2005年 10月 22日

便利さはどこまで享受できるか

◆ブルブル、途端に寒くなった。冬衣装の用意を急がねばならない。
本日は雨のち曇天の一日、プロ野球日本シリーズは中止かもしれんなと思っていたら、試合があって、おまけに濃霧コールド・ゲームときたからビックリ。だから云うわけじゃないが、この時期のナイターはどうも寒々しくみえて仕方がない。青空球場であるからなおさらである。休日ならばデー・ゲームでやってほしいもんだ。
試合のほうはロッテの快勝、いったんは阪神も追いついたんだけどねえ、ロッテはプレーオフの勢いがあったし、一戦目は試合勘の鈍っている阪神不利が否めない。
阪神ファンの方、「きょうはこの辺にしといたるわい(by池乃めだか)」ぐらいに思っていたほうがいいんじゃなかろうか(苦笑)。

◆宅配便の配達時不在連絡票がはいっていたので、再配達依頼の電話をかける。もう夜の7時半だから、明日以降でかまわないと伝える。生ものではないし別段急ぐ品物でもない。ところが、受付嬢は「いいえこれからお届けします」と云う。滞貨を減らしておきたいのかもしれないが、実に親切なことである。結局配達員の青年がきたのは9時前、真に申しわけないと恐縮しつつ受け取る。
宅配事業はゆうパックの参入など競争もはげしいため、サービスが格段によくなったという。それは有り難いはなしである一面、毎度二度手間をかけて申しわけない気持ちもある。そして、こんな遅い時間まで、配達員に仕事させる権利はあるのかと自問したりする。

◆むかしのことを思えばたしかに便利になった。宅配便やゆうパックの発送では何段階かの細かい時間指定ができるし、受け取る立場でも再配達時間帯の指定ができる。夜遅くなければ当日の再配達まで依頼できる。
だけど、その便利さの裏側でいったいどれだけのムダが費やされているかだ。クルマの燃料の浪費、公道の常時占有はさておいて、配達員が消費させられるムダな役務提供はどれぐらいのものか。人的資源のムダづかいになっていないか。
そしてそれはふつうならば、コストに反映されて顧客に転嫁されるはずだが、競争環境によっては、もっぱら配達員の勤務条件にしわ寄せがいっているかもしれない。甚だしい社会的浪費があったとしても、価格にはね返らないかぎり顧客は無関心である。

◆コイズミさんは、民営化や規制緩和によって、市民生活はどんどん便利になりますよという。今までなかった夜間のサービスも拡大するという、ありがたいご託宣であって、そのこと自体を大上段から否定するつもりはないが、いったいその便利さをどこまで有り難がっていいのやら、ときどき迷うことはある。消費者がサービスをとことん欲張っていけば、その果ては労働力のムダづかいなり化石燃料の浪費にむすびつきはしないかということだ。
例えばのはなし、24時間営業のコンビニでいつでも好きなときにお酒が買えますよ、なんてそもそも有り難がるようなはなしではない。また、こんどはコンビニが銀行の代理店になって、家の近くで手軽に預金口座の開設ができるようになるという、たしかに便利かもしれないが、その分顧客情報の漏洩リスクも覚悟しなければならない。そもそも便利さと安心感が両立するものかどうか。

◆少子化で人口減少が予想されるこれから、消費者の利便性をオプションにする考えがもっとあってもいいと思う。たとえば、新聞の朝刊、戸口までの宅配は要らない、夕刊と同様に集合郵便受けに投げ込んでもらえばいい。その代わりに月々何百円か値引いてくれという「商談」は可能だろうか(もっとも、朝刊そのものがネット配信で代替できるという発想もあるし、そもそも紙媒体は1日1回で十分かもしれない)。宅配便もそうで、有償で代理受領を委託できる中継所があったら便利だろうなと思う。配達の二度手間がなくなるのだから、宅配料金も値引き可能だろう。団地の管理会社なんかは、いい副業になると考えるがどうだろうか。
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by chaotzu | 2005-10-22 22:52 | 身辺雑記


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