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2005年 07月 31日

【ビデオ】 「日本のいちばん長い日」 大日本帝国のお葬式

b0036803_2132256.jpg◆1967年東宝映画。東宝35周年記念のふれこみ、オールスター勢ぞろい(ただしほとんどオトコ)の大作である。
歴史探偵こと半藤一利の原作による「日本のいちばん長い日」とは
1945(昭和20)年8月15日の敗戦日であるが、映画はその20日前の7月26日、連合軍が発出したポツダム宣言の傍受からはじまる。そこから政府内部のどたばた(専ら陸軍の抵抗)、ヒロシマとナガサキの原爆、ソ連参戦、そして昭和天皇のポツダム宣言受諾の聖断にいたるまでが、実に手際よく説明される。
タイトルが登場するまでに21分間、これまでみた映画のなかでは最長のプロローグである。
もうひとつの特徴は、とにかくおっさんだらけの映画であるということ。セリフのある女優さんは新珠三千代ただひとりだけ、色気まるでなし、もう究極のモノクロ映画である。そしてクレジットされる子役もいない。登場人物みんな家庭があるだろうに一切出てこない、もっともそこまで描けばとても2時間半ではおさまらない。
まあ特異な群像ドラマである。へたすれば混線してわけワカメになりかねない素材をテンポよくまとめあげた監督(岡本喜八)の力量はすばらしい。
◆はなしは、敗戦日に起きた「宮城事件」(一部将校の反抗)のてんまつがコアになるが、もうややこしくなるので、俳優メモにかえる。
・三船敏郎(阿南陸相):もともとはひょうきんな味もあったが、この頃になるとすっかり重厚長大演技一辺倒、もっとも今回の役柄ははまっている。介錯なしの自決シーンはものすごいのひと言。
さて阿南陸相、これまで玉音放送後に自決したものと思い込んでいたが、15日の未明だったのか。賛否両論あるかもしれない。それにしても、大臣が自刃しなければおさまらないなんて、陸軍とはなんと夜郎自大な組織であったことか。オマケにいうと息子の外務省における栄達は亡父の遺徳ゆえだろう。
・黒沢年男(l陸軍省軍務局畑中少佐):某住宅会社の脱力CMからは想像もつかない大熱演で叛乱の首謀者を演じる。♪建てて建てて家建てて~ならぬ、♪むいてむいて目をむいて~、まさに「刮目」というコトバそのまんまの芝居である。ご苦労様でした。
・天本英世(横浜警備隊長佐々木大尉):別途首相等暗殺を狙うが、なにを云ってんだかよく分からない狂気演技。
“コーグンの辞書にぃコーフクのぅ二字はぁないぃ~”さすが死神博士である(笑)。
・小林桂樹(徳川侍従):反乱部隊から殴られつつ玉音放送の録音盤を隠し通す、隠れたヒーローである。“君たちだけが国を守ってるのではない” まさにそのとおりだ。
・加山雄三(NHKアナウンサー):黒沢年男に拳銃を突きつけられても命令を拒絶。“警戒警報発令中であり、東部軍の許可のない限り放送は出来ません“ちょい役だがカッコいい、誰かと思えば若大将だった。
◆昭和天皇の裁断前、海軍の大西軍令部次長は
“あと2千万、日本人の男子の半分を特攻に出せばこの戦争に必ず勝てる”
と言い募るし、陸軍は前線で亡くなった多数の英霊の犠牲を無にしては申しわけないと執拗に本土決戦を主張する。いったいどこからそんなご都合主義の理屈が出てくるのだろう。国民の生命財産を守るべき軍隊であるのに、守ろうとするのは自らのメンツや組織の体面だけである。だいたい日本人の男子の半分が死んでしまえば、すでに亡国の事態である。事実云ったとすれば、狂ってる。
反乱将校が、近衛師団長を斬殺してニセの命令書を作成のうえ兵士を勝手に動員、さらには皇居に乱入して録音盤の捜索で狼藉する。目茶苦茶の行為もむべなるかな。
◆エンド・クレジット
戦争に参加した兵士 1000万人
そのうち戦死者     200万人
一般人の戦死者    100万人
合計戦死者       300万人(5世帯に1人の犠牲者)
そして、家や財産を失った者 1500万人

戦争の実体験者が年々減るにつれ、先の大戦は自衛のためのやむを得ざる戦争だった、あるいは当時の国民のみんなに責任があったなどの意見をしたり顔で吐く輩が目立つようになってきた。
いったいこれだけの膨大な犠牲、被害を出して、どこからそんな無神経冷血意見が出てくるのだろうか。
そんな意見がまかりとおるようになれば、原爆や空襲による多数の犠牲者はとても浮かばれないだろう。
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by chaotzu | 2005-07-31 21:46 | 日本映画
2005年 07月 30日

【DVD】 「雲ながるる果てに」 ではみなさん、行ってまいります

◆ちばてつやに「紫電改のタカ」という戦記マンガの傑作がある。はじめて読んだときは唐突なラストに違和感があった。うろ覚えであるが、母親など家族が面会に来るというのに、特攻出撃してしまい、それでジ・エンド。子供にしてみれば、これはいったいなんだという理不尽な終わり方である。
本日みた映画、家城巳代治監督の「雲ながるる果てに」がまさに同じエンディングであった。
ああそうか、元ネタはこの映画だったのか。長年のこだわりがやっと氷解する。b0036803_20532860.jpg
◆1953年日本映画(新世紀映画&重宗プロ)。「真空地帯」の1年後の作品であり、出演俳優も鶴田浩二以外はかなり共通している。ただし、こんどはみんな学徒動員された特攻隊員であり、陰湿ないじめとかはみられない。そのかわり酒盛りの場面はやたらと多い。

◆昭和20年4月、既に沖縄は米軍に占領されている。
鹿児島県?の海軍特攻基地では、鶴田浩二や木村功など特攻隊員が出撃待ちの日々を過ごしているが、このところ連日の雨降りである。
雨ふって 今日一日をいきのびる。
雨ふって またも一日生きのびる。
雨ふって またまた神様生きのびる。
隊員のなかでは“いったいオレは生きていたいんだか早く死にたいんだか自分でも分からなくなってきた”の声もあがる。とうとう天気予報でケンカするぐらいである。
“目にみえない大きな力が自分を墓場にひきずりこもうとしているようだ”
“きのうもあしたもねえ、今日一日が大切なんだ” そう真にそのとおりだ。
そして、雨があがり、いよいよ出撃のときがくる……。

◆特攻攻撃について、鶴田浩二は日本の勝利を信じて疑わない肯定派、木村功は懐疑派の設定である。ただ、その鶴田浩二も出撃前夜には父母を思って、ひとり嗚咽している。それをみた木村功は負傷中であるのに特攻を志願する。直属の隊長は制止しようとするが、飛行長は早速「美談になるぞ」と打算している。しかし、このような純粋純情な若者の犠牲のうえに、今日の日本があることも事実である。
◆もうひとり高原駿雄という役者、「真空地帯」でも共産党宣言を平気で口ずさみ「刑務所怖がってたらなんもできまへん」とうそぶく腹の据わった一等兵を演じているが、本作では遊郭通いがやまぬ「不良」中尉。どこか人生を達観したところもあり、“戦争のない国へ行って待っているよ”と朝帰りのまま飄々と出撃する。とにかく強烈な印象であり、生真面目一方の鶴田浩二を食っているといってもいいぐらいだ。その後の映画界では目だったところはないが、この2作の存在感は断然光っている。
◆ラスト、鶴田浩二のモノローグにはさすがに胸がつまるものがある。しかし、いま現在、バクダッドやロンドンの自爆テロリストも彼らの理屈ではイスラムの大義に殉じる聖戦士である。
純粋な特攻隊員とちがって、出撃を命じる側は司令も参謀も冷酷である。特攻攻撃が不首尾に終わっても、“消耗品にすぎない”“特攻隊員はいくらでもいる”と笑っている。
もちろん映画としてのフィクションであろうが、陸軍の航空軍司令官富永恭次中将の敵前逃亡事件のごとく、卑劣な特攻司令官がいたことも事実である。いつの時代でも、純粋な若者心を利用して、平然と他人の命を消耗品扱いする輩がいる。

「航空軍司令官富永恭次は特攻隊を送り出すたびに、おまえたちだけ行かせはしない、最後には私も参謀長の操縦する飛行機でおまえたちに続くと言いながら、米軍がルソン島に上陸すると、真っ先に台湾に逃亡しました。」(2003年6月4日国会憲法調査会公聴会の尾形公述人)
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by chaotzu | 2005-07-30 21:07 | 日本映画
2005年 07月 29日

【DVD】 「社長外遊記」(正・続)  夢のハワイに行きましょう

◆毎日放送の看板長寿番組となる「アップダウンクイズ」がはじまったのは1963年。回答者はゴンドラに乗って、1問正解すれば一段上がる、ただし間違えたら一番下までストンである。天国と地獄みたいなもので、子供ながらにみているほうもスリルがあった。司会の小池アナの手際よい進行ぶりも記憶に残る。
この番組のキャッチ・フレーズが「10問正解して夢のハワイに行きましょう」。今でこそハワイ旅行もポピュラーになったが、当時は憧れの海外旅行先だった。たしか巨人の王選手(当時)も10問正解してハワイ旅行を射止めたはずである。
このほか、サントリーの「トリスを飲んでハワイに行こう!」キャンペーン(by山口瞳)もあった。
1960年代、日本人にとってハワイはまさに憧れの楽園。福島県に常磐ハワイアンセンターなるテーマ・パークのはしりみたいな施設ができたぐらいである。
そんな時代のハワイ現地ロケ映画である。なんとも豪勢じゃないですか。b0036803_22474213.jpg
◆1963年東宝映画、社長シリーズもいよいよハワイ現地ロケ敢行である。観客にすれば憧れハワイの最新風景も味わえる仕掛け。しかし、あの真珠湾攻撃から20年ちょっとである。日本の戦後復興テンポアップのなんと目覚しいこと。
◆森繁氏、今回の役どころは丸急デパートの社長、5人娘の父親なんである。めぐみ、ひろみ、はるみと上の3人はまっとうな命名だが、四女は末子、五女となると留子(上原ゆかり)である。この5人娘がなにかと父親に甘えてあの手この手のおねだりするのが、サイド・ストーリーになる。 はっきり云って公私混同5人娘、今ならたいへんだ(笑)。
さて、ライバル百貨店の福助屋が香港に出店するらしい、加東大介常務の“たいへんです情報”を聞いた森繁社長、その場でハワイ出店を決めてしまう。重要事項を取締役会も開催しないで決めてしまうというサラリーマン社長らしからぬ荒業、いや蛮勇か(笑)。
◆先乗りの現地駐在員で派遣されたのが小林桂樹秘書課長、そしてハワイ・オアフ島での世話役は日系三世のフランキー堺、今でいえばABCマートみたいな店をやっている。もうめちゃくちゃおかしい関西+薩摩弁みたいなハイブリッド日本語をつかっている。天才コメディアンたるフランキーをあらためて認識する。
そして、森繁社長と電気釜持参の加東常務、宴会用カツラ持参ののり平部長がいよいよハワイに乗り込んでくる……。
おはなしのほうは、商売敵とのビジネス争い、独身小林桂樹の恋、森繁家の家庭波乱など、毎度お決まりご都合主義というか、かなり強引な展開。ラストで森繁社長が観客席に向かって“ちょっと都合よすぎますな”と言いわけするぐらいである(笑)。
でもまあいいでしょう。ヌアヌ・パリ峠、ハナウマ湾、ダイヤモンド・ヘッド、そしてワイキキ・ビーチ。まだワイキキの街も高層ビルが林立していない、ひと昔前のオアフ島がみられます。
それにしても、ハワイで海に落ちる夕陽をぼんやりずっと見続けたいものだ。
◆見どころはやはり宴会芸、とくにのり平がひとり気を吐いて大爆笑ものである。飛び入り参加したフラダンス大会での女装芸に抱腹する。とにかくオモシロすぎる、シュールすぎてまだ明るいうちから、こんなのみとっていいのかな、罪の意識を感じるほど(笑)。
◆思いたって、社長シリーズ登場俳優の生年月日等を調べてみる。
加東大介   1911年 2月18日(1975年7月31日死亡)
森繁久弥   1913年 5月 4日
小林桂樹   1923年11月23日
三木のり平  1924年 4月11日(1999年1月25日死亡)
フランキー堺 1929年 2月13日(1996年7月31日死亡)
そうか、のり平よりも小林桂樹のほうが年長だったのか、これは意外。加東大介は森繁より2歳年長、これでまた知識が増えたわけである、死ぬまで勉強だ。
しかし、妻子の誕生日のほうはいよいよ怪しくなりかけている。まるでトコロテン式の脳細胞である(苦笑)。
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by chaotzu | 2005-07-29 22:57 | 日本映画
2005年 07月 29日

NOMO的生き方~野茂よ、君はすばらしい

◆デビルレイズを解雇された野茂投手(36歳)がヤンキースとマイナー契約をかわした。今後メジャーに昇格すれば、ヤンキースがメジャー7球団目になる。
時系列にならべると
1995年 2月 ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約
1998年 6月 シーズン途中でニューヨーク・メッツ移籍
1999年 4月 解雇されシカゴ・カブスとマイナー契約
1999年 4月 自由契約でミルウォーキー・ブリュワーズとマイナー契約
2000年 1月 自由契約でデトロイト・タイガースと1年契約
2000年12月 自由契約でボストン・レッドソックスと1年契約
2001年12月 FA行使でロサンゼルス・ドジャースと2年契約
2005年 1月 自由契約でタンパペイ・デビルレイズとマイナー契約
2005年 7月 解雇されニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約
もうスゴいとしかいいようのない不屈の野球人生だ。日米両方で200勝、ノーヒットノーラン2回の大投手がマイナー契約だけでも5球団目なのである。
もっとも、世紀の盗塁王リッキー・ヘンダーソンが46歳になって、なお独立リーグでプレーしている国である。野茂投手であれば独立リーグで投げることもいとわないかもしれない。これまでも無類のチャレンジ精神を発揮してきたのだ。b0036803_19241184.jpg

◆野球選手としての成績ではイチロー選手のほうが優っているかもしれない。しかし、日本人の生き方そのものに影響を及ぼしたということでは、文句なしに野茂投手が上だろう。日本人選手のアメリカ・メジャーリーグへの挑戦は、野茂が先鞭をつけてひとりで切り拓いたようなものだ。サラリーマンがアメリカに転勤するのとはわけがちがう。近鉄で年俸1億4千万円の選手が980万円のマイナー契約をしてまで、未知の世界にチャレンジしたのである。
そういう意味では、「スポーツ界」というくくりなんぞとび超えて、ここ半世紀で屈指の日本人といっても大げさではないだろう。島国育ちで内弁慶になりがちな日本人に、海外でチャレンジすることの意義を身をもって示したのである。あわせて金銭的な損得より大事なものがあるということも証明したようだ。しかも挑戦はまだ続いている。
◆いい学校を出て大きな会社にもぐりこみ、冒険しない安定した人生を歩む。これまで日本人の多くが信仰してきた出世神話とは正反対の人生である。出身高校(大阪府立成城工業高校)は、甲子園とは縁遠い無名高校、就職したのも新日鉄の下請け会社である。プロ野球のスタートはパリーグの近鉄、ドラフトで脚光を浴びたものの、日本での野球人生はどちらかといえば非エリート的な雑草育ちである。だいたい大阪下町の団地育ちではなかったか、あの日本人離れした体力は、強固な意志でもって毎日ひたすら肉体を鍛錬した成果なのだろう。
◆監督コーチからみて注文をつけたくなる投球フォームであるし、トレーニング方法で首脳陣と衝突したこともある。頑固一徹、自制心のかたまりといってもいいかもしれない。アメリカに行くときも身勝手きわまりないと一部のマスコミや評論家からかなりの非難を浴びている。あれだけボロクソに云われたら「日本球界に戻るつもりはない」発言は当然だろうと思えるぐらいであった。
そして、メジャー1年目で新人王の実績に日本のマスコミや評論家がたちまち豹変するさまは、こっけいでもあった。
◆マウンドだけではない。社会人野球のクラブチーム「NOMO ベースボールクラブ」のオーナーでもあるし、アメリカの「独立リーグ」チームの共同オーナーにもなっている。これも野茂投手の先駆的な取り組みである。やたら「球界の発展」をお題目にするひとはたくさんいるが、現実にここまで実践するひとはなかなかいない。
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by chaotzu | 2005-07-29 19:31 | 野球
2005年 07月 28日

【DVD】 「社長洋行記」(正・続) 本家ユーミンが登場

◆海外旅行が自由化されたのが1964年、とはいえ1960年代まだまだ日本人の海外観光は珍しかった。新婚旅行といえば熱海とか宮崎が相場である。シベリア鉄道経由でヨーロッパへ安上がりに行けるらしいなんて熱弁ふるっていたが、今思えば五木寛之の影響丸出しであった(汗)。
それが、1972年の外貨持出制限撤廃、1973年の変動相場制移行(円高ドル安)によって、日本人の海外旅行があっという間に加速する。横長のリュックを抱えてヨーロッパをブラブラ、カニ族なんてコトバも流行りました。そして1990年代になると、どこもかも日本人だらけ(苦笑)。なかには小学生のときから毎年外国旅行というガキまで出てくる。オレの両親なんかとうとう1回も行かずじまいだぞ、クソ!と内心おおいにむかついたものだ。
いま、外国で目立つのは中国人の団体さんだろう。こんなところにまで来るのかと思うぐらい進出著しい。とにかくギャーギャー賑やかなのですぐ分かる(笑)。貧富の差が激しいといっても、あの巨大人口である、小金持ちも爆発的に増えたのだろう。かつての日本人団体さんを髣髴させる勢いである。
さて、日本人の大半にとって、海外旅行がまだまだ夢であった時代、海外で撮った映画である。
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◆1962年東宝映画、正続あわせて3時間ものを2本に分割して、1ヵ月間隔で上映するという、はっきり云ってかなりセコイ封切手法。初の海外(香港)ロケ敢行ということで、2本にふくらませたかったのだろうか。このため、正編はとってつけたみたいな妙な終わり方である。それでも、海外旅行が自由化される2年前の海外ロケであるから、観客は香港の街の光景だけで満足したかもしれない。「慕情」という香港舞台のアメリカ映画が大ヒットしていたからなおさらだろう。

◆森繁氏、今度は桜堂製薬という貼り薬メーカーの社長さんである。主力商品は「サロンパス」ならぬ「サクランパス」、なんだか、錯乱パスみたいだな(笑)。
その主力商品の売り上げが東南アジア地域で落ち込んでいる。海外販路を委託している商社は微々たる売上げの「アンマ膏」なんぞ本腰を入れてくれない、それじゃ直接販路開拓だと社長自ら香港に乗り込む。大昔から再三繰り返される商社不要論を思わせる出だしである。
◆社長随行者の人選がたいへん。英語のできる小林桂樹秘書課長はいいとして、大乗り気の三木のり平営業課長、早速「特に必要な英語」を勉強してきたとお披露目する。
“メイ アイ オープン ユア フラワーガーデン バイ マイ ゴールデン・キー”
“ハウマッチ オールナイト?”
“トゥモロー・モーニング ゴーバック マイ・ホテル バイ リキシャ ネバー・マイン、ネバーマイン”
もう100%遊び気分で勘違い甚だしい(笑)。この時代の海外渡航だから気持ちは分からんでもないが……。
結局、土壇場で現地に縁故があるらしき加東大介営業部長と交代するが、のり平課長のガックリすること。連日の壮行会で大はりきりだったのである。おまけにあちこちの神社のお札まで用意している。
前にみた社長道中記とちがって、のり平のクレジットも格上げされており、サラリーマン・トリオがカルテットになったみたいだ。事実のり平のギャグがいちばん炸裂しているのである。ただ、加東大介や小林桂樹に比べて、芝居と素顔がとてつもなく乖離しているようなイメージがある。ある種の凄みと云いかえてもよいかもしれない。
◆現地で頼ったのが、香港に住み着いている日本人のフランキー堺、これがもうメチャクチャいい加減人間、連日宴会ばかりで商談はさっぱり進まない。タカっているのである。とうとう加東部長に身元を疑われる。
“僕ハ世田谷ノ千歳船橋ノ生マレタ。ハア~、僕ハ純粋ナ日本人ダヨ”
“香港ニ長イコトイルト日本語全部コウナルヨ。任シトキナサイヨ、ホンマニ”
こういう役柄のフランキーは滅法面白い。この線で役者やってればなあとつくづく思ってしまう。
◆まあ商売のはなしはおさまるところにおさまる。当時香港の人気女優であった尤敏(ユーミン)をめぐるサラリーマン・トリオの鞘当てがもうひとつの見どころ。日本料理店マダムの新珠三千代が焼きもちから洩らした「香港芸者と遊んでばかり」云々を聞きつけたのが、香港行きを外されたのり平であるから、さあたいへん、あらぬニュースがとびかって、てんわやんわの騒ぎになる。
香港出張ひとつで会社も家庭も盛り上がるのだから、なんといい時代なんだろうか(笑)。
しかし、この時代香港の対日感情はいまよりはるかに良好そうである。
◆意外な登場人物がふたり、三船敏郎、そしてもうひとりはなんと戦前の名優斉藤達雄である。
ミフネはもう丸分かりだが、斉藤達雄は香港の商事会社会長役、ちょっと気がつかない。なんだか寂しい思いもする。
◆蕎麦の斬新な食べ方
森繁社長がはしでつまみあげたソバを小林秘書がその都度ハサミでちょきり、すごい食べ方しとる(爆笑)。
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by chaotzu | 2005-07-28 22:04 | 日本映画
2005年 07月 28日

内藤洋子~かつて「白馬のルンナ」のレコードを買った

◆昼休み、テレビをのぞくと内藤洋子が出演している。いや、いまは喜多嶋洋子か。テレビCMなどで部分的に復帰したとは聞いていたが、ワタシがリアル映像をみるのは35年ぶりである。
若いひとにとっては、内藤洋子・フー?かな、喜多嶋舞の母親と説明したほうが手っ取り早いかもしれない。55歳、まだおばあさんにはみえない。
◆40年ぐらい前、青少年のハートをわしづかみにした存在だったのである。テレビドラマ「氷点」の陽子、映画では「伊豆の踊り子」や「赤ひげ」などに出演、美少女の域を超えた「聖少女」的存在だった(汗)。少年少女雑誌のグラビアにも毎月登場、今どきのアイドルの百倍は人気があったのではないか。b0036803_07453.jpg
歌も出している。「白馬のルンナ」、これが大ヒットしたのである。
♪ルンナ 月の浜辺の ルンナ
 ルンナ 星を見つめている ルンナ
作詞は松山善三、今となれば気恥ずかしい唄でもあるが、友だちとよく聴いたものである。もうええのう、ええのうの連発、内藤洋子は便所なんか絶対行かんじゃろと、田舎のこどもは純情かつ大真面目であった。

◆それが、20歳になるかならずかで突然結婚して姿を消してしまったから大ショック。「拉致」したキタジマ某というミュージシャン、まことにけしからん輩であるとあちこちで悲憤慷慨のアラシだったが、今おもえば、ファンによる過剰なまでの偶像化に嫌気がさしたのかもしれない。まことに国民的アイドルというのは楽ではない。吉永小百合は実に偉大である。
そうか、あれから、もう35年になるのか。

◆絵本作家としてデビューするそうで、テレビ出演はそのプレゼンテーションのようである。
それにしても、伝説あるいは神話がほとんど完成しつつあったのである。35年も経てば昔日の聖少女オーラはさすがに退色する。なんだかもったいなく思わないでもない。
まあかつてのファンの身勝手な思いであり、大きなお世話そのものなんですが。
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by chaotzu | 2005-07-28 00:10 | 映画周辺
2005年 07月 27日

【DVD】「社長道中記」 ♪カンカンカ~ン、カンヅメカ~ン

◆1961年東宝映画、「用心棒」と併映されたらしい、なんと豪華な二本立て!
東海道新幹線が開業する前の関西出張のはなしで、当時の在来線特急こだま号(東京ー大阪間6時間)の様子が興味深い。途中横浜駅でシューマイを買ったりしている。時間は余分にかかっても、現在の新幹線より旅行気分がありそうだ。交換手付きの電話室なんてのがあったんですな。
また、この時期登場したインスタント・ラーメンも早速取り入れている。そのインスタント・ラーメンもいまや宇宙食である。
b0036803_23195355.jpg◆今回の森繁氏は太陽食料という缶詰メーカーの社長さん、加東大介の総務部長が新商品をもって社長室にやってくる。
これがなんと「マムシの蒲焼」「カエルの大和煮」「カタツムリのフレンチ・グラタン」といったゲテモノ3種類の缶詰、大真面目にやっているがいったい誰が食べるのかな(笑)。ヘビとカエルとナメクジの三すくみみたいなもので、森繁社長が腹の中で忍術合戦するのかと早速ギャグをかましている。
いまでこそ、即席緬に冷凍やレトルトもの食品が普及しているが、この当時は缶詰が即席食品の代表格だったのである。鯨肉の大和煮や牛肉の江戸っ子煮とかよく食わされた記憶がある。シーチキンという大ヒット商品なかりせば、缶詰は非常食に追いやられているかもしれない。
◆さて、その新製品を携えて、業績不振の大阪へ社長自らテコ入れ出張である。随行は総務課ヒラ社員の小林桂樹、堅物をかわれて社長の浮気の虫を牽制する特命も帯びている、まことに旧きよき時代(笑)。ところが大阪支店長が宴会大好きの三木のり平だから、まともにいくわけがない。
◆いちばんの見どころは、取引先を招待した白浜温泉での宴会。太陽食料宴会トリオによる渾身の混線ショーでもって、いつもむっつり顔の南海物産三橋達也社長をなんとしても笑わせねばならない。ハネをのばしたい森繁社長は淡路恵子のバーマダムをこっそり呼んだりしている。
さて、いかが相成りますやら。
・トップ・バッターは小林桂樹
「正午の時報、ボッボッボッ、カ~ン……ヅメッ」
・次はトリオの石松ショー
「江戸っ子だってねぇ、カンヅメの生まれよお、
食いねえ、食いねえ、カンヅメ食いねえ」
・三人が缶詰の扮装をして、森繁作のCMソングの大合唱、まるで欽ちゃんの仮装大賞みたいだ。
「♪カン、カン、カ~ン、カンヅメカ~ン
太陽のカンヅメかん
マムシだ、ホイ!
カエルだ、ホイ!」
(いい年こいて、こういう駄文をケンメイに書くというのも、ナンダカ脱力しそうである。映画の雰囲気を文字にしたいのであるが、ワタシ的には、こんなことしてる場合かと自問したりするー苦笑)。
◆森繁の娘役で登場の浜美枝、父親に「カミカゼ・ペーパー」をおねだりしている。
カミカゼ・ペーパー? 猛スピードで消えていく紙、即ちお金のことだそうです。
まあ、ギャグがたくさんあって、けっこう笑わせてくれる映画でした。
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by chaotzu | 2005-07-27 23:31 | 日本映画
2005年 07月 26日

【DVD】 「真空地帯」兵営ハ條文ト柵ニトリマカレタ一丁四方ノ空間

◆木村功で思い出すのは「七人の侍」の若侍、勝四郎。宮口精二の久蔵に感服して
“あなたは立派な人だ。あなたは素晴らしい人だ”
まかりまちがえば「愛の告白」ととられかねないアブナいセリフを、何のてらいもなく云ってのける。
純粋純情な若者だった。いまどきこんな素直なセリフを自然に吐ける俳優さんはもう見当たらない。
こんな純情青年でも、環境が変われば人間不信に凝り固まって目玉ギラギラ逆上して、上官の中尉をポカ殴りしてしまう、げに軍隊という閉鎖空間、人間の要素を奪い取る真空地帯そのものだ。
b0036803_2255279.jpg◆1952年日本映画(新星映画社)、レッドパージで東宝を追放された山本薩夫監督が独立プロで製作。俳優も新劇人ばかりである。人気女優を起用できる余裕なんてとてもないのだろう。だから、むさくるしいオトコばかりの映画になる。色気はほとんどない。
まあ軍隊の情けない内実である。敵と戦う以前に、内輪で陰湿な新兵いじめに熱中してばかり、真に戦争に負けたのもむべなるかな。内地でこんなありさまであれば、戦地はもっとすごかったかもしれない。前の敵より後ろの味方のほうがコワイとなれば、もう戦争どころではない。
とにかく靖国神社の遊就館では絶対にみられない軍隊の一面である。
◆原作は野間宏の同名小説、軍隊の不条理を描くが、みようによってはとことん喜劇なのである。
兵士の持ち物からマックス・ウェーバーの「社会主義方法論」が見つかって大騒ぎになる。 「社会」とあれば、もうなんでも危険思想になる(笑)。
准尉や軍曹など叩き上げの下士官が実際の権力を握っている。士官はうわべだけ持ち上げておけばオッケーなのである。お互いに承知のサル芝居をしている。「兵隊やくざ」の世界もまんざらフィクションではないだろう。
軍法会議で主人公の手帳の内容が開陳される~「林中尉はキチガイ、早よう死にやがれ」「中隊長はアナだらけのレンコン野郎」「中堀中尉は家を新築、妾は5人、兵隊商売やめられない」
主人公が師団経理部の不正を糾弾しているのに、検察官の法務中尉は
“父親(同然の中隊長)に対してレンコン野郎というのか”
“陛下の軍隊に反抗するのか”
などと、言い分を聞くつもりは毛頭ない。師団ぐるみで根回し済みであって軍法会議は茶番なのだ。
◆だけど、このような旧軍体質、いまの日本社会にあってもなお残っている。
日本民族の悪しきDNAかもしれない。
いちばん分かりやすい例が一部大学の体育会、甲子園で活躍した高校球児が大学を辞めてしまうのは、だいたい先輩のいじめである。おかげで地方の新興大学の野球部が強くなった。子供の世界でも数をたのんだイジメが絶えない。
組織ぐるみの犯罪もみ消しもそうだ。経済産業省のウラ金疑惑が刑事事件にならない。24百万円も私的な株式取引に流用しており、インサイダー取引の疑念もあるのにである。
真空地帯は場所を変えて今でも存在しているのではないか。
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by chaotzu | 2005-07-26 23:04 | 日本映画
2005年 07月 25日

道路公団副総裁の食言

◆とうとう道路公団の内田副総裁が逮捕された。
5月の民営化推進委員会の委員懇談会で、公団OBの組織かずら会について「新聞でみるまでは知らなかった」と回答。猪瀬委員と紛糾したあげく、6月の懇談会を欠席、さらに記者会見まで開いて名誉毀損を訴えたてんまつは周知のニュースであったが、結局のところ、抵抗むなしく逮捕されたわけだ。ずいぶんと無駄なアガキをしたことになる。b0036803_22573525.jpg
まさに利権技術屋の正体みたりで、名誉回復どころか汚名まみれになってしまった。
ワタシ的な問題は談合に手を貸したそのことよりも、平然と世間に向けてウソをついていたことだ。かずら会どころか談合の存在まで否定していた、その本人が逮捕されたのだから洒落にもならない。それなりの社会的地位のある人間として、もうちょっと人間的に潔い対応ができなかったものか。
国民経済全体の得失よりも、東大工学部卒業の土木官僚を頂点とする談合ヒエラルキーの防御に殉じたつもりかもしれないが、ハタからみれば、世間知らずのバカとしか言いようがない。役人の世界で技術系官僚が事務系の下にみられるのは、こういうところがあるからだろう。

◆おそらく、かなり以前から自分が逮捕される懸念があったにちがいない。道路公団の副総裁で技術系のトップといえば、そりゃ談合の元締めである。業界はみんな知っている、談合界の月光仮面みたいなもんである(笑)。だからこそ、徹底的にしらを切るしかなかったのだろうが、あまりにも対応がお粗末で見苦しかった。世間知らずの技術バカといってしまえばそれまでだが、名誉毀損と騒ぎ立てるさまは、まるで幼児みたいで失笑もの。2ちゃんねるふうに云えば、“副総裁、必死だな”である。強弁するほど、嘘つきのイメージが固まってくる。もしかすると、昔みたいに政治家の庇護があると期待していたかもしれない。だとすると、二重の愚かさである。
まあ、逮捕された以上は、業界浄化のため、あらいざらい吐いて欲しいものだ。歴代技術系のトップみな同罪じゃないか、なんで自分だけドロかぶらにゃならんという気持ちもあるだろうし、なおさらだろう。
◆しかし、近藤総裁もかなり情けないものがある。終始、内田副総裁の弁護オンリーに努めていたが、いったいなんのために、国会議員を辞してまで道路公団に行ったのか。
もう就任後1年半以上経っているのに、確たるリーダー・シップがみられない。すっかり利権技術屋になめられているようだ。
こんな頼りなさで新会社の会長がつとまるのかな。
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by chaotzu | 2005-07-25 23:04 | 時事
2005年 07月 25日

【ビデオ】 「陸軍中野学校」 日本スパイ映画の大傑作

◆はるき悦巳の名作マンガ「じゃりん子チエ」に小鉄という猫が登場する。ものすごくケンカのつよい猫で、かつて相当な修羅場をくぐってきたらしい。別名がなんと雷蔵!おそらく猫の名前では史上最強じゃなかろうか。なんといっても雷蔵だ。そう、あの眠狂四郎の市川雷蔵なんである。
ワタシも息子に雷蔵という名前をつけたろかと思ったことがある。今でこそ流行らないが、かつて雷の入る名前はけっこうあった、雷太郎とか雷三郎とか逞しそうである。息子の母親がモーレツに嫌がったので断念したが、いまでも未練があるぐらいだ(笑)。
そんな市川雷蔵の非チャンバラものをみる。これが実にすごい傑作なんである。
◆1966年大映映画、モノクロ。戦後60周年ということで、この際戦記ものを集中的にみようとレンタルしたが、みてビックリ。戦記ものなんかじゃない、ハードボイルド・ラヴロマンスの大傑作である。b0036803_2246296.jpg
◆東京帝大卒業の三好次郎(市川雷蔵)、予備仕官学校を経て少尉に任官するも、なんだかよく分からない組織に召集される。
リーダーの草薙中佐(加東大介)は新しいスパイ学校の設立に燃えている。陸大や士官学校出のアタマの固い奴じゃダメだ。今こそロシア革命を支援して日露戦争勝利に貢献した明石大佐のような存在が必要である。スパイひとりで一個師団2万人の価値がある。植民地解放のために、あえて洋々たる前途をすててもらいたい。軍服は脱げ、軍隊用語も一切使うな、そして戸籍も捨てろ。
◆はなしは中野学校に入って消息を絶った市川雷蔵、雷蔵を懸命に探す婚約者の小川真由美それぞれの状況が交互に描かれる、はじめは別筋であった2つのストーリーが、思わぬことから終盤交錯するが、その結末のもの哀しいこと。雷蔵の乾いたナレーションにしびれる。
“わたしもスパイだった”
“わたしの心も死んだ”
◆とは云っても突っ込みどころがないこともない。
・あんな人情家が非情モットーのスパイ組織の親玉だなんてありっこない。
・スパイ学校の存在が機密扱いだとしても、肉親等にはなんらかのアクセス・ルートを用意しておかないと、かえってやぶへびだ。学生でも偽装身分は必要じゃないか。
・天皇の官吏養成校たる東京帝大卒でスパイ学校に入る奴なんているわけないよ。
いや、ごもっともだ。この作品に関しては中野学校なんてタイトルだけの借り物なんだろう。たまたまスパイになることを選択した男たちの哀しい姿が眼目であって、史実としての中野学校がどうであったかは映画の本線ではない。
モノクロ画面で古めかしく撮ってはいるが、実際は007など1960年代スパイ映画の日本版になっている。なにせ女性の性感帯講義や実地講習まであるもんな(苦笑)。
あと東京帝大卒のスパイなんかは、東大卒業増村監督の諧謔が入っているかもしれない。
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by chaotzu | 2005-07-25 22:54 | 日本映画