マイ・ラスト・ソング

chaotzu.exblog.jp
ブログトップ

<   2005年 05月 ( 40 )   > この月の画像一覧


2005年 05月 24日

【DVD】 「キッチン・ストーリー」 うらやましいかぎりの隣国関係

◆2003年ノルウェー/スウェーデン合作映画。
1950年代、スウェーデンの家事なんたら研究所が機能的な台所設計のため、台所内の動線を調査をしている。主婦の動線は調査した、こんどは独身オトコの調査だ、というわけでスウェーデン人の中年調査員がノルウェーの独居老人宅に張り付くというはなし。
b0036803_2218959.jpgところが、その調査方法なるものが、調査員が審判台みたいなところに座って、四六時中、住人の動線をメモするという、マンガチックというかあるいは傍迷惑きわまりないしろものなのである(笑)。おまけに会話を交わしてはいけないというルールもある。さあ、密室のノルウェー人とスウェーデン人だ、調査はいかがあいなりますかとなればシチュエーション・コメデイであるが、全然そうはならない。そこが、いかにも北欧の映画らしいところか。
◆それにしても、ハート・ウォーミングあるいはスロー・ライフとはうまい惹句をつけたものだ。ありていに云えば、ぬる燗仕立てのほのぼの話であって、なんちゅうことはない(笑)。だいいち、同じ部屋に2人きりでいて、口もきかないほうが異常である。まして冬の夜はとてつもなく長い。
 この映画の眼目は「兄弟国」といわれるノルウェー人とスウェーデン人の微妙でありかつ成熟した関係ではないのか。映画中でもさりげなく言及される。
“スウェーデン人の前では芋を煮たくないよ”
“嫌いなスウェーデンのタバコを持ってるじゃないか”
“(ノルウエーの友人は)強制収容所で人形の修理をおぼえたんだ”(ナチスに占領されたノルウエー人が抱く中立国スウェーデン人へのこだわり)
◆だからといって、両国民の仲が険悪ということではない。おそらく両国の人がこの映画をみれば、くすくす笑いが途切れないだろう。悪口も云うし、ジョークのたねにもするが、根っこのところでは理解しあっている。なんともうらやましい隣国関係である。
◆同じシチュエーションのまま、登場人物を日本人と韓国人あるいは日本人と中国人におきかえたら、どうなるだろうかとつい考えてしまう。うーん、アタマが痛くなる。
 副首相が訪問国首相との会談をドタキャンして帰ってしまう。どうみても異常な関係だ。キッチン・ストーリーならぬチキン・ストーリー、とてもハート・ウォーミングな映画どころではない。
[PR]

by chaotzu | 2005-05-24 22:21 | 外国映画
2005年 05月 23日

【DVD】「喜劇・駅前温泉」 絶品、森繁はやっぱり花嫁の父

◆薫風そよぐ五月晴れの下、まだ陽も落ちぬうちから本日も駅前喜劇である。だんだん世捨て人気分だなあ(笑)。残業等で日本経済を支えている人には相済まないが、日本が平和であることの有難さにしみじみ。b0036803_2231539.jpg
 さて本作は1963年東京映画、駅前シリーズの4作目、こんどは福島県の飯坂温泉が舞台である。白虎隊の子孫を自称する森繁は昔かたぎの旅館主でやもめ、三助上がりの伴淳はお色気路線の旅館主で艶福家。当然というか、かねて犬猿の仲の設定であり、こんなご両人のこども同士が恋仲になってしまい……となれば東西問わず喜劇の黄金律である。
 クレイジー・キャッツの「日本無責任時代」との2本立てで大ヒットしたらしい。まさに最強の2本立て、本作品もクレイジーの影になったきらいはあるが、まちがいなく日本喜劇映画史上の名作である。封切りでみた人が実にうらやましい。東京オリンピックの前年で夢も希望も大きかった時代だ。
◆いちばんの見どころは、「三助コンクール」の場面におけるスラップステイック。「三助」なんて当時でさえ時代遅れの失笑ものであったろうが、それを大まじめにやっている。森繁、伴淳、柳家金語楼それぞれの珍妙な三助ぶり、そこに司会役のフランキーがからんで、はちゃめちゃドタバタになるのが、もう抱腹ものである。金語楼の頭に排水口掃除の吸引カップがくっつくところで爆笑、ふだんの金語楼はムスっと不機嫌な表情だったらしい。そりゃふつうの顔をしていても笑われるんだからね。とにかく稀有な芸人であったと再認識する。
 あと、結婚式の場面で伴淳とフランキーによるリンボーダンスも大いに笑わせる。
◆たっぷり笑わせた後は一転、娘の結婚話でしんみりとなる。花嫁の父テーマでは、小津の「彼岸花」と並ぶ作品ではないだろうか。そういえば森繁の当たり役テヴィエじいさんも花嫁の父である。花嫁の父の哀愁では年季が入っていたわけだ。ラスト、預かった女の子の手を引いて、新婚さんの列車が東京に向けて去っていくところを見送るシーンも実によかった。
◆俳優メモ
 三木のり平;森繁軍隊時代の部下、宿泊客できてばったり邂逅。この人はなんといっても酔っ払い演技である。
 森光子;伴淳の口うるさい妻役、たまたま昨夜NHK教育で放浪記を放送していたが、さすがにもう無理があるなあ。
 池内淳子;温泉芸者、いやこの時は若いです。
 菅井きん;なんと子連れの哀れな乞食役、その正体は? 後年の婿さまいびりはとても想像できない。
[PR]

by chaotzu | 2005-05-23 22:34 | 日本映画
2005年 05月 22日

【DVD】 「喜劇・駅前弁当」浜松の方は必見のご当地喜劇

◆1961年東京映画、駅前シリーズの3作目。映画は浜松の駅弁屋が舞台、当然うなぎ弁当である。
b0036803_22161555.jpg はなしは森繁と伴淳がフランキーの義姉淡島千影(未亡人)をめぐって張り合うという毎度他愛ないもので、それより地方都市の風俗点描である。
館山寺温泉にちゃっきり節、オートレース、ハーモニカ娘(駅のホームでヤマハのハーモニカを販売している)、ステッキガール?などかつての浜松風俗が盛りだくさん。寅さんシリーズに先立つご当地映画の先輩格でありました。
 地方でも戦後の貧乏一色を脱して、小金持ち層が台頭しているさまが興味深い。森繁は織物会社の社長さんであるが、写真道楽で妻の目を盗んでヌード撮影に熱中、ストリップ小屋主の伴淳は踊り子の面接でご機嫌である、弁当屋の跡継ぎフランキーは家業をせずにバイクを乗り回し遊んでばかり、そして、みんなそろって昼間からオートレースといった具合。60年安保時の騒動がうそみたいなのどかな光景だ。
 この映画シリーズは観るのになんの気合も要らないのがありがたい。少々見落としても平気である。斎戒沐浴精進潔斎さらに刮目してまでみる必要はさらさらない。お煎餅をバリバリ齧りながらみればよいのだ。
 それにしても、駅のホームの見送りなんて昔はあったんだなあ。そうそう“○○くんバンザーイ!” “(栄養ドリンクを差し入れて)ガンバレヨー”なんて、ありましたっけ。
◆俳優メモ
 ・坂本九;クリーニング店の小僧で登場、いまさらながら、コメデイアンの素質十分だったのに、日航機事故が惜しまれる。
 ・花菱アチャコ;コテコテのうさんくさい関西人を演じているが、軽妙さがないというかやたら暑苦しいだけ。もう全盛期を過ぎていたのだろう。
 ・柳家金語楼;目茶苦茶おかしい。フランキー堺との掛け合いは本作の白眉、
  (金語楼)「どうりで弁当箱みたいな顔してら」
  (フランキー)「なんだい幕の内みたいな顔してるくせに」
  (金語楼)「ハンペン!」
  (フランキー)「ゆで玉子!」
 ・横山道代;かつて黒柳徹子らとコンビの早口娘、織物工→マッサージ→ステッキガール(いまでいうコンパニオンさん、女性をモノ扱いのものすごい言い回し)と転職するアプレ娘をあっけらかんと演じている。
[PR]

by chaotzu | 2005-05-22 23:59 | 日本映画
2005年 05月 22日

【映画】「キングダム・オブ・ヘヴン」 天の王国は人々の胸中にあり

◆2005年アメリカ映画、12世紀の十字軍遠征を描いた一大スペクタクル。歴史劇とエンターティメントのバランスをよくとっており、けっこう面白い。
 21世紀に至っても、なおキリスト教文明とイスラム教文明の衝突=「十字軍」はつづいている。
第2次イラク戦争である。ただ、立場はすっかり逆転している。むかしの十字軍当時はイスラムのほうが先進国であって、攻め入ったキリスト教兵士は野蛮人の集団だったようだ。エルサレム王国を建設するさなかでも十字軍が随分無茶苦茶なことをしたらしい。イスラム側の史書では、十字軍兵士による人肉食の記録もある。b0036803_20433014.jpg
 この映画のなかでも、イスラムの指導者サラディンのほうが紳士的に描かれる。いっぽう、十字軍側のテンプル騎士団などはなんでも「神のご意志」で好戦性を隠蔽しようとするし、ローマ・カトリックの大司教に至っては身勝手もいいところである。ただし、癩王ボードワン4世(なんとエドワード・ノートンの目玉演技)の如く英明な指導者も登場する。
 要するに十字軍のプロパガンダ映画にはしていない、イスラムも含めて公平に扱っている。そこはまず感心する(ユダヤ教徒がみえてこないが、それは仕方がないか)。
 製作も兼ねているリドリー・スコット監督がいま、この時期に十字軍を採りあげた意図はなんだろうか。
 日本でも十字軍と近似型の史実がある。豊臣秀吉の朝鮮出兵である。アタマの狂った支配者の妄想で駆りだされる日本兵、諸侯の思惑そして異国で死屍累々の悲惨さ、朝鮮人陶工の流転……、十分映画ネタになると思うが、無理かな「キングダム・オブ・スキッツォイド・マン」(苦笑)
◆ストーリイの主軸は、妻子を喪った村の鍛冶屋が突然現れた十字軍騎士の父親(=エルサレム国王の股肱の臣)の導きでエルサレムに行って、あれよあれよの間にサラセンの英雄サラディンを苦しめるヒーローになる、おまけに彼女もゲットするという、はっきり云って、ほとんどあり得ないはなしだ(笑)。森で父親から刀の使い方を教わっていたのが、瞬く間に剛勇無双の勇士で卓越した戦術指揮者になるのだから、まるで将軍さまである……と、突っ込みどころはあるものの、まあ商業映画である以上やむを得ないのか(オーリー・ファンのみなさまには申しわけなし)。
 影の主役はサラディンと銀仮面のボードワン4世である。とくにサラディンは決めゼリフいっぱいで、存在感バツグンの役回り。
 「約束?このサラディンが云っているんだぞ」
 「偉大な指導者のそばにいて、何も学ばなかったのか」
 「エルサレムには何もない-nothing、だけどすべて-everythigだ」
◆たまたま字幕版と吹替版の両方を併映しており、上映時間の早い吹替版を選択したが、目線がふらつかなくていいというかなかなかよかった。ビデオやDVDとちがって、劇場でみる映画は吹替版でもいいかもしれない。
[PR]

by chaotzu | 2005-05-22 20:49 | 外国映画
2005年 05月 21日

いったいどうしたの、ヤンキース松井

◆元巨人ファンである。恥ずかしながらである。なんでも少数派の悲哀だろうか。ビデオはベータ、インターネットはネスケだったし、ワープロは一太郎でかな入力だ。そして元巨人ファン、なんだかカルト教団を脱会した信者みたいな気分がせぬでもない(苦笑)。
 巨人が少数派だって? いや、子供のときから阪神ファンにあらずば人に非らずという環境だったのである。なにせ子供にタテ縞のパジャマを着せて喜ぶ大人ばかりだった。社会に出てからも尊皇攘夷みたいなトラキチが肩でブイブイいわしていた。飲み屋ではタイガースのはなしばかり、外国でテロや戦争があろうが某所で大事故が起きようがである。子供の歳は忘れても阪神選手の背番号は憶えている。そしてラインバックはアメリカ系関西人であり、バースは神様である。まあ、そんな濃いおっさんばかり(笑)。
 不思議なことに阪神ファンだけの場では、阪神選手の悪口、ダメさ加減で盛り上がる。とにかく自虐的なファンが多かった。ただし他球団ファンが悪口を云うとたちまちつるし上げられる。悪口云えるのもファンの権利でかつ愛情である。池田落球事件なんか何回聞いたことか、年俸でもめて突然辞めた大倉英貫、とにかく打てんかったなあ野田征稔、忘れ去られた背番号3の後藤和昭、スタントンは打たんとん……、ぼやきをさんざん聞かされた。だから阪神選手のことは耳年増ながら相当詳しいぞ。
◆閑話休題、まあ、あれやこれやで隠れ巨人だったのである。藤田監督の時代なんかは、それなりにシアワセな時期も過ごせたが、ナガシマさんが監督のときに、だんだんおかしくなってきた。それでもついていった。あの江川事件があっても改宗しなかったほどである。なんだかおかしいぞというモヤモヤ気分でずっといたのが、原監督解任事件と松井選手のアメリカ行きで決定的になった。「読売グループ内の人事異動」との屁理屈に、もう目がシロクロである。そして、松井選手がいなくなって、すっかり吹っ切れた。b0036803_2226778.jpg
◆マクラだけでずいぶん長くなってしまった。で、その松井選手、ずっとホームランがないのである。このところ、その心配しきりで悶々状態である。もう自分のことは置いといてである。それはそれ、これはこれだ。
開幕4試合で3本打ったきり、あとずっと音沙汰なし。これまで大爆発も少ないが、スランプもさほど長くない、まんべんなく成績を残すタイプの選手であったのに、全く意外である。
 昨年のシーズン後半はイチロー選手の大活躍につづく松井選手のワールドシリーズ出場で、連日ワクワクさせてもらった。元気を与えてもらった。テレビの大リーグ情報が愉しみで、仕事中もインターネットで途中経過をのぞいていたほどである(汗)。そういう人はけっこう多かったのではなかろうか。
 だから、さあ今年はさらなる大爆発だと期待していたのにである。昨年の同時期はホームラン6本だったので、まだそんなに心配するほどのことはないかもしれない。だけど、37試合連続の不発なんて巨人時代にもなかったことである。
 いったいどうしたのだろうか。技術的なことなど畏れおおい。花粉症の影響とかいわれるが、そんなことあるのか。研究されて相手投手の攻め方が一段と厳しくなったのか。だけど松井選手もメジャー3年目である。あるいは読売新聞の広告がヤンキースタジムにまで追いかけてきたのがたたったのか(苦笑)。
◆ひとつ思うのは、連続試合出場記録へのこだわりである。仮に1打席だけの出場でつないだとしても試合に参加しているのは同じだ。完全休養しないかぎり、疲労が累積するのではないのか。アメリカの試合日程では疲れ方も半端ではないだろう。正直云って、成績が伴ってこその記録である。2割5分程度の打率で連続試合出場してもあまり意味がない。一ファンとしては、二兎を追わずともの気持ちもある。それは、いずれ今季の成績が結論を出すだろうが。
 もうひとつ、外国での単身生活のたいへんさである。イチロー選手は結婚と渡米とほぼ同時であった。松井選手の場合、もう独身を十分謳歌したのではないのか。シーズン中は一切の瑣事を排してプレイに専念できる環境を整えることは重要である。30歳を過ぎたらなおさらではないのか。大きなお世話かもしれないが、早く嫁さんもらえよと思ってしまう。いや間違いなく大きなお世話だが(汗)。なによりも相手あってのはなしである。だけど、イチロー選手の安定した成績をみるにつけ、やっぱりよき伴侶がいてこそと思ってしまうのだ。
もっとも悪妻につかまったら悲惨だから、やっぱり大きなお世話か。
 とにかくファンのもやもやを一掃する一発を打ってくれ、それを期待するのみだ。
[PR]

by chaotzu | 2005-05-21 22:40 | 野球
2005年 05月 21日

【DVD】 「みなさん、さようなら」 なんとも贅沢な死に方

◆2003年カナダ=フランス合作映画、カナダ・ケベック州のモントリオールが舞台である。フランス語のカナダ映画をみるのはおそらくはじめて。
原題は「蛮族の侵入」、なんともすごいタイトルだが、9.11.同時テロに見舞われたアメリカ「帝国」の行く末、そして歴史学教授を侵すガン細胞のダブル・ミーニングだろうか。
◆アカデミー外国語映画賞は、ここ2年連続で安楽死(尊厳死)を取り上げた作品が受賞している。直近の2004年度がスペインの「海を飛ぶ夢」、そして2003年が本作である。ただし、切り口はだいぶ違う。本作品のほう、あまり暗いイメージはない。それどころかコメデイに分類されるぐらいである。以下ネタバレ注
b0036803_20563216.jpg






◆不遜な表現だが、もうサイコーの死に方である。息子の金力で最上級の病室が用意される(患者が廊下にまで溢れているモントリオールの病院のひどさ!)。ヤミで入手したヘロインで末期ガンの痛みはない。そして献身的に尽くす本妻と息子のみならず、学者仲間の友人やかつての愛人2人まで、最期の日々を付き合ってくれるのだ。はっきり云ってオトコの本懐ではないか(汗)。
最期は湖畔の別荘でひとりづつお別れの言葉を交わす、遠く洋上の娘からもお別れのメッセージが届くといった具合である。もう女性といっぱい愛し合って、たくさんのワインを呑んで、そして好き放題なことを云って、「みなさん、さようなら」である。なんだかむかつくなあ、いやほんま(笑)。
 ボケ老人になって、妻や子の見分けがつかなくなる。排泄物はたれ流し、ちょっと目をはなすと近所を徘徊、それでも食欲だけは旺盛で、家族全員から疎まれている、とうとう奥さんが先に逝っちゃったなんて悲惨な生き方に比べると、よほど恵まれているのではなかろうか。
◆脚本も書いた監督さんの意図がよく分からない。9.11.同時テロ事件を踏まえた文明論もトッピングしたのが新味だったのだろうか。あるいはフランス人の視点によるアメリカ文明の批判なのか。だけど、病人の至れり尽くせりの終末をお膳立てしたのは息子の札束のおかげなのだ。このほかキリスト教との係りもあるが、宗教批判かどうかよく分からない。
 救いは息子に雇われて病人に付き添いする麻薬中毒の娘の存在。大量のヘロインを病人に投与する役回りになるが、ラストは人生の再生に向けて歩みはじめている。息子の婚約者よりはるかに魅力的な存在でありました。
◆印象に残るセリフ〰作中、病人の演説であるが、実はこれが云いたかったのかもしれない。
  「恐ろしいもんか、みんなが思うほど20世紀は血なまぐさくない。
  戦争で1億人死んだだけだ。
  ロシアの収容所で1000万人、中国の収容所ではおそらく2000万人。
  あわせて、わずか1億3000万人だ。
  16世紀のスペインとポルトガルは、ガス室も爆弾も使わずに
  1億5000万人の先住民を消滅させた
  1億5000万人をオノで叩き殺したんだ。
  教会が支援したとはいえ、よくやるもんだ。
  北米では、オランダ、イギリス、フランス、アメリカが
  それぞれ5000万人の先住民を殺している。合計で2億人だ。
  人類史上最大の殺戮がこの大陸で行われた。
  だが、ホロコースト記念館ひとつない。」
[PR]

by chaotzu | 2005-05-21 20:58 | 外国映画
2005年 05月 20日

【DVD】「喜劇・駅前旅館」昔の東京を観られます

◆1958年日本映画。森繁、フランキー、伴淳による駅前シリーズの第一作、伴淳つながりでレンタル、もう半世紀近い昔の作品である。20何作もあったらしいが、ガキの頃みたはずだし、その後もテレビでみているだろうに、さっぱり憶えていない。同じ東宝のクレージーキャッツや若大将のシリーズと対照的である。実のところ、森繁久彌のイメージも「屋根の上のヴァイオリン弾き」のテヴィエじいさんに固定してしまっている。b0036803_2311572.jpg
◆あらためてみると、森繁40代の若々しいこと、とりわけ滑舌の快調なことに吃驚する。森繁は渥美清を可愛がったらしいが、そういえば見かけや口調に共通点がある。これは自分にとって、新発見であった。
 映画そのものもギャグが炸裂する爆笑コメデイではない。派手なのはフランキー堺の珍妙なロカビリーぐらいか。なにせ井伏鱒二原作である、大人のエスプリに満ちた艶笑喜劇、それにホロ苦味も加わる。たしかに子供にとっては面白みのない内容である。
◆もうひとつの見どころは、高度成長前の東京の風景。舞台は上野駅近くの旅館、毎日大量の修学旅行生が押し寄せる。この時分は「東京に行く」ことだけでステータスだったのだろう。旅行生みんなはしゃぎ回ってもう躁状態である。今とちがって、ワルガキでも可愛いもの。なんと市原悦子が女子高生で騒ぎまくっている(笑)。このほか、頼母子講のお年寄りグループや地方の紡績女工の団体などが東京見物にくる。近代化する前の旅館ビジネスも含め、今ではみられないだろう光景に、なにやら懐かしさがこみあげる。
 そうそう、上質の風俗映画として愉しめるのである。
◆俳優メモ
・森川信 旅館の主人役、気が弱くて妻に引き回される。寅さんのおいちゃんと似たような役回り。
・浪花千栄子 紡績女工の引率役だが、強烈なキャラで周りを食っている。
・淡島千景 森繁といい仲の小料理屋おかみ、とにかく大人のいい女性役がピッタリ。
・藤村有弘 お堅い高校教師とみせて、森繁番頭に「社会見学」を要求するこの人ならではの役。
[PR]

by chaotzu | 2005-05-20 23:14 | 日本映画
2005年 05月 20日

急増ブログ人口、335万分の1のつぶやき

◆新聞報道によれば、簡易HPのブログがモテモテである。総務省の調査推計による2005年3月末の「ブログ」開設者数は、なんと約335万人。これが2007年3月末には約782万人に倍増すると見込んでいる。当ブログもその一翼を担っているわけだ。もっとも335万分の1だから、ほとんど微生物的存在であるが(笑)。
 もともとホームページの開設なんぞまるで無縁というかその気もなかった。その技量もないし勉強する気もない。まして作成ソフトを買う気もない。それが、ブログだと簡単にホームページらしきものができるらしい、おまけに無料ときた。いつでも逃げ出せるし、いっちょうやるかというのが参入の動機である。
 このとき、エキサイトを選択したのは、いちばん簡単そうだったからである。結論としてそれで満足している。なによりシンプルで見やすいのがいい。もっと凝った仕様にカスタム・チェンジできるそうだが、その能力も意志もないし、当分このままでいくつもりだ。もうじゃまくさいし。
◆ブログ世界もピンからキリまである。野球にたとえるならば、有名人ブログをメジャー級とすれば、あと3A、2A、Aと裾野がひろがっている。当ブログの志向はさらにその下のルーキー・リーグ、それもメキシコあたりのチームである(笑)。端っこのほうで、気楽に続けていくのみ。
◆そうはいっても過去8ヵ月のブログ経験で痛感すること、それは文章のスタイルがなかなかきまらないことだ。作文といえば、もっぱら稟議書というか無難かつ慇懃なものばかりこしらえてきたそのつけだろうか。なにせこれまでの人生でほめられた作文といえば葬式の弔辞である(笑)。
いまだに会社人間の裃着けた作文と個人のカジュアル文章が入り混じっており、読み返して忸怩たるものがある。体言止めを多用するなどしてぼやかしているが、要するに突っ込まれないよう用心して書いているわけで、長年の習性たるやなかなか抜きがたいものがある。文章は彷徨しまくっているのに、魂はちっとも咆哮しとらんではないか(苦笑)。
 それ故、先述のルーキー・リーグ志向ではないが、もっと気軽にエラーをおそれず書かなくちゃいかんなと自戒する。なに、井戸端会議や長屋講談、熊さん八つぁんのたぐいで十分なんだからね。
[PR]

by chaotzu | 2005-05-20 23:10 | 時事
2005年 05月 19日

【DVD】「飢餓海峡」 いまは昔日、貧乏悲哀映画の金字塔

◆1965年日本映画、182分の長尺かつ白黒映画である。こういう長い映画を「完走」したとき、感想は甘めにならざるを得ない。3時間もつきあって「クソみたいな映画でした」では、観ているほうがそれこそおバカさんになってしまうからだ。だから、長尺ものの感想は常に「なかなかよかった、飽きませんでした」になる。半分は自分へのご褒美心理である(笑)。
 もしかすると、評論家の心理も似たようなものかもしれない。例えば5時間を越えるベルイマンの「ファニーとアレクサンドル」(311分)とかボンダルチュクの「戦争と平和」(424分)の辛口評価をこれまで聞いたことがない。ひとりぐらいは「死ぬほど退屈な映画」とか云ってもよさそうだが(汗)。
b0036803_2225840.jpg◆閑話休題、本作は、貧乏人の悲哀をとことん描いた映画である。冒頭のナレーションからして気合がはいる。「飢餓海峡、それは日本のどこにでも見られる海峡である。その底流に、われわれは貧しい善意に満ちた人間の、どろどろとした愛と憎しみの執念を見ることができる」。
いわば筋金入りの貧乏映画。昭和22年当時東京の盛り場を再現したセットもよく出来ており、あっという間に戦後の貧しい時代へタイム・トリップできる。
 冒頭の長尺映画評価基準によれば、建前評価「切った足の爪をずっと持っていた薄幸の女の一途な思いに思わず落涙」となるが、本音評価は「旧くさすぎるし、爪フェチ女もなんだかなあ」になる。ただし、クソみたいな映画ではけっしてない。傑作はともかくとして力作であることは間違いない(以下モゴモゴ……)。
◆1965(昭和40)年の公開当時は、多くの観客の共感をよんだことだろう。10年遡った1954(昭和29)年9月の洞爺丸転覆遭難事故~犠牲者1170人余、や同日起きた岩内大火事件の記憶もまだ生々しいし、戦前戦後の窮乏生活がどんなものか、観客の想像力も十分にあったはずである。
 だけど、時代がすっかり変わってしまった。重要な舞台である青函連絡船はとっくに廃航され、北海道の玄関口は函館ではなく、新千歳である。津軽の森林鉄道もない。そして下北大湊の遊郭や亀戸の赤線も既にない。だいたい、左幸子演じるヒロインの貧しい育ちを象徴するキー・ワード「娼妓」も死語である。飢餓海峡自体が日本のどこにももう見当たらないのだ。
 だから、いま現在で若い人がみて、はたして分かるのかなという疑問が拭えない。それと、はなしの説明都合だろうが、人物の独り言がとにかく多すぎる(苦笑)。
 家族を描いた小津映画は意図的に貧乏くささを排除しているからこそ、いまみても普遍性がある。それに比べるといささか気の毒かもしれない。
◆主役の三国連太郎、もしかすると被差別部落出身という隠れ設定があるのだろうか。映画の冒頭、網走帰り2人にバシリ扱いの小心演技と対照的な社長演技、そして最後の絶望感まで見事である。
拮抗するのが、喜劇役者伴淳三郎のシリアス演技。小林信彦のエッセーで年下芸人に意地悪な伴淳が描かれるが、もっと早くから役者の間口をひろげておけばよかったのにと思ってしまう。森繁につきあいすぎたのだろうか。この映画の粘着刑事は半分地でやってるみたいである。
加藤嘉、このひとが出ると、なんでも「砂の器」になってしまう。加藤嘉の「砂の器化現象」(笑)。
最後に大熱演の左幸子、2001年に肺がんで亡くなっている。合掌。
[PR]

by chaotzu | 2005-05-19 22:25 | 日本映画
2005年 05月 18日

長者番付~時代はキヨハラ部長

◆これまでキヨハラといえばもっぱら野球選手だった、しかし今やファンド・マネージャー清原部長である。子供のあこがれる職業、もしかしたら野球選手よりも投資顧問のほうが上位にくるかもしれない。そして、コロコロ・コミックの新連載は「利食おうぜ、キヨハラくん」(嘘)b0036803_23141938.jpg
 長者番付1位のタワー投資顧問社員の清原達郎さん、46歳。これまでも長者番付に登場しており証券界では有名人だった。東大→野村證券→ゴールドマン・サックス……と業界の王道を歩み、とうとう日本一の納税王である。それもトリッキーなマネーゲームではなく、地道な企業訪問や役員ヒアリングなどまっとうな投資手法で収益を積み上げているそうであるから、立派なものである。ただ、一介の会社員であるはずがなく、事実上のワンマン・カンパニーだろう。その気になれば経営者にもなれるはずであり、人生哲学をうかがってみたいものだ。あるいは早期リタイアを考えているのだろうか。
 納税額はなんと約37億円、これだけで並みのサラリーマン何万人分だろう。まだ地方税もひかえている。これぐらいの貢献となると、役に立たぬ参議院を廃止して貴族院を復活してもいいのではと思ってしまうほどだ(苦笑)。
◆それにしても、サラリーマンは節税のしようがなくてお気の毒である。公示されたのは、あくまで納税額であって、実質収入の番付ではない。会社経営者や自営業者であったならば、納税トップは免れたかもしれない。もっとも、使い切れないぐらいのお金を溜め込んでも意味のないことであるが。
◆この長者番付~高額納税者公示制度であるが、財務省は廃止意向らしい。政府税調も検討をはじめている。プライバシーの侵害になりかねないということだ。たしかに住所情報なんかは余分なことと思う。だけど、バッサリ廃止してしまうというのはどうだろう。番付にのるというのは、相当なお金持ちであって、いわば社会的強者である。はたして一般市民の個人情報保護と同列に考えるべきものなのか。セキュリティ対策もできる経済的余裕もあるだろうし、受忍範囲も広くなるのではないのか。
だいいち、たくさんの税金を納められるということは、本来リスペクトされるべきことであり、公示制度はその顕彰でもある。まっとうにお金を稼いだひとであればなんら恥じるべきことではない。
 ただ、本音として貧乏人の嫉妬心にさらされるのがイヤということであれば、理解できないでもない、いやよく分かります(笑)。
[PR]

by chaotzu | 2005-05-18 23:20 | 時事