製作側は異様なスリルを感じていたはずだ。いつ何時俳優が倒れるかもしれない不安である。俳優のほうはもっと切迫した覚悟で臨んでいたかもしれない。事実、最後の撮影場面では体調にあわせてシナリオを変更している。

◆それにしても赤裸々である。乙羽信子との最初の体験から逢引きの場所まであからさまに記している。なにもそこまでと思うが、新藤監督はときどきドキッとさせることがある。「午後の遺言状」のラストで乙羽信子が杉村春子の大事な石をポイと捨ててしまう。棺桶の留めクギを打つ石なんてどうでもいいではないか。もっと本質的に大事なことがあるはずだ、人間の真実とは何か?当然男女の性もそのうちではないのか。
ただいま93歳の現役脚本家は、人間の生死の真実をくり返し考えつづけてきたのだろう。

◆新藤監督は1950(昭和25)年以降、ずっと独立プロダクションで映画を製作してきた。表現の自由と引きかえに資金繰りは綱渡りである。いつ潰れるか分からない。そんなところに、新進の若い女優がおしかける。もちろん監督に魅かれてである。
大映の重役はひきとめようとする。
“冷静になれ、アゴが干上がっちまうぞ”
“干上がってもいいんです”
とうとう永田社長に直談判する。ラッパがしまいに折れる。
“君の熱意に負けたよ、やりたいようにやり給え”と契約書を破り捨てる。
永田ラッパ毀誉褒貶はあるが、日本映画史にとどめたい人物ではある。
以後、半世紀近く乙羽信子はこの独立プロの専属女優であり、出資者であり、時には食事当番もお茶くみもする。新藤監督の実質パートナーであった。監督が映画で描いたどの恋愛よりもドラマチックで熱いものだったようだ。ときに現実のほうが創作を凌駕する。

◆はなしは脱線するが、女優倍賞千恵子と某監督についても、似たような関係を想像することがある。倍賞千恵子の最初の結婚は誰かに対する面当てみたいな唐突なものだった。邪推そのものかもしれないが、男女関係の終了とかいった事実がないとそれこそ説明がつかない出来事だったように記憶している。
だけど、寅さんシリーズはちゃんと続いたし、結局のところそれはそれでよかったのだろう。
人生いろいろ、恋愛もいろいろ、そして別離はひとしくおとずれる。
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by chaotzu | 2005-09-03 21:26 | 読書


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