マイ・ラスト・ソング

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カテゴリ:外国映画( 98 )


2005年 12月 30日

【DVD】「候補者ビル・マッケイ」 教えてくれ、これからどうするんだ

◆日本の選挙ではこれまで「どぶ板戦術」が最強だった。笑顔をふりまきダレとでも握手して回る、路地裏でミニ演説、商店街では桃太郎、農村では畦道を歩きときには水田に靴を踏み込むこともいとわない……。
それがコイズミさんの「劇場型選挙」で大きく変わった。候補者個人の人となりや政見がどうのこうのは関係ない、徹頭徹尾いいイメージを売り込むこと、旧くさい抵抗勢力なんかじゃない、我こそ新しい改革者なり、なにより有権者にそう思わせることだ。そしてテレビ映りもばかにならない。
なに、当選してからどうしたいかって? そんなこと分かるわけないじゃないか。

b0036803_22361564.jpg◆1972年アメリカ映画、R・レッドフォードの主演作品であるが、日本での公開は遅れたらしい。政治の内幕ものなんか到底あたらんと思われたのだろうか。ところが、これがアメリカの選挙実態をよく映していてなかなか面白い。アメリカではずっと前から劇場型選挙だったことがよく分かる。なにより、選挙区が広すぎてどぶ板なんかはじめから無理なんだろう。とにかくテレビでカッコよく映ればよい、それだけ(笑)。見ようによってはコメデイ的な素材でもあるが、徹頭徹尾大真面目に撮っている、それでラストの「大ギャグ」が痛烈に響く仕掛けである。
日本映画でもいつかはこのようなテーマを採りあげるかもしれない。さしづめコイズミさんの郵政解散総選挙などはかっこうの素材であるが、そんな勇気ある製作者がいるわけないか。

◆レッドフォード演じるカリフォルニア州の民主党上院議員候補者ビル・マッケイ、はじめは正義感あふれる少壮弁護士だった。個人の意見も率直に表明する。中絶手術は賛成か?→もちろん賛成さ。白人と黒人混乗の通学バスはどうか?→それも賛成さ。加えて父親は元カリフォルニア州知事、しかし、父親の威光には頼りたくないという。そんな理想に燃える若者である。
対する現職の共和党候補は百戦錬磨、フレンドリーだが悪者には厳しいマッチョイメージが売りである。ただし政治的信念など全くない(笑)。昔から云ってることがコロコロ変わっている。テレビ映りさえ良ければいいのだ。この新旧対決、はじめは現職の圧倒的有利でスタートする。実の父親でさえ日和見を決め込んでいるぐらいである。

◆候補者ビル・マッケイは選挙のプロ集団によって、どんどん個性を失っていく。もみあげは切るんだ、カメラをまっすぐ見すえること、原稿以外のことはしゃべるな。中絶の合法化について聞かれたらどうするかって、いま研究中だと答えておけばいい。いやいや父親を訪れて協力を頼んだりもする。もうここまで来たんだ、勝つためには理想は云ってられない。
レッドフォードの表情の変化が絶妙である。はじめは自信に満ち溢れた若手弁護士で登場する。それが目がきょろきょろ、のどごっくんと落ち着きがなくなったり、演説の録画中に笑い出したりと不安定な精神状態に落ちこんだりする。そして、選挙戦が進んでいくにつれて、だんだん無表情になっていく、かくて創りあげられた候補者ビル・マッケイが誕生する。
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by chaotzu | 2005-12-30 22:45 | 外国映画
2005年 12月 21日

【DVD】「ああ結婚」 黄金トリオによるナポリ人情噺

◆イタリアの名優マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンの共演作品を調べてみる。
「バストで勝負」(1955)、「昨日・今日・明日」(1963)、「ああ結婚」(1964)、「ひまわり」(1969)、「結婚宣言」(1971)、「ガンモール」(1975)、「特別な一日」(1977)、「愛の彷徨」(1979)、「プレタ・ポルテ」(1994)……、なんと40年間近い共演歴である。まだ他にも日本未公開作品があるかもしれない。
そしてこのうち、「昨日・今日・明日」「ああ結婚」「ひまわり」の三作品がビットリオ・デ・シーカ監督によるものであり、いわば黄金トリオによる名作になるが、中身はみんな違う。爆笑コメデイ、人情噺、戦争の悲劇と全く肌合いの異なる映画を撮り分ける監督と演じ分ける俳優、いやスバらしいもんです。

b0036803_2195147.jpg◆1964年イタリア映画。ナポリの街、菓子屋の後継ぎであるマストロヤンニは女たらしの道楽息子。20年来の内縁女(ローレン)がいるが、女中代わりとしか思っていない。もういい年のくせして毎度店のレジ娘に夢中になっており、今度の相手とは結婚まで考えている。要するに無茶苦茶いい加減なオトコである、しかしこんな役を演じるとまた絶品だ。
いっぽうソフィア・ローレンもなかなかしたたか、いつまでもオトコにいいようにされてはいない。ある日突然「急病」で倒れる。瀕死の病床で最後のお願いだからと結婚の申し入れをして、オトコが署名したとたんに元気になる(笑)。

◆詐術による結婚は無効だと弁護士を立てて主張するオトコ、“あらそう、じゃいいわよ”とやけにあっさりあきらめるオンナ、ここで切り札を出す。“実はアンタとの子供がいるのよ”
ビックリするオトコ、だけど
“3人いる息子のうちひとりがそうよ”
ときた(笑)。
このお札にその子どもを授かった記念の日を書き込んでいるという、日付だけ切り取って紙幣をオトコに渡すオンナ。3人の息子と分け隔てなく接したい母親と、自分の子供が気になってならないオトコ、丁々発止のやりとりである。そのアトは大いに笑わせてくれる。子供がまた愛らしい。

◆公開当時のこの二人の年齢は40歳と30歳。ちょうど10歳違いだった。そしてマストロヤンニは20代から50歳代、ローレンは10代から40歳代まで演じる、さすがにローレンの17歳はちょっと無理筋じゃないかと思うが、マストロヤンニのほうはもともと年齢不詳っぽいところがあるゆえかそれで押し切っている。あるいはヒゲの効用かもしれない。
そりゃそうと、ソフィア・ローレンとフィギュアスケートの安藤美姫選手、なんだかよく似ているなと思ってしまった、いや、他意は全くありませんが。
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by chaotzu | 2005-12-21 21:12 | 外国映画
2005年 12月 16日

【DVD】「小さな中国のお針子」 文革下放青年の青春記

◆岩波文庫的な文学小説をとんと読まなくなってしまった。バルザック、スタンダール、デュマ、ゴーゴリ、キプリング……。いっぺん腰を据えて読み直したい気分もあるのだが、いまの生活のままではなかなか落ち着けない。どこかテレビも新聞も週刊誌もそしてDVDもないような世界に行けば、ボロボロになった文庫本でもむさぼるように読むかもしれない。きっと活字の一句一句が心の襞にしみわたるだろう。しかし、いまどきそんなところは刑務所あるいは拘置所ぐらいしか思い浮かばない(苦笑)。
ところが、30年ほど前の中国にはあったのである。国全体が刑務所みたいになってしまい、本が目の敵にされて燃やされた時代である。

b0036803_2145895.jpg◆2002年フランス映画、文化大革命さなかの1971年、反革命分子の子弟として中国の農村に再教育のため下放された二人の青年の物語。実際に下放経験のある在仏中国人映画監督がフランス語で書いたベストセラー小説をその監督自身により映画化したもの。
さぞかし暗い映画であろうと思いきや、意外と明るい。文革の悲劇を訴えたり糾弾したりするものではなく、ユーモラスな部分もけっこうある。
もちろん、農村の仕事は辛く生活も不便きわまりないし、不愉快な嫌がらせもある。そんななかで活字の力がこの二人を救う、そして本の縁で可愛い女の子ともなかよくなる。こうなると、ディズニーランドやアイポッドとかブロードバンドがなくとも十分に愉しめるものだ(笑)。そして、美しい山村の景色、水墨画のような風景や滝つぼに湧く温泉があったりする。「文革もまた愉しや」ということではないが、苦しみに満ちた時代、読書によって支えられた若者の物語である。

◆なにしろ、下放された先がどえらい農村、四川省は長江のずっと上流である。電気や水道なんぞむろんない。村民はみんな文盲で、目覚まし時計やバイオリンすらみたことない。料理の本までブルジョワを疑われる始末で燃やされてしまう。バイオリンは「毛主席を想う」曲を演奏して燃やすことをなんとか免れるが、ほんとうはモーツァルトのソナタである(笑)。
二人は村長にハッパをかけられる。
“トリ肉はブルジョワの食い物だ、トウモロコシと白菜食ってとことん働くんだ”
翌日からたいへんだ。豚の屎尿を木桶に入れて背中に担ぎ山上の畑まで運びあげる。慣れぬ都会青年の上体は糞尿まみれになってしまう。さらに、手掘り銅山の重労働、はじめはとにかく悲惨きわまりない。家畜同然の暮らしである。そしてそれは農民も同じなのだ。

◆村でいちばん尊敬されているのは、足踏みの古ミシンを持って農村を巡回する仕立て屋の爺さん。その孫娘(お針子)と仲良くなって、別の下放青年が本を隠し持っていることを聞き出すと、その青年が都会に帰る機会をとらえて、かばんごと本を盗みだす。中国語訳の海外小説があるわあるわ、「赤と黒」「ゴリオ爺さん」「死せる魂」……。60年代の古本であるが、活字に飢える二人はむさぼるように読む。
辺鄙な農村では、北朝鮮映画の上映会でも代表で観に行った者が村民にあらすじを説明しなければならない。もみ殻を粉雪みたいにとばして村民に映画のはなしをする二人、まるでマルセ太郎である。ときには、バルザックの「ユリシュール・ミルエ」のはなしをアルバニア映画だと偽って語り聞かせたりする。傑作なのは「モンテクリスト伯」に影響された仕立て屋爺さんのファッションデザインがたちまちフランス風に変化したりするところである。

◆青年二人にお針子の女の子、この三人のせつなくも明るい三角関係の日々を描く。
そして、ラストは一気に25年後にとぶ。下放先の農村は三峡ダムの建設によってダム湖の底に沈む、そんな時代になっている。最後は話をちと拵えすぎかもしれない。
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by chaotzu | 2005-12-16 21:49 | 外国映画
2005年 11月 30日

【DVD】「ベッカムに恋して」 英国のインド人社会

◆かつて七つの海を越えた大英帝国の遺産ゆえか、国際都市ロンドンではさまざまな人種が街をかっ歩している。とりわけインド系のひとが多い、スーパーや八百屋ではインド人の経営者が目立っている。ところが、そういったインド系の人が実際にイギリスでどんな暮らしをしているのか、これまでほとんど知らなかった。
そんなインド系イギリス人のコミュニティを描いた映画をみる。インド系でも比較的金持ち層の家庭の設定であるかもしれないが、なにかと初物づくしで珍しいことはたしか。

b0036803_22213626.jpg◆2002年イギリス他映画、インド人がつくったイギリスの映画である。タイトルからみる前はちゃらちゃらした子供っぽい内容を想像していたが、なかなかどうしてよく出来た映画で思わぬひろい物だった。しかし、これほどタイトルとギャップのある映画も珍しい(笑)。
イギリスではインド系の人々が独特の地歩を固めているが、この映画のなかの男性はターバンやヒゲにこだわる人とそうでないひとに二極化しているようだし、女性も民族衣装派と西洋衣装派に別れている。そして、若者は公園でサッカー遊びに興じたり、あるいはカーセックスに興味を抱いたりしている、要するに白人の若者とあまり変わらない。なんとなく、これからの多民族社会のあり方について考えさせられる。娯楽性もしっかりあって、幅広い年齢層で愉しめるノリのいい映画である。

◆映画の舞台はロンドンの西部郊外ハウンズロウ、ヒースロー空港の近くである。インド系住民のコミュニテイがあるのだろうか。
主人公はサッカーの上手な少女ジェスミンダ、略してジェス。自分の部屋にデビッド・ベッカムの坊主頭写真を飾っており、ベッカムといっしょにプレーしてゴールを決めることを夢想している。ところが、両親はインド人の慣習伝統を守ることにうるさい。女の子が肌をさらすような格好などとんでもない。いい大学に入って弁護士になってほしい。もちろん結婚相手はインド人だ。白人黒人の相手はだめ、ましてイスラムなんかとんでもない。おまけに、かつてケニアでクリケットの名投手だった父親はイギリス人のチームに受け入れてもらえなかった。娘には同じ轍を踏ませたくない。まあ、そんな状況あれやこれやがあって、両親には内緒でサッカーチームに入っているのである。

◆試合中、相手選手から「パキ」と云われて激昂する。ラフ・プレーよりもパキスタン人呼ばわりされたほうが悔しいのだ。それほどイスラムへの反発はものすごいものがある。そのいっぽうで、ジェスが恋心を寄せるのはアイルランド人の青年監督である。女子チームの監督就任にあたって、契約で選手との恋愛禁止条項があるらしく普段はそっけないが、インド人のジェスには時々優しいときがある。これもアイルランド人という設定がミソなんだろう。
このほか、ジェスの幼なじみの男の子はホモで、ベッカムを本気で好きだと告白したりする。インド系の若者社会もずいぶん変わりつつあるようだ。

◆ふつうのイギリス人家庭も登場する。ジェスのチームメイトであるジュールズ一家、母親は娘が男の子に興味をもたない様子が気になってならない。もしかしてレスビアンだろうかと勝手に悩んだりしている(笑)。いろいろ男の気をひくファッションをアドバイスしたり、胸を大きくみせる小道具を指南したりするが、娘はサッカーに夢中で聞く耳もたない。たまりかねて云う。
“スパイスガールズで男がいないのは、スポーティ・スパイスだけだよ”
こんなことまで云う母親ってありか(笑)。

◆ラストはお約束の決勝戦、ところがあいにく姉の結婚式とぶつかってしまった。さあどうする。インド人社会の結婚式の大いなる盛り上がりとサッカー試合のクライマックス・シーンが、交互にリンクしつつ映し出される。いやなかなか達者なもんでありました。
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by chaotzu | 2005-11-30 22:34 | 外国映画
2005年 11月 28日

【DVD】「毒薬と老嬢」 寒くなればキャプラ

◆日本人からみて西洋人の顔はなかなか区別がつきにくいというが、ついこの前までワタシも、ケーリー・グラントとグレゴリー・ペックをよく混同していたのである。どうも、オードリ・ヘブバーンとの共演つながりでごっちゃになっているらしく、「シャレード」がケーリー・グラント、「ローマの休日」はグレゴリー・ペックなんであるが、これがなかなか覚えられない。真面目な固い役はペック、軽妙な方はグラントと憶えておけばよいのだろうが、グラントの役柄が実に幅広くて、なんでもありなのだ。
本日はそんなケーリー・グラントのドタバタコメディをみる。

b0036803_23145642.jpg◆1944年アメリカ映画、F・キャプラ監督にしては珍しいドタバタ喜劇であるが、さすがに達者なものである。
もともとはブロードウェー大ヒット劇の翻案らしい。日本でも淡島千景と淡路恵子のコンビによる舞台化があったらしいがよく知らない。かつての駅前ヒロインが老嬢役とは歳月のうつろいを感じるが、それはそれとして、いま見直してみるとけっこうヤバイ映画でもある。


◆ニューヨーク・ブルックリンに住むブルースター姉妹、といってもかなりのばあさんであるが、この二人は孤独な老人を天国に送ることを功徳と思いこんでおり、既に12人もあの世に送りだして地下室に埋めている。はっきり云って毒殺魔である。とはいっても、日本のタリウム娘とはちがって、ひたすら陽気で罪の意識なんぞまるでない。甥っ子のケーリー・グラントに得々と毒薬の調合を説明したりする。
“4リットルのワインにヒ素をスプーン一杯、ストリキニーネを半匙、それにひとつまみの青酸カリ”
“ひとりはおいしいと云っていたわよ”
要するに二人とも狂っている。
ブルースター家にはもうひとりおかしいのがいて、自分のことをルーズベルト大統領だと思い込んでいる。始終、突撃!とわめいて階段を駆け上ったりラッパを吹き鳴らしたりで、ご近所の迷惑になっている。そのため老姉妹の異常さが隠されてしまい、それどころか極めつけの善人で通っている。

◆つまるところ、ブルースター家という精神異常者を輩出する一家の物語でもある。まるでヴァン・ダインのなんとか家殺人事件みたいである。結婚届直前のグラントは両伯母の秘密を知ったことから、ブルースター家の特異な血統の秘密を察知し、婚約の履行を逡巡してしまう。気を取り直して、まずは近所迷惑のいとこから精神病院に送りだすことだ……。婚約者を放り出して作業にとりかかるが、そこにもうひとりキ○ガイが戻ってくる。グラントの実兄で、これが整形してフランケンみたいな顔つきの殺人鬼なんである。ここから、はなしがドタバタしっちゃかめっちゃかになっていく。

◆おそらく、現在であればあちこち禁忌だらけでとても製作できないキ○ガイだらけの物語であるのに、それが大笑いのコメディになってしまう。
両伯母の殺人記録12人にフランケン甥が対抗心をメラメラ燃やすところや、巡回の巡査が芝居マニアでさるぐつわをかまされたグラントにえんえんと創作を語ったり、新婚旅行で呼んだタクシーの運転手がずっと待ちぼうけされたり、間をおかないギャグが連続する。もうとても収拾がつかないのではと心配になるぐらい、ドタバタするが、ラストはお見事、鮮やかにきちんと着地を決めてくれる。さすが、F・キャプラ監督だ。
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by chaotzu | 2005-11-28 23:21 | 外国映画
2005年 11月 27日

【DVD】「ロング・エンゲージメント」 犬のオナラは幸運の前兆なの

◆2年前に亡くなったフランス・ミステリの大家セバスチャン・ジャプリゾの小説「シンデレラの罠」がはじめて日本で翻訳されたときの紹介惹句。
“私は事件の探偵であり、証人であり、被害者であり、そのうえ犯人です。いったい私は何者でしょうか?”
たぶん、これまでのミステリ出版史上、いちばんド派手なコピー(笑)。
そのジャプリゾ原作の映画をみる。先述のコピーにちなむと、
“この映画は戦争映画であり、ミステリ映画でありかつファンタジー映画であり、そのうえ恋愛映画です”となる。
一風変わった映画であることは間違いない、はなしはややこしいがよく出来ている。

b0036803_22105227.jpg◆2004年フランス映画。タイトルを直訳すれば「長い婚約期間」、第一次世界大戦に出征し戦死とされた婚約者は必ず生きていると、己の直感をひたすら信じて突き進む女性の物語である。
技巧派ジャプリゾの原作に監督が「アメリ」のジャン・ビエール・ジュネとなれば、一筋縄ではいかない。もう内容てんこもりで凝りまくっている。お腹いっぱいになりそうだ。
セピア調の独特な画像も美しい。


◆戦争映画としてだけでも相当な迫力である。乱れとぶ銃器の火線、咆哮する大砲、ドイツ軍の戦闘機アルバトロス、そしてじめついた塹壕。第一次大戦はものすごい人命の消耗戦でもあったらしいが、それを彷彿させる。
最前線のビンゴ・クレプスキュール(黄昏のビンゴ)、ここでは兵隊の生命なんか虫けらみたいなものである。厭戦気分が充満する兵士と無責任な将校、手を自傷して戦場を離脱しようとする兵士5人が敵前逃亡で死刑宣告されたうえ、塹壕から放り出されドイツ軍の銃火にさらされる。はじめこの5人の区別がなかなかつきにくいのである(苦笑)。
ともかく、そのなかに、ヒロインの婚約者がいたわけだ……。

◆ヒロインを演じるのは「アメリ」のオドレィ・トトゥ、
“夕食の前に、犬が部屋に飛び込んできたら、(婚約者の)マネクは生きている”
など縁起をしょっちゅうかついでいるのが微笑ましい。ヒロインを取り巻く人たちも善人ぞろいである。叔父さんが常連のドミニク・ピノン、毎度自転車で駆け込んでくる郵便屋さんとのやりとりが笑わせる。そして「イタチより悪賢い」が売りの私立探偵、車椅子にひっかかる弁護士さんなど、犬やネコまで実に可愛らしい。ヒロインの周辺は残虐な戦争場面ととことん対照的である。甘いかもしれないがそれで救われている。

◆基本はミステリ映画である。伏線もちゃんと張っており、アンフェアなところはない。ただし、はなしが錯綜しており、いっぺんみただけでは分かりづらいかもしれない。トリックの核心はジャプリゾの得意手であると種明かしすればそれまでだが、ミステリ映画としても一級品に仕上がっている。
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by chaotzu | 2005-11-27 22:14 | 外国映画
2005年 11月 25日

【DVD】「深夜の告白」 終点まで降りられないふたり

◆レイモンド・チャンドラーといえば、日本でも人気高いアメリカのハードボイルド作家であるが、ハリウッドに呼ばれてお抱え脚本家をやった当初、半ノイローゼになってしまったという有名なエピソードがある。なにしろ、脚本化する原作がジェームズ・M・ケインの「倍額保険」、これがそもそもチャンドラーの作風とあわない。そして、脚本執筆の相方がオーストリア移民で監督のビリー・ワイルダー、チャンドラーほど物事にこだわりのない映画職人である。相性がいいとはとてもいえない。ところが、こんな修羅場で作られたシナリオの映画化がヒットする。そして、チャンドラーはその後小説世界に復帰する。ハリウッドで生き抜くほどタフでなかったのだろうか。

b0036803_22573674.jpg◆1944年アメリカ映画、いまやワイルダー監督による古典傑作の位置づけであるが、画質はもうひとつよくない。それにしても、日本と戦争している最中であるというのに、こんな犯罪映画を作ってしまうのだから、真に彼我の力の差の歴然たることを思い知る。
保険会社のやり手勧誘員である主人公(フレッド・マクマレイ)が深夜、自分の会社にやって来て、ディクタホン(口述録音機)に向かって、ひとり語りを始める。相手は管理担当の部長(エドワード・G・ロビンスン~好演)、題名どおり深夜の告白である。
ちなみに原題は「倍額補償」。


◆保険勧誘員をたらしこんで、夫殺しの保険金詐欺を仕組むのがバーバラ・スタンウィックの人妻、このとき30代半ばを過ぎているはずだが、こんな美女にお色気で迫られたら、そら断れんわなあと思ってしまう。いってみれば悪女の魅力!もういいわい、行けるところまで行ってしまおかという気になるかもしれない。
日頃から保険金の不正請求にうるさいロビンスンの部長曰く
“市電に乗ったふたりは終点まで降りられない、そしてそこは墓場だ”
そう、そのとおりにならざるを得ない。見方を変えれば、欲得と愛情が入り混じった男女の風変わりなラヴロマンスである。ゼニカネだけになったらやりきれない、そこが救いになっている。

◆ビリー・ワイルダー、コメディやってよし、サスペンスやってよしの達者な監督さんである。この映画でもこれでもかとばかり、ハラハラシーンを演出してくれる。
松葉杖の主人公が事故偽装のため列車の最後尾の展望車両に行くも、おしゃべりな親切男が居座っていてなかなか立ち去らない、またその男が後日保険会社に現れたりするのである。観客はいつのまにか主人公に感情移入してハラハラドキドキする仕掛け、その辺は憎たらしいぐらいである。
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by chaotzu | 2005-11-25 23:00 | 外国映画
2005年 11月 17日

【DVD】「くたばれ!ヤンキース」 なんとも愉しいミュージカル

◆ヤンキース松井秀喜選手が4年間総額62億円で契約更改したそうだ。こうもビンボー人の想像を絶する大金となると、松井ファンではあっても、こんなにもらって大丈夫かいなと心配になってくる。明らかにバブリーである。1年で15億円を超える収入になるが、とても使いきれないだろう。
いっぽうで年収100万円台の層が確実に増えつつある。才能の差は認めるとしても、ここまでの階差となるとどうにも釈然としないものがある。
かつては強すぎて嫌われたヤンキース、今や金権野球で嫌われるかもしれませんぞ。

b0036803_0263490.jpg◆1958年アメリカ映画、タイトルからしてヤンキースがらみの映画かと思っていたらそうではなかった。ワシントン・セネタースという今はなき弱小球団を応援する映画であって、ヤンキースはその引き立て役である。
ある日突然風来坊のごとき無名の青年がやってきて、チームの快進撃がはじまる。まるで「ナチュラル」のレッドフォードみたいであるが、ちと違う。
持参のスパイクがあわなかったため「シューレス・ジョー」とあだ名されたその青年の正体とは?


◆男の子ならだれでも夢見る、満員の野球場でホームランをかっとばしたい、三振をとりたい。そんなことは殆んど無理なことと承知であるから、ひいきチームにその夢を仮託するしかない。だけど、そのチームがどうにも弱いとなれば歯がゆくて仕方がない。テレビの前で歯ぎしりしたりする。
“このチームにはロング・ヒッターがいないんだ!”
もう嫁さんほったらかしの悲憤慷慨である(苦笑)。その夫人は一年のうち6ケ月は独身みたいなもんだとこぼしている。
そんなとき、悪魔が囁く、魂を売り渡してでもいいから、野球選手になる夢を一時でもかなえたい、そんな中年男の物語である。だけど、約束の期限は9月24日までだ、その日がまたお約束どおりヤンキースとの優勝をかけた大一番になる。そして、ミッキー・マントルの大飛球がレフトを守る主人公を襲う……。

◆野球映画として著名であるが、ミュージカルでもある。主役の青年はあまり踊れないが、悪魔の手下で登場する年増女優がハデに踊りまくる、そこが実に素晴らしい。コミカルな振り付けがナイスであるし唄も愉しい。
悪魔(なぜか真っ赤な靴下をはいている)も過去の古き良き時代を回想しながら唄うが、これも絶品、マンガみたいなふきだしがスクリーンに展開して、
・インディアンが白人の頭皮を剥ぐところ
・アフリカ土人が探検者を釜茹でにしている
・フランスのギロチン処刑
など、悪魔にとっての「グッド・オールド・デイズ」がマンガ的に披露されて思わず笑ってしまう。
ミュージカル調の野球映画ではなく、野球をテーマにしたミュージカル映画というべきか。野球嫌いのひとも間違いなく愉しめる映画である、それは請け負える。
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by chaotzu | 2005-11-17 23:58 | 外国映画
2005年 11月 05日

【DVD】 「飛べ!フェニックス」 この仕事のボスはだれだ?

◆子供のころ、プラモデルが大好きだった。タイガー戦車に紫電改、戦艦武蔵など、ちょっとした軍国少年である(笑)。子供だから部材のバリもちゃんととらないし、接着剤の使い方もいい加減、だけど買ったその日に完成させずにはおかれない。いま思えば下手くそな出来映えだったが、それでも大喜びであった。いまならばもっと丁寧に造れるだろうが、いっぽうで深入りしそうな不安もある。
さて、砂漠のど真ん中に双発双胴機が不時着する、壊れてしまってもう飛べない。それを乗組員や乗客が手作業で単発機に改造して再び飛ばせようする、かつてのプラモ少年にとってはたまらないはなしである。

b0036803_22383331.jpg◆1965年アメリカ映画、ずっとみたかった映画であり、やっと念願がかなう。これまでなんとなく爽やかな冒険美談であろうと思っていたが、全然ちがった(苦笑)。極限状態におかれた人間の確執や葛藤を描き、実際はドロドロの心理ドラマでもある。
石油会社の貨物兼用機が砂嵐のトラブルでサハラ砂漠に不時着する。生き残ったのは12名、アメリカ人8人、イギリス人2人、フランス人、ドイツ人各1人である。うちひとりは重傷を負っている。灼熱地獄のなかで、水を節約しても生存可能日数は長くて12日。救援を求めに遠出しようするひと、アタマがおかしくなったり自殺するひとが出たりする。水不足でみんな皮膚が破れ、顔がボロボロになっていく、そんななかで、ドイツ人の若者(ハーディー・クリューガー)が、小型単発機への改造を提案する。理論上は可能だという、機長(ジェームズ・スチュアート)は半信半疑であるも、副操縦士(リチャード・アッテンボロ-)が云う。
“希望がある間はみんな耐えられる”
ようしいっちょうやってみるか、作業は夜間しか出来ない。手回し発電機をカタカタ回して取り組むも、そもそもが気心のしれた仲間ではない、反発やら確執で作業がなかなか捗らない。

◆J.スチュアート;機長役。ひょろひょろしてどこか頼りないイメージがあるが、亡くなった瀬戸川猛資によれば、第二次大戦では空軍のパイロットとして活躍して大佐にまで昇進、ハリウッドの俳優のなかでは屈指の軍功者らしい。それを国民はみんな知っているので、スクリーンであえてマッチョふりをアピールする必要はなかったそうだ、なるほど。
この映画では、そんなジミーおじさんの素顔が垣間みえる。責任感は人一倍あるが、頑固一徹、とくにドイツ人の若者に指図されるのが我慢ならずもうコンチクショーである。そんなおじさんが最後に意地をみせたりする。

◆H.クリューガー;ドイツ人で飛行機設計者のふれこみ。むかしロリコンぽい青年の悲劇映画をみたが、そのイメージと全然ちがう。生存者のなかでは年若者でおまけに敗戦国民、それがエラそうに飛行機の改造作業を叱咤督励して回るから、周りの反発もたいへん。しまいに“この仕事のボスはだれですか”と切れたりする。しかし、ドイツの若者がプライドの高いアメリカ人(おそらく戦争従事者)をこき使うという発想がにくい。おまけに飛行機デザイナーとはいうものの……、おっと、こっから先はいえません。

◆イギリス人の2人は軍人であるが、思わぬ事故で部下の軍曹が上司の大尉を嫌っていたことが公然化する。おそらく上流階級と労働者階級の確執なんだろう。これだけでもややこしい映画である。そのうえ、生存者のなかに黒人やアジア人が入ったとしたら、いったいどうなるんだろう。そんなことまで考えてしまう。オモシロかつシビアーな映画でありました。
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by chaotzu | 2005-11-05 22:47 | 外国映画
2005年 10月 24日

【DVD】「美しき諍い女」 画家とモデルの丁々発止劇

◆少年時代、美大に憧れたことがある(汗)。その魂胆はただ裸婦のデッサンに参加したいな~と、全く己の能力を省みない身の程知らずのものであったが。
“オトコのモデルもあるかもしれへんで” “そんなんイヤやなあ”
たちまち転進を図る。
“カメラマンもなかなかカッコいいでえ”
少年の妄想たるやとどまるところをしらない。まことに呑気ないい時代であった。
その程度の人間が、さあ芸術の秋だということで画家とヌードモデルの映画をみる。ところが上映時間なんと239分、もう4時間近い。案の定途中でうとうとしてしまう(苦笑)。

b0036803_21135530.jpg◆1991年フランス映画、カンヌのグランプリというよりも、無修正で日本公開されたということで著名な作品である。このDVDもわざわざ「無修正版」と付記されている。ストーリーそのものは退屈なところもある。この惹句ひとつでおそらく売り上げは倍増以上にちがいない(笑)。
だけど、もういまさらである、最初だけのことだ。あのエマニュエル・ベアールが惜しげもなく裸身をさらしているというのに、すぐにウトウトしてしまう。えんえんと画家の下書きシーンがつづく。ペンがキリキリ、木炭がカサカサという音が聞こえるだけ。正直云って、絵心の乏しい人間には真に辛い。結局3日がかりでやっと見終える。
こういう映画のDVD鑑賞はすぐ逃げ出してしまうのでどうもよくない。体調を整えて映画館で集中してみればまた別の感想があるかもしれない。
それにしても、若いころならば、目薬を用意して充血しまくるぐらい熱心に見入っていただろう、いや何べんも見直しているにちがいない、ホンマにえらいチガイだ(苦笑)。

◆かつて「美しき諍い女」なるテーマの創作を手がけ未完のまま中断していた有名画家(ミシェル・ピコリ)がモデル候補の女(エマニュエル・ベアール)に出会って、再チャレンジするてんまつである。画家の妻(ジェーン・バーキン)がベアールに云う。
“一生をそっくり奪いとられるわよ”(大意)
さあ、どんな作品が生れるか、完成作品の行く末は如何。ラストだけはあっと唸らされます。だけど、それまでが退屈なんですなあ。これで4時間はちと辛い。

◆それにしてもモデルさんというのはたいへんである。始終、画家から注文がとぶ。もっと背筋を伸ばして、顔はこっちみるな、手足は部品みたいに無造作に扱われる。無理な姿勢のせいで関節脱臼したモデルさんもいるらしい。ベアールも足がつりそうとか云っている。
う~ん、芸術とは画家とモデルさんの格闘技かもしれません。
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by chaotzu | 2005-10-24 21:17 | 外国映画