マイ・ラスト・ソング

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カテゴリ:OKINAWA( 5 )


2005年 11月 03日

よくやったり八重山商工

◆高校野球の秋季九州大会、本日決勝戦があり、長崎県立清峰高校が沖縄県立八重山商工高校を破って優勝した。いずれも公立高校でかつ純粋地元出身者のチームどうしという、新鮮な顔合わせ。とりわけ八重山商工の快進撃には喝采を贈りたい。
九州大会準優勝ならば、春の甲子園センバツ大会の出場は当確らしい。離島の高校としては大快挙である。やたら甲子園をもちあげるのは本意ではないものの、八重山びいきとしてはうれしいような。

b0036803_2025534.jpg◆石垣島には高校が3つある。八重山高校と八重山農林高校、そして八重山商工高校、与那国島には高校がないので、たぶん八重山商工高校が日本最南端の高校になる。島外でいちばん近い高校となると宮古島だろう、そこまで飛行機で約30分かかる、沖縄本島(那覇)までとなると1時間。そして甲子園のある関西までは飛行機で3時間以上だ。上海やソウルのほうがはるかに近い。
これだけ遠隔地の離島となると、子供のクラブ活動の運営もたいへんだろうと思う。まして、予算の自由度がある私立高校ではない。チーム力を上げるために不可欠な実戦経験を積むことからして、容易にできるものではない。ここまでくるには、遠征費用の捻出など並大抵の苦労ではなかっただろう。おまけにもともと八重山の子供はおっとりしたのんびり気質がある。まあ、ふつうならば並みのクラブ活動で終わってしまうところだ。そのチームがとうとう九州大会準優勝であるから、石垣島は沸きかえっている。

◆テレビニュースでみると、決勝戦があった浦添の球場には石垣市の市長さん以下大勢の島民が応援に駆けつけていた。そして、学校の同級生たちは、体育館でラジオ放送を聴きながら、歌って踊って応援している。
市長さん曰く
“(仕事は)もうほったらかしですわ”
“だれかがやってくれるでしょう”
このへんの大らかさがいいんですな。

甲子園へオーリトーリ!
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by chaotzu | 2005-11-03 20:28 | OKINAWA
2005年 06月 19日

沖縄県民、かく戦えり

◆昨夜のNHKスペシャル「沖縄よみがえる戦場〜読谷村民2500人の証言〜」は、かなり胸をうつものがあった。沖縄本島の中部、広大な米軍嘉手納基地のそばを通り抜け、巨大レーダー施設「象のオリ」が目に入ると、そこが読谷村(よみたんそん)である。戦争末期、米軍はここから上陸した。b0036803_21363898.jpg
◆昭和20年4月1日、アメリカ軍が艦砲射撃の後、読谷村に上陸、有名なチビチリガマの「集団自決」事件はその翌日のことである。波平地区の避難住民約140人のうち83人までが亡くなったという。「集団自決」といわれるが、実際は「集団的な強制死」だろう。数少ない生き残りのひとがはじめて口を開く。米軍に見つかると殺されるとみんな思い込まされていた。ところが実際に助けてくれたのは米軍のほうだった。
 そして、しまいに日本軍の兵隊が疑心暗鬼のあまりスパイ容疑で住民を惨殺する。男は刀剣でめった刺しにされ、女子供は浜辺に並べて手榴弾を投げつけた。もちろんアタマのおかしくなった一部軍人の蛮行であろうが、なんたることか。
 前に並んだ女性は伏せて助かるが、後列は手榴弾を浴びる。血まみれになった幼女を米軍兵が搬出していくが、惨劇を生きのびた女性はその後がずっと気にかかっていた。そのふたりが60年ぶりに再会する。あの幼女は生きのびていた。だけど、父親は友軍に殺され母親は発狂、育ててくれた4歳上の実兄も後に精神を病む。手榴弾の傷跡だらけで夏でも長袖である。顔もキタナいと云われる。沖縄を捨てていま大阪に移り住んでいる。
◆60年前に自決した沖縄海軍隊の大田司令官による有名な電文。
「沖縄県民かく戦えり。 県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを」
ほんとうにそのとおりだ。ヤマトンチューは沖縄の人々にはかり知れない負債を負っていると思う。
 しかし、まもなく戦後60年経つが、その間に日本人全体に記憶の浸食現象が起こっているようにみえてならない。沖縄の人々に対しても、基地太りとか公共事業漬けなど、ヤマトンチューによる冷笑的な視線を感じるときがある。この間は青山学院高校の入試問題で、ひめゆりの語り部を揶揄するかのような出題まであった(ネットで全文から設問まで読んでみたかぎりであるが、英語読解力の試験にしてはちと無神経だろう)。
 再掲する。「県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを」
もう、その有効期限がきれかかっているのだろうか。だとしたら寂しいことである。いまだに読谷村の5割ちかくは米軍基地が占めているのだ。
 テレビをみてそんなことをつらつら考えた。
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by chaotzu | 2005-06-19 21:43 | OKINAWA
2005年 04月 06日

波照間島のカラス~八重山マラリア事件

◆日本新聞協会による「HAPPY NEWS 2004」大賞に選ばれたのは沖縄・波照間島の“カラスがクロだった事件” 昨年11月共同通信配信のこの記事、日本最南端の碑付近で、女性観光客レンタサイクルのかごから財布がなくなった訴えに、「島民が盗むはずはない」と考えた島唯一の警察官が“おとり”のパンを仕掛けて、カラスが真犯人だったことを突き止めたてん末である。元ネタは琉球新報の記事らしいが、この1年間では波照間発唯一の全国ニュースだったそうな。
 とかく殺伐たる記事が多い新聞ニュースに、このようなほのぼのネタを採りあげた記者やデスクはすばらしいし、共同通信のセンスもなかなかナイスである。
 お手柄の駐在さんは愛知県木曽川町のご出身だそうで、沖縄本島勤務を経てこの島に妻子連れで着任している。あと4~5年は居たいそうだが、この人が沖縄の離島に勤務するまでの経緯にも、ひとつの物語があるんだろうなと勝手な想像をする。
◆波照間島は人口600人足らずの小島であり、日本最南端にあるのはご存知のとおり。水場がなく海水の淡水化プラント頼みがネックで、観光開発はあまりすすんでいない。さとうきび畑と山羊さんだけの地味な島である。ただ、それがいいんだという人もいる。b0036803_21291579.jpg
 名産は黒糖と泡盛の「泡波」、波照間純黒糖は上質で知られており、百貨店でもたまに見かけるが、泡波は生産量が少ないゆえかほとんどみかけない。
 いちばんの観光資源といえば、前述、日本最南端の碑である。二つあって、旧いほうはなんと個人の手作り作品である。北海道出身の全国放浪青年(名前忘れました、千葉県でご健在らしい)が波照間島に逗留したときに自力でこしらえたそうだ。損耗がひどくなったため、後に修復のため再訪されたという後日談もあるそうで、これもまた波照間であったひとつの物語である。
◆島ネタはハート・ウォーミングな話ばかりではない。過去には陰惨な事件もあった。太平洋戦争末期におきた「強制疎開によるマラリア禍」である。昭和20年の3月、米軍の襲来もないというのに、当時の島民1275人が西表島に強制疎開させられ、大半がマラリアに罹患、戦後も含めて
461人も亡くなったという凄まじい「人災」である。子供も66人亡くなっている。戦後の一時期はマラリア地獄であったらしい。
 この強制疎開を指示したのは「青年学校指導員」として来島した山下某、むろん偽名で正体は陸軍の秘密工作員である。本名は酒井清。日本刀を振り回して島民を恫喝しマラリアが猖獗する地へ追いやっている。島民の伝え話によると、無理やり疎開させた目的は、島の豚や山羊など軍隊の食糧確保であったらしい。伝聞であるので真偽は断定できないが、島民はいまもなお事実として伝えている。問題の山下こと酒井清は、何の追及もお咎めもなく本土に逃げ戻り、あまつさえ戦後ものうのうと島を訪問している。さすがに島民から抗議状を突きつけられたそうだが、そりゃそうだろう。大日本帝国の軍隊は立派な人材も輩出させたが、後になるほど、どうしょうもない卑劣クズ人間を生みだしている。
◆戦後日本の誤りのひとつに、サンフランシスコ講和条約で独立した後、日本国として独自の戦争犯罪調査組織を立ち上げなかったことがあると思う。戦勝国側の軍事法廷でいい加減に裁かれたBC級戦犯がいる一方、この酒井のように追及を免れた人間もいる。ドイツがナチス犯罪を自国でも追及したのとは対照的である(うまくすりかえたという見方もあるが)。
 いま中国や韓国とぎくしゃくしている一因には、日本人が自らけじめをつけなかったことをつかれている側面も否定できない。おそらく昭和天皇の責任論議が再燃するのをきらったのだろうが、いまそのつけを払わされている気がせぬでもない。くどいようだが、こんなことからも「昭和の日」はイヤなのである。
 なんだかカラスのはなしから、思わず長くなってしまった、ふーっ。
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by chaotzu | 2005-04-06 21:39 | OKINAWA
2005年 02月 26日

沖縄音楽にはまる

◆このところ、沖縄の音楽ばかり聴いている。MDに数十曲を収納してかけっぱなしである。とはいえ民謡などは入門段階で、本島と先島の区別もつかない。オキナワ・ミュージックの一年生である。
 動機は単純で要するに寒さからの逃避心理、それと青空への憧れもある。もっとも沖縄の1、2月は雨期で曇り空が多いらしいけど、まあそれはおいといてである。若いころは北国志向が強かったが、いまは南国信者にすっかり宗旨替えしてしまった。「真夜中のカウボーイ」のダスティン・ホフマンがフロリダに憧れるのと似たようなものかもしれない。
◆白状すると、沖縄の音楽でこれまで知っていたといえるのは、「ハイサイおじさん」と「花」、それと「島唄」「さとうきび畑」ぐらいだった。かつてはカラオケで「花」をよく唄っていたが、病気して以来すっかり馴染めなくなった。“笑いなさい、泣きなさい”って云われても、現実はそんなに単純じゃない、きっと健康で屈託のない人向きの歌なんだろう。「さとうきび畑」もなんだか悲しみの押しつけみたいな気がする。泣きの“大安売り”はどうも苦手である。それやこれやでこれまであまり聴いてこなかった。それが少しはいろんな歌を聴きこんで、なかなかいい唄もあるじゃないのとしみじみ感じ入っているきょうこの頃である。
◆お恥ずかしいはなしだが、「島唄」のTHE BOOMは沖縄出身者だとこれまで思っていた。すっかり沖縄のご当地ソングで定着しているのでそう思い込んでいたのである。この歌は南米アルゼンチンでも大ヒットしたらしいが、本土出身の歌手がいったいどんな経路で着想したのだろうか。このほか、ディアマンテスは沖縄発祥のラテンバンドと思っていたし、ネーネーズは「ハイサイ」系のコミカル・バンドかと思っていた。まあこれまで知らなかったことをたくさん勉強させてもらっている。いや無知を自慢するわけじゃないけど。b0036803_0173499.jpg
◆現時点で好きな沖縄の唄、順不同。とくに「安里屋ユンタ」はいい、泣けてきます。
 ・安里屋ユンタ(民謡) ・島唄(THE BOOM) ・涙そうそう(夏川りみ)
 ・海とぅ島(りんけんバンド) ・芭蕉布(多数) ・片手に三線を(ディアマンテス)
 ・明けもどろ(ネーネーズ) ・十九の春(民謡?) ・イラヨイ月夜浜(BEGIN)
 ・ミルクムナリ(日出克)
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by chaotzu | 2005-02-26 23:59 | OKINAWA
2005年 02月 18日

希望退職で憧れの八重山生活?

◆日本たばこ(JT)が4千人の希望退職を募ったところ、5800人近い応募があって、なんと全社員の3分の一が退職することになった由。まあ40歳かつ勤続15年以上の希望退職者の退職金平均が3千万円というから、そりゃ手を挙げますわな。はっきりいってかなりうらやましい。
JTもタバコと医薬品事業の二本柱を唱えてさかんにCMしているが、企業理念としてみれば果たして両立するものか。なによりタバコをやめるのがいちばんの医薬品事業だし、社員も先行きを懸念していたということなんだろうな。
 自分の場合も、仕事はもういいや気分が横溢である。あとどれだけ生きられるかわからないし、もう自由にやりたい。現状は医者代がかかるので職場にしがみついているだけだ。だから3千万円超の退職金となれば、前の晩から行列にならぶだろう。b0036803_22392662.jpg
◆さて仕事を辞めるとしてどうするかだが、かねてから沖縄・石垣島に住んでみたいと思っている。ただし離島での田舎生活願望やいま流行りの“定年帰農”指向は毛頭ない、だいいちそんなの出来っこない。スタンスとしては人口5万人近い亜熱帯地方での小都市生活であって、根性が必要なカントリー・ライフではない。
 NHK・BSとADSL環境、コーヒー豆それに図書館と病院があれば十分だろう。家賃は案外かかるかもしれないが、酒、たばこ、パチンコはしないし、食費はもうそんなにかからない。なにより暖房費が要らないのが魅力である。八重山の猫は腹まる出しで眠っている。人間もそれにあやかって、だらだら暮らしてみたい気分である。西表島、小浜島、竹富島も近い。海辺の日陰で岩波文庫などを一日じっくり読めたらいいなと思う。恥ずかしながらこれまで人生大半の読書は日刊スポーツと日経新聞、それにマンガ本だった。映画もまだ見ていない名作がいっぱいあるし、あとは釣りが出来たらサイコーというか。
 まあ夢だろうけど、JTのおかげでおじさんの妄想がつのること(泣)。
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by chaotzu | 2005-02-18 22:58 | OKINAWA