マイ・ラスト・ソング

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2005年 01月 23日

初体験のケータイ機種変更

◆携帯電話の具合が悪くなり買替えることにした。世間に迎合しているわけで本心は持ちたくないが、緊急連絡用の建前上やむを得ない。病人の弱味もある。それでこの寒いなかをAUショップまで出かけてびっくりする。みんなカメラ付きである。
 “あの~、単純な電話だけのものでいいんですが”“そういうのは置いてないんです”
 ボーダフォンのTV・CMのおじいさんの気持ちはよく分かる。メールも要らん、カメラも要らん、着うたも要らん、GPSも要らん、おまけに取扱説明書も要りませんよである。最近はボイス・レコーダー付きもあるようで、ここまでくるとなにやら不気味に思わぬでもない。なにより自分の場合はパソコン・メールやデジカメに比べるとかったるいのである。条件は簡単で、とにかく字が大きいやつ。AUもぜひ考えて欲しいものです。
◆おまけにけっこうな購入代金が要るらしい。なにせ新規取得時は0円だったもんで、買替えでもそんなにかからないだろうと思っていたが、つくづく甘い考えだった。保有期間別に買替料金を設定しているなんてはじめて知る。ふーん、1年で買替えるひともいるんだな。b0036803_239716.jpg
 さんざん迷ったすえ、店員の口車にのせられて、北欧デザインがふれ込みの新機種を買ってしまった。折りたたみではなく薄型なので胸ポケットにすっぽり収まる。なにより軽い。なんだか昔の携帯に先祖帰りしたようなイメージである。店員に時計表示画面に設定してもらい、電話の「スイッチ」だけ聞いておく。説明書なんぞ絶対見んからな。しかし1万2千円余の臨時出費だ。おまけに手数料が別に2千円ほど、これは電話料金と併せてとられるらしい。トホホである。
◆首からぶら下げられるように長いストラップがついている。将来のお年寄りはみんなGPS付きのケータイを首にぶら下げているようになるかもしれません。猫の鈴みたいなものかな。
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by chaotzu | 2005-01-23 23:10 | 身辺雑記
2005年 01月 22日

【映画】 「パッチギ」 イムジン河は水清く

◆2004年 日本映画(井筒和幸監督)
 封切の初日に映画を観るのは何年ぶりだろう。本作は1968年の京都が舞台、そして、フォーク・クルセダーズ(フォークル)の音楽が主題歌ということで、どうしても観たかったのである。期待にたがわず、当時のふんいきを少しでもかじり、今やおじさん道まっしぐらの者としては感涙ものであった。同時代グラフィテイなのである。
まず冒頭、失神騒動で名をはせたオックスの「スワンの涙」でいきなりその時代に引きこまれる。きのこ頭の赤松愛が懐かしい。今どうしているんだろう。
b0036803_21551463.jpg◆フォークルは解散記念で製作した「帰ってきたヨッパライ」の思わぬ大ヒットで時の人になったが、はじめはアングラ系あるいはおちゃらけのイメージがあった。だから、注目の2作目として「イムジン河」が紹介されたときは正直とまどった。その「イムジン河」がよく分からぬ理由(後で知ったことだが朝鮮総連の猛抗議でレコード会社が面倒になったらしい)で急に発売中止になった後、発表されたのが「悲しくてやりきれない」。なんだか語呂合わせみたいだなと思った記憶がある。で、そのふたつの歌が本作のモチーフであり、エンディングに加藤和彦&北山修の「あの素晴らしい愛をもう一度」(1971年)も出てくるとなれば、あっという間に30年前の気分にタイムスリップできるわけで、だから映画は面白いというかやめられない。
◆とにかくあの時代というか当時の空気をよく活写している。「女体の神秘」という洋画、あったあった。毛沢東に心酔する教師、そんなのもいたよな。「フリーセックス」の国北欧への憧憬、そうそうそれをいちばん煽ったのは、いまや抹香くさくなった五木寛之だよ。ってな具合でおじさんのノスタルジーをかきたてることかぎりなし。しかし、この映画はそれだけではないと思う。
◆おそらく京都の朝鮮人集落を初めて描いた映画だろう。入り口を壊さないと棺桶が入らないような川べりのボロ家、貧相なホルモン焼き屋にバタ屋、ありのままである。まさに千年の古都だからなんでもありだが、これだけ正面から採りあげたことはこれまでなかったのではないか。きれい事だけのノスタルジー映画にはしていない。
 それだけに、気になることがある。この映画をみて、朝鮮人が好き放題して日本人はやられっぱなしで不愉快だとか、一種の「反日映画」みたいだなどの反発になりはしないかということである。なにより、拉致問題で日本人の嫌北朝鮮感情がいちばん高まっているときである。
◆しかし、それだからこそ、この映画を製作したというその心意気をかいたい。朝鮮高校生の乱暴騒ぎや公衆電話の現金窃盗などの悪事もありのままに表現している。円山公園で日本人主人公が朝鮮人の宴会に加わるシーンがあるが、それは「イムジン河」がきっかけである。現在の状況はどこか近親憎悪に似たところがあるが、その状況は北朝鮮の一部権力層が恣意的な思惑でつくりだしたところもあって、民衆の大半にその責があるわけではない。
 いつか将来、互いの文化がもっとひんぱんに交流して、いまの不幸な状態を脱するきっかけにならないか。日本人の俳優が朝鮮語を喋り朝鮮人を熱演したこの映画がそのひとつになることを願いたい。
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by chaotzu | 2005-01-22 21:58 | 日本映画
2005年 01月 21日

【懐かし漫画】「ガラスの仮面」42巻

◆以前の日記で書いた“SPショップ”、いよいよ浄水器の売り込みに本腰を入れだしたようだ。「もう水道の水は飲めません、35名さま限定でマグネット○×の浄水器が29万円」だって。説明を拝聴している年寄り連中は投網にかけられたようなものだろう。今まで味噌や醤油に蜂蜜、天然酵母パンをせっせと撒いている。それにしても自治会は動かない。「営業妨害」はマズイにしても、打つ手はあるだろうに。
◆さんざん迷ったすえに、とうとう買ってしまった。恥ずかしながら美内すずえの「ガラスの仮面」第42巻である。およそ6年ぶりの新作だそうです。もうこうなったら、納税感覚に近いものがある。なにせ1976年の連載開始からもう30年近い。「こちら葛飾区亀有公園前派出所」通称“こち亀”と同年デビューであり、こちらは“ガラかめ”というらしい。それにしてもその時生まれた子供はもう30歳近い。主人公の北島マヤは最初、ラーメン屋の出前で岡持ちをさげていた。初登場は今どき見られない化石ファッションだったわけで、作者も出来るものなら書き直したいだろうな。
b0036803_20551238.jpg◆はなしとしては、劇中劇である「狼少女」や「二人王女」のときがいちばん面白かった。居酒屋なんかで「あの漫画なかなか面白いぞ」なんておじさん連中に口コミで伝わって、それで娘に「花とゆめ」を買いにいかせる父親がけっこうたくさんいたりしたのである。間違いなく歴代の少女マンガのなかではいちばん幅広く読まれた作品だろう。しかし、途中から幻の名作とされる「紅天女」への期待感があまりに肥大してしまった感がある。この辺り、次から次に際限なく“史上最強キャラ”が出てくるので、作者も読者も疲れてしまったという鳥山明の「ドラゴン・ボール」とどこか似ていないこともない。適当なところ、例えば「紅天女」の舞台稽古に入るところなんかで終わっておればよかったかもしれない。その時は月影先生がマヤと亜弓に後事を託したすえ、とうとうお亡くなりになるである。しかし、漫画現実における月影先生は史上最強の病人であって、なかなか死んでくれないのだ。正直いって、月影先生の超人的病人力が心底うらやましくもある。
◆それで読んでみた感想→面白くないのひと言(汗)。とにかく話を進めてくれ。
 せっかく「紅天女」の舞台稽古に入ったというのに、まだあの人、そう“紫のバラの人”への想いが募ってマヤは悶々しているのだ。ライバル姫川亜弓のほうがよほどシャンとしているよ。そうそう、この亜弓の存在感が実に大きかったと思う。いやらしさも卑怯なところもない好感度抜群のライバル・キャラというのもこのマンガの発明品である。そして、桜小路クンは袋小路クンみたいで気の毒そのものだし、二股かけている紫バラ氏もまだ未練がましいようだ。しかし、どうも連載中のイメージと違うところがあるみたいだが、その連載も忘れてしまっているという、このまったり感。ストーリーがどうたらこうたらの細かいことをつつくなという点ではもう立派なシルバー・コミックだ。
 とにかく自分が生きているうちはもう終わらないなと確信しました。
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by chaotzu | 2005-01-21 21:02 | 読書
2005年 01月 20日

堤家のセクハラDNA

◆本日は大寒とかで暦どおりのチョー寒い日だった、ブルブル。さて木曜日の朝刊、週刊新潮と週刊文春の広告には必ず目を通す。新聞だけでは世の中の動きが読めない。ところが、新潮の広告が見当たらない、どうもおかしいなと思っていたら、案の定というか、朝日新聞は週刊新潮の記事「魔女狩り大虚報」が気に入らなかったらしい。これじゃ読売新聞と似たりよったりだ。NHKとのバトル、後ろめたいことがないのならば、小賢しいことはせずに堂々と対応すればよいのに。
◆そして週刊文春のほう、目玉記事は西武グループの堤義明前会長によるスケートの渡部絵美選手に対するセクハラ!いまやおばちゃん化がはげしく進行しているが、現役時代は可愛かったものです。それにしても事件当時17歳だって、ロリコンかいな。b0036803_19441429.jpg
 人様のDNA云々を採りあげるのは本意ではないが、事実とすれば血は争えぬものと思う。父親である西武コンツェルンの創業者で衆議院議長まで務めた堤康次郎も名うての艶福家として知られ、何人もの妾がいたことは有名である。セゾングループを発展させた現作家の堤清二氏とは異母兄弟だ。これまではマスコミに対しては広告の出稿や政財界に五輪人脈等で大きな影響力があったのだろうが、もう抑えがきかなくなったのだろう。水に落ちた犬はとことん叩かれるというが、それを地でいっている。マスコミも現金なものであるが、それでも前々から囁かれている有名女優(名を出すのもはばかる)とのうわさまではどうでしょう。まあ聞きたくもないが。
◆それにしても、堤氏あまりにも世間を知らなさすぎたのではないか。文春の記事によると、社員は床にひざまずいたり平伏したりで伺候していたという。おいおい中世の殿様かね。このほか、社員を動員した堤家墓所の清掃にみる公私混同、そうそう野球殿堂入りした森監督(当時)にたいする礼を失した言動もあった。“裸の王様”状態であったのに、周りがこれまで目をつぶっていた。それがいま噴出している。
 かつて強盗(五島)慶太にビストル堤とワンマン経営者のカリスマぶりが喧伝された東急と西武はいま対照的である。普通の企業グループ化を選んだ東急とオーナーのカリスマ経営を温存した西武、どこか後継者教育の違いがあったのかもしれない。
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by chaotzu | 2005-01-20 19:51 | 時事
2005年 01月 20日

言い得て妙の「ITゼネコン」

◆1月18日放送のNHK「クローズアップ現代」は“ITゼネコン”がテーマでなかなか興味深い内容でありました。
 地方自治体の情報システムは富士通、NEC、日立などの大手ベンダー(及びその系列子会社群)の寡占状態で、初期調達段階で入り込んだら、後はメンテナンスやプログラム修正でぼろ儲けしているとのこと。卑小な喩えであるが何やらプリンタのインク代を連想せぬでもない。番組の紹介事例では住民800人程度の住居表示変更のブログラム修正費用が500万円余、そりゃぼったくりすぎですわ。それにしても「ITゼネコン」って言い方、今まで知らなかったけど、うまい言い回しに思わず感服。たしかに公共事業にたかってるということでは同類だし。
b0036803_19203657.jpg◆番組では、汎用機のプログラム・ソースがブラックボックスになっている問題や役所の人間がシステムに疎いため、ベンダーのほぼ言いなり状態になっているとのコメントがあった。それもあるだろうけど、硬直した予算制度が抱える問題も大ありだろう。ついた予算は完全消化、常に前年度比増額の予算計上が役人のレゾン・デートルだから、そもそも予算を減らそうというモチベーションに乏しい。企業のような切実なコスト意識になかなか目覚めない。その典型的見本として社会保険庁の例がある。
◆それにしても地方自治体の情報システムだが、基本設計では自治体による差なんてあまりないだろう。IT化はどんどん進むだろうに、ちゃちなプログラム修正で何百万円も取られているようでは、将来の巨額負担が心配になる。規模の似通った府県や市町村が協同して開発するとか、ソフトのパッケージ化などを今のうちから進めておくべきと思うが、これは素人考えだろうか。銀行なんかもシステム開発では複数行が協同して取り組んでいると聞くがどうだろう。
 また。ベンダー側企業も目先の大儲けじゃなくて、長期的な利益の確保という観点を重視してほしいものだ。荒稼ぎは長つづきしませんよ。
◆いま朝日新聞と全面バトル状態でどうしようもないNHKだが、たまにこういう報道番組があるのが救いである。もともと優秀なディレクターがいるんだし、調査報道の実力そのものは民放とは比べものにならないと思う。それなのに、最近の“プロジェクトX”なんて民放と見まがうばかりの企業ヨイショのパブ番組になっている。もったいないことだ。
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by chaotzu | 2005-01-20 19:41 | 時事
2005年 01月 19日

【読書】ドン・ウィンズロウ「高く孤独な道を行け」

◆東江一紀訳 創元推理文庫
 ストリート・キッズ上がりの探偵「ニール・ケアリー」シリーズ3作目。前作の中国ものがどうも難渋であったが、これはすらすらと読めた。簡単に云うと、ドンパチ西部劇で後半は大アクションになる。サイド・ストーリーであるニールと義父との愛情には泣かされるし、嫌われ者だった上司のレヴァインが今回は大活躍である。しかし反ユダヤを標榜する白人至上主義のカルト団体って絵に描いたような敵役、いまどきそんなのいるのかな、よく分かりません。ハリウッドにはけっこう受けるかもしれない。b0036803_21531479.jpg
 それにしても3作とも作風を変えているわけで、作者の力量はたいしたものである。あるいは達者になったのかもしれない。3作共通するのは、はじめは子供っぽかった主人公ニールが大人になっていく過程であり、成長小説としても読める。
 ところでこのシリーズは全5作あって10年ほど前に完結しているのに、その4作目、5作目がなかなかでてこない。後で出た別シリーズが角川文庫で既に刊行されているというのに、いったいどうなっているのだろう。フロスト警部シリーズも同様延び延びになっており、東京創元社も変った版元だ。もしかすると、翻訳料をけちっているのだろうか(笑)。
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by chaotzu | 2005-01-19 21:58 | 読書
2005年 01月 19日

姫路の駅そば

◆食いものに関しては、子供時代の記憶から一生足抜けできないようである。ときどき無性に食べたくなるものに、JR姫路駅の立喰いそばがある。地元まねき食品の名物で、なんというか和風調味のラーメンといったしろものである。柔らかな黄色い麺に安っぽい小エビのかき揚がのっかっている。汁味はどう表現すればいいのだろうか。まあ全国あちこちの立喰いそばのなかでも変り種の筆頭だろう。自分の評価では不動の全国立喰いそばナンバーワンである。だから死ぬ間際に食べたくなってはたまらない、動けるうちに食っとかねばの強迫観念にかられる。b0036803_21431013.jpg
 そんなことで、往復2千円余の運賃を出して300円の立喰いを食べに出かける。以前は駅構内だけであったが、今は駅北の小溝筋商店街と駅南に店がある(わたしの知るかぎり)が、やはりホームの立ち喰いがいちばんである。メニューもいろいろ増えているが、迷わずいちばん安い駅そばを注文する。すぐ出てくるから、もうあっという間で3分もかからない(笑)。昔は僅かな乗り換え時間で食べたものである。ついでに姫路の名物を云うと、回転焼きの御座候と玉椿というお菓子である。あと「めがねのミキ」も姫路出身であり、パリ云々は大嘘(笑)。いちおうパリ支店はあるけどたいしたお店じゃないよ。
◆さて、これだけではなんだし電車賃ももったいない。ついでに御幸(みゆき)通商店街をぶらつく。なんというか、地方都市の例にもれず姫路の駅前商店街も苦労している、あるいは善戦していると云ったほうがいいかもしれない。駐車場が少ないので、家族連れが来づらいという説があるが、実際のところよく分からない。なんといっても天下の姫路城に至る商店街である。ただお城間近の本町商店街は史跡内にあるのと国有地なので開発が進まず、かなりわびしい雰囲気である。この辺りがネックなのだろうか、駅から遠くなるほど苦しいみたいだ。
 驚いたのは、ダイエー跡地に鳴り物入りでオープンした「姫路ひろめ市場」が昨年の10月に自己破産して閉鎖していたこと、たった1年半しかもたなかったことになる。見込み違いがあったのだろうがそれにしてもビックリである。それから老舗の書店が経営難で裏の小溝筋に移転している。ただこの裏通りはなかなか面白そうだ、鯛焼きの店とかアジア料理の店など以前はなかった特徴のある個性的な店舗が出現している。家賃が低下して小資本でも参入しやすくなったのだろうか。もしかしてここらに姫路駅前商業地の将来があるのかもしれない。
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by chaotzu | 2005-01-19 21:44
2005年 01月 18日

ガンの免疫療法

◆ガンの三大療法と云われるのが、手術、放射線、抗がん剤。そして、自分がいま取り組んでいる免疫療法は4番目の治療方法といわれている。過剰なストレスとか有害物質などで体のバランスが壊れて自然の免疫力が低下したときにガンが発症しやすくなるという着想であり、免疫力をアップさせてガン細胞の増殖を抑制しようという治療方法である。旧くは丸山ワクチンもそのひとつだろう。どちらかといえばガンに打ち克つための治療ではなく、ガンとの共存・共生をめざすという点で前3つの方法とは大きく異なっている。また、健康保険の適用がなく全額自費診療であるため、患者の経済的な負担はかなりある。自分も正直云って苦しい。あまりぜいたくは出来ないので、この無料ブログでぼやく程度である(苦笑)。
◆この免疫療法、一部の医者からはボロクソに批判されている。その論拠はひと言で云うと「科学的に効果が立証されていない」ということに尽きる。なかには「そんなことで大金を遣うよりリゾート地に旅行でもしてのんびり過ごしたほうがよほどいい」とはっきり言い切る先生もいる。南のリゾート地で思わぬ災害に遭うという不運の可能性もあるが、たしかにそういう考え方も否定できない。もしかすると免疫治療そのものに特別の効果があるわけでなく、むしろ自己暗示というか精神的な安定効果のほうが寄与するかもしれない。昨年の10月、近畿大学の八木田前教授の提唱する「新免疫療法」は、その治療データが患者に誤解を与えるとして日本癌治療学会から厳重注意処分されている。この新免疫治療は毎月30~40万円の治療費が要る。普通の勤め人ではなかなか続けられないだろう。これ以外にも、富裕層相手の金儲け商売みたいな免疫クリニックもある。1回の治療で普通の勤め人の1ヶ月の収入を超える治療費をとっている。こうなると「お布施」みたいなものでお金持ちならば何十回と続けられるが、一般人ではそうもいかない。生命保険という「担保」があるから、10回ぐらいはできるだろうが、たいていはそこで中断してしまう。ある意味でよく考えたニッチ・ビジネスになっている。
◆じゃあ、なぜ免疫治療を続けているのか。ひとつはもう他の手立てがないこと、何もせずにギブ・アップするのはやはり嫌であって、同じ死ぬにしても納得づくで死にたい(苦笑)。もうひとつは免疫療法といってもいろいろであること。あえて云えばかつての星雲状態から抜け出しかけたところかもしれない。詳述は省くがここ数年でも新しい治療方法がどんどん生まれている。一般患者でもなんとか経済的に追随できる治療費のクリニックも出てきている。治療が今より普及すれば、データもたくさん集まるだろうし、そしてもっと有効な手法が開発されるかもしれない。さらに、ガンの臨床経験を多数積んだ「ガン治療専門医」制度も発足する予定である。つまるところ、そういったところに希望をつないでいるのである。もっとも、それまで生きておればの話である。しかし、中途で討ち死にしたとしてもひとつのデータにはなるだろう。ま、気休めではありますが。
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by chaotzu | 2005-01-18 23:59 | 病気
2005年 01月 18日

【読書】ロバート・ゴタード「鉄の絆」

◆越前敏弥訳 創元推理文庫b0036803_21221044.jpg
 久々の読書。前評判はあまりよくなかったが意外と面白かった。過去の一族の謎に加えて歴史上の謎と物語に二重底の仕掛けをしており、作者が新機軸を図ったようだ(続編も可能なようにしているのであるいは三番底もありうるかもしれない)。最初の謎は上巻で種明かしされてしまうが、そこから登場人物の本性がむき出しになって俄然面白くなる。ラストも勧善懲悪の観点からは物足りぬかもしれぬが、一応はハッピーエンドで締めている。
◆しかし、ヒーロー、ヒロインは相変わらずお人よしというかアホ丸出しであって、これはもうゴダードならではとしかいいようがない(笑)。なにせヒロインは悪玉までも好印象を抱くぐらい「どこまでも人を信用してしまう」といった性格設定なのである。ヒーローも不肖の兄貴に尽くすとことんお人よしである。主人公の性格描写に深みがないということなのだろうが、甘い云い方をすれば、表向きの主役は物語を動かすために必要な狂言回しであって、実際の主役は別の登場人物と理解したほうが分かりやすいかも知れない。本作の場合は、ヒロインの義理の伯母とその旧友である元スペイン戦争義勇兵の2人である。とにかく読んでいて、あ~あ、引っ掛かるぞと思えば期待たがわずその通りになる、そしてそれを助けるのは前述した真の主役あるい偶然といったみえみえの展開が随所にみられる。これはもうゴダード節というか、ミステリ界のハーレクイン・ロマンスといってもいいかもしれない。だからやめられないのかな(苦笑)。
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by chaotzu | 2005-01-18 23:59 | 読書
2005年 01月 16日

阪神大震災回想5~「被災者」もいろいろ

 一般に被災者=気の毒な人というくくり方がある。ほとんどはそのとおりだろうが、なかには震災を食いものにする悪い連中もいる。残念ながら事実だ。阪神大震災を契機に、多くの市民グループ、NGOが結成された。そのなかには、震災関連の融資の「仲介」で手数料をとったり融資金を詐取するような輩も出てきた。「阪神生活再建の会」のメンバーを警察が摘発したのは、震災後5年以上経ってからであり、それまで甘い汁を存分に吸っていたことになる。このような連中までも震災当時のマスコミはヒーローのごとくもちあげていた。暴力団崩れが一夜にして市民運動のリーダーとしてもてはやされ、それが示威行為の源泉になったのである。混乱していたとはいえ、後で振りかえると報道もいい加減なものであった。
 震災における兵庫県の緊急災害復旧融資の実績は約33千件、4200億円に上っているが、このうち約3900件、340億円は「倒産等」のため、既に信用保証協会が代位弁済している。いくら震災があったとはいえ、異常に高いこげつき率である。火事場泥棒のように融資金をくすねた「被災者」もいるのだろう。このほか、小さなことであろうが、仮設住宅の不正使用もみられた。物置としての占有である。借りとけるなら借らねば損という心理かもしれない。それから救援物資の私物化などの噂もあった。とかくマスコミは当座のムードで報道しがちであるが、被災者もいろいろなのであって、すべてがきれい事で型にはまるものではない。まさにそれらをも含めて「震災」なのである。
 ボランティアもさまざまであった。一部には物見遊山の批判もあったが、見に来てくれるだけでもいいと思う。食料持参ゴミ持ち帰りの被災地見学ツアーであっても大いにけっこうじゃないか。そして、帰って被災地の実情を伝えてくれればよいのである。
個人的には通勤途上で暖かい焼き芋を分けてくれたひと、仮設住宅の引越し応援隊、なんでも御用聞き隊、いろいろ忘れがたい思い出もある。b0036803_11135036.jpg
 さて、明日で震災後ちょうど10年になるが、「震災はまだ終わっていない」と云っておきたい。お金をもっともっと出してくれというふうにとられるかもしれないが、けっしてそういう意味ではない。復興住宅に転居した高齢者の方たちの孤独問題である。いわば震災によって、人生の後半をくるわされた人々である。何ごともなければ、夫婦でつつましく下町に住みつづけていたかもしれない、それが配偶者が亡くなったうえ避難所や仮設に移動、さらに復興住宅に転居と、それまでの生活基盤を根こそぎなくした状態での生活を余儀なくされている。地方の災害であるならば、先祖代々の土地に住みつづけたい、帰りたいといった声が報じられる。たしかに当然の要求なのであろうが、阪神大震災における被災者はそのような声すら上げられない人があまりに多いのである。なんの基盤もなく誰一人縁者知人のいない場所への転居であっても有り難いと思わざるをえない状況におかれている。あまりに気の毒で不公平だといったら、云いすぎだろうか。
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by chaotzu | 2005-01-16 11:20 | 身辺雑記