カテゴリ:映画周辺( 11 )


2005年 07月 28日

内藤洋子~かつて「白馬のルンナ」のレコードを買った

◆昼休み、テレビをのぞくと内藤洋子が出演している。いや、いまは喜多嶋洋子か。テレビCMなどで部分的に復帰したとは聞いていたが、ワタシがリアル映像をみるのは35年ぶりである。
若いひとにとっては、内藤洋子・フー?かな、喜多嶋舞の母親と説明したほうが手っ取り早いかもしれない。55歳、まだおばあさんにはみえない。
◆40年ぐらい前、青少年のハートをわしづかみにした存在だったのである。テレビドラマ「氷点」の陽子、映画では「伊豆の踊り子」や「赤ひげ」などに出演、美少女の域を超えた「聖少女」的存在だった(汗)。少年少女雑誌のグラビアにも毎月登場、今どきのアイドルの百倍は人気があったのではないか。b0036803_07453.jpg
歌も出している。「白馬のルンナ」、これが大ヒットしたのである。
♪ルンナ 月の浜辺の ルンナ
 ルンナ 星を見つめている ルンナ
作詞は松山善三、今となれば気恥ずかしい唄でもあるが、友だちとよく聴いたものである。もうええのう、ええのうの連発、内藤洋子は便所なんか絶対行かんじゃろと、田舎のこどもは純情かつ大真面目であった。

◆それが、20歳になるかならずかで突然結婚して姿を消してしまったから大ショック。「拉致」したキタジマ某というミュージシャン、まことにけしからん輩であるとあちこちで悲憤慷慨のアラシだったが、今おもえば、ファンによる過剰なまでの偶像化に嫌気がさしたのかもしれない。まことに国民的アイドルというのは楽ではない。吉永小百合は実に偉大である。
そうか、あれから、もう35年になるのか。

◆絵本作家としてデビューするそうで、テレビ出演はそのプレゼンテーションのようである。
それにしても、伝説あるいは神話がほとんど完成しつつあったのである。35年も経てば昔日の聖少女オーラはさすがに退色する。なんだかもったいなく思わないでもない。
まあかつてのファンの身勝手な思いであり、大きなお世話そのものなんですが。
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by chaotzu | 2005-07-28 00:10 | 映画周辺
2005年 07月 23日

遠藤周作の松竹助監督試験

◆小説家の故遠藤周作、これまで慶応大学を卒業後、松竹の助監督試験を受けるも不合格と伝えられている。実際のところ、試験そのものは合格していたのであるが、健康上の理由(胸部疾患)で不採用を余儀なくされたのである。入社していれば、どんな映画をつくっていたことだろう。後年の創作活動を思えば、脚本家としても大を成していたことはまちがいない。
ちなみにこの時の助監督試験に合格したのは以下の8人。志願者1千数百人中の8人である。
松山善三、井上和男、斎藤武市、鈴木清太郎(清順)、中平康、有本正、生駒千里、今井雄五郎
なお、後年、松山善三がネスカフェCMで「チガいが分かる男」になったとき、遠藤周作がはげしく妬いたという話があるそうだ。もちろん松竹試験の因縁を踏まえてのセルフ・ギャグである。b0036803_233973.jpg
◆「思ひ出55話 松竹大船撮影所」 集英社新書 2004年8月刊
松竹大船撮影所の閉鎖後、神奈川新聞に連載された記事の単行本化、撮影所で働いていたひと55人の大船回想である。そのなかで西河克己監督が戦後第1回目の助監督公募試験の様子を述懐している。
フランス語の試験でたまたまカンニングの現場を目撃してしまうのである。
“カンニングをしたと思われる者がいるんですが、どう扱うべきでしょうか” 
大庭秀雄監督
“それなら教えた方を入れて教わった奴は落とすべきだよ”
吉村公三郎監督
“他人に教えるということは自分が落ちる確率を高めるかもしれないんだから、たいしたもんだ。入れるべきだよ”
この教えたほうの受験者が遠藤周作である。狐狸庵先生、なかなかやるじゃないですか。
◆遠藤周作の小説といえば、「沈黙」とか「海と毒薬」などいわゆる純文学系のシリアスものが取り上げられるが、実際は、青春小説やユーモア小説も数多く書いている。精神面の均衡を保つ意図があったのかもしれない。北杜夫もそんなところがある。
「彼の生き方」「わたしが・棄てた・女」「楽天大将」「協奏曲」……、もういまどき流行らない青春小説かもしれない。事実、文庫でも絶版が多い。もしも遠藤周作が監督になっておれば、これらの小説もカタチを変えて映画で提示されていたかもしれないなと思ったりする。
果たしていずれが良かったのだろうか。
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by chaotzu | 2005-07-23 23:43 | 映画周辺
2005年 07月 17日

高峰秀子の銭ゲバ養母

◆女優高峰秀子の名著「わたしの渡世日記」、もう30年も昔の本であるが、今でも十分読み応えがある。戦前戦後における映画関係者など著名人の素顔も面白いが、いちばん興味深いのはやはり本人の自叙伝部分である。実に率直で自分を飾るところがみじんもない。初潮のことや黒沢明に抱いた初恋心まであっけらかんと開陳している。
そして、なにより驚くのは、養母平山志げとの確執を実に生々しく吐露していることである。
四歳で実母の結核死を契機に、叔母(父の妹)の養女になって、函館から東京鶯谷にうつる。それ以来養母の圧制と呪縛に苦しむ人生である。戦後間もない頃1本100万円の出演料を得ていた人気女優が、昭和30年に松山善三と結婚して、やっと養母から自立するも、そのときのあり金が6万円きりということからも搾取の凄まじさが想像できる。どこまでも娘に捧げつくした美空ひばりの母親とまるで対極にある義母、娘から搾り取って麻雀狂いの贅沢し放題である。
◆しかし、気になるのはこの「渡世日記」が出版された昭和51年5月において、半ボケとはいえ養母がまだ存命中だったことだ。平山志げが亡くなるのは昭和53年12月である。いったい、有名人がそこまでして身内の恥をさらけ出せるものなのか。事実がどうであれ、世間に向けて親を悪しざまに云うのは、日本人の感性からすればあまり好まれることではない。
「渡世日記」も自叙伝にしては妙なところがある。写真ページがいっぱいあるのに、親族が写った写真が全くない。幼時の頃は単独写真ばかり、長じてからは芸能人とのツーショットばかりである。そして、養母のみならず、実父や兄弟に対する突き放したような記述。
ある部分ではきわめてミステリアスな本である。b0036803_22535480.jpg
◆斉藤明美著「高峰秀子の捨てられない荷物」文春文庫、単行本初刊は平成13年3月。
この本は第三者が書いた「渡世日記」の後日談ともいえるものである。これを読んで、前述の疑問がいくらか解ける。
つまるところ、養母は死ぬ寸前まで高峰秀子を悩ませ続ける吸血ヒルみたいな存在だったようだ。「渡世日記」では「母」としているものの、実際は「デブ」と呼んでけっして母とはいわない。そんなトンデモ養母だったらしい。「渡世日記」でも書いてあるが、この本でも贅沢し放題のいっぽう、あの手この手で金を無心しあるいは搾取するさまは、お金に狂った人間の狂態そのものである。おまけに他の親族も油断ならない。なにか事あらば「有名人の親不孝」を世間に喧伝するぞと「脅迫」をしかけてくる。
ここから先推測であるが、「渡世日記」の連載時にあえて内情を公表することで、金目当て親族の「介入」をけん制したのではなかろうか。そう思ってしまうほどだ。事実、昭和52年6月には親族による義母の「拉致」事件まで起きて、双方の弁護士同士の交渉に至っている。
◆養母が亡くなったときの、高峰秀子のノートは「12月3日デブ死す」の記述があるだけ。
そして、著名人の「慶賀」である。
川口松太郎「お袋さん、死んだんだってなあ、よかったなあ、デコッ!」
市川昆「死んだんやてなあ、おめでとう!よかったやないか」
高峰秀子本人「あんまりみんなに『おめでとうおめでとう』って言われると、デブが可哀想になってね。全員がだよ、全員が同じことを言うんだよ。死んでそんな風に言われるのは、やっぱりイヤだよねぇ」
もう絶句してしまう、だけど、その養母なかりせば、女優高峰秀子は出現していない。墓の世話まではしたが、墓参りは一度も行っていないという。
なんともいいようのない人気女優の壮絶きわまりない人生である。
◆この本には、その他、人生の「救世主」たる松山善三との婚約エピソードなど、感動的なはなしもある。しかし、残念なことに著作物全体のレベルとなれば、かなりの不満は否めない。
著者は松山夫婦の信頼が厚いらしく、親族からの手紙や弁護士との会話テープなどの閲覧を許されているので、記述内容の信憑性は高いだろう。しかし、ところどころに自分語りが混じりすぎるのである。高峰秀子を出汁にして自分のことを語りたいとすれば、読者にとっては迷惑千万なことだろうし、被写体との距離感の近さをアピールしたいとすれば、それも甚だしい勘違いである。なにより情報の信頼性を揺るがしかねない。
なんだか、一級の材料があるのに、調理の仕方を間違えたような作品にみえてくる。
いや、これは云いすぎだろうかな。まあ、もったいない本であるとは思う。
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by chaotzu | 2005-07-17 23:08 | 映画周辺
2005年 07月 09日

小津安二郎 ミュージック・アンソロジー

◆「東京暮色」のメインタイトルが耳にこびりついてはなれない。
映画の内容はとことん陰鬱なのに、音楽はどこまでも軽快である。いったいなんだ?
それで、とうとうCDを購入してしまった。もうバカとしかいいようがないよ。b0036803_19283092.jpg
・「小津安二郎 ミュージック・アンソロジー」。2枚組全89曲、
3800円(泣)。
ただし、サントラのマスター・テープが残っているのは「秋日和」「小早川家の秋」「秋刀魚の味」の3作だけで、残りの16作はフィルムの音声トラックからのリマスターである。
フィルムの原版もそうだが、かつての映画保存意識の稀薄さときたら……、今さら云っても詮ないことか。


◆お目当ての曲は、斉藤高順作曲の「サセレシア」、2分ほどの短い曲である。
これと「秋日和」(同じ斉藤高順作曲である)のサントラだけMDに録音して、BGMで流す算段だ。
正直に云うと、気持ちが落ち込んだときに聞くためである。

それで、ふと、テレビをみたらP&GのファブリーズのCMで、なんとこの「サセレシア」が流れている。ありゃりゃ、もしかすると既聴感覚があったかもしれません。
だから、日本人のほとんどは聞いているはずである。
それにしても、半世紀近い昔の映画音楽が、除菌商品の宣伝で使われているとは。
ほとんどの消費者はただ聞き流しているだろう、ワタシもそうだった。
おそらくCM製作のひとに個人的な思い入れがあったんだろうな、そう思う。
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by chaotzu | 2005-07-09 19:34 | 映画周辺
2005年 06月 30日

町山智浩アメリカ日記が読めんぞ(怒)

◆たまにのぞく“町山智浩のアメリカ日記”、いまみたら公開停止(プライベート・モード)になっている。独特の切り口による最新のアメリカ事情や映画情報をたのしみにしていたし、なにより文章に芸があった。こういう原因をつくったやつにはハラタツなあ、オオサワ親分に喝を入れてもらいたい気分である(憤)。
停止理由は「捨てハンによる嫌がらせ」の頻発としているが、大量のコピペ・コメントのみならず町山氏家族への誹謗中傷もあったそうだから卑劣きわまりないことだ。

◆数日前に、やたら嫌中嫌韓を標榜する捨てハン氏が闖入して、さんざん論破されて退散したそうだが、おそらくそれで逆切れして根にもったのだろう。いわゆる「ネット厨房」かもしれないが、大のおとなであるとしたら重ね重ね情けないはなしだ。親が知ったらさぞ泣くだろう。
云いたいことがあるのなら、自前でプログでも設営して、そこで堂々の論陣をはればいいのである。それが捨てハン使って、他人の庭を荒らしまくって鬱憤ばらしである。自立した考えというものがなく、他人のコピー&ペーストしかできないことをさらけ出しているようなもんで、みっともないかぎりである。b0036803_20392873.jpg
これじゃ、中国の反日デモで暴れまわった「愛国無罪」連中あるいは韓国の「職業反日家」とそれこそ同類じゃなかろうか(嘆)。
また、なにかと町山氏の帰化歴を問題視したいようだが、それがいったいどうしたというのだろう。ワタシはそんなこと全然気にもかけていないし、なにより、町山本の愛読者である。「アメリカ横断TVガイド」なんか名著じゃなかろうか。
まったく底の浅いナショナリスト気取りほどたちの悪いものはない。

◆わざわざはてな日記のユーザー登録をしてまでの嫌がらせである。この歪んだ熱意はいったいどこから来ているのだろう。
少しはまともなことに振り向ければよいのにと思わずにはいられんよ。

追記;7月2日からコメント欄なしで再開した、やれやれ。
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by chaotzu | 2005-06-30 20:43 | 映画周辺
2005年 05月 15日

【ミュージカル】 「マンマ・ミーア」 ダンシング・オバサンに脱帽

◆むかし、ロックが若者の音楽といわれた時代があった。ところがそれは早とちりであって、いまやロックは50代の音楽でもある。フォークに至っては60代ご愛用だ。つまるところ、年代進行とともに持ち上がるだけである。
 劇団四季のミュージカル「マンマ・ミーア」をみて、それを実感した。おばちゃんトリオのアバ・メドレーに、同年輩のおじさんおばさんたちがみんなが総立ちだ。
◆四季のミュージカル見物ははじめてである。チケットは昨年末に購入したが、休日のマチネにこだわったので、だいぶ先の日程になってしまった。お金はかかるが、先々の「ボーナス・ステージ」も設定しておかねばならない。ところが、当日に至って体調がいまひとつである。チケットをパーにしたくない一心でなんとか、大阪駅前ハービスエント内の四季劇場にたどりつく。駅から近いことに助かった。それでも、ラストのスタンディング・オペレーションに疲れまくる(苦笑)。何度も続くが、ひとりだけ座り込んでいるわけにもいかない。早く手仕舞いしましょうよと脳内で念じること(汗)。b0036803_2211398.jpg
◆いまさら説明の必要もない、ロンドン・ミュージカルのヒット作である。1970年代を席捲したスウェーデンのグループ、ABBAのメドレーがてんこもり。ストーリーそのものは結婚式をひかえた娘の面前に父親らしき男が3人出現と、はっきり云って角座の松竹新喜劇でよくあるような人情ばなし。要するに松竹新喜劇+ロック+ダンス+ひかりもの衣装。これで受けないとおかしい。最後は父親トリオまでゴレンジャーみたいな衣装で登場、とにかくケバくて突き抜けている。そりゃそうだ、いっとき浮世を忘れるための芝居見物である。
◆それにしても主役の久野綾希子、もうすぐ55歳だそうだが若くみえるなあ。青山弥生や森以鶴美とのおばちゃんトリオ、実際はおばあさんであってもおかしくない年代だろうか(汗)。それが若い衆をバックに従えて唄い踊る。最後の客席からの熱烈カーテン・コールが滋養剤になっているのだろうか、役者商売の醍醐味なんだろうな。
 違和感があったのは、父親役の男性出演陣、どうみてもおばちゃんトリオに貫禄負けしている。実際の年齢が反映したのかどうか、あまり父親風にみえないのだ。それと生オケがない、これで
11,550円は高すぎるよ。
それでも2時間半ちょっとまあまあ愉しめます。アバの名曲の力もあるだろう。ちょっと疲れましたが。
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by chaotzu | 2005-05-15 23:59 | 映画周辺
2005年 03月 09日

月刊DVD渥美清の「泣いてたまるか」発刊、物欲募る春

◆書店で、渥美清が主演したTVドラマ・シリーズ「泣いてたまるか」DVDの月刊ムックをみかける。各回2話収録で全27回、初回号だけ790円、2号目からは1890円の設定で、既発DVDのほぼ半額である。b0036803_20132625.jpg大昔の白黒ドラマであるが、映画「男はつらいよ」の原点ともいえるシリーズであり、主題歌も印象深い。
 ♪空が泣いたら 雨になる
  山が泣くときゃ 水が出る
 うーん、欲しいもんだと購入欲が募ること、寸前でどうにか踏みとどまったが、まだ未練がある。
◆買わなかったのは、毎月2000円近い出費ならば邦画の有料チャンネルを契約したほうがいいやと思ったからである。もともと映画ソフトは持たない方針である。だいいち所有していてもなかなか観る機会がない。どうしても観たければレンタル店でその都度借りたほうが安上がりという発想である。それでも例外はある。レンタル店にもない、テレビでもなかなか放映しないような作品だ。渥美清の「拝啓天皇陛下様」とかハナ肇の「馬鹿が戦車でやって来る」などは、DVDがあれば手に入れたいソフトだ。「泣いてたまるか」も大いに迷うところである。とにかく暖かくなってきたせいか、いやに物欲ときめくこの頃。
◆洋画ソフトのほうはどんどん低価格化が進んでいる。お菓子の「おまけ」で添付されている洋画DVDもあるぐらいで、これはなんと315円。あと10年もしないうちに、旧い映画の鑑賞はインターネットからの有料ダウンロードが主流になっているかもしれない。レンタル店はもとよりテレビ局の大ライバル出現である。その時は手元にソフトを置く意味も変ってくるだろう。
 そうなると未来の映画ファンがうらやましいね。古今東西の名作をいながらにして渉猟できるのだから。
◆別のはなし
 昨夜のテレビで、アスペルゲンガー症候群のことを紹介していた。初めて聞くコトバであるが、今まで「変人」とか「周りの空気がよめない」など云われた性格のなかには、脳の器質障害に因る病気があるとのこと。学問的なことは知らないが、正直云って違和感は否めない。
 最近は注意散漫、落ち着きがないのも病気、モノが片付けられないのも「病気」にされるが、うちの子供なんかまさにそうであった(笑)。こうなるとなんでも「病気」になるなとつい思ってしまう。精神科医が商売していると云ったら言い過ぎか。
 そのうち、万引きするのも、人を包丁で刺すのも、放火して回るのも、有価証券報告書の虚偽記載も、ぜんぶ「あーそうかあ、病気だったんだあ、悩まなくていいんだ」ということになりゃしないのか。そりゃ、ある意味ではまちがいなく「病気」なんだろうけどさ。いや、差別言辞だとしたら謝ります、これも病気だと思ってください。
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by chaotzu | 2005-03-09 20:27 | 映画周辺
2005年 02月 28日

イーストウッドに脱帽

◆米アカデミー賞、クリント・イーストウッド製作兼監督主演の「ミリオンダラー・ベイビー」が作品賞、監督賞など4部門で受賞した。「許されざる者」以来2度目の監督賞、作品賞になるが、1930年5月31日生まれだからもうすぐ75歳である。この歳になってなお人生の絶頂を極めているのだからもうおそれいりましたのひと言である。ちなみに高倉健とだいたい同年代ではないのか。b0036803_21424530.jpg
◆もともと日本になじみの深い俳優である。大むかし「ローハイド」というテレビ西部劇があって、イーストウッドはロディという若手の牧童を演じて人気があった。♪ローレン、ローレン、ローレン……、のテーマソング、たいていの人は聴いているのではないか。サントリーが同名の“バーボン”ウイスキーを売っていたこともあり、TVのCMでも著名である。
 「ローハイド」の後一時低迷したものの、イタリアに行ってマカロニ・ウエスタンで捲土重来、その後の大スターへの道はご存知のとおりである。
◆にもかかわらず、アメリカでは裏街道スターのイメージが長いことつきまとっていたように思う。マカロニ・ウエスタンやダーティ・ハリーでハデなアクション・スターのレッテルが貼られてしまい、それが災いしたのかもしれない。安定したスターの地位を得てからも、イーストウッドは「オレはただのアクション・スターだけではないんだ」と長い間ずっと訴えつづけてきたようにみえる。
 実際に本人が監督製作した作品のなかには“ダーティ・ハリー”路線とは一線を画す地味な佳作がある。なかでも「センチメンタル・アドベンチャー」のいい加減かつどこか哀しい叔父さん役や監督専念の「バード」なんかはとくに印象ぶかい。一方で商業的な成功を狙った作品も製作しており、なかなか一筋縄ではない映画人である。今回の2度目の受賞はアメリカ映画界が完全にイーストウッドを功労者として認めたということだろう。
 長い人生をかけて、イーストウッドは自分というものをずっと主張しつづけ、世間・業界にそれを認めさせたわけである。男子の本懐を遂げたというか立派なものだ。
◆それはそうと、先ほどの「ローハイド」みたいな昔の米テレビ・ドラマをずっと流してくれる有料チャンネルがないものか、「サンセット77」「ハワイアン・アイ」「ルート66」なんてもう一回見たい。あればすぐ契約します。
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by chaotzu | 2005-02-28 23:59 | 映画周辺
2004年 12月 30日

屍は生ける師なり(涙)

◆テレビドラマはめったに観ないが、「白い巨塔」の総集編は3回目もとうとう見てしまった。b0036803_13583550.jpg
大熱演の唐沢寿明「無念……」のときは思わず目頭が熱くなった。自分の病気と向きあってしまったからである。
前にもがん患者は堅牢なバリアーを築いていると書いたけど、本音は無念そのものである。いや無残かもしれない。あれこれ治療はしているが最早治癒はのぞめない。ガンとの共存といっても、運がよくてあと数年のことである。いうなればお金(治療費)と時間の交換をしているというか執行猶予みたいな状態だ。
著名人ならぎりぎりまで仕事による自己表現ができるかもしれないが、並の人間は仕事も家庭もそして自分の夢も、なにもかも中途でぶち切られてしまう。なによりいっぺんに世間が狭くなる。他人には「大丈夫、元気」なんて虚勢を張っているものの、社会的には半死人である。
今後世間の役に立つとすれば献体ぐらいだろう、自分の症例は少ないほうなので参考になるかもしれないなとそれだけを救いにしている。だからときどきもういいやと思うときがある。屍は生ける師なりとはよくぞ云ったものである。
 印象に残ったせりふ、舅役の西田敏行(好演)「うそと尻餅はついたことがない」「いままでええ夢みさせてもろうた」
そして母親の池内淳子「よく頑張ったね、ご苦労さま」
 もう心のなかで泣きましたわ。
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by chaotzu | 2004-12-30 23:59 | 映画周辺
2004年 12月 24日

白い巨塔ふたたび

◆クリスマス・イヴの晩であるが、白い巨塔の総集編2回目をついつい最後まで見てしまった。b0036803_22273498.jpg癌が題材のドラマで敬遠していたことや昔の田宮二郎版の記憶があったので、唐沢版は見なかったのだけど、やっぱり面白い。30日の最終話もはまりそうである。ある意味で漫画的というか、役者がとても分かりやすい派手な芝居をしてくれる。とくに悪玉相当役の西田敏行とか伊武正刀の演技は爆笑もの。その分善玉の影が薄くなって、里見助教授役の江口洋介は気の毒だった。もっとも旧作、山本学の残像が濃かったのかもしれない。
 それにしても全く原作のテイストが古びていない。井上脚本が良かったのだろうが、山崎豊子は日本のアーサー・ヘイリーであることを再認識しました。
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by chaotzu | 2004-12-24 23:59 | 映画周辺