マイ・ラスト・ソング

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2005年 12月 02日

「小泉劇場」~バチモン国家への道

◆今年の流行語大賞(といっても民間出版社の宣伝にすぎないが)、「小泉劇場」と「想定内(外)」が選ばれたそうだ。偉大なるイエスマン自称の武部幹事長は表彰式で「小泉オペラまで盛りあげたい」と意気軒昂である。なるほど、たしかに安物のソープ・オペラが似合いかもしれない。
さて、その小泉劇場なるもの、これまで我々の社会に何をもたらしてくれたのか?

b0036803_2258778.jpgまず詐欺に偽装事件のこれまで以上の氾濫である、もうこれみよがしに愚行がのさばる時代になってしまった。「振り込め詐欺」「ワン・クリック詐欺」「フィッシング詐欺」「架空請求詐欺」そしてきわめつけは「耐震強度偽装」だ。おまけとして「頭髪偽装」もあるらしいが、それはまあいい。なかには弁護士、建築士、会計士等キャリアのある人間がしでかす不始末もある。ありとあらゆる詐欺バージョンが満開状態で、それがさらに増えている。おまけにばれても平気で開き直る始末でたちも悪くなった。

◆かつて、実直に生きておればそれでよしという価値観があった。仕事のほうも見習工であれ臨時雇いの安月給であれ、汗水流して一所懸命勤めれば本工になってなんとかなるという夢があった。それが、敗戦国日本の再建と経済成長をもたらした。
今はどうか、たとえ真面目に働いていても、
“厚生保険料もう払えんから、いったん辞めたことにしてくれ”
と、突然雇用主から言い渡されたりする時代だ。「負け組」ならまだしもヘタすりゃ「超負け組」に落とされてしまう。ボジョレ・ヌーボーを飲むどころか発泡酒も呑めなくなるかもしれない、サライを読むどころか、くずかごからスポーツ新聞を拾ってこなければならん、そんな心配が現実になりつつある。いや、国民健保の保険証に顔写真添付となれば、これまで以上の医療難民が発生する時代に既になっている。そんなご時世で少子化を議論しても笑止と言うものである。
それより、こんな時代であれば、うまく立ち回らないと損だ、ルールに書いていなければ何をしてもよいんだということになりかねない。要領かましてあたり前の発想、それが明らかにひどくなっている。もうこの国のかたちが壊れているんじゃないかと思ってしまうほどである。
そして、その責任の第一は政治家にある。

◆コイズミさんになって、政治家の言葉がものすごく軽くなった。強弁、詭弁に開き直りである。
イラクへの自衛隊派遣については、当初の前提(大量破壊兵器の存在)が間違っていたというのに、未だにろくな釈明もないまま、派遣の再延長を決めてしまった。この人の言葉を思いだしてみればよい。詐欺師のそれとたいして変わらないから。
“フセイン大統領が見つかっていないからフセインが存在しなかったと言えますか。大量破壊兵器がないと言えますか”
“どこが非戦闘地域で、どこが戦闘地域か、私に聞かれたってわかるわけがない”
靖国参拝に係る高裁の違憲判断に対しても
”首相の職務として参拝しているのではない。どうして憲法違反なのか理解に苦しむ”
そのあげく100円か500円玉かをポケットからチャリーンである。
この前の衆議院委員会におけるヒューザー小嶋社長の開き直り
“それじゃ不経済設計、コストアップがいいというんですか”
となんと類似していることか。
総理大臣がこんなありさまだから、詐欺や偽装事件が氾濫するのもやんぬるかなである。

◆そして、今度は三位一体改革として義務教育の国庫負担金減らしにとうとう手をつけた。地方交付税で補てんするというが、枠があるなかでなんの確約にもならない。教育は国の礎であるという、少なくとも義務教育に関しては国の責任があるはずだが、それすらも放棄しかけているのではないか。使いもしない空港やがらがらの新幹線、高速道路をたくさん作ったあげく、教育の機会均等までないがしろにしようとしている。おそらく郵政公務員の次は教員が悪者にされるだろう(そして外務官僚などの特権は容認される)。
国民のなかで恣意的に悪者を拵えて政治目標を達成していく手口、それを「小泉劇場」として喝采を送っているが倒錯そのものである。実際は「小泉茶番劇場」じゃないのか。
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by chaotzu | 2005-12-02 23:07 | 時事


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