マイ・ラスト・ソング

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2005年 12月 02日

【NHKBS】「喜びも悲しみも幾歳月」 まっとうな人のまっとうな人生

◆♪おいら 岬の灯台守は 妻と二人で~ 沖行く船の
   無事を祈って 灯をかざす 灯をかざす

子供の頃、耳にこびりついた唄のひとつである。年長生はみんな声はりあげて唄っていた。それで、わたしは「おいら岬」という岬が実際にあるんだとずっと思いこんでいたのである(笑)。
現在、海上保安庁の灯台は全国で3300基ほどあるらしい。あたり前ながら、人里離れた不便な場所に立地している。ずっと昔岬めぐりのツアーをすると、たいてい灯台があって、その近くに灯台守の官舎があった。観光でちょっと寄るだけならともかく、実際に住むのはたいへんだろうなと思ったものである。いまは無人化が進んで、有人灯台はほとんどなくなったそうであるが、これまで日本の社会は、このような無名勤労者の実直な仕事に支えられてきたのだろう。なにも六本木ヒルズ族が日本社会を支えているのではない。

b0036803_2354287.jpg◆1957年松竹映画、天台宗に「一隅を照らす」ということばがあるが、まさに「一隅を照らす」人生を送った夫婦の愛情物語。英雄の波乱万丈譚も面白いが、無名の愚直な庶民史にもまた魅かれる。いや、こちらのほうにこそはるかに共鳴するものがある。
全国各地を転々とする灯台守夫婦の悲喜こもごもの人生、一歩間違えるとクサい映画になりかねないテーマであるが、木下恵介監督は何の衒いもなく真正面からとりあげる。北は北海道石狩浜、南は長崎県五島列島の女島、各地の灯台風景もまたすばらしい。

◆昭和7年上海事変発生の年、神奈川県観音崎灯台の所員である佐田啓二は高峰秀子と見合い結婚する。以後日中戦争、太平洋戦争をはさんで、戦後も海上の安全に尽くす人生一筋であるが、子供の死目にも会えない仕事である。
かつての燈台守の生活は厳しい、食糧等物資の補給もままならないし、ご飯は糠くさい。万一の医療不安もある、なにより子供が孤立してしまい教育も心配だ。映画のなかでは娘を燈台守に嫁がせるのはイヤだと公言する灯台長の妻も登場する。
新婚当時の観音崎灯台では、精神に異常をきたした妻を抱えて苦悩する同僚がいる。2年後に赴任地した石狩灯台では、馬橇のなかで病気の妻を亡くす同僚の悲劇を目の当たりにする。そのいっぽうで主人公夫婦は子供2人を授かる、最初の女の子は夫がとりあげてへその緒も切った。その度にバンザイして外にとび出し涙ぐむ佐田啓二、厳しい環境であるからこそ喜びもひとしおだ。

◆夫婦の転勤はつづく、昭和12年女島灯台、昭和16年佐渡島弾崎灯台、昭和20年静岡県御前崎灯台、昭和25年三重県安乗崎灯台、昭和29年香川県男木島灯台、そして昭和30年再び御前崎灯台……、
戦争末期には、米軍の空襲の標的になる。あちこちの灯台で殉死者が出る。金華崎、尻矢崎、犬吠埼、綾里崎……、高峰秀子は夫についもらしてしまう。
“勝ち目のない戦争はもうやめろ、早くやめてほしい”
声高に反戦を唱える映画ではないが、静かなる反戦映画の一面もある。
この間、男木島勤務時に高校生の長男を亡くす不幸もあったが、長女は戦時中の疎開で縁のあった東京の男性と幸せな結婚にこぎつける。御前崎の灯台で海外赴任する娘夫婦の客船を見送る夫婦、霧笛を鳴らして送り出す。船からは警笛が返ってくる。
妻“もうどんな苦労があってもいいわ……”
夫“いや、これからはうんと愉しいことがあるような気がするよ”

◆ラスト、北海道は小樽の日和山灯台へ、霧がたちこめるなか着任する夫婦の後姿だけ映される。もうすっかり年老いている。
いかんいかん、またまた、木下ドラマにしてやられたの思い(涙……)。

♪星を数えて波の音きいて 共に過ごした 幾歳月の
よろこび悲しみ 目に浮かぶ 目に浮かぶ
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by chaotzu | 2005-12-02 23:59 | 日本映画


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