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マイ・ラスト・ソング

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2005年 12月 09日

ジョン・レノンと真珠湾といちご白書

◆「いちご白書」という70年代アメリカ映画、ユーミン(またはバンバン)の歌ですっかり著名になった学園紛争もの青春映画である。
そのラストシーンはコロムビア大学の体育館に篭城した大勢の反戦学生が、床を両手で叩き鳴らしながら、ジョン・レノンの「平和を我等に」を唱和する場面。やがて警察と州兵がやって来て、催涙ガスを撒き散らし学生の強制排除にとりかかる。警棒で学生が叩きのめされるシーンがえんえんつづく、そして、警察の群れにダイビングする主人公に、バフィー・セントメリーの主題歌「サークルゲーム」がかぶさって、ジ・エンド。
いまとなればなんちゅうことないストーリーが、当時の若者のハートをわしづかみにした。正直云ってそん時はベトナム戦争よりも、ノンポリ・カップルの恋愛の行方のほうに胸がときめいたのである。音楽もよかった。今でも、ジョン・レノンといえば、この「平和を我等に」を思い出す。この前カナダ制作のジョン・レノン・ドキュメンタリーをみたが、ベトナム戦争のさなか、ピート・シーガーがこの歌を唄い出すと、途端に会場全体の何万人もの観衆が徐々に唱和しだしたとのこと。圧巻だったらしい。
“ほんとに、ジョンはすごい奴さ”

ジョン・レノンと真珠湾といちご白書_b0036803_2337265.jpg◆そのジョン・レノン、亡くなってからもう25年、生きておれば65歳になる。この時期になると、レノン&ヨーコの「ハッピー・クリスマス」が流れてくる。すっかりクリスマスの定番ソングに定着した。ビートルズの後期は、ポール・マッカートニーのほうが実質リーダーかなと思っていたが、なんのなんの、ソロ活動になってからはジョン・レノンのほうが圧倒的に優れた歌を残している。それでビートルズのコアはレノンの音楽性だったということを、後になって思い知った次第。
奇矯な行動もあった、ご乱行も伝わってきた、そして主夫業に徹した何年間かの沈黙後、「ダブル・ファンタジー」で復活した、これがオノ・ヨーコのパートを除けば実に名盤なんである(笑~敢えて書くが小野洋子の実質はアーティストというよりは商売人である)。さあこれは期待できるぞというときに、ダコタ・アパート前の悲劇が起きてしまった。生きておれば、どれだけの歌を与えてくれたことだろうと嘆いても詮無いことであるが、その当時はだいぶ落胆したものだ。しかし、亡くなった後に生まれてきた人たちもファンに取り込んでいる、こんなソング・ライター、そうはいないだろう。

◆そして、ジョン・レノンが亡くなった日は、日本海軍がアメリカ・ハワイの真珠湾基地を攻撃した日でもある。
ワタシ的には、レノンの命日=太平洋戦争開戦日→レノンの反戦ソング→「イチゴ白書」と連想していく仕組みがすっかり定着しきっている。これを毎年反芻する、その繰り返しである。
64年前の真珠湾攻撃については、開戦通告の不手際等あって、日本人一般にはあまり愉快でないかもしれない。しかし、アメリカ人にとって「リメンバー・パールハーバー」はいまでも愛国心を鼓舞できる共通のキャッチフレーズである。現在同盟国関係にあるといっても「卑劣な奇襲攻撃」のことは絶対に忘れていない。いまでも、オアフ島真珠湾にある戦艦アリゾナ記念館は全米各地からの見学客で長蛇の列である。真に健忘症民族日本人と対照的であって、正直云ってけったくそ悪い(苦笑)。誰がみるかてなもんであるが、無謀な戦争の愚さを否が応でも思い知らされる仕掛けである。
残念ながら、ジョン・レノンの願いはいまだ叶えられていない。しかし、平和を希求するその歌は永遠に劣化しないだろう。

by chaotzu | 2005-12-09 23:45 | 音楽


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