マイ・ラスト・ソング

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カテゴリ:身辺雑記( 54 )


2005年 03月 21日

【散策】神戸・灘御影の「酒蔵」めぐり

◆久々の青空全開、好天気の一日。家にいるのはもったいないので、酒蔵巡りのスタンプラリー企画にのる。花粉がすごいようで、あちこちマスクの人だらけである。
 JR六甲道駅から南へ、阪神電車の新在家駅を通り過ぎて国道43号線沿いに東へ行くとすぐに高嶋酒類食品の「甲南漬武庫の郷」、ここは漬物屋さん。メインの甲南漬とは奈良漬のことである。お目当ては旧社長宅の座敷でいただくお昼の定食(税込945円)、釜炊きのご飯に味噌漬け鰆焼、それに漬物とかつてありふれた典型的日本食ながら、これが実に旨い。価格もリーズナブルであり、前日までの予約が面倒であるがその値打ちは十分ある。
 食後、資料館をのぞくと大正時代の雛飾りを陳列している。水屋や台所のミニセットも展示しているが、子供のままごと用とは思えぬ造りであり、昔の金持ちってほんとにすごいな。b0036803_21435223.jpg
 さらに南東方向に下って、臨海部の木村酒造「酒匠館」に行く。ここはNHK朝の連続ドラマ「甘辛しゃん」のロケ現場になったところである。もっとも撮影は玄関だけで、ドラマに使われた酒蔵は滋賀県愛知川町の藤居酒造である。残念ながら、灘で昔の酒蔵はほとんど残っていない。オートメ工場化の進展と阪神大震災のせいである。ドラマのほうも樋口可南子のお母さんしか憶えていない(笑)。酒匠館そのものは、地味でたいしたことないが、ゆっくり寛げそうな雰囲気である。
 最後は北に戻って、「神戸酒心館」(旧福寿酒造)。酒蔵関係ではここがいちばん繁盛しているようだ。震災後再建された四つの蔵はそれぞれ、福寿蔵(醸造棟)、東明蔵(利き酒、物品販売)、水明蔵(レストラン)、豊明蔵(酒心館ホール)になっている。目玉は豊明蔵である。木造の小ホールで落語会やジャズ・コンサートなどやっている。客席とステージが近いので、演者のパフォーマンス、表情等を身近にみられる。しかも途中で利き酒タイムもあり、お酒を呑んで落語が聴けるという酒呑みにはたまらない有難さである。もっとも自分は残念ながらそうもいかない。昨日は美人チェンバリストの曽根麻矢子さんのコンサートがあったらしい、これまた残念。
 もうひとつ、東明蔵で販売している食材も全国各地の地場産品を取り寄せており、百貨店顔負けの品揃えである。けっしてお店の宣伝ではないが、これだけの商品を仕入れる手間でもたいへんだと思う。石垣島の一味なんかもおいている。湯浅のカレー醤油?と軽井沢のにんにくペーストをつい買ってしまう。
 帰りは阪神の石屋川駅、午後の4時間コース、ゆっくりゆっくりの散歩だが、次は花見に行くとするか。
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by chaotzu | 2005-03-21 23:59 | 身辺雑記
2005年 02月 02日

ふたたび“ヒロシです”

◆ここ数日の寒気がほんとうに堪える。貼るカイロ6枚/日を装着したうえ、帽子・マフラーも必需品。マスクもすればたちまち不審人物だ。
 “ヒロシです”BGMソングの歌名が気になってしかたない。昔ラジオで聴きこんだ唄であることはたしかである。インターネットで調べたところ簡単に分かった。1969年のイタリア映画「ガラスの部屋」の主題歌でペピーノ・ガリアルディの歌だそうな。映画の記憶はほとんどないが、そうそうそんな唄をたしかに聴いておりました。ラジオが若者文化の先端を担っていた時代があって、子供も背伸びして聴いていた。そういえばフォーク・クルセダーズもラジオが発信源だった。イタリアの歌謡曲(カンツォーネ)も、ジリオラ・チンクェッテイやミルバ、ジャンニ・モランデイなど今よりもっと聴いていたのではないか。
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◆ついでに“ヒロシねた”を自分なりに考えてみる。寒い日はもうめっきり自虐気分である。
 “○○○です、生命保険の勧誘がばったり来なくなりました”
 “○○○です、朝いちばんに朝刊の死亡欄をみてます”
 “○○○です、近頃は冠婚葬祭互助会に興味があります”
 “○○○です、この頃、女房が保険の証書を見てばっかりです”
これをうつむき加減でぼそぼそ喋るわけで、BGMソングは同じイタリア映画「刑事」の主題歌であるアリダ・ケッリの「死ぬほど愛して」なんかどうだろう。しかし聴いているほうは引くだろうな、当然か。自虐どころか自爆ねたなんぞ誰も聞きたくないわ。ホスピスあたりの催しでやればけっこう受けるかもしれない。案外そんなもんだろう。
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by chaotzu | 2005-02-02 21:38 | 身辺雑記
2005年 01月 23日

初体験のケータイ機種変更

◆携帯電話の具合が悪くなり買替えることにした。世間に迎合しているわけで本心は持ちたくないが、緊急連絡用の建前上やむを得ない。病人の弱味もある。それでこの寒いなかをAUショップまで出かけてびっくりする。みんなカメラ付きである。
 “あの~、単純な電話だけのものでいいんですが”“そういうのは置いてないんです”
 ボーダフォンのTV・CMのおじいさんの気持ちはよく分かる。メールも要らん、カメラも要らん、着うたも要らん、GPSも要らん、おまけに取扱説明書も要りませんよである。最近はボイス・レコーダー付きもあるようで、ここまでくるとなにやら不気味に思わぬでもない。なにより自分の場合はパソコン・メールやデジカメに比べるとかったるいのである。条件は簡単で、とにかく字が大きいやつ。AUもぜひ考えて欲しいものです。
◆おまけにけっこうな購入代金が要るらしい。なにせ新規取得時は0円だったもんで、買替えでもそんなにかからないだろうと思っていたが、つくづく甘い考えだった。保有期間別に買替料金を設定しているなんてはじめて知る。ふーん、1年で買替えるひともいるんだな。b0036803_239716.jpg
 さんざん迷ったすえ、店員の口車にのせられて、北欧デザインがふれ込みの新機種を買ってしまった。折りたたみではなく薄型なので胸ポケットにすっぽり収まる。なにより軽い。なんだか昔の携帯に先祖帰りしたようなイメージである。店員に時計表示画面に設定してもらい、電話の「スイッチ」だけ聞いておく。説明書なんぞ絶対見んからな。しかし1万2千円余の臨時出費だ。おまけに手数料が別に2千円ほど、これは電話料金と併せてとられるらしい。トホホである。
◆首からぶら下げられるように長いストラップがついている。将来のお年寄りはみんなGPS付きのケータイを首にぶら下げているようになるかもしれません。猫の鈴みたいなものかな。
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by chaotzu | 2005-01-23 23:10 | 身辺雑記
2005年 01月 16日

阪神大震災回想5~「被災者」もいろいろ

 一般に被災者=気の毒な人というくくり方がある。ほとんどはそのとおりだろうが、なかには震災を食いものにする悪い連中もいる。残念ながら事実だ。阪神大震災を契機に、多くの市民グループ、NGOが結成された。そのなかには、震災関連の融資の「仲介」で手数料をとったり融資金を詐取するような輩も出てきた。「阪神生活再建の会」のメンバーを警察が摘発したのは、震災後5年以上経ってからであり、それまで甘い汁を存分に吸っていたことになる。このような連中までも震災当時のマスコミはヒーローのごとくもちあげていた。暴力団崩れが一夜にして市民運動のリーダーとしてもてはやされ、それが示威行為の源泉になったのである。混乱していたとはいえ、後で振りかえると報道もいい加減なものであった。
 震災における兵庫県の緊急災害復旧融資の実績は約33千件、4200億円に上っているが、このうち約3900件、340億円は「倒産等」のため、既に信用保証協会が代位弁済している。いくら震災があったとはいえ、異常に高いこげつき率である。火事場泥棒のように融資金をくすねた「被災者」もいるのだろう。このほか、小さなことであろうが、仮設住宅の不正使用もみられた。物置としての占有である。借りとけるなら借らねば損という心理かもしれない。それから救援物資の私物化などの噂もあった。とかくマスコミは当座のムードで報道しがちであるが、被災者もいろいろなのであって、すべてがきれい事で型にはまるものではない。まさにそれらをも含めて「震災」なのである。
 ボランティアもさまざまであった。一部には物見遊山の批判もあったが、見に来てくれるだけでもいいと思う。食料持参ゴミ持ち帰りの被災地見学ツアーであっても大いにけっこうじゃないか。そして、帰って被災地の実情を伝えてくれればよいのである。
個人的には通勤途上で暖かい焼き芋を分けてくれたひと、仮設住宅の引越し応援隊、なんでも御用聞き隊、いろいろ忘れがたい思い出もある。b0036803_11135036.jpg
 さて、明日で震災後ちょうど10年になるが、「震災はまだ終わっていない」と云っておきたい。お金をもっともっと出してくれというふうにとられるかもしれないが、けっしてそういう意味ではない。復興住宅に転居した高齢者の方たちの孤独問題である。いわば震災によって、人生の後半をくるわされた人々である。何ごともなければ、夫婦でつつましく下町に住みつづけていたかもしれない、それが配偶者が亡くなったうえ避難所や仮設に移動、さらに復興住宅に転居と、それまでの生活基盤を根こそぎなくした状態での生活を余儀なくされている。地方の災害であるならば、先祖代々の土地に住みつづけたい、帰りたいといった声が報じられる。たしかに当然の要求なのであろうが、阪神大震災における被災者はそのような声すら上げられない人があまりに多いのである。なんの基盤もなく誰一人縁者知人のいない場所への転居であっても有り難いと思わざるをえない状況におかれている。あまりに気の毒で不公平だといったら、云いすぎだろうか。
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by chaotzu | 2005-01-16 11:20 | 身辺雑記
2005年 01月 15日

法務省認可法人 (財)日本債権管理回収事務局?

◆「最終通告」と題したけったいなハガキがきた。インクジェットの官製葉書にパソコン印刷である。内容は「電子消費料金」未納分の督促で、法務省認可通達書とか民法特例法とかの意味不明用語のほか指定裁判所へ出廷、強制執行、債権譲渡証明書などの法律用語をあちこちにちりばめており、なかなかの力作である。そして最後に「書面での通達となりますのでプライバシー保護の為、請求金額・お支払方法等は当局職員にご確認ください。」とあって、東京の電話番号を代表番号以下管理課、入金課、相談課と5つ記している。どうもここがミソらしい。さらに業務時間 平日8:00~17:00 休業日土・日・祝日とあり、なかなか芸も細かい。
 しかし、内容証明なし、ただのハガキ1枚の「最終通告書」なんかあるのかな。どうみても出来損ないの詐欺だよ(爆笑)。
◆法務省のホームページ(サービサー関係)をのぞいてみると、案の定、同様の架空請求事例がたくさん紹介されている。「債権回収会社と類似の名前をかたった業者による架空の債権の請求にご注意ください」として、債権回収会社を詐称している等との情報の提供があった業者名を公表しているが、驚くなかれその数なんと約140社!すべて昨年6月以降である。どうも法務省許可のサービサー(債権回収会社)の商号を参考にして、あれこれ類似商号で騙っているようだ。そのほとんどは東京に集中している。実際は少数のグループなのであろう。
 それにしても、へたな鉄砲でも数撃てば当たるではないが、受け取った人のなかには法律用語に動転してしまい、つい電話連絡する人も必ずいるだろう。で、その電話は別のところの電話に転送されて、そこから「振り込め詐欺」の仕掛けとなるのだろうか。
 それにしても、この前の香港からのナンバーくじ勧誘といい、誰かに個人情報の横流しをされたようで、その点はどうも不愉快だ。インターネット懸賞なんかに気楽に応募しすぎたせいかもしれない。名前だけいろいろ使い分けてみて、漏えいサイトを逆探してみるか(怒)。
 しかし、これだけたくさんの情報が寄せられているというのに、警視庁は何かしているのだろうか。その気になれば摘発できると思うのだが。
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by chaotzu | 2005-01-15 20:59 | 身辺雑記
2005年 01月 15日

阪神大震災回想4~住宅再建

◆生活のほうはだんだんと回復してきたものの、さて壊れたままの住宅をどうするか。あちこちに大きな亀裂が走ったままで、とくに各階のエレベータ・ホールがひどかった。
 復興作業に着手する前、罹災証明のことでひと悶着があった。「一部損壊」だ、いや「半壊」だの主張が対立して喧々諤々になったのである。「半壊派」には後々の見舞金や各種減免措置で不利は被りたくないという考えがあり、「一部損壊派」はマンションの資産価値を落としたくないという考えである。大半が居住しており、一部損壊が客観的にも妥当なところであったろうが、多忙な市当局は消耗論議に参加する気はなく匙を投げてしまい、自治会でもとうとうまとめきれなかった。その結果、同じ建物同じような被災で2種類の罹災証明書が発行される事態になった。このような事例は他の団地でもたくさんあったようだ。こと阪神大震災における罹災証明はいい加減なものである。これまで例のなかった大災害であり、つじつまのあわない決着はいくらでもあるということだろうか。そういえば持ち家復旧費用への公的支援は否定された、まあそのことで今さら文句不平があるわけではない。私有財産云々の理屈が持ち出されたが、実際の判断としては対象住戸があまりに多すぎて現実的に無理だということなんだろう。
 さて、住宅復旧である。戸建住宅ならば所有者の一存で決められるが、区分所有の集合住宅はそうもいかない。何度も理事会があり、区分所有者への説明会があった。被災状況の詳細把握、具体的な修繕の範囲、工事業者の選定、監理委託の要否、修繕積立金の改定、臨時徴収金額。棟毎の被災状況も区々であるから、各棟毎の意見もいろいろである。管理委託会社も頼りにならず、議論が錯綜してなかなかまとまらない。何より基礎杭の被災状況が気にかかるところであったが、検査にかかる費用、仮に結果を知りえたとしてそれでどうするのか、もうどうにもならないよということで、目をつぶる結果になった。おそらくいずこの団地も同じことだったろう。もう一度同規模の地震があれば、傾くかもしれないということである。そこはもう祈るしかないということだ(その辺の事情は市街地のビル復旧でも同じことだろう。表面は小ぎれいに修復しているが、果たして震災前の耐震性まで復旧したかどうかである)。修繕積立金も明らかに不足していた。販売業者が売らんがために低めの金額で設定しているからである。販売時の積立金設定については基準なりルールが必要だろうが、行政は今でもそれを放置したままである。このほか施工会社の瑕疵責任を問うべきとの意見や区分所有者が出来ることは自前でやろうという声まであった。もはや新築とはいえないし、素人が修繕できる範疇ではないのにである。さらに共用部分のみならず、自分の専用部分の修繕もしなければならなかった。
 今になって振り返れば、議論が沸騰し長引いたのは、震災が区分所有者の事業あるいは仕事や商売を直撃していたということの反映だったのだろう。人によって程度の差はあろうが、家の復興どころか事業の再建でたいへんな人もいたのである。誰でも生活の糧が優先である。復興論議もいいが、その資金のあてがなければどうにもならない。
 いろいろ疲れまくるほどの議論を経て、工事契約を発注、共用部分の修繕に着手したが、すでに震災から1年以上経っていた。専用部分の修繕はそれが終わってからになる。なんとか最終的にまとまったのは、まだ働き盛りの区分所有者が多かったからではなかったろうか。年代進行で老人世帯が多くなっておれば、どうなっていただろう。
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by chaotzu | 2005-01-15 14:08 | 身辺雑記
2005年 01月 14日

阪神大震災回想3~生活の復旧、人の強さ

◆このメモを書いてみると、つくづく記憶なんていい加減なもんだと思う。自衛隊が来て給水や入浴サービスが始まったのはいつ頃だったか、交通機関の復旧はさて何ヵ月後だったか、もう忘れてしまっている。それでも水の苦労についてはけっこう憶えている。電気は早々に通電していたし、ガスはカセットコンロがあったが、水がないと生活しようがない。震災後、全国各地から給水車が来てくれた。それは有難いことであったが、2時間余りの行列をしてやっとペットボトルの半分1リットル程度の給水だったりする。ボトルいっぱいの水をもらおうと思ったら、また2時間ほど並ばねばならない。とにかく慎重な担当者に当たれば災難だとこの点はみんなに不評であった。文句不平をいうなと叱られるかもしれないが、被災者も時間がたくさんあるわけではない。結局、通勤先でもらったり、近所の酒屋が頑張って仕入れてきたミネラルウォーターを買ったりした(そうそう大阪が全くの別天地であったことも驚いたことのひとつである。別に嫉むということではないが、あまりの極端な違いに戸惑ったことは事実)。さらに下水用の水も要る。噴水池の水、受水槽や高置水槽の放出水など、いろんなところから取水した。10リットルのポリタンクは絶対必要な常備品で、それも上水用と下水用の二つ必要である。幸いにというか季節柄入浴の欲求はあまり感じなかったし、洗濯も同様である。食器の洗い物もしない、紙皿にラップを敷いて使ったりしていた。シンプル・ライフというか、それが意外と気楽なのである。夜は家族が川の字になって寝るだけである。
 その水問題に関しては、自衛隊がやってきて小学校の庭に簡易水槽や浴場を設置してくれた段階で一息つけた。あの頃は仕事から帰宅してすぐさま校庭に向かったものである。そして、余震の恐怖がだんだん緩和され、水事情や物資の流通事情が改善するにつれ、生活レベルは着実に回復していった。交通機関も日々復旧が進む。通勤等今から思えばたいへんで、もう一度しろと云われてもしり込みするだろうが、当時はみんな同じ条件であり、なにより、これ以上悪くはならないだろうという思いがあった。自宅に住めた人ならば、だいたい震災後半年ぐらいで、8割がた元の生活レベルに戻れたように思う。もちろん、仮設住宅の人はまだまだであったが。
 いまふりかえって、当時の雰囲気はさばさばというか実にあっけらかんとしたものであったように思える。もちろん身内に犠牲者があったひとは別のとらえ方があろう、それは当然であって、そこは違うと云われたら甘受するしかない。
 一般に災害=悲惨、暗いといったイメージでくくられるが、ここまで強烈な大災害になるとどこか突き抜けてしまうものかもしれない。あるいは無意識のうちに哀しみを閉じ込め辛さは我慢して心のバランスを図っていたかもしれない。マイナスとマイナスを掛け合わせるとプラスになる現象にどこか似ている。それに加えて関西人特有の韜晦もある。悲惨さを強調するのはむしろかっこ悪い。「いやあ二階に寝とったんやけど起きたら一階やったわ」「目が覚めたら空が見えましてな」といった具合である。とにかく震災直後の数ヶ月間は原始共同体的というか人類皆兄弟のようなふんいきではなかったか。ふだんはない声かけが復活し、そして譲りあいの精神、みんな同じ被災者であるから他人に優しくなれたのだろう。
 しかし、半年たっても建物は亀裂をさらしたままで、その復旧は手つかずのままだ。苦労はまだ先にあった。
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by chaotzu | 2005-01-14 21:32 | 身辺雑記
2005年 01月 13日

阪神大震災回想2~街の惨状

◆震災3日後に市街地に出かけた。鉄道の線路伝いに西に向かう。リュック・サックに運動靴、みんな戦後の買出しスタイルみたいである。たしかに一種の「戦後」である。そして現実とは思えないシュールな惨状に呆然とする。後日テレビや報道写真でさんざんおなじみになった光景を目の当りにするのである。b0036803_21254881.jpgカーテン・ウォールがボロボロになった繁華街のビル、途中階が潰れたビル、派手にひっくり返ったビルもある。かつてダイエーの旗艦店であった三宮店は大きく壊れ、商品がのぞいている。とにかく新旧関係なく被災しているが、開口部の多い瀟洒なデザインの建物ほど手ひどく傷んでいるようだ。神戸税関など昔風の建物のほうがなんとか自立している。ビルの近くはガラス片の落下が怖くてとても歩けない。そしてあちこちがガソリンくさい。住宅地で倒壊を免れた民家は傾いて平行四辺形になっている。線路を伝ってどんどん西に行く、長田の町は火事でやられてまるで大空襲のあとみたいになっていた。二昼夜にわたって火事がなぶり尽くしたのである。そして鷹取、板宿もひどい。このあたりは住宅密集地で戦災復興の土地区画整理事業を延々とやってきたところである。零細なケミカル・シューズの事業所も多く、接着剤すなわち可燃物である。昨日ならもっと酸鼻きわまる光景だったかもしれない。人探しの張り紙がぼちぼち貼り出されている。校庭や公園には応急のテントが張り出されている。すすり泣いている人をみかけるが声のかけようもない。自分ももう仕事に復帰しなくてはならない。
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by chaotzu | 2005-01-13 21:29 | 身辺雑記
2005年 01月 12日

阪神大震災回想~その時

◆10年前の平成7年1月17日の朝5時46分、阪神大震災がおきた。昨年は中越地震やインド洋の巨大津波があり、なにを今更の感があるかもしれない。阪神間の街も見た目では復興している。個人的にも大した被災をしたわけではなく、家族も親類もみんな無事であった。はっきり云って恵まれたほうである。それでも自分にとっては、これまでの人生で最大のストレスであった。
◆起床して点灯した直後にそれがやってきた。電気が消えていきなり暗闇ジェットコースター状態。部屋の壁が目の前にのしかかってきそうでとても立っていられず、ベッド脇のイスにしがみつく。ああこれでもう終わりかと一瞬観念する。揺れがやっとおさまるも暗くて様子が分からない。物が散らかった寝室、廊下を抜けるのに大苦労したあげく妻子に向けて声をはりあげる。返事が帰ってきてやれやれ。明るくなるにつれ、各室の散乱状況がみえてくる。家具はみな倒れているか場所が変わっている。部屋中に物が散乱して手のつけようがない。足を切って血を流しており、履物を探してから通路を確保する。次いで住戸の外に出てみると共用の廊下は浸水状態である。エレベータが使えず非常階段をえんえんと下ってやっと外に出る。西のほうを見やれば、赤い空をバックに巨大な黒煙がたなびいている。誰かが神戸の西半分は壊滅状態というが、地震の全容がまだ分からない。全体の被災状況に係るニュースが入りだしたのはやっと10時頃である。b0036803_221822.jpg
 自宅に戻って、倒壊した家具等に埋没してしまった電話機をなんとか「発掘」する。しかし全然つながらない。最初の着信はなんとアメリカからで、発信元はアメリカ在住の妻の甥、CNNのニュースで神戸がたいへんなことになっているとのこと。震災に関する客観情報をはじめて入手したのは国際電話であった。その後も東京からの電話があったが中・近距離の電話はさっぱり通じない。勤務先にもまったく連絡がとれない。
 自治会の役員をしていたので、この日は団地全体の安否確認、施設点検等で動きまわる、余震の恐怖感から何かしていたほうがむしろ落ち着く。夜は家族そろって川の字になって寝る。ラジオが安否情報をはじめている。後で知ったが、小学校の体育館は避難者でいっぱいだったらしい。災害当日の役所はまずあてにできない。初期の対応は住民が判断して動くしかないということだ。
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by chaotzu | 2005-01-12 22:29 | 身辺雑記
2005年 01月 04日

“TSUNAMI”についてあれこれ想う

◆本日より仕事始めなり、うっとうしい気分もあるが、体調のためには生活のリズムも早めに戻さなければいけない。いつまでも遊んでられないし。
◆実際のところ、正月気分はあまりない。ここ数日来、インド洋の“TSUNAMI”についてあれこれとりとめもない思いが交錯する。過去に三陸沖の大津波があったといっても旧いことで教科書一行程度の知識であった。昨年末、クリスマス翌日の災害初報時は、年末年始それも早めの年末から遊びにいける人なんてけっこうな身分だよな、だからバチがあたるんじゃないのといった不謹慎な発想がアタマをかすめたことを吐露しなければならない。自分よりも不運な人をみつけて安心するといった下卑た考えでもある。それが直近の報道では「犠牲者は少なくとも15万人以上」となり、まさに顔色をなからしめる事態になっている。
 医者から「もう有効な治療手段はありません、ホスピスの手配も考えておいてください」と云われた自分がまだ生き粘って、何ごともなく平和に暮らしていた万単位の人々が突然に生命を奪われている。これってなんて不条理なんだろうなと思わざるをえない。もしかすると有史以来最大規模の自然災害による惨禍に直面しているかもしれない。しかも初めて見るという映像付だ。「ノアの洪水」の再来ではないかしらと粛然たる思いになる。
 おりしも阪神大震災からまもなく10年になる。あの震災について自分なりの回想をこのブログに残しておこうかと思う。それでどうなるものでもないが、自分の気持ちを落ち着かせる意味ぐらいはあるかもしれない。
 さて現実世界の対応であるが、日本の救援活動が素早かったことや5億ドルの無償支援声明、素直によかったと思う。しかし政治のリーダーシップによるものではない、みんな役人のお膳立てである。阪神大震災以降の経験が生きているのだろうが、首相が映画見物したり高輪のホテルで休んでいても、行政はそれなりに機能している。なんだかんだ云っても日本の役人は基本的には有能である。社会保険庁をつぶしてしまえとかやれ大阪市役所はどうしょうもないとか批判はあるが、それは一部のことであろうし、不眠不休で仕事しているひともいる。やはりいいことは認めねばならない。国際的にみても清廉なほうであるといったら誉めすぎかな。中国の官吏なんてひどいものだし。日本の問題は天下りにみられるような政官の癒着と行政組織そのものの制度疲労だろう。例えば予算使いきりの無駄とかであるが、それはまたいずれ。
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by chaotzu | 2005-01-04 23:59 | 身辺雑記