<   2005年 04月 ( 48 )   > この月の画像一覧


2005年 04月 30日

【映画】 「海を飛ぶ夢」 生きることは権利か義務か

◆2004年スペイン=フランス合作。
 恥ずかしながら、シネコンなるものに生れて初めて行った。座席の座り心地もいい、前列の観客が気にならない勾配なので、たっぷりのワイド・スクリーンという家庭では絶対に不可能なぜいたくを堪能する。近場では若い女性がビールとポテトチップを持ち込んで臨戦態勢である。ものすごくうらやましい。けど、GWに若い人が独りでこの手の映画を観るってのもな……、いやはや大きなお世話というもの、そういう自分はどうなんだ(汗)。b0036803_22134466.jpg
◆さて、尊厳死がテーマの映画である。この数年来、自分も考え続けてきたことである。ずっと昔、錯乱状態のまま逝った父親のことも思いだす。自力生活ができなくなり苦痛が増すのみとなれば、もはや死せる魂であり、人間の尊厳もなにもない。ただ思索はそこから無限ループに入ってしまい、なかなか結論がでない。なぜかというと、尊厳死はひとに手伝ってもらわねばならないからだ。それが重石になる。それで、この映画も観るか観まいか迷ったところで、あんまり悲惨だったらかえって落ち込んでしまう。まあいいや、みんないつかは死ぬんだと割り切ってみた。センチメンタルなお涙頂戴映画の心配は杞憂でした。
◆26年間以上寝たきりで尊厳死を決意した主人公、世話になりつづけで涙の隠し方は上手になったと述懐する。だけど家族はみんな献身的に世話している。近所の友人も見舞ってくれる、人権団体の女性(太目の久本雅美風)も支援する、重病を抱えた女性弁護士(倍賞美津子似)は詩集の出版に尽力する、見知らぬシングル・マザー(誰かに似てるんだが)が心を寄せてくる、など、“スーパー介護チーム”に囲まれた主人公の身辺はけっこうにぎわっている。はっきりいってモテ男なのである。
 だけど、そんな設定じゃないと映画にならないのだろう。ただでさえ深刻度へヴィー級のテーマである。邪慳な家族がいたり、実際の細々した介護の現実に焦点をあてれば、それこそ尊厳死の是非や心の交流どころではなくなってしまう。
もっとも、この映画では下の世話とか床ずれ防止、入浴の介助など日常介護の一端もさりげなく挿入しているし、ただ自己満足したいがための見舞いもとりあげている。万事抜かりなく、よくできた映画に仕上げているのだ。そしてなにより「海を飛ぶ夢」の鳥瞰シーンが素晴らしい。
 この監督さんはまだ若いそうだが、舌をまくほど計算づくで達者である(悪口ではない、為念)。
 そしてラストは(以下ネタバレ注)








ビデオ・カメラをセットして、青酸カリ入りの水をストローで飲み干すという“リアル自殺”シーンである。「共犯問題」をクリアするためのやり方とはいえ、ここはちょっとやり過ぎかも知れない。ただ、俳優の演技は、もしかすると現実の映像を観たかもしれないと思わせるほどの迫真さである。
◆あと、自殺を禁止しているカトリックに対する批判も痛烈である。ふだん無口な義姉が車椅子の「偽善」神父を面罵するシーン、ある意味でスペイン社会の成熟度を示しているのかもしれません。
[PR]

by chaotzu | 2005-04-30 22:18 | 外国映画
2005年 04月 29日

【ビデオ】 「イヴォンヌの香り」 想い出のレマン湖

◆1994年フランス映画、さまざまな愛のかたちを撮ってきたルコント監督、これはストーリーは二の次、直球一本勝負の作品というか、卑俗なことばでいえば、とにかくエロい。
 白眉はレマン湖を渡る船上でのスカートひらひらシーン、b0036803_2222498.jpgヒロインはその前にパンティを脱いでいるので、ノーパンである(露骨な表現で相済まないが、とにかくそんな映画)。
だけどもっと前、元気なうちにみときゃよかったなあ(悔)。
それでも半分ウトウトしていたのが、これで覚醒する。テープを巻き戻してもういっぺんみたりする(汗)。
◆舐めるように撮影している、そんなシーンが随所にある。もうルコント監督の好き放題、趣味と実益の一致みたいである。ヒロインの映像だけでDVDが売れたのではないか、なぜかチャプター№は憶えてしまう、まあそんな映画です。
 ストーリーの突っ込みどころいっぱいであるが、それはいいでしょう。
◆そりゃそうと、ヒロインを演じたサンドラ・マジャーニ、どうもこの1作だけみたいである。強烈な印象を残して、忽然と消えてしまったのは、映画と同じか。
[PR]

by chaotzu | 2005-04-29 22:24 | 外国映画
2005年 04月 29日

郵貯銀行の幻想

◆すったもんだで、郵政民営化法案が閣議決定した。それにしてもコイズミさんはとことん強運だ。衆院補選では中国の反日騒動が追風になり、郵政改革ではJRの大事故が目隠しになった。
その郵政民営化、恥ずかしいはなしだが、民営化したとしてその後のイメージがどうもよく分からない。だいいち赤字補填基金が2兆円というが、そんな持参金付きの珍妙な民営化なんてありなのか。しかも2兆円というものすごい金額である。本来は国民の共有になるべき資産が、横取り同然である。いったいだれのための「基金」なのか。
b0036803_2035039.jpg◆そして、郵便貯金銀行、貯金量250兆円としても全国都市銀行の合計より多いマンモス・バンクになる。新聞でみる法案要旨では、施行日の2007年4月1日にみなし銀行業免許付与、10年後に完全民営化ということである。だから、その10年間のうちで段階的に銀行ビジネスを修行していくのだろうが、民間の会社になって銀行業免許を付与する以上、法律の範囲内で経営の自由を最大限尊重しなければならなくなる。
 だけど“しろうと銀行”でほんとにだいじょうぶなのか。税金や預金保険料を負担して、莫大なシステム費用が要って、なおかつ貸付ノウハウのない「銀行」が10年間で独り立ちできるのか。実際のところ、政府の役人は誰ひとり真に受けていないのではないか。
◆本来、金貸しというのは、どろどろしたシビアな仕事であって小奇麗なビジネスではない。「融資を受ける=お金をもらう」と考えているような輩がまだいっぱいいる。ガード(事前審査)をしっかり固めておかないと、たちまち暴力団や詐欺師連中の食いものになってしまう。さもなければ高利業者(ヤミ金)のごとく暴力装置をセットしておくしかない、そんな世界である。新銀行の代理店(窓口)は郵便局になるだろうが、特定郵便局長のなかには地域の政治権力等「有力者」との距離が近いひともいる。貸出しを取り扱うとなれば、それこそ有象無象悪いやつらの分捕り合戦になりかねない。おおげさではなくそんな心配がある。プロであったはずの民間金融機関でも不良債権にどれだけ伸吟したことか。
 いまの公社職員の能力レベルに問題ありということではないが、10年で独り立ちするとしても、相当数の人材を同業者からスカウトしないと無理ではないか。だけど、そこまでする必要がはたしてあるかどうかだ。
 貯金する立場としては、元本は確実に守って欲しいそれだけの一心である。加えて、いまでもオーバー・バンク気味であるのに、新たな巨大銀行を社会がほんとうに必要としているのだろうか。
◆新銀行ではアイワイバンク銀行という先発のビジネス・モデルがある。ローンは取り扱わずコンビニATMを武器にした手数料ビジネスと債券運用でやっている。願わくば、郵貯銀行も貸出しに手を出さず、国債等債券運用と手数料ビジネスで地味にやってほしいものだ。
規模がでかすぎるが、ペイオフがスタートする。有利な預金商品がなくなって、仮名預金を厳格に排除すれば、おいおいスリムになっていくだろう。長期間かかっても、不良債権をこしらえるよりましだと思いたい。
[PR]

by chaotzu | 2005-04-29 20:43 | 時事
2005年 04月 28日

【ビデオ】 「ぼくのばら色の人生」性同一性障害~X遺伝子が煙突に落ちちゃった

b0036803_21575535.jpg◆1997年ベルギー=フランス=イギリス合作映画、
 「メルシィ!人生」の女上司役(ミシェール・ラロック)つながりでレンタル、こんどは女装好き7歳男の子の母親役。ベルギーの映画をみるのはおそらく初めてであるが、フランス映画とたいしてかわらない雰囲気である。
 はじめは、変わった子供にふり回されるライト・コメディだと思っていた。「地下鉄のザジ」ベルギー版かなと。ところがとんだ勘違い、性同一性障害の子供をテーマにした相当深刻なドラマでありました。ガチンコでこのテーマをやると暗くなるので、女神パムが登場するファンタジック・シーンを時々はさんでいるが、それでも物語の進行は重苦しい。
 小学校では隣の同級生が“地獄に堕ちるのはイヤ”と席替えを希望する。その学校も退校させられる、家には“オカマは出て行け”の落書きをされる、そしてとうとう父親は職場をクビになり、6人家族全員引越すはめに、とはなしはどんどんおちこんでいく。最後まで解決はない。ただあるがままの息子を受け入れるだけである。ラストに同じ障害らしい女の子が登場するのが救いか。
◆正直云って苦手なテーマで、映画にもずっとのりきれないまま。よく知らないというか、まだまだ頭が固いのかもしれない。
おじさんが「女装」ということばで連想するのは「別の病気=趣味」のほうである(汗)。それどころか、女風呂侵入でも下着ドロボウでもこの性同一性障害を騙る奴がいるだろうなと不謹慎なことをつい考えてしまう。法律が出来ているというのに、まだ「性同一性障害≒変態」意識が強い差別野郎であることを白状しなければならない。恥ずかしながらである。おそらく日本人の大部分が同じだろう、ベルギー人であってもまだ頑迷な人が多いのだ。
 将来、会社の同僚が突然カミング・アウトして女装で出社してくる。そういう日が来るかもしれない。現実にかのエルトン・ジョンも同姓婚するそうだ。すこしでも柔らか頭にしておかねばなりませんな。
◆映画の字幕、母親が当の息子に苛立つ場面で“お前のせいでこうなった”と翻訳しているが、“あんたのせいでこうなったのよ”のほうが適当だろう。実の親が小さな子供に何度も「お前」呼ばわりすることは普通ありえない。
最近、脳内で再変換しなけりゃならん字幕が増えた。
◆巨人6連敗、いよいよ楽天との「最弱チーム決定戦」が現実味を帯びてきた。巨人ファンのひとには申しわけないけど、もう堕ちるところまで堕ちないと再生しないでしょう。かつての阪神もそうだった。ホリウチ監督:「ボクのバカ色の人生」、長嶋さんの上がいるとはびっくりだ。
[PR]

by chaotzu | 2005-04-28 22:00 | 外国映画
2005年 04月 27日

【ビデオ】「メルシィ!人生」 なるほどのリストラ回避法

◆2000年フランス映画。
 このところ、毎日1本ペースの映画鑑賞である。最近になってようやく、名作巡礼パターンを脱したようで、監督や俳優のつながりで作品を選ぶことがおおくなった。といっても、レンタル・ショップの品揃えも偏っているし、たくさんみたというほどではないんだけど。
 さて、本作は「橋の上の娘」でナイフ投げ曲芸師を演じたダニエル・オートゥイユが主役ということでレンタルしたもの。いったいこんな陰気男でどんなコメデイに仕上げるのかと云う興味である。
b0036803_22293193.jpg◆さすが監督・脚本が「奇人たちの晩餐会」のフランシス・ヴェベールであるだけに、80分間たっぷり大笑いさせてくれる。登場人物がやりとりするセリフ、それがだんだんずれていって、思わぬ波紋をまきおこす。字幕でこれだけ笑わせるのだから、生の言葉が理解できればもっと面白いかもしれない。ヴェベールのフランス漫才は依然快調である。
 いわゆるワンアイデア映画のよき見本であるが、突飛にみえてフランスの企業風土ならばありそうかもと思わせる。日本の企業社会もいずれここまでなるかもしれない。サラリーマンも今のうちに、いろいろ伏線をはっておいたほうがいいかもしれない。
 オートゥイユも人がいいだけの小心者をよく演じている。アメリカのスティーブ・マーチンのようにおかしなアクションをするわけではなく、素っ頓狂なことも云わない。真面目くさったままであるが、それが余計におかしさを増すという仕組みである。○○のパレード・シーンなんかはよくやるよといった扮装をさせられている。また、それをみて息子がバカにしていた父親を急に見直す“かっこいいじゃん”、いやはやフランス人の考え方、よく分からんところもある(笑)。
 共演はなんとジェラール・ドバルデュー、すごい肥りようだなとびっくり。コメディー演技も達者にこなしているが、正直いって、大物俳優が演じる理由は思い当たらない。それよりも関根恵子(高橋恵子)似の女上司がよかった。こんな上司ならばセクハラ歓迎だ。あ、それをいっちゃあかんよ(汗)。
[PR]

by chaotzu | 2005-04-27 22:37 | 外国映画
2005年 04月 27日

国鉄民営化の光と影

◆JR事故があったせいか、全国の親類縁者あちこちから電話がかかってくる。みんな脳内地図がアバウトなのである。こちらにすれば、ほとんど行き来がない場所であるが、どこもかも「大阪あたり」でひと括りにされている。もっとも、それはお互いさまかもしれない。
 それにしても犠牲者が100人を超えそうな大事故であり、単純にこちらの無事を喜べない。とくに若いひとがたくさん亡くなっており、胸が痛むものがある。
月並みだが、真に人生はままならないものだ。
b0036803_2213522.jpg◆事故が発生した福知山線、もともとはマイナーな路線だった。めったに乗ることはないが、かつて宝塚から三田までの区間は峡谷列車の趣があり、紅葉の時期など眺望がすばらしかったように憶えている。それもいまは複線電化に伴ってトンネルだらけだろう。
そんなのどかなローカル線が8年前の東西線の開業で一変、急に都市近郊線になった。通勤快速がどんどん走り、平日朝8時台の尼崎駅には1時間で100本近く停車する。なにもなかった同駅の周辺はいまや高層団地が林立している。
◆事故の原因、いろいろ取り沙汰されているが、それを職員の能力なり資質に求めようとするのはどうにも納得できない。そもそも、現状の過密運行を職員の個人能力に委ねているとしたら、とんでもないことだ。
それより、もともと大量輸送できるインフラがなかったのに、競争意識で無理を重ねていたのではないのか。いったいJRの内部にそれを懸念する声はなかったのか
 ルーツは1987年国鉄民営化の過程で、労働組合を圧殺しすぎたことにあると思う。錦の御旗をふりかざして不当労働行為のしたい放題であった。そして、それらがこれまでまかり通ってきたため、企業統治は歪み、労働組合の大勢は御用組合である。民営化はいいとしても、やり方があまりに乱暴であった。いまそのつけを払わされているのかもしれない。
 しかし、世間一般の空気も民営化歓迎のあまり、JRの無茶苦茶な労務管理を容認してきたのではなかろうか。正直云って内心忸怩たる思いがある。
[PR]

by chaotzu | 2005-04-27 22:28 | 時事
2005年 04月 26日

【読書】 後藤正治「ベラ・チャスラフスカ 最も美しく」

◆ある年代以上の日本人にとって、1964年の東京オリンピックは特別に感慨深い思い出である。とりわけベラ・チャスラフスカ(チェコスロヴァキア=当時)は、単なる体操の選手を超えた存在だったように思う。こどもの目にも成熟した女性のかっこよさがやきつけられたものである。b0036803_23121013.jpg
 本書はそのチャスラフスカ選手を軸に、冷戦のはざ間で歴史に翻弄されるチェコの人々、そして対立国であった旧ソ連の女子体操選手やルーマニアのコマネチ選手たちの有為転変を綴ったノンフィクションである。ただし、残念なことに目玉のチャスラフスカへの直接取材はできていない。事情やむを得ないことだろうが、そのために群像ドラマの色彩が濃くなっている。
◆ベラ・チャスラフスカ、現在63歳。1968年6月、「プラハの春」を象徴する二千語宣言に賛成署名、その2ヶ月後にワルシャワ条約軍がチェコを侵犯、署名を撤回せず以後21年間の苦難がつづく。東京五輪陸上1500M銀メダリストの夫も離れていく。
「(あなたはなぜ二千語宣言への署名を撤回しなかったのですか)→節義のために。それが正しいとする気持ちはその後も変らなかったから。」
「私は自分のなかにある気持ちに忠実にありたいと思ってきました。人は自分の信条をどんなにはやく裏切ってしまうものであるか、政治体制は人の心をどんなにたやすく折り曲げることが出来るかを知りました。プラハの春が過ぎ去って以降も、私と以前同じようにつきあって友好関係を保持していってくれた人は片手の指を数えるに過ぎません」
 そして、身内の「不幸な事件」を契機に重度のうつ病を発症し、表舞台から消えていく。しかし、彼女の栄光とその後の迫害、復活そして失意と連なる波乱の人生には胸をうたれるものがある。
「人生は大きな苦しみである。ただ、私はいまも少しだけ信じている。いつかすべてが良きものとなるときがくることを。そして小さな幸せを招いてくれることを」
◆ナタリア・クチンスカヤ、現在55歳。メキシコ五輪当時、旧ソ連のトップ選手だった。おそらく美人度では歴代ナンバー・ワン、明るい人柄とあいまって、ソ連は不人気でもこの選手だけは人気バツグン。1991年から94年まで、体操コーチで大阪・泉佐野に滞在していたそうだ。現在は夫婦でアメリカに移住しシカゴ郊外に住んでいる。旧ソ連の解体など大波は受けたが、チャスラフスカとは対照的な柔構造の人生。
◆ナディア・コマネチ、現在44歳。モントリオール五輪で10点満点を連発した史上ナンバーワンの完璧な体操選手。この人もルーマニア革命の直前にアメリカに亡命、アメリカ人の体操コーチと結ばれ、オクラホマ州ノーマンに住んでいる。チャウシェスク息子との風聞で叩かれるなど、この人も歴史に翻弄されてきた。
[PR]

by chaotzu | 2005-04-26 23:16 | 読書
2005年 04月 26日

【ビデオ】 「橋の上の娘」 すきっ歯娘の転落と再生

◆1999年フランス映画、白黒です。
 パトリク・ルコント監督の映画は80~90分の手ごろな時間で終るのがありがたい。切れ味がいいのである。だらだら長時間の作品よりよほどましである。b0036803_22292329.jpg
 いつも西洋講談風のタイトル、本作は「橋の下のおっさん」ならぬ「橋の上の娘」。まあ、橋の上でも下でも同じかもかもしれない。22歳にして尾羽うち枯らしたセックス中毒の娘をヒロインにするというすごい設定、おまけに相手の男もしょぼすぎ。それでも立派な恋愛映画になっている。
 ◆ルコント監督お得意の「官能」映画である。ナイフ投げ中年男と的役尻軽娘のショー舞台がふたりの「行為」の場になる。カーテンで的役をブラインド状態にしたり、あるいはルーレットの如く回転させたりと、さまざまな仕掛けに男女は陶酔し身悶える。ただし、肉体的にはあくまでプラトニックであるのがみそ。
まあへんてこりんな「愛のかたち」であるが。ノーマルな正常位映画の数倍は感じとるものがある。ただ、結末のつけかたは意見が分かれるかもしれない。
 それにしても愛のかたちもいろいろである。散髪はもうあった。耳掻きもいいかもしれん、歯石除去なんかどうだろう(笑)。漫才は愛情どころか喧嘩になるな……としようもない世界についはいりこんでしまう。
◆ナイフ投げシーンで流れる主題歌、“ごっついいい歌やんけ!”と思い、ネットで調べたら、なんと「ロスト・チルドレン」主題歌の流用だった。そういえば、小人のおばちゃん芸人も出演している。それにしても、本家よりあってるって(笑)。
 ヒロインの“すきっ歯”ヴァネッサ・パラデイは、ジョニー・デップの奥さんだそうな。よく夫婦は顔が似てくるという説がある。なんとなくうなづけるものがある。
[PR]

by chaotzu | 2005-04-26 22:36 | 外国映画
2005年 04月 25日

【読書】 山田風太郎「あと千回の晩飯」「コレデオシマイ。」

◆朝日新聞社刊「あと千回の晩飯」(1997年)b0036803_21192027.jpg
 1994年に朝日新聞に掲載(週一?)されたエッセーをまとめたもの。タイトルがとりわけすばらしい。あと3年ほどの余命見込みについて、これほど分かりやすい言い回しはなかなかない。現実は連載開始時から7年ばかり生きており、「あと二千回の晩飯」になったわけだが、これも作者らしい(笑)。
中島らもの「明るい悩み相談室」とならぶ朝日新聞の名連載であった(しかし、ご両人ともすでに故人である)。
◆新聞でも読んでいたが、あらためて読むとやっぱり面白い。老人の大氾濫予防法や「アル中ハイマー」、武者小路実篤晩年の文章、尿瓶の黄金水をかかげて夜明けの乾杯シーンなど、人を喰った風太郎節にもう抱腹である。
 もしかすると、朝日の文芸担当は作者独特の死生観がもう少し穏やかに展開されるものと期待していたのだろうか、間違っても風太郎大先生にそんな期待をすべきでないよ(笑)。最初の頃は話の逸走に嘆息して、はげしく後悔したかもしれないが、途中から、パーキンソン病や糖尿病の発覚により、病人もの主体に落ち着いたのでさぞやひと安心したのではないかといった内容である。
◆角川春樹事務所「コレデオシマイ。」(1996年)
 エッセーではなくて、風太郎先生が自由にしゃべったものを編集したもの、タイトルは先生が絶賛する勝海舟の辞世のことばである。もう好き放題の語りであり、ここは章ごとのフレーズを紹介すれば十分だろう。
  <酒もたばこもやめて長生きしても仕方ない。>
  <僕の小説にはすべて、女は美人しか登場しない。>
  <やりたくないことはやらないのが、僕の人生のモットーかな。>
◆別のはなし
 たいへんな事故がおきてしまった。JR福知山線尼崎駅近くの脱線事故、ショッキングな映像である。
山田風太郎曰く「人生の大事は、大半必然に来る。それなのに、人生の最大事たる死は、大半偶然に来る」 それであっても、突然の死はなんともいたましい。
犠牲者の方はほんとうにお気の毒である。当方はネットで囀り散らして、なお生きのびており、なんだか申しわけないことだ。謹んでご冥福をお祈りしたい。
[PR]

by chaotzu | 2005-04-25 21:30 | 読書
2005年 04月 25日

【NHK・BS】「この素晴らしき世界」 生存のための究極の選択

◆2000年チェコ映画、チェコの映画はこれでふたつめ。「コーリャ愛のプラハ」以来である。ふだん馴染みの薄い国の映画はハズレが少ないという。それだけ高いハードルを越えて日本にやってきたということだろうが、本作もなかなかの傑作であった。
b0036803_21103125.jpg◆ナチス占領下で、強制収容所脱走のユダヤ人をかくまった夫婦とその周囲の人々のドラマ。もし露見すれば、破滅必至であるので、中盤はハラハラどきどきの連続。同じチェコ人にも秘密は明かせない。主人公ではないが「もうやってられんよ」という緊迫場面が何度もある。そして、いよいよ危ないというとき、生きのびるためのつらい選択をする。
◆この映画のいいところは、チェコ人のかっこ悪いところもきちんと描いていることだ。かつて隣人であったユダヤ人「ダビド」が助けを求めているのに、保身のため大声で暴露しようとするチェコ人、それが解放後はレジスタンスの幹部(?)におさまっている。もっとも、根は善人のようで当のユダヤ人と再会したとたんに、きまり悪そうに悄然としている。主人公「ヨゼフ」もヒーロー・タイプではなく、この映画で終始一貫善人といえるのは、主人公の妻「マリエ」ぐらいである。
また、ドイツ人も単純な悪玉には描いていない。とくにチェコ生まれのドイツ人「ホルスト」の屈折にはもの哀しいものがある。後から見直すと、冒頭の短い挿話で手際よく登場人物の事情背景を伝えている。
◆これまで、ユダヤ人ホロコーストはもっぱらナチス・ドイツの罪とされてきた。実際のところ、東欧でナチスに支配された国の人たちはこれにどう関与していたのだろう。現実にアウシュビッツやトレブリンカなど著名なユダヤ人収容所はポーランドにある。ポーランド人のみんながナチスに脅かされていやいや「協力」したのか、はたして悪者はナチスだけだったのかという疑問である。
正直云って、被占領国民の一部に、ユダヤ人への人種差別意識あるいは嫉妬心があればこそ、これだけ悲惨なホロコーストになったのではないかという疑念をどうしても拭えない。程度の差こそあれ、チェコ人でも同じであろう。ただ、この映画ではそれを糾弾しているのではない。
◆ラスト、生まれてきた赤ん坊にチェコ人、ドイツ人、ユダヤ人、ロシア人がそろってほほえみかけるシーンこそ、映画がいちばん訴えたいことだろう。
 過去の歴史に学びそれを直視しなければならない。そして民族の確執や葛藤は、それを乗り越えていかねばならない、生まれ出ずる赤ん坊のために。
[PR]

by chaotzu | 2005-04-25 21:13 | 外国映画