マイ・ラスト・ソング

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カテゴリ:音楽( 15 )


2004年 11月 19日

ニルソン「ミスター・ボージャングル」

◆他人に訊かれて病気の状況を話すことがあるが、なかなか会話がかみあわずもどかしく思うことがある。「気持ちの持ちようだ」とか云われても、病人にはいったん覚悟をきめたうえでの気の持ちようというか、心の落ち着け方がある。それは会話相手の想定とは違ってくるわけだが、まあしかたのないことかもしれない。「おかげで最近は元気にやってます」とか、相手が期待するような無難な返事を用意しておくという対応もある。そのほうが余分な体力を使わなくて済むことは間違いない。
◆映画「真夜中のカウボーイ」、もう30年以上昔の映画なんだけどはじめてみたときはショックだった。およそ格好わるいことこのうえなしの主人公2人組、大都会ニューヨークではゴミみたいな存在だった。それが念願のフロリダにたどり着いたとたんにひとり(ダスティン・ホフマン)が亡くなってジ・エンド、こんな映画ありーってか。アメリカン・ニューシネマといわれた映画はみんなこんな感じ(苦笑)。もともと「卒業」のダスティン・ホフマン主演に魅かれてみたんだが、見終わって打ちのめされた思いが残った。今見れば、単なるホモ映画で済ませていたかもしれない(苦笑)。「卒業」なんてのもアンモラルなテーマだしね。まあ当時は若かったし、ベトナム戦争とか全共闘運動とかで閉塞感漂う世の中のムードにマッチしたということかもしれない。
◆前置きがだいぶ長くなったが、この映画の主題歌「うわさの男」を唄ったのがニルソン、これで興味をもってレコードを買い求めた。「空中バレー」「ハリー」「オブリオの不思議な旅」など。どれも気にいってよく聴いた。このニルソン、シンガー・ソング・ライターであるが、ヒットしたのは他人のカバー曲というのも面白い。先の「うわさの男」、それに大ヒットした「ウィズアウト・ユー」なんか、いや本人作もいい歌はあるが、歌手のほうがより素晴らしかったということだろうか。その後も「シュミルソン」「夜のシュミルソン」「モア・シュミルソン」など出したけど、だんだん麻薬と酒に溺れるようになって、とくに仲の良かったジョン・レノンとの「ご乱行」は有名だった。1980年にそのジョン・レノンが死んでからは、あまり音楽シーンに出なくなった、事件がこたえたのかもしれない。その後、なかば忘れ去られた存在のまま、1994年に50ちょっとで亡くなってしまった。今でもときどき聴くが、スタンダードなんかほんとにいい。もっと回顧されてもよい歌手だと思う。
b0036803_18481193.jpg◆さて、マイ・ラスト・ソングは、ニルソンが唄う「ミスター・ボージャングル」。アルバム「ハリー」におさめられている。カントリーの秀作だ。近年、別のシンガー版がCMで流れたから、歌自体は知っている人は多いだろう。CM商品である車のイメージとは全然あわなかったが、製作者の趣味なんだろうな(笑)この歌はニーナ・シモンとかいろんな歌手が唄っている。綾戸のオバサンも唄っている。やはり、はじめて聞いたニルソン版を採りあげたい。
 ♪飼ってた犬との15年間のことを涙ながらにはなしてくれたもんだ。いつも一緒に旅したって。
  でも犬は死んでしまって、それから20年も経っているのに、まだそのことを嘆いていたよ。
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by chaotzu | 2004-11-19 18:50 | 音楽
2004年 11月 08日

おばちゃんアヤドの元気の素

◆半額期間中のTSUTAYAにて、綾戸智絵のCDを何枚かレンタルする。“買わなくてごめんなさい。なんせ医者代がかかるんで勘弁してください”と心中あやまる。いや毎度のことですが。実のところ、アヤドはこれまで「関西弁こてこておばちゃん」の印象が強くて敬遠していた。関西弁をつかうからといって、無条件に同胞意識が生じるものではないし、関西人といってもいろいろなのである。それと暑苦しそうなイメージがあった。アメリカの女優ベット・ミドラーみたいなかんじで、小生の苦手なタイプである。それで、あまり歌を聴くこともなかった。まあ食わず嫌いである。b0036803_2110535.jpgところが、20代で乳がんを患って手術したことやその後の再発闘病を知り、同じがん患者としてエールを贈らにゃあかんといっぺんに宗旨替えした次第。先の「こてこて暑苦しさ」も、自分の生き死にを直視したものの開き直りが周りに反映したものかもしれない。おまけにバツイチでハーフの子供を抱えて、アメリカから帰国しているし、そりゃめそめそ愚痴ってられないだろう。コンサート・ツアーに加えてアルバムもすごい勢いで出しており、テレビ出演にも進出と、中年といわれる40歳になってから全力疾走をはじめている。日本人では相当珍しいキャリアであり、病気が後押しした部分がかなりあるのではなかろうか。
 歌のほう、一般にジャズ・ボーカルに分類されているが、何でもやさんである。SMAPの「夜空の向うに」まで歌っているし、美空ひばりも歌えそう。みんなアヤド調にしてしまうから同じか、「ローズ」なんか、はじめなんの歌か分からんかったよ(笑)。しいて云えばゴスペル・シンガーが近いかもしれない。よく人に元気をあたえる歌い手といわれる、それもあるだろうが、歌うことによって、元気をもらっているかもしれない。ライヴが元気の素というか、観客の拍手、歓声そして観客との連帯が免疫力を高めているのだろう。病気であっても、確たる居場所があるということは素晴らしいことである。
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by chaotzu | 2004-11-08 21:56 | 音楽
2004年 10月 09日

3曲目、マルタのヒア・ゼァ・アンド・エヴリホウェア

◆「最強」のふれこみで台風22号が通過、当地は直撃を免れてやれやれだが、それにしても今年は台風の当たり年だ。
◆さて、マイ・ラスト・ソングの3曲目は、ザ・ビートルズのヒア・ゼァ・アンド・エヴリホウェア。アルバム「リボルバー」からの1曲。バラードの佳作であるが小品で地味な印象があって、昔はあまり気にとまらなかった。ところが最近は聴いていてこれがいちばん落ちつくというか心地よい。
♪I will be there and everywhere Here, there and everywhere (僕はどこにでもいるよ、ここでもそこでも、そしてどこでも)b0036803_18151374.jpg
ポール・マッカートニーの作品であるが、ビートルズ時代のポールはほんとにすごいというか、とくに後期ビートルズはポールのワンマンバンドみたいで、なにか歌の神様が乗りうつったみたいだ。それがグループ解散後は甘ったるいだけのポップ・ソング・メーカーの印象があって、ソロでも素晴らしいロックシンガーであったジョン・レノンとは好対照である(あくまで個人の印象ね)。ポールの実力はジョンの刺激があってこそ最大限に発揮できるものだったかもしれない。それにしても人口50万人ほどの地方都市リバプールで天才が2人、同時期同場所で出合うなんて、奇跡としか言いようがない。一度はリバプールに行ってみたいがもう無理だろうな。サッカーのフーリガンも恐いし、逃げ足のほうもてんでダメだ(苦笑)。b0036803_1904596.jpg
 この歌は他のアーチストにたくさんカバーされている。きちんと調べていないが、もしかしてビートルズのカバーではいちばん多いかもしれない。ポール本人の歌もよいがときに甘ったるく感じるときがあるので、マイ・ラスト・ソングとしては日本のサックス奏者MALTAによるインスト曲を取り上げたい。あ、これもやっぱり甘いか。
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by chaotzu | 2004-10-09 18:20 | 音楽
2004年 10月 05日

高橋真梨子の「ランナー」

 日本の歌手でいちばんのお気に入りは高橋真梨子。なにせ10枚組のCDボックスを女房に内緒で買い込んだくらいである。ビッグヒットがあまりないためか、未だにペドロ&カプリシャス時代の「ジョニーへの伝言」や「五番街のマリー」がつきまとっているが、ソロ活動になってからの歌のほうが好きだ。いまや御歳55才に至る息の長さ、歌唱能力の高さ、熱心な固定ファンなど、まちがいなくポップス系美空ひばりの衣鉢を受け継いだ存在でしょう。ついでに云うと演歌系ひばりの後継者が都はるみですか。
 先にヒットがあまりないといったが、「桃色吐息」「ごめんね」といったスマッシュ・ヒットはある。だけどもっと他にいい歌がたくさんあるのにと思ってしまう。なかでも大津あきらが作詞した作品がお奨めである。平成9年47歳の若さでがんのため急逝したことがくれぐれも残念でならない。とりわけ作曲鈴木キサブローとのコンビによる作品は逸品ぞろいである。大津あきら作品集どこか出してくれないか。
  おなじみのフォー・ユー、そしてブラウン・ジョー、シー・ユー・アゲイン、ジュン、ハート……………、もう日本の歌謡曲の枠を飛び超えている。なかでもハートはいい歌、女優と映画監督の離別をモチーフにしたバラードだが、歌詞のうち「きらわれもの」とは大根役者の当て字だったのをつい最近知った。ただ難しい歌で素人歌手はとても歌えない。最近はほとんどコンサートで歌っていないようだけど、歌いきるのがしんどくなったのかもしれない。
 さて、マイ・ラスト・ソングとしては、その大津・鈴木コンビによるランナーb0036803_20422988.jpg
  ♪夜明けの街を一人走る
   あなたの夢は破れ …………
 落ち込んでいるときに勇気付けられる歌です。
  
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by chaotzu | 2004-10-05 20:44 | 音楽
2004年 10月 03日

ブログ、はじめます。

 思わぬ病気のために人生の残り時間が少なくなってしまった。あっという間に晩年だ。
今はまだ体が動くが、明日にも倒れるかもしれない。
だから今のうちにできることは済ませておきたい。あれもしなくちゃこれもしなくちゃである。
そのひとつに葬式で流してもらう音楽を選曲しておくことがある。まあ過去をふりかえる作業でもある。だから、このブログは正真正銘のたそがれ日記、つぶやきというかぼやきばかりになるかもしれないけど。

 うーんと、それで1回目のマイ・ラスト・ソングは、
「夜明けのスキャット」
 作詞:山上路夫 作曲:いずみたく 歌:由紀さおり
 昭和44(1969)年の歌だから、もう35年も前、もっと旧いかもしれない。というのは、元はラジオ番組ののテーマソングだった。昔はほんとにラジオを聴いたもんで、小松左京と桂米朝の対談なんかよかった。なかでもとくに熱心に聴いていたのが「夜のバラード」、気恥ずかしいがこれは創作詩の番組。女優の吉田日出子のけだるい朗読がなんともよかった。たしか、ロス・プリモスの「たそがれの銀座」の作詞もこの番組の募集でできたように憶えている。
♪一丁目の柳が~ いや懐かしいです。で、この番組のラスト(だったかな)に流れる女声のスキャットがなんともいいムードでフェイド・アウトする。
ルルルルル・・・・・・
ラララララ・・・・・・
パパパパパ・・・・・・
アアアアア・・・・・・
b0036803_2119187.jpgこのときはまださびのフレーズだけだったものが評判になったというか反響をよんだので、作詞もつけて曲全体も整えて仕上げたんですな。
無名だった由紀さおりはこれをきっかけにトップ歌手になりました。
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by chaotzu | 2004-10-03 20:24 | 音楽