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2005年 12月 28日

どうにか年賀状の差出し完了

◆年を経るほどに、年賀状の作成がおっくうになってくる。早めに済ませなくてはと思いつつ、いつも年の瀬の突貫作業になってしまう、毎年その繰り返しである。半分は自分の横着であるが、なにせあて先の大半はここ10年来ほとんど会ったことがないという人である(毎度顔をあわせるような人とは年賀状のやりとりをしない主義である)。しかも、それが年々増えるいっぽう。
とはいえ「虚礼」だからやめておこうといった発想まではない。一年一回とはいえ、近況報告、住所の移転、転職のお知らせ、どこそこに旅行に行きました……など、淡い交際であるからこそ、それなりに便利なツールである。また、いつなんどき交友が再開するかもしれない、正直そんな打算めいたものもある。
しかしながら、それでも年々重荷になってくる。どっかでリセットしたい思いもある。

◆なんといえばいいか、もうこちらも大して伝えることがない状況である。それでも、
“新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます”
なんて、ほとんど心にもないような賀詞をどっかの無料ダウンロードで拾ってきて貼り付けたりするのである。本音丸出しを書けば、「明けましておめでとう」どころか、
“去年はホンマさっぱりやったし、今年もぼちぼち、ほどほどにやりましょか”
まったく賀詞とはウラハラになってしまう。「どこがめでたいねん」というわけだ。これはやっぱり後ろめたいものである(苦笑)。
それとこんなこといってはなんだが、頂戴する年賀状のなかにもお手軽きわまりないもの、それが年々増えつつある。パソコン年賀状の普及と軌を一にしているようだ。手書き部分や素人版画などすっかり減ったし、全く同じデザインのものもある。なかには同じ人から二枚もらったり、差出人が洩れていたりすることもある。ただ年賀状ソフトに従って機械的に作成しているのがみえてしまう。「喪中につき……」の欠礼はがきも随分増えた。なかには三年連続といった身内の不幸つづきの人もいる。そういう年代なのである。
それで結局のところ、喪中はがきも含めて年賀状は「生存通知」になっているだけじゃないかと思ってしまうのだ。それではあまりに侘しすぎる。だからリセットしたい、毎年こんな考えがループしているのである。

◆それはそうと、今頃になって気がつくのも恥ずかしいが、これまで師走の恒例アナウンスであった「年賀状は12月何日までにお出しください」というキャンペーンもなくなっている。いまは「できるだけ早くお出しください」である。ということは、郵便局は全力集中、全速力で年賀状の配達に努力するということか。
そういえば、テレビで某郵便局の年賀状仕訳風景を報じていたが、管理職の人が、
「年賀状の束を左手で持っているか」
「両足の間隔は30cmあけているか」
なんて、数十項目の点検を実にマジメにやっておられる。
一生懸命頑張っておられるのに申しわけないが、もう、なにもそこまで律儀にせんでもええよ、と思ってしまう。年賀状が1、2日遅れたって、別段こちらの生活に支障があるわけではないし、それに、何日に着いたかどうかなんて実際大したことではない。だらだらさみだれ式で到着するのも年始の味があるではないか。横着おじさんとしてはそんな風に思ってしまうのだ。
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by chaotzu | 2005-12-28 22:12 | 身辺雑記
2005年 12月 21日

ゴミの分別とコストカット社会

◆時代は使い捨てから循環型社会へと移行しつつある。ゴミの種類もずいぶん増えた。以前は燃えるゴミ&燃えないゴミ&粗大ゴミの3分別で済んでいたが、いまはそれにリサイクルゴミ(びん、カン、ペットボトル)&金属系ゴミ&カセットボンベ・スプレー缶が加わったので、市役所の収集は6分別になる。このほか、地元のスーパーが牛乳パック&発泡スチロールトレー&アルミ缶を回収しているので、我が家ではゴミを9種類に分別している。ただでさえ狭い台所が、それでさらに狭くなる。まあ、それで「男子厨房に入るべからず」を決め込んで不興をかったりするのである(笑)。

◆ゴミの分別自体はアバウトにとらえればそう面倒なことではない、場所をとるだけである。だけど、分別する以上はきちんとやりたくなってしまうのである。性分かもしれない。いちばん手間がかかるのは、リサイクルゴミと燃えないゴミ(プラスチック)あるいは燃えるゴミ(紙など)の分離である。たとえぱ、ビン類のキャップやラベルは出来れば取り除いておきたい、そう思うのだが、これが案外面倒なのだ。そのために、ペットボトル専用のリングカッターまで用意したほどである。なお、念のため云うと、市の清掃局がそこまで強制しているわけではない。

◆そういうことを日常重ねていくと、リサイクルについて十分配慮した商品づくりを意識しているメーカーとあまり顧慮していないメーカーがあることに気がついてくる。言い換えればコストをかける会社とコストをけちる会社の差である。たとえば、びんのプラスチック・キャップなんかは、指先だけでむけるように外せる商品もあれば、その逆にカッターナイフでギコギコ切り目を入れてやっとこさ外れるような商品もある。これは気を抜いてやるとけっこう危ない作業である。ラベルも簡単に剥がせる工夫のものもあれば、びっしり糊づけしているものもあるといった具合、ひと晩水に浸しておけばいいのだろうが、いま現代そこまで習慣づけることは、なかなか簡単なことではない。
そんなこんなで、リサイクルに配慮した製品づくりをしているメーカーに、どうしても親近感をもってしまうのである。おそらく中身のほうも消費者本位に作っているんだろうと思わせてくれる。だから、少々割高であってもそっちのメーカーのほうを買ってみようかという気になってくる。

◆耐震強度偽装問題が大騒ぎになったから云うわけではないが、昨今はなんでもかんでも「コストダウン」が大流行りである。なかには画期的なアイデアによる万人がハッピーなコストダウン商品もあるだろうが、はたして全部がそうなのか疑わしい。安物のいわゆるバッタモンやアスベストみたいな恐ろしいものがはびこっては困るのだ。目先のコストダウンが、社会全体では欠陥商品の頻出になって、大きなコストアップではね返る。そういうのは、ただの「コストカット」というべきなんだろう。アトからその副作用に苦しむのはたいてい消費者である。
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by chaotzu | 2005-12-21 22:12 | 身辺雑記
2005年 12月 15日

ナンバー・ディスプレイとIP電話

◆「おやじギャル」というコトバがある。肌合いの全く違うコトバの合成語なのに、なんとなく現実感があった。それにちなんで「お役所会社」というコトバを提起したい。いまのところ、その三傑は東証と日本銀行とNTT(日銀が会社かどうか異論あろうが、いちおう会社四季報掲載銘柄なのである)。
東証はただいま話題沸騰の会社であるので、本日はNTTのはなしとする。

◆NTTのナンバー・ディスプレイを利用している、これで間違い電話やセールス電話をなんとか排除できるようになった。なにせ、間違い電話やはた迷惑なセールス電話がやたら多かったのである。それでナンバー・ディスプレイを導入して着信音で受けるべき電話を区別できるようにした。これで、かかってくる電話の大半がろくでもない用件であること、それをはっきり思い知った次第。留守番電話のメッセージは99%カラッポ、なんだ、電話の大半は無視しても済むのか、そんなもんかと、いまさらながら思い知る(苦笑)。
さびしい気持ちなきにしもあらずであるが、とにかくそういう時代にいま生きている。

◆ところが、この前からそのナンバー・ディスプレイに表示されない電話が度々着信するようになった。いずれも知人のケータイからの架電である。おかしいなあ? 何かそういう表示を回避する仕掛けが出来たのだろうかと首をひねったものである。最近やっとその理由が分かった。
タネ明かしすると単純なことであった、NTT固定電話の番号ではなく、IP電話のほうの番号に着信していたのである。こちらがIP電話で相手方ケータイに発信して、その番号が電話帳登録されたらしい。なるほど、ナンバー・ディスブレイはNTT固定電話の有料サービスであって、IP電話には適用されない。思わぬ盲点であった。しかし、これではIP電話をあまり気軽に使えないことになってしまう。

◆いま現在、NTTの固定電話はもっぱら着信専用としての利用である、それだけで回線使用料として月額1700円加えて前述ナンバー・ディスプレイに月額400円をとられている。留守番電話の着信だけでも、毎月かなりの「不労収益」を与えてやっているのに、ちょっとぐらい還元してくれてもいいではないか、そう思いたいほどNTTのボロい商売である(泣)。
せめて、ナンバー・ディスプレイぐらいは、ケータイと同様の標準(無償)サービスにすべきだと思うのである。それもIP電話も含めてのサービスにすべきじゃないのか。そうすればいたずら・嫌がらせ電話やストーカー被害の減少にもなるはずだ。さらに、振り込め詐欺の被害もだいぶ減少すると思う。留守番電話にメッセージを吹きこむような詐欺師はいないだろう。

◆振り返ると、これまでNTTの「詐欺的商法」にどれだけ泣かされてきたことか。もともと競争相手のない殿様商売であったところに、民営化で妙な営利主義がはびこったため、商売のやりかたがぐじゃぐじゃになってしまった。あのISDNにはひっかかる直前までいった、ADSLの普及をどれだけ遅らせてくれたか。そして、わけの分からないプッシュホン、解約するだけで「局内工事費」として2000円とられた(再泣)。タイムプラスにも騙された、特定の市内電話が安くなるという売り文句、ところがインターネット・プロバイダのアクセスポイントでは例外があったりする。きわめつけは電話加入権の猫ババである。まだ半減の段階であるが、なにしろ「ずっと一家の財産になりまっせ」と云われて押し売りされたのである。それを買わないと電話を通してくれなかった。それを今になってチャラにすると云う。金額規模では史上最大級の詐欺といってもいい。上場会社のなかでこれほどたちの悪い会社はないといってもいいぐらいだ(苦笑)。腹がたつので、ケータイも別の会社にしたぐらいである。
来年、ケータイ電話番号のポータビリティ制度が始まれば、ドコモの加入者がだいぶ減るのではないか。グループであこぎな商売をしてきたことのつけである。
で、この際、なにか罪ほろぼしのまっとうなサービスを考えるべきだと思うのである。さて、どうでしょうか。
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by chaotzu | 2005-12-15 23:14 | 身辺雑記
2005年 11月 28日

カレーうどん あるいはカレーそば

◆突然食い物のはなしになるが、ときどき無性にカレーうどんが食べたくなる。あるいはカレーそば(又はカレー南蛮)でもよい。カレーライスとカレー丼が異なるように、完全に和風メニューとして定着している。店によって当たり外れはあるが、ときどき蕎麦屋さんのカレーそばで、絶品にあたるときがある。そういうときは嬉しくなる。ただし、単品でせいぜい700円前後である。千何百円もするようなものではない、えび天などのトッピングも余分だ。あくまで大衆食Bクラスのポジションである。
b0036803_2047271.jpgジブン的にはとろみが強いほうが好みである。指はかなり疲れる(笑)が、東海林さだお風に云うと、ウヒャウヒャ、アヘアヘ気分になること請負い。
ラーメンのほうはいまや冠たる国民食にのぼり詰めて、評論家も春秋戦国状況であるが、蕎麦屋さんのカレーも「準国民食」ぐらいには顕彰してよいと思う、今のところまだ少数派かもしれないが、将来はかなり有望とみている。しかも専門的評論分析は未だ確立されていないようであるし、これから早いもの勝ちの分野じゃなかろうか(ホンマか?)。

◆かつてはお酒呑みすぎ翌日の昼食定番だった。真夏に食べてもよし、真冬に食べるのもなおよし、ひとによっては七味唐辛子をドバっとふりかけ、汗だくになるという自虐的な食べ方もある。またはウスターソースを少したらしてもよい。注意せねばならぬのは、ネクタイに汁がはね返るおそれがあること、新品の1本をつぶしたことがある(泣)。ネクタイは外しておいたほうが無難だ。店によっては紙エプロンを用意しているところもある。同憂の士が多いということなのか。

◆そんな天下無敵メニュー、かつては家庭でもよく食べた。とはいってもカレーの残り汁利用である。うどんだしで割って小口切りした万能ネギを放りこみ、片栗粉でトロミづけをしたら出来上がりである。カレー粉(SBの赤缶)を追加してもよいし、麺はきしめんでもいい。どちらかといえば、自宅ではうどん系のほうがよいかもしれない。まあ、だいたいはなんでもあり(笑)。
日曜日にカレーを仕込んで、月曜日カレーライス、火曜日もカレーライスそして水曜日はカレーうどんという手をよくつかった。週のうち3日がカレー関係なんて、今なら児童虐待に問われるかもしれない(苦笑)。学校の給食がカレーライスという日もあっただろう。もちろん、子供の不満なぞ聞く耳もたない、実にいいかげんな親であった(反省)。
しかし美味しかった、カレーは時間が経つほど味がしみこんでうまくなるという、3日目のカレーうどんがいちばん旨かったかもしれない。

◆最近はカレーをほとんど作らなくなったし刺激の強い食事も避けているので、カレーうどん(あるいはそば)を食べることはほとんどなくなったが、寒くなるにつれて食べたい情熱がひたひたとわきあがってくる。ヒイヒイ食べて、汗をパッパラ流したいのだ。
いや、別にたいそうな料理じゃないんで、家でテキトーにマイルドなやつをつくればいいんだけど。
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by chaotzu | 2005-11-28 20:54 | 身辺雑記
2005年 11月 06日

314万円に悩むひと、そしてポンと23億円のひと

◆ガンの重粒子線治療、完全に治癒する保証はないものの、従来の放射線治療に比べれば治療効果も高くかつ副作用も少ないので、適応するガン患者にとっては頼みの綱である。
ただし、健康保険の対象外であり、その費用は314万円、入院費や検査費はまた別にかかる。なんとも微妙な金額である、これぐらいどうってことないひともいようが、たいていの患者にとっては重たい負担だろう。
b0036803_19194451.jpgこれ一発でガンが確実に消滅するならまた別であるが、再発する懸念もないとはいえない。借金を家族に遺してしまうようになればそれこそ最悪、まして、年々収入が減少し、これまでの闘病で貯えもすり減らしているから、なおさらである。
医学の進歩によって、これからもガン等難治疾患の高度な治療法が開発されるだろうが、費用のほうもうなぎ上りになるに違いない。世間一般には福音的ニュースになろうが、当の患者自身にとって必ずしも朗報とはいえない。お金の有る無しで余命が決まってしまうとしたら、かえって残酷なことである。

◆全然別のニュース、
元ライブドア役員のひとが民間人として世界で4人目の宇宙旅行を経験するらしい。来秋ロシアのソユーズ宇宙船で打ち上げられ、一週間宇宙ステーションに滞在する。「宇宙でシャアのコスプレをしたい」そうな、まだ34歳であるからIT長者というのはなんとも豪気なことである。
そのツアーの費用はなんと23億円。先ほどの重粒子線治療ならば700人ほどのガン患者の治療費相当額になる。ケチつけて申しわけないが、税法上の特典なかりせば、これだけ巨額の現金なんてそうたやすく貯められるものではない。これまでの常識では使い道に困るような大金であった。ところが、それに見合った大金一発費消企画も出現するものである。商売人の嗅覚は鋭いというか、JTBは既に月旅行等の国内販売を開始しているし、かのライブドア・ホリエモンも宇宙旅行事業に参画したいらしい。

◆おそらく、これからも日本人富豪による宇宙旅行者が出てくるだろう。金持ちが自分の稼いだ金をなんに使おうが勝手かもしれないが、なんとなく釈然としない思いもある。
1回の「旅行」に23億円をポンと使えるひともいれば、300万円の医療費で輾転反側悩みぬくひともいる。金持ちはより金持ちに、そうでない者はそれなりに……、それがいまさかんに唱えられる構造改革の到達点じゃないか、これからもその傾向は加速するんだと切り返されるかもしれない。
あるいは、
“悔しかったら智恵をしぼって汗を流して金持ちになってみろ”
と説教されるかもしれない。
しかし、使い切れないぐらいの大金を抱えたひと握りの大富豪と残り大半のビンボー人から成る社会を想像したとしても、あまり気分がいいものではない。二極社会のいきつくさま、それはいま以上に治安が悪くなる不安定社会を助長しないかということだ。愛国心なんかクソクラエ社会になって、がんじがらめの法律で愛国心を強制しなければならなくなるかもしれない(笑)。当の金持ち自身にとっても居心地の悪い社会になって、それこそセキュリティに湯水のごとき大金をつぎ込むことになるだろう。
近未来社会は、先端医療と宇宙旅行とセキュリティ、この三つの業界で金持ちの資金が循環する世界になるかもしれない。なんだか三題噺みたいである。

まだ、書きたいことはあるが、これ以上続けると「ビンボー人のひがみ」も混じってきかねないので、ここらでやめておく(苦笑)。
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by chaotzu | 2005-11-06 19:20 | 身辺雑記
2005年 11月 03日

テンポイント物語

◆昼下がり、NHKスペシャルの再放送「ディープインパクト」をぼんやりみていると、ある馬の思い出が浮んできた。
「テンポイント」、もう30年近い前に66.5kgという今ならば考えられない重量を背負った馬である。ユニークな馬名は活字のサイズ呼称からとられた、10ポイントの活字、すなわち大見出しになるような名馬に成長してほしいという馬主の願いが込められている。
父馬のコントライトは他に目立った産駒のない平凡な種牡馬であるが、母馬ワカクモは桜花賞馬、この馬にも数奇な出生譚があるが、それはまた別のはなし。

b0036803_23304676.jpg◆今で云う新馬から3歳のさつき賞前までは順調だった。向かうところ敵なし、栗東から久々のスター・ホース出現、褐色の貴公子とか騒がれたりした。当時は関東馬、関西馬の対抗意識が強く、いまと違ってずっと関西馬が劣勢つづきであった。よく考えれば所属厩舎の場所のちがいだけであって、実際の生産地とはなんの関係もない。だけど、ずっと関西馬が負け続けだったので、ファンの期待がこの馬に一身に集まったのである。かつての阪神タイガースファン心理に近いものがあったといってもいいかもしれない。関西テレビの名物アナであった杉本清の杉本節も炸裂しまくる。
“みてくれ、みてくれこの脚を!これが、関西のテンポイントだ!”

◆しかし、さつき賞になって、宿命のライバル「トウショウボーイ」が突然出現する、こちらの父馬はテスコボーイ、いまでいうサンデーサイレンスのようなもので、スピード、スタミナのバランスがいい良血馬である。
3歳時はほとんど、このトウショウボーイに歯が立たなかったといっていい。菊花賞でやっと先着したものの、このときはインをついた伏兵グリーングラスにしてやられるし、年末の有馬記念では2着に捨て置かれる。このとき、大半のファンはもう勝負付けが済んだと思ったものである。わたしも京都でみたが、貴公子といわれるほどの迫力はたいして感じず、案外さえない馬体だなと思ったものである。アトで思えば成長途上の雌伏時代だった。

◆4歳になって、ふたたび快進撃を開始、とくに夏を越してからの成長充実は著しく63kgの重ハンデで楽勝した重賞レースもある。いまから思うとものすごい記録である。
宿敵トウショウボーイに完全に雪辱したのは、ふたたび有馬記念。このときの両馬のマッチレースは語り草になる名勝負で、終始一貫して2頭だけのレース、アトの6頭はほとんどおいてけぼりにされた。ふつう先行逃げ切りとか後方待機の差しきりとかの勝負パターンがあるが、そんな公式一切なしの壮絶な競り合いバトル、抜きつ抜かれつを2500mずっとやったのである。
“先頭はテンポイント、テンポイントだ……”
ついでにいうと、このときのトウショウボーイに騎乗した武邦彦がディープインパクトの主戦騎手武豊の父親である。云い忘れたがテンポイントの主戦騎手は鹿戸明でいま調教師。

◆5歳馬になってから欧州遠征のプラン、ファンの多くが凱旋門賞の栄光を夢想した。日本最後のお別れレースとして出走したのが、1978(昭和53)年1月22日の日経新春杯、ハンデ戦であり、なんと重量66.5kgを背負わされる。ところがこれが仇になる。粉雪の舞い散る真冬の京都競馬場、第4コーナーの手前あたりで競争を中止してしまう。予後不良といわれる重度の骨折だった。関西テレビの杉本アナは狼狽してしまって、もうレースの実況放送どころではない。
“あっとテンポイントおかしい、おかしい。これはどうしたことか、これはエライこと、これはエライことになりました”

◆当時の常識ならば直ちに薬殺処分であったが、ファンの助命嘆願すさまじく、異例の手術が施される。しかし、結局のところ1か月ちょっとの延命にしかならなかった。
そして、1年後の阪神競馬場毎日杯、今度は名騎手の福永洋一が落馬で再起不能の重傷を負ってしまう。この時分からだんだん競馬からはなれていく、仕事がだんだんと忙しくなっていたこともある。あるいはもう嫌気がさしたのかもしれない。
ディープインパクトはこれまでみたなかでは、間違いなく最速馬だろうが、まだ最強馬とまでは決められない。ライバルがおらず強さを計る尺度がみあたらないのだ。
いや、そんなことよりも、なにより無事であってほしいものだ。
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by chaotzu | 2005-11-03 23:39 | 身辺雑記
2005年 11月 02日

FAX使用禁止令

◆我が家の電話機はFAX兼用、いまさら珍しくもないが、最近はとんとFAXの使用機会が減った。自宅から発信することは年間で数回~5回もない。受信のほうが多いがそれとて月数回程度である。しかも、これがほとんど間違いFAX(嘆)。発信元への連絡を考えぬでもないが、時間も遅いし、だいいち相手もきまりが悪いだろう。仕方がない、即ゴミ箱行きとあいなる。なかみはろくにみていないが、ほとんどが営業関係の連絡みたいだ。なかには商売上の秘密もあるかもしれない、万一妙なところに着信すればたいへんなことになりかねない。それなのに電話番号の登録を横着している。まことに呑気な発信元であるといえば、そのとおりだ(苦笑)。

◆夜遅く某金融機関から「急用」の電話が入る。いったい何ごとかと思うが、たいした用件ではない。急いで提出してほしい書類があるという、なんだそんなことか。わざわざ夜中まで手間をかけさせて申しわけないと謝ったうえ、FAX送信してもらえれば足りる旨も伝えるが、どうも職場でFAX使用禁止令が出されているらしい。
なるほど、誤送信を惧れて、万事慎重になっているということか。昔と違って、今はどこもかもFAX兼用電話である。いちどたいへんな情報流出事故があったのかもしれない、FAXの使用機会も減るはずだなと勝手に納得する。
もうひとつ留守番電話のほうもほとんど活用されなくなった。留守中の着信を再生しても全て無言である。あるいは留守番メッセージでこちらの名前を出さなくなったこともあるかもしれない。こちらも、いつのまにかNTTの収入に寄与するだけの役立たず装置になってしまった。

◆かつて便利で重宝したものが、道具として劣化したわけでないのに、急に使われなくなっていく。情報化時代ゆえの陳腐化である。フロッピィ・ディスクなんて完全に前世紀の遺物であって、逆にフロッピィ・ディスクのシュレッダーがあるぐらいだ(苦笑)。リムーバブル・ディスクの類は、企業ではそのうち完全に駆逐されるだろう。
そして、いまや電子メールもなんだか面倒になってきた。“ちゃんと云うといたからなあ”という「責任の分散転嫁装置」かと思うときがある。いっぺん開封せずに片っ端から削除してやったら気分いいだろうな(笑)。しかし、この手は1回かぎりだ。
まあ、妙な時代にいま生きてます。
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by chaotzu | 2005-11-02 23:26 | 身辺雑記
2005年 10月 22日

便利さはどこまで享受できるか

◆ブルブル、途端に寒くなった。冬衣装の用意を急がねばならない。
本日は雨のち曇天の一日、プロ野球日本シリーズは中止かもしれんなと思っていたら、試合があって、おまけに濃霧コールド・ゲームときたからビックリ。だから云うわけじゃないが、この時期のナイターはどうも寒々しくみえて仕方がない。青空球場であるからなおさらである。休日ならばデー・ゲームでやってほしいもんだ。
試合のほうはロッテの快勝、いったんは阪神も追いついたんだけどねえ、ロッテはプレーオフの勢いがあったし、一戦目は試合勘の鈍っている阪神不利が否めない。
阪神ファンの方、「きょうはこの辺にしといたるわい(by池乃めだか)」ぐらいに思っていたほうがいいんじゃなかろうか(苦笑)。

◆宅配便の配達時不在連絡票がはいっていたので、再配達依頼の電話をかける。もう夜の7時半だから、明日以降でかまわないと伝える。生ものではないし別段急ぐ品物でもない。ところが、受付嬢は「いいえこれからお届けします」と云う。滞貨を減らしておきたいのかもしれないが、実に親切なことである。結局配達員の青年がきたのは9時前、真に申しわけないと恐縮しつつ受け取る。
宅配事業はゆうパックの参入など競争もはげしいため、サービスが格段によくなったという。それは有り難いはなしである一面、毎度二度手間をかけて申しわけない気持ちもある。そして、こんな遅い時間まで、配達員に仕事させる権利はあるのかと自問したりする。

◆むかしのことを思えばたしかに便利になった。宅配便やゆうパックの発送では何段階かの細かい時間指定ができるし、受け取る立場でも再配達時間帯の指定ができる。夜遅くなければ当日の再配達まで依頼できる。
だけど、その便利さの裏側でいったいどれだけのムダが費やされているかだ。クルマの燃料の浪費、公道の常時占有はさておいて、配達員が消費させられるムダな役務提供はどれぐらいのものか。人的資源のムダづかいになっていないか。
そしてそれはふつうならば、コストに反映されて顧客に転嫁されるはずだが、競争環境によっては、もっぱら配達員の勤務条件にしわ寄せがいっているかもしれない。甚だしい社会的浪費があったとしても、価格にはね返らないかぎり顧客は無関心である。

◆コイズミさんは、民営化や規制緩和によって、市民生活はどんどん便利になりますよという。今までなかった夜間のサービスも拡大するという、ありがたいご託宣であって、そのこと自体を大上段から否定するつもりはないが、いったいその便利さをどこまで有り難がっていいのやら、ときどき迷うことはある。消費者がサービスをとことん欲張っていけば、その果ては労働力のムダづかいなり化石燃料の浪費にむすびつきはしないかということだ。
例えばのはなし、24時間営業のコンビニでいつでも好きなときにお酒が買えますよ、なんてそもそも有り難がるようなはなしではない。また、こんどはコンビニが銀行の代理店になって、家の近くで手軽に預金口座の開設ができるようになるという、たしかに便利かもしれないが、その分顧客情報の漏洩リスクも覚悟しなければならない。そもそも便利さと安心感が両立するものかどうか。

◆少子化で人口減少が予想されるこれから、消費者の利便性をオプションにする考えがもっとあってもいいと思う。たとえば、新聞の朝刊、戸口までの宅配は要らない、夕刊と同様に集合郵便受けに投げ込んでもらえばいい。その代わりに月々何百円か値引いてくれという「商談」は可能だろうか(もっとも、朝刊そのものがネット配信で代替できるという発想もあるし、そもそも紙媒体は1日1回で十分かもしれない)。宅配便もそうで、有償で代理受領を委託できる中継所があったら便利だろうなと思う。配達の二度手間がなくなるのだから、宅配料金も値引き可能だろう。団地の管理会社なんかは、いい副業になると考えるがどうだろうか。
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by chaotzu | 2005-10-22 22:52 | 身辺雑記
2005年 10月 19日

ペット飼育認否は集合住宅にとって改憲問題の如し

◆ブルブル、ぐんと寒くなった、10月19日にしてやっと夏が終わったことを体感する。突然秋がはじまった、たぶん短めに終わるだろう。もう「小さな秋みつけた」どころではない、地球温暖化を強く意識すること。

◆鉄筋集合住宅の経年劣化は早い。イレモノもそうだが、なかに入っている住民もあっという間に老朽化して、じいさんばあさんあるいはおじさんおばさんだらけになる。ハード・ソフト両面同時進行というやつだ。
20年ぐらい前ならば、あちこちで子供の声が聞かれたものだが、それもずいぶんと減った。替わりに増えたのが犬やねこのペットである。子供が減った分の埋め合わせになっているみたいだ。実を云うと、ワタシもペットは好きであって、他人が抱いているのをみるとうらやましくてならない。
で、内心こんなことをよく呟いたりする。
(“そこのきれいなお嬢さん、ジロジロみつめてドーモすいません。いやあ、そのワンちゃん実に可愛いですなあ。いっぺん抱かせてもらえませんか”)
実際に面と向かって云えば、張り倒されるかもしれないので黙っているが、別に怪しいおっさんではない、それを伝えられないのがなんとももどかしい(笑)。

◆ところが、集合住宅の管理規約ではペット飼育はたいてい御法度である。最近ははじめからペットオーケーで分譲する物件もあるが、かつてはそうではなかった。だから、今なおペット否定派と容認派の「冷戦」が絶えず、管理組合の役員になれば、必ず悩まされる問題になる。なにせペットを飼っている役員もいるぐらいである。だから議論も曖昧模糊としたものになってしまう。そういう点では、集合住宅のペット飼育問題は、国家にとっての改憲問題みたいなもんなんである(苦笑)。
ワタシ自身の考えは、まあ小型のペットで一匹程度ならばいいんじゃないかと思っている。だいいち可愛いじゃないの、要するに程度問題。ところが、反対派にしてみれば、そんな考えは甘すぎてとんでもないですぞとなる。確たる歯止めがないと、なし崩しになってしまい、そのうち無法マンションになってしまいますぞと云う。たしかにそれが当たっている面もあるのだなあ。
一匹どころか、三匹も四匹も飼っている住民がいる。大型犬に引っ張られて悠然と?散歩しているひともいるといった具合、なかには近づくのもおっかないような犬もいる。しつけの悪いペットもいるようで、この間はエレベーターにおしっこ事件があって、その臭いことや閉口したものだ(苦笑)。このほかウンチの放置とかバルコニーでのトリミングなど、ペット・トラブルのネタはつきない。

◆ペット増加の背景はまず住民の高齢化(子離れ)があるが、もうひとつ区分所有住宅の賃貸化という側面もある。バブル崩壊以降の経済環境の変化で、住民の相当数が非所有者(賃借人)に交替している。こんなこといってはなんだが、「資産価値の維持」という意識がないので、集合住宅住民としてのコミュニティ意識の乏しいひとが一部にみかけられる。管理規約なんかは眼中にない、なかにはペット飼育の何が悪いんやと開き直るひとまでいる。そういう一部のひとが全体のモラル低下を牽引している。実際残念なことである。

◆もう遅きに失したかもしれないが、ここまできてしまえば、管理規約を緩和したうえで、ペット飼育に関する新ルールを策定するしかないか。条件付許可案である。現実に年配者の住民にとって生きがいになっている面もあるいっぽう、今のままで放置すれば無法化が加速するおそれもある。
実際の検討事項となれば、犬やネコだけでは済まない。マウスやうさぎ、そしてヘビやワニ、カメ、サソリまでも規定せねばならないかもしれない(苦笑)。
“ネコがよくてなんでウサギがいけないんざますか”とか“飼育できるカメの品種を明示してほしい”とか訊かれるかもしれない。いやはやたいへんなことだ。
来年あたり管理組合の役員の順番が回ってくるかもしれない。
覚悟しておかねばならない。
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by chaotzu | 2005-10-19 23:54 | 身辺雑記
2005年 10月 02日

ブログ一周年

◆1年間も続くとは我ながらオドロキである。最初はもうくたばっているだろうと思っていたのだ。もともとの発想は、記念CD-Rみたいなものを残しておきたいということであった。
ところが、それが完結してしまったら、いったいアトどーすんだという懸念が沸きあがってきたので、そっちは一時停止したのである。まあ縁起かつぎみたいなものである。
その代替ということで、映画の感想をおいおい書くようになった。実のところ、エラそうに書いている割りには、これまでの人生であまり映画を見ていないので、この分野に関しては無限の宝庫みたいなもんなのである(笑)。
とくに日本の映画をたくさんみるきっかけになった。ひょうたんから駒みたいなもので、それが自分の人生の追体験みたいなことにつながっていく。まことに有り難いことである。
ただ、最近の映画はあちこち末期がんの患者だらけである。ちょっと食傷せぬでもない。いちばんの不幸はJRの事故のごとく朝元気で出かけたはずがもう帰ってこないことだ、一瞬の喪失である。がんの場合は時間的猶予があってまだ恵まれている。その分ドラマにしやすいのだろうが、こうも多いと別の病気も考えてくださいよという気になってくる(苦笑)。

◆映画の感想といっても、たいしたもんではない、あたり前か(笑)。素人が好き勝手に書きなぐっているだけであって、技術的なことや細かいうんちくは苦手である。もっとも、カット割りがどう、カメラアングルがどうとか、そういうことはあまり書きたくない、専門的なうんちくは専門サイトに任せればいいことだ。あくまで100%主観の私的感想がモットーである。最近は、いかにあらすじを省略して感想を書くかということに腐心しているが、これがなかなか難しい。気がつけばあらすじだらけになってしまう(笑)。ただ、そういう自分なりの理想に近づきたい気持ちだけはある。あるいはもっと短文でもいいかもしれない。

◆いっぽうで、読書関連がずいぶん減ってしまった。全く本を読んでいないということではない。以前のような読書体力がないのだ。軽めの読みやすそうな本ばかりになっている。それらのたいていは感想をアップするほどのものではない。
それでも、最近は松本清張をもう一度読みたいなと考えている。宮部みゆきさんのセレクションを読んで啓発されたこともある。きのう観た「いつか読書する日」ではないが、ドストエフスキーも読んでみたい。そんな日々を1日でも長くもちたい、いまはそういう想いでいっぱいである。

◆ただ、体力的にかなり変動がある。それはブログのエントリーにも如実に反映する。元気がないときはどうしても短めの荒い文章になる。校正も不十分なかきなぐりである。読み返して恥ずかしいものも多々あるが、たいてい体調の悪いときだ。でもまあ、ありのままをさらけ出すということで、それもいいかと思っている。読んでくださっている方には申しわけないが、もう開き直り半分の心境である(苦笑)。無名人の記録ではあるが、2行記事になろうが、1行記事になろうが、エントリーは続けていきたいと思っている。それはなにより自分のためだから。
さて、明日から2年目だ。
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by chaotzu | 2005-10-02 23:40 | 身辺雑記