2005年 10月 02日

【映画】「メゾン・ド・ヒミコ」 あなたが好きよ、ピキピキピッキ~!

◆なんとまあ2日続けて映画館に行ってしまった。こんなこと滅多にないのだが、こんどは同居人の推奨である。内実を云うとナントカ割引の恩恵があるからということだ。なんだかトホホ気分もある。ところで、初回上映は11時10分から、お昼をまたいでしまう、生活のリズムを無視した妙な上映時間である。休日ぐらい午前中にきっちり1本上映せんかい(怒)と思ってしまう。まあ館主の発想というものはよく分からない。それでも映画のほうはなかなか面白かった。真に人生の深奥、ひとさまざまである。孤独であるが孤独じゃない、酷薄であるが酷薄じゃない。

b0036803_21213897.jpg◆2005年日本映画(アスミック・エースほか)、「ジョゼと虎と魚たち」と同じ犬童一心監督と渡辺あや脚本コンビ。こんどはおかまの老後という意表を衝く設定である。
正直にゲロすると、おかまと話すのは楽しいが、ホモと近場で暮らすというのはゴメンこうむりたい人間である。女装の梅垣義明(ワハハ本舗)が鼻から豆飛ばしてシャンソン唄いまくるのは大好きであるが、体育会系のホモにじっと見つめられたら、恐怖を感じるかもしれない、まあそういった差別野郎の自分であった。ところが、この映画となるとおかま専用の老人ホームのはなしである。ある意味先述体育会以上のコワサがあるかもしれない。
「はばあのおかまより、ぶすっとしたブスのほうが、まだましではないか」
そういった予断をもってみたことは否定できない、反省します。
結論から云うとヒジョーに「楽しくかつ哀しい」映画だった。コメデイ仕立で茶化すというかゴマカス方法もあったろうが、逃げずに現実を直視しようとする製作サイドの心意気はかいたい。

◆ヒロインの柴咲コウ、デビュー作の題名が「東京ゴミ女」というからスゴいが、「バトル・ロワイヤル」でもえげつない血まみれ女子高生だった。だけど、みるひとはみるんだなあ、キラキラ輝くものがある。この映画では24歳の塗装会社事務員で夜はコンビニ店員。そばかすで眉間にタテ皺、仕事の合間に風俗業界の求人情報を物色しているが、バニーちゃんの応募も断られる始末、おまけに成長環境もややこしいというトンデモない複雑系ヒロインである。まさにゴミ女、それがメゾン・ド・ヒミコの住人とのふれあいによって、だんだん輝いてくる。相方のオダギリ・ジョーもそうだが、まさにこのひとならではのはまり役だ。

◆おかまの父「卑弥呼」と娘「吉田沙織」の確執と和解?の物語でもある。
末期ガンで余命いくばくもない父は「茶番劇」と云い、一切の言い分けを峻拒する。
娘は父を責める“ママを苦しめたこと後悔したことある”
父は“道理はそうだろうけど、でもアナタが好きよ”
と切りかえす。これいいなあ、ワタシも何時かはつかいたいよ。
そのうち、娘は母親が卑弥呼と逢っていたことを知る。おまけにおかま仲間との記念写真にまでおさまっている。まことに人間模様は奥深い。
さて、沙織は父親を赦免するのだろうか。

◆あたり前だが、ホモといってもさまざまな人生を経ている。
生まれ変わったら、バレリーナか相撲部屋の女将になりたいという人気者のルビー、かつて捨て去った息子が市役所にきちんと就職したと喜んでいる。まだ見たことのない孫の「ピキピキピッキ~」が気になってならない。いったいなんだろう?
まだ見ぬ孫あてのハガキをいっぱい書いている。全部みんなピキピキピッキ~だ(涙)。
社会人当時はカミングアウトしなかった心やさしい元銀行?支店長の山崎、洋裁が達者で棺桶用のドレスまで用意している。女装の山崎を発見して嘲笑する元同僚に「アヤマレ!」と詰め寄る沙織の怒り泣き顔、この辺りからぶすっとしたブスが光り輝いてくる。

◆横浜のダンスホールで、突然出現する夢のようなダンス・シーン。メゾン・ド・ヒミコの住民もそうでない人もみんないっしょに群舞する。ミュージックは尾崎紀世彦の「また逢う日まで」、解放感全開、楽しくてハッピーそのものだ。まるで異次元空間に入り込んだかのような至福のシーン。これほど幸福感あふれる絵はちょっと記憶にない。ここで不覚にも涙ぐんでしまった。なぜだかよく分からない。映画中白眉のシーンである。

♪また逢う日まで 逢えるときまで
別れのその理由(わけ)は話したくない
なぜか寂しいだけ なぜか虚しいだけ
互いに傷つき全てをなくすから
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by chaotzu | 2005-10-02 21:28 | 日本映画


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