2005年 11月 04日
◆「民草」とはなんとまあ、古いことばがとび出したものである。 熊“するってえと何かい、あっしらは草だってことかい” 八“喩えだよバカ、前に月見草を自称した監督さんなんかがいただろう” 熊“ああそうかい、なら向かいのみよちゃんは虞美人草ってとこだな、オイラはなんだろ?” 八“おまえなんか、セイタカアワダチソウだよ、ほんとにバカはやだね” 熊“ああそうかい、植物でけっこうだ。その代わり税金なんかもう払いたくないやい” 八“わたしは草になりたいってか” ◆三笠宮寛仁殿下、戦後生まれの皇族で今上天皇の従兄弟、そして麻生外相とは義兄弟の関係である。若かりし頃はヒゲの殿下として名を馳せた。かつては恰幅があったが、喉頭癌との闘病でだいぶお痩せになった。その殿下が書かれたエッセーが話題になっている。 女性天皇を容認方向にある皇室典範の改正論議に異議をはさんだ、すなわち男系男子による皇位継承の維持を訴えたからだ。そのために、戦後皇籍を離脱した旧皇族の復帰などの意見を表明されている。新聞記事にはないが、現実的に無理という断りつきで側室の設置も挙げられたらしい(あくまで理屈上の方策としてである)。 なにせ皇族の肉声であるから反響は大きい。 エッセーはこう続けられる。 「国民一人一人が、我が国を形成する『民草』の一員として、2665年の歴史と伝統に対しきちんと意見を持ち発言をして戴(いただ)かなければ、いつの日か、『天皇』はいらないという議論に迄(まで)発展するでしょう」(読売新聞) ◆失礼を省みずに申し上げると、なんとも古臭くて大仰に感じてしまうのである。先述の「民草」といい皇紀暦~ちなみに皇紀元年は縄文時代である~といい、まるで神代の昔の天皇像が甦ったみたいだ。ちょっと共感できそうもない。 昭和天皇は人間宣言をされたし、今上天皇も真摯に現行憲法の趣旨をふまえて公務に取り組まれている。だからこそ、国民の大多数が皇室に親しみを感じ、尊崇しているのではなかろうか。 また、今上天皇のお姿をみて痛感することは、相当な自己犠牲が必要な立場であるらしいことである。一般人のごとき人権は望めそうにない。幼年期からの厳しい自己修養があってこそ務まるのだろう。だから、過去にあった継体天皇の如き事例の復活は現実的に難しいだろうと思う。それも賛同できない理由のうちである。 ◆ただし、皇族の言論の自由もまた重要である。うっかり物ひとつ言えないということになれば、戦中、戦前に戻ってしまうことになりかねない。殿下のお考えには直ちに首肯できないが、開かれた皇室のためにも、国民との闊達な意見交換がときにはあってしかるべきだ。 生粋戦後派皇族のヒゲ殿下、かつては「皇族離脱発言」をされて世間を騒がせたこともある。皇族とて人間である。僭越ながら、そういう皇族もまた必要ではないかと思う。
by chaotzu
| 2005-11-04 20:55
| 時事
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