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2005年 08月 25日

高校野球かくも奇妙な世界

◆駒大付属苫小牧高校、57年ぶり夏の甲子園連続優勝で大フィーバーかと思いきや、一転、教師(野球部長)による部員への「暴力」事件で大揺れである。

b0036803_2152267.jpgこの事件、正直云ってよく分からない。事件そのものの中味以前に、なぜこれほど騒がれるのか理解できないのだ。「暴力」事件をないがしろにするつもりはないが、とても全国ニュースでとりあげるネタとは思えない。せいぜい地方版ではないか。マス・メディアはもっとほかに調査報道すべきことがあるはずだし、まして衆議院が解散して選挙告示直前である。

夏の甲子園優勝校野球部の事件だからニュース・バリューおおありという考えもあるだろうが、100人近くの部員がいてそのうち登録外で試合に出ていない部員が、しかも「被害者」であるという事件である。甲子園あるいは南北海道の地区予選で現実にあった野球試合となにか特別な関連があるのだろうか。
まして、優勝を勝ちとったのは出場した選手の力である。大人が仕出かした「暴力」であるのに、優勝の辞退あるいは取消しの事態まで想定した報道は、すこぶるこっけいにみえてしまう。

◆問題があるとしたら、「暴力」事件そのものよりも、事件が発覚すれば甲子園に出場できなくなるという学校側の発想ではないのか。現実に明徳義塾高校は部員の集団喫煙と下級生部員への暴力事件で、甲子園に到着してから出場辞退に至っている。学校としてのリスク管理の拙さとそれを誘引する高野連の旧弊体質である。
また、当該部員の父親が云うように「40発殴られてアゴが曲がった」としたら、それこそ刑事事件である。学内の調査委員会や高野連への報告がどうたらの密室的な対応は不信感を生むだけではないだろうか。

だけど、もういい加減にしてほしいものだ。まして、苫高の事件は部員の起した「不祥事」ではない。こうなると際限のない連帯責任の追及である。高野連はいつまでサル芝居をやるつもりなのか。
昔からそうだが、高校野球を聖なる祭典に祀り上げたいマス・メディア(朝日と毎日そしてNHK)の思惑がなんでも事大主義にしてしまう。高校生のクラブ活動のひとつであって、それ以上でも以下でもない。ところが、商業ベースにのった大人の打算が、いつのまにやら高校野球だけ卓越した存在にもちあげて、ありもしない純真な高校球児の虚像をでっちあげてしまう。だいたいが球児である以前に、17、18歳の遊びたいさかりが大半であって、そっちのほうもまた自然なのである。
夏の大会で優勝した金村義明(報徳学園→近鉄)の本なんかみると、球児の「悪がき」ぶり横溢である。受け狙いの誇張部分はあるかもしれないが、メディアが報道するうわべだけの高校球児イメージを見事にぶちこわしている。

◆かつての週刊ベースボールのグラビア、甲子園出場有名球児(のちドラフト1位入団)の紹介写真をみると、なんとテーブルの上に堂々と百円ライターを置いている。どうみても持ち主はその選手である、オイオイ大丈夫かい(笑)。実際は、取材記者の前で平然と煙草をふかしていたのだろう。そして、そんな選手がいくらいようが、メディアも商売ネタ優先でそれを看過していたのではないか。
セリーグの某球団監督の高校球児当時なんかは、見るからにワルの雰囲気たっぷりだった。野球番長そのもので、このひとなんかは部内で出場停止20年分相当ぐらいの「不祥事」をやっていたにちがいない(笑)。
しかし、それぐらいのやんちゃ坊主じゃないと大舞台で実力発揮できないぞといった見方があったことも事実なのである。同じ球児のなかでも、熱血青春部分と思春期反抗部分が並存している。それが、タレコミがあるかないかでどちらかに偏ってしまう。同じことをやっても、人間関係次第で、指導的行為になれば暴力行為になったりもする。

このままでいくと、外部?からの「タレコミや告発」次第で、高野連の運営が左右されることになりかねない。いやもう既になっているか。
いつまでも建前的な高校野球観に固執して、連帯責任ばかり振りまわすことはもうやめたらどうか。高校野球はなにも特別なものではない。
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by chaotzu | 2005-08-25 21:57 | 野球
2005年 08月 24日

【NHK・BS】「運が良けりゃ」 ハイ、並焼き一丁上がりぃ~

◆1966年松竹映画、ビデオ録画の消化。落語に造詣の深い山田洋次監督ならではの古典落語の映画化である。
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時代設定は江戸時代の裏長屋、主役は熊さん(ハナ肇)、八つぁん(犬塚弘)になる。けっこう面白い。
落語をもとにしたネタは5つほど盛り込まれているらしいが、気がついたのは次の3つ、映画としての脚色があるので、はなしの展開は古典落語そのままではない。


◆「さんま火事」
大家の横暴に腹を立てた長屋の住人、熊さんが秋刀魚をいっせいに焼こうという。たちまちもうもうたるけむり、そのなかで“このサンマどこで買った” “(大声で)河岸だあ”のやりとり。
つい火事だと勘違いした大家のところはたいへんな騒ぎになる。

◆「黄金餅」
長屋の住人である高利貸婆さん(武智豊子)、死期を悟ってハナ肇妹役の倍賞千恵子に餅を買ってきてくれと頼む。いったい餅をどうするんだろうとのぞいていると、なんと貯めこんだ金子を餅に包み込んで腹におさめている。せっかくのカネをダレにも渡すもんか、冥土にもっていくぞ。

◆「らくだ」
高利貸婆さんが亡くなったのを知った大家が、これ幸いと住民に立ち退き要求をする。怒った熊さん、大家といえば親も同然、店子が死んだとあればそりゃ気の毒だと酒の三升、煮しめの一皿ぐらいは届けるのが当然じゃないか。さもなけりゃ、死体を大家宅まで届けてついでにカッポレでも踊らせるぞ。

◆落語というと長屋庶民の人情噺をまず思い浮かべるが、実際はけっこうグロテスクなはなしもある。SFもどきのホラ話もあれば、ブラック・ユーモアもありで、それこそなんでもござれである。
「黄金餅」では焼き場で隠亡に「お腹だけ生焼きにしてくれ」と頼んで、腹から金子を取り出すが、死者に対する敬虔な気持ちなんかさらさらない。「らくだ」にいたっては白塗りのホトケにカッポレを踊らせるなんて死者に対する冒涜そのものでもある。
落語家が語りだけでやれば、そのあたりがはぐらかされるのだろうが、映像の場合、あまりくどくやると観ているほうがひいてしまうので塩梅が難しい。さすが山田監督、その辺はぎりぎりのところで抑えている。

◆ハナ肇と倍賞千恵子の愚兄賢妹パターンは、寅さんと同じであるが、この映画のハナ肇は全然懲りない兄貴で、最後まであっけらかんとしている。ハナ肇はこういうペーソスのない「アッと驚く為五郎!」的な役柄のほうがずっといいかもしれない。
“まるで便所の月見じゃねえか”
“ウンのツキってことよ、ワッハッハッ”

この時期の若々しい倍賞千恵子はほんとうに魅力的である。歴代美人女優の枠に入ってしかるべきだと心底思う。
ところがそれなのに、長屋住民の糞尿を収集している百姓倅の田辺靖男と恋仲になったりするのである。安田伸の若殿の愛妾になるはなしもあったのに、肥え取り百姓とくっついてしまうのだ。おまけによりによって、糞尿の色から住民の栄養状態が分かるなんて会話をしたりしている。もうちょっとましな会話をさせんかい(苦笑)。

◆渥美清が焼き場の隠亡役で特別出演、
“それで、ホトケの焼き具合は並焼きかい、上焼きかい”
“ハイ、並焼きいっちょうアガリー”
寅さんシリーズではみたこともないような怪演ぶり。
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by chaotzu | 2005-08-24 22:22 | 日本映画
2005年 08月 23日

【マンガ】「のだめカンタービレ」 天然異才娘の成長物語

◆ここ何年来ずっと禁煙、禁酒(除くワイン少し)そして禁マン?、鉄壁の3原則でやってきたつもりであったが、あっさりと鉄の一角を破ってしまった。毎度のコンジョなし男である。ぎゃぼ~っ!
同居人が読んでいるマンガ、二ノ宮知子の「のだめカンタービレ」、いい年こいたオバハンがひとりげらげら笑っている。みっともない、ナニみとるんや。NHK教育の音楽番組で紹介されたらしい。
かなり前から評判のマンガだったそうだが全然知らんかった。どれどれと一冊とってみたのがウンの尽き、あっという間に12冊読んでしまう。

b0036803_2125845.jpg◆いやオモシロイです、始めのうちは「動物のお医者さん」に似たような印象、だけどギャグはパワーアップしており、もう腹を抱えて大笑いする。免疫力がだいぶアップしたかもしれない。
セクハラ親父にしかみえない合コン大好きのホルスタイン先生、大きなコントラバス抱えた小柄な貧乏女子学生の恋、打楽器の女王?の登場。そして学園祭でヒロインのマングース・コスプレに腹を抱える。憧れの千秋先輩へのバレンタイン・チョコは福引で当てたアニメキャラのペロテイチョコ、先輩が“こんな程度だったのか”とショツクを受けているが本人は意に介さず、卒業試験の曲がリストの「村の居酒屋の踊り」だと聞いて大笑いの追いうちをかけたりするのである。だけど、その先輩も友人宅の中華料理店「裏軒」でクラブ・サンドとエスプレッソコーヒーを平然と注文したりしている。さらにその中華オヤジもなかなかのナイス・キャラであるといった具合。とにかく奇人ぞろいだが、ワルい奴はほとんどいない。

◆もっとも、ギャグは本線にあらず。正統なクラシック音楽の紹介漫画であり、かつ音大生であるピアニストの卵の野田恵(のだめ)とその先輩で指揮者を志望している千秋真一の成長物語である。
ヒロインの“のだめ”、音大のお嬢さんと思いきや、楽譜読みは苦手、部屋はゴミ捨て場、入浴嫌いでアタマが臭い、同級生の弁当をかっぱらう、そして憧れの千秋先輩にストーカーまがいの突撃をかまして勝手に夫婦気取りをする、天然変態?娘。
それが一度聴けばなんでもたちまち弾ける並はずれた音感の持ち主で、天才ピアニストの原石なのに幼稚園のせんせい希望という設定である。おじさんはこういう若者の成長物語にはとりわけ弱い。見果てぬ夢はダレかがかなえてほしい。

◆担当教授の計らいによる千秋先輩との連弾、ハリセン先生と二人三脚のピアノコンクール出場などたくさんの演奏シーンが登場するが、みんな作中の音楽がどこかから聞こえてきそうである。ラフマニノフ、ブラームス、ドビュッシー……、スコアのひとつから一場面一場面をていねいに描きこみ、かつコマ割りも「音響効果」を細心に計算しているのだろう。
ひさしぶりに集中してクラシックを聴きたくなったぐらいだ。

◆おすすめは番外編「リカちゃん先生の楽しいバイエル」、のだめの子供時代のはなしである。「ウンコ」「オナラ」ばかり絶叫して、ろくにピアノを弾こうとしないのだめとリカちゃん先生の感動的なエビソードである。
このマンガはいずれドラマ化されると思う。まちがいなしデスよ。
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by chaotzu | 2005-08-23 21:31
2005年 08月 22日

【ビデオ】 「濹東綺譚」 偏屈じいさんのラヴ・アフェア

◆他人の日記を読むということは、その人の私生活なりアタマのなかを窃視するスリルを擬似体験できることでもある。日本近現代人の著名な公開日記といえば、やはり永井荷風の「断腸亭日乗」だろうか。いまや荷風のメイン・プロダクツである。
半藤一利によれば、荷風じいさんは先行き公開することを前提で書いていたふしがあるらしい。生前に発表された日記と死後のそれとは随所に内容の異なる箇所があったり、戦時中の軍部批判などは削除修正したり戻したりの忙しさ。なかには韜晦したような記述もある。だから日記研究家となれば、交流のあった著名人の日記との突き合わせもする。そうするとこれまで分からなかった人間関係の機微が浮かび上がってくるそうな、こうなるとなんだかミステリ小説を解いていくみたいである。
さて、荷風は37歳から死ぬまで日記を書き続けた。42年間になるが戦前戦中の異常な時期も含まれる。国民の多くが戦争熱に浮かれているときに、麻布六本木から玉の井(東向島)の私娼街まで通いつめる。この人にかかっては戦争批判もオンナや食い物の好みもみんな等価である。
実家とも断絶しある意味好き勝手に生きて、79歳で孤独死したひとりの人間の記録、うーん、うらやましくもあり、うらめしくもあり。

b0036803_22281295.jpg◆1992年日本映画(東宝&ATG)、豊田四郎監督の同名映画とは異なり、永井荷風その人が主役。おおむね「断腸亭日乗」に沿った展開であるが、玉の井の娼婦お雪とのエピソードは「濹東綺譚」を参考にしている。あくまで新藤監督脚色の「濹東綺譚」である。
津川雅彦が永井荷風を演じる。たいして似ていないが、この前みた東條英機よりはまし、やはり生真面目な役よりも、飄々たる軟派人間のほうが断然あっている。あと、いまや消えた女優になってしまった墨田ユキがモーレツなハダカ演技をみせる。そういえぱ新藤監督の作品では故殿山泰司がモデルの映画で荻野目慶子が突然すっぽんぽんになったこともあったし、ときどきびっくりさせられる監督さんである。

◆それにしても、荷風ほど好き放題に生きた人間はそういないだろう。悪く云うと金持ちの放蕩息子、狷介偏屈、吝嗇、オンナ好き、ジコチュー……、もう悪口だらけになってしまう。それで文化勲章までもらっちゃうのだから、正直、近場におられたらむかつくかもしれない嫌味野郎(笑)。だけど、悪口まみれでも破天荒な生き方のほうが断然面白い。なにせ戦時下の抑圧された時代に「愛の流刑地」みたいな享楽小説をせっせと書いていた剛胆したたか人間である。当然映画のほうも格別に面白い。

◆冒頭、50歳バツ2の息子荷風に再婚を奨める母親(杉村春子)、そのとんでもない会話。
(息子)“ぼくはねえ、処女性を大事にしたいんですよ”
(母親)“サックつけていても挿入すれば同じじゃないの”
そして、荷風は母親の面前で20歳そこそこの女中(当然関係あり)にブチューと接吻する。
もー、みている方が恥ずかしいというかミもフタもない。とにかくとんでもないおっさんであったことを、まず観客に知らしめたわけだ。

◆そんなとんでもないおっさんだから、関係をもったカフェの女給(くわえ煙草の伝法な宮崎美子)に財産の半分を分けろとゆすられたりする。
“もてるブルジョアがもたざるプロレタリアにやるのはあたり前じゃないの”
音を上げた荷風じいさん、とうとう警察をつかって撃退するが、本人も刑事に説諭される始末。
“こんなくだらんことで警察の手を煩わすな”
まー、こんなことまで面白がって日記に書いているのだ。冷徹な目で観察しているもうひとりの荷風がいたんだろう。

◆いちばんのみどころは、戦前の玉の井のまちを映画で再現したことだろう。路地が入り組んだ迷路みたいなところである。あちこちに「ぬけられます」のネオン看板がかけられている。置屋には小さなのぞき窓があって、そこから娼婦が道行くひとに声をかけている。夏はどぶ蚊がすごいので、いつも蚊帳をつっている。そんな街に50代後半の荷風が地下鉄とバスで通いつめるのだ。なんたるスケベじいさん! そして“文学とオンナは一体、子供は文学のジャマ”とうそぶいている。いや、おそれいりました。

◆戦争も終わる。お雪も頑張って生きている。だけど新聞で荷風をみても気がつかない。もとより、エロ写真家とにらんでおり、勲章をもらうようなエラい先生なんて思ったことがないのだ。
いっぽう荷風のほうは浅草のロック座に入りびたり、踊り子さんといっしょにカメラにおさまったりしている。こうなると男子の本懐みたいな人生である。
晩年になると市川の自宅から浅草まで食事に出かけるだけの毎日。アリゾナ・レストランに尾張屋。日記のほうは連日、“晴れ後に陰、正午浅草”のような記述が続くだけ。
昭和34年4月30日胃潰瘍吐血による窒息死、享年79歳。
映画のシーンにはないが、現場にかけつけた半藤一利(当時週刊文春記者)によれば、警察調達の棺桶が小さすぎて納棺に苦労したらしい。
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by chaotzu | 2005-08-22 22:34 | 日本映画
2005年 08月 21日

棄権がこうもり政党を支えている~公明党

◆筒井康隆のSF短編「堕地獄仏法」、40年前にSFマガジンに掲載された作品であるが、ワタシの知るかぎり唯一の創価学会パロデイである。創価学会が「総花学会」、公明党が「恍冥党」になり、人気取り政策で政権を獲得した後の、情報統制、宗教国家の恐怖を描く。そして、「総花学会」「恍冥党」のぴったりネーミングは今さらながらスゴいのひと言。
初めて読んだときは、創価学会(=公明党)が政権をとるなんてありえないと思っていたので、大笑いしたものだが、それがなんと、いまや連立内閣にせよ実現しているのである。
「政治倫理の向上を叫ぶだけで、具体的な政治構想をもたないことが、今でも恍冥党の本領だった」「大衆の福祉誓いて堂々と恍冥党は駒を進めん」
40年前のパロデイ小説に書かれたことが、現在でもそのままあてはまってしまう。げにそら恐ろしい現実である。

b0036803_22553451.jpg◆現実の公明党という存在、歴史上はじめて登場した理念なき政党ではないだろうか。いや、あるといえばあるかもしれない、「とにかく与党にしがみつく」その一点だけだ。
かつて自社さ連立時代に池田名誉会長の国会喚問要求で揺さぶられたことから、もともとの与党志向がいっそう露骨になった。ちなみにその時の創価学会攻撃派の急先鋒が亀井静香であるから、こんどの広島6区の選挙は学会=公明党にとって千載一遇の復讐チャンスになっている。
昭和39年の結党時点では、社会の底辺大衆、いわゆる弱者の人々が支持層の主体であり、それを共産党と奪い合ってきたが、現世利益を標榜し、福祉利権の取り込みと選挙戦術の巧さ、そして低投票率のうまみでここまでのしあがってしまった。この間、そろりそろりと軸足も動かしつつあり、その節操のなさは真に呆れるほどである。もとより、支持母体の学会のほうも貧乏大衆の互助組織の原点はどこへやら、すっかり利権団体に変貌している。全国各地の豪勢な池田記念会館はその象徴である。

◆はじめの頃は「庶民大衆を守る平和の党」を自賛し、自衛隊は違憲の疑い、安保条約は段階的解消の主張だったのである。ところが、いまや委員長がイラク・サマワの現地に赴き「安全確認」してまで、自衛隊海外派遣のお墨付を出すほどの変わりようである。国連の決議がなかろうが関係なし、政権与党におられるならばどんな理屈つけてでもオッケーせにゃならんである。このままいけは、憲法改正はおろか、核兵器の保持まで追随しそうである。その時は「平和を守るための核兵器は容認されるべき」とか云いだすかもしれないが、それこそ、どっかの国と同じである。まして郵政民営化云々は政権パートナー次第でどうにでも転ぶだろう。

◆自民党の八代英太議員が衆議院選挙の立候補を断念するらしい。当該選挙区は東京12区、昨日のアカバーネである(笑)。公明党の最重点選挙区であり、同党との選挙協力をなにより優先したい小泉首相の「懇請」があったそうだが、自民党もなんとも首尾一貫しないものだ。
コイズミ自民党お題目の「小さな政府」といちばん相容れないのが、公明党=学会のバラマキ政策じゃないのか。
小渕内閣当時の商品券=地域振興券7000億円バラマキのことはもう口を拭ってダレもそ知らぬ顔をしている。そのいっぽうで、いまや児童手当の拡充にやっきである。票田のお年寄り層の先細りと在日外国人票がまだあてに出来ないので、なんとしても既婚の若年層を引きつけたいのだろう。文字通り「金で釣る」仕掛けである。昨年の4月に対象児を小学3年生までに引き上げたが、それを6年生までにし、なんと所得制限を年収1000万円未満まで緩和するとしている。サラリーマンで年収1000万円近いといえば相当な高給取りである。障害者が受ける福祉サービスについて一律の受益者負担を求める方向にあるそうだが、一般的にみて重度の障害者と年収1000万円サラリーマン、いずれが社会の弱者なのだろうか。おまけに将来は中学生まで支給を拡充したいとしているが、そのために必要としている財源は2兆4000億円、いったいどこにそんなお金があるというのだろうか。しかし、今のところは郵政民営化を賛成してやるから、その見返りで児童手当をもっと増やせというやり口でまかりとおっている。

◆さて、9月11日の総選挙、学会はこんども期日前投票をフルに活用するだろう。この制度がないときの学会員はたいへんだったのである(笑)。投票日となれば、何度も送迎で投票会場に連れていき、その合間を縫ってフレンドさん宅に始終電話点検しなければならない。期日前投票制度が出来たのでだいぶ楽になったはずであり、その分は公営住宅なんかのお年寄り宅にそれこそ絨毯爆撃的な投票依頼ができる。そして、若夫婦宅であれば“児童手当がずっともらえるんやでえ”のイチオシのくどき文句ができた。代わりに投票に行ってくれと頼めば喜んで行ってもらえるかもしれない(笑)。過去にも替え玉投票事件を仕出かしている。
それでも、郵政反対派が立候補したいわゆる「刺客」選挙区はたいへんだろう。洞ヶ峠をきめこんで勝負のすう勢をぎりぎりまで見極めねばならない。くどいようだが、郵政民営化のスタンスなんかは全然関係ない、いずれに高く恩を売りつけられるかだけである。こういうところは投票日前3日間が勝負になって、学会員は仕事どころじゃなくなってしまう。
もし仮に、選挙に負けて民主党政権になったらどうする? そのときは冷却時間をおいて、そろりそろり与党に接近するだけである。はじめ是々非々の立場がそのうち閣外協力を公然と云いだすようになることは間違いない(笑)。既に冬芝発言でちゃんとアリバイをかましており、ぬかりはないのである。
どちらにせよ、ただ今の60%あるかないかの低い投票率あるかぎり、党勢は安泰とたかをくくっているにちがいない。
こういう政党の存在を許しているのは、ほかならぬ沈黙の有権者層なのである。

[追記]
あれあれ児童手当の件、民主党まで「月額16000円のこども手当」を云い出したらしい。なにも公明党の真似せんでもなあ。とうとうポピュリズム競争か、やれやれ気分です。
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by chaotzu | 2005-08-21 23:15 | 時事
2005年 08月 20日

【DVD】「駅前開運」 グレート・アカバーネ

◆1968年東京映画、久々の駅前シリーズである。シリーズの22作目、もうどうでもいいか(笑)。1作目の「駅前旅館」を手がけた豊田四郎監督の駅前カムバック2本目であるが、これが遺作になったらしい。
舞台は京浜東北線の赤羽になる、開かずの踏切やゴミ焼却場反対運動など赤羽地域の社会問題をとりあげており、コメディとしては散漫な印象であるが、物語の主役は昭和40年代前半の赤羽風俗ともいえる。赤羽マニア?にはたまらないだろう映画。

b0036803_2333078.jpg◆冒頭、昭和21年の買出し列車の情景からはじまる。汽車のなかは伴淳やフランキーなど闇屋でいっぱいであるが、警察隊の臨検があるので用心は怠れない。せっかくの闇米を終点の上野まで抱えていくのはリスクが高い。いきおい、東京の北出入り口になる赤羽地域に闇屋が定着することになる~なんてことを書いたが、この映画の受け売りである。その後、赤羽が屈指の小売業地域になるのはご存知のとおり、そのルーツを闇屋がつくったとは、いやあ、勉強になりました。

◆20数年経って、闇屋あがりの伴淳は赤羽西口、学生姿の闇屋であったフランキーは赤羽東口で、いずれもスーパー風の商店を経営している。もっとも、経営の実権は沢村貞子や森光子など女性陣にある。安値合戦にしのぎをけずっており、卵が目玉であるが、まだ専用ケースがないため、ただのビニール袋に入れて売ったりしている。
森繁はなにやら怪しげな経営コンサルタント、赤羽活性化の参謀役といった役回りである。残念ながら、のり平や淡島千景の出演はない。森繁の相方は野川由美子である。年の差カップルであるが、ラストではなんと……。

◆実際、赤羽地域の活性化は大きな問題だったようだ。開かずの踏切で東西地区に分断されてしまい、街の一体性がない、フランキーは西地区マンモス団地の住民が東口の商店街に流れてこないのが歯がゆくてならない。このほか地下鉄の誘致や市街地の近くで建設される清掃工場の公害問題もある。だから、森繁の仲介で代議士の山茶花究に陳情したりするが、相手もさる者でお金をむしられるだけの始末である。

◆「メーカー連合会」と称する怪しげな連中がフランキーや伴淳の店に値引き商品を調査にくる。メーカーにしてみれば価格秩序を乱す赤羽の安売りは目の敵だったようだ。そういえは、ダイエーと西友で起きた「赤羽戦争」もこの時期じゃなかったか。この映画の1年前、当時日の出の勢いであったダイエーが、松下電器のカラーテレビに付された秘密の出荷番号を暴露して、やんやの喝采を浴びたそんな時代だった。仕入先を突きとめるための秘密番号はこの映画でもちゃっかりとりいれている。
(だけど、そのダイエーもすっかり凋落してしまい。松下電器のほうはなお健在である。)

◆大手メーカーの圧力で仕入れができなくなった伴淳とフランキー、とうとう贓品に手を出して警察の手入れをうけるはめになる。ここで懐かしやてんぷくトリオが警官役で登場する。藤村有弘署長とのやりとりはまさに劇中コントである。この時期の伊東四朗はなよなよした役回りであり、それがまたおかしい。
(三波)“我々逮捕配置20名は賊の潜伏中ホテルを急襲”
(署長)“よーしっ、見事!”
(戸塚)“全員の士気究めて旺盛、意気まさに天を突く気概”
(署長)“よーしっ、見事!”
(伊東)“水も洩らさぬ鉄壁の警戒網、女賊の部屋めがけて一気に突入”
(署長)“うーん、見事!”
(伊東)“はっ、見事に取り逃がしました”
(署長)“バ、バッカモーン!”

◆代議士役の山茶花究、なにをやっても巧いものだが、とくに胡散臭い役は絶品。この映画公開の3年後(1971年3月)にはガンで亡くなってしまう。そういう視点でみると、まだ54歳というのに、老け顔がすっかり進行している。それがまた代議士らしくみえるのである。役者の業か。
黒柳徹子が警察署長夫人役で登場、タマネギあたまでないから、はじめダレだかちっとも分からなかった(笑)。

◆最後を締める?のは赤羽バカ祭り、ほんとにあるんですな。稼動をはじめた焼却場から黒い粉塵が舞い落ちるなか、駅前トリオが踊りまくる。
なんといっていいか、もの凄いシュールさとしかいいようがない(苦笑)。
ロケに協力した商店街はつくづく太っ腹だと思う。エラい!

♪バカだバカだと云うけれど バカじゃ踊れぬバカ踊り
 行こか行きます手をとって みんなで踊ろうバカ踊り
 ハァ それそれ
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by chaotzu | 2005-08-20 23:16 | 日本映画
2005年 08月 20日

ホークス宮地外野手の遅咲き野球人生

◆パリーグの打撃ベストテンが面白い。ただいま首位打者はライオンズの石井義人選手、以下マリーンズの今江選手、ホークスのズレータ選手、宮地選手とつづく。新顔が目立っている。このなかで、石井選手は3年前横浜から移籍選手であるが、交換トレードの付け足しみたいな存在であったし、宮地選手に至っては2年前にライオンズを自由契約になった選手である。
こういった選手が活躍するとなんとなくうれしくなる。人生まんざら捨てたもんじゃないぞと思えてくる。そして、チームを強化するのはお金だけではないこともよく分かる。

b0036803_11372130.jpg◆プロ野球の常識として「自由契約」といえばたいてい解雇=クビのことである。だからそれなりの実績がある選手はみな体裁に鑑みて任意引退の扱いを選ぶ。ただし、例外もあって、巨人の江川投手は自由契約のはずである。突然の引退表明に逆切れした球団の不快感ゆえである。
宮地選手の場合は正真正銘の解雇である。ライオンズに通算14年間いてちょうど100安打の選手である。年齢的にもう伸びしろがないとみられたのかもしれない。球団としての若返り方針もあっただろう。

◆戦力外通告を受けたプロ野球選手対象の合同トライアウトがはじまった年であり、某民放が特集番組をやった。ホークスを解雇された大越選手が登場して、なんとか現役を続けたいとあちこち入団テストを頼んでいる。合同トライアウトではなんとしてもいいところを見せねばならない。甲子園同期の宮地選手もクビ組であり、お互いに情報交換したり相談しあったりの様子がうつされる。
結果は皮肉なもので、宮地選手はホークスの入団テストに合格する、大越選手を解雇した球団である。その大越選手はとうとうどこも不合格に終わってしまう(番組が入団テストの最終結果まで報道したかはウロ覚え、事後の情報かもしれない)。
ただ、宮地選手にしても、何球団かのテストを落ちまくっていた。ホークスに拾ってもらったようなものである。レギュラー経験のない32歳(当時)の外野手に食指を伸ばす球団はそうあるものではない。年俸もガタ減りしたのではないか。

◆その一度はクビになった選手が堂々の3割キープで、打撃成績の第4位につけているのだから痛快である。オールスターにも初出場したし、この調子ならば規定打席に達するかもしれない。プロ入り16年目ではじめて規定打席なんて、これまで聞いたことがない。毎度旧い記憶で恐縮であるが、ずっと昔阪急ブレーブスの矢野選手が突然大ブレイクして話題になったことがあるが、それでもプロ入り10年目ぐらいではなかったか。
なんでもそうだが、人間の成長とはただ単に年齢要因だけではないのだろう。ただ若いからといって、順調にキャリアアップするとはかぎらない。他事に目移りしたあげく逆に退行することもある。人にはそれぞれ、成長する時期があるのかもしれない。たぶん、その人の置かれた環境とか人間関係がいちばん影響してくるのだろう。
ホークスも親会社の斜陽とあいまって、レギュラーの外部流出をひきとめない方針に転換しており、チームとして新陳代謝を促進させていた。それがよかったのだろう。もし王監督が巨人時代の感覚に固執していたならば、テスト入団の30代外野手なんて、数合わせ以外ではまったく顧慮しなかったはずだ。

◆こういう遅咲き選手の実例をみると、つくづく飼い殺し選手の救済策がないものか思案せずにいられない。いわばFAの逆である。シーズンオフに非プロテクト選手のウェーバーをやるのである。プロテクト人数はたとえば、入団5年内選手を除く保有選手の5割とかにするとかである(あくまで例えばね)。
環境が変わって、新しい刺激があれば、ブレイクする選手はほかにもたくさんいるのではないか。
とくに巨人なんかは一杯抱え込んでいるはずである。
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by chaotzu | 2005-08-20 11:44 | 野球
2005年 08月 19日

【DVD】 「馬鹿が戦車でやって来る」 全部船頭さんのつくりばなし?

◆1964年松竹映画、山田洋次監督の馬鹿3部作のラスト。公開当時、映画館にベニヤ板製?の大きな戦車模型が宣伝展示されていたような記憶がある。それにつられたのか、子供心にだいぶみたかった映画であり、いわば40年ぶりのご対面である。
ハナ肇が戦車に乗って暴れまくる単純なオモシロ映画のように思いこんでいたのであるが、実際はそうじゃなかったし、もちろん、お子様向け映画でもない。
閉鎖的なムラ社会の差別体質をコメデイ仕立で告発したものであって、筋立ては悲劇に近い、山田洋次監督の系列のなかでもひときわシュールな異色作である。

b0036803_1573950.jpg◆「変わり者が多い」と云われるムラが舞台になるが、そのなかでもいちばん貧乏で「汚れの家」と陰口をたたかれ差別される一家の「悲劇」である。差別のルーツについて説明されないが、いまなら微妙な「問題」ありすぎで映画化どころではないかもしれない。おまけに「キチ○イ」とか「カナツ○ポ」など、いまどきの放送禁止用語が山盛りである。なるほど、テレビで放送されないはずである。


◆少年戦車兵あがりのハナ肇は耳の悪い老母(飯田蝶子)とチエ遅れの弟(犬塚弘)との3人暮らしである。役名はハナがサブ(三郎?)で犬塚がロク(兵六)であり、亡くなった複数の兄弟がいることをほのめかしている。村人はこの一家を内心馬鹿にしきっており、唯一の理解者は地主の娘(岩下志麻)だけである。
ずっと病床にあった岩下志麻から床上げの宴に招待されたのが発端、散髪ポマードアタマに一張羅のセビロで出かけるも「身分をわきまえろ」と咎められる。おまけに勝手に随いてきた弟まで笑いものにされる。村人はみんな面白がるだけである。同情するふりをしつつ腹のなかでは笑いをかみ殺している。ハナ肇が酒を呑んで泣きじゃくるが、安物のポマードで顔が汚れていくのが痛々しい。
そのうち農地解放で手に入れた田畑まで母親をダマして奪い取る輩もでてくる。とことんムラ八分にされたハナ肇の怒りが大爆発。納屋に偽装して隠していた戦車愛国98号を整備して村中突撃とあいなる。警察は駐在の訴えをとりあわないし、急遽掘った戦車壕にはまるのは村人のほうである。この辺りのドタバタはかなり面白い。地主の家も村会議員の家も床屋も雑貨屋もタンクでぶっ壊す。ところが、その最中に悲劇が起きてしまう。
ほとんど救いようのないはなしである。ラスト、海辺に消えたキャタピラ痕がもの哀しい。

◆共演の犬塚弘がすばらしい。ずっと脇役専門でけっして主役のジャマをしないため目立たないが、この映画ではダブル主役といってもいいくらいだ。まだ現役なんだけど、日本映画はもっとこのひとを活用してもよかったのではないか。
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by chaotzu | 2005-08-19 23:55 | 日本映画
2005年 08月 16日

【NHK】 「日本のこれから」 日本のこれまでばっかり、いや至言(笑)

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◆またまたNHKの生討論番組をみてしまった、「日本のこれから」。今回は靖国に歴史認識など定番の地雷テーマであり、下手すれば収拾がつかなくなるかもしれない。野次馬根性もあいまって最後までつきあってしまう。以下うろ覚えまじりの感想。

◆4月に中国で起きた反日騒動にはむかっとしたというかだいぶ辟易した。その後もアメリカ民間団体の調査結果として、中国人が日本に抱く好感度の異常なまでの低さが報道されたりすると、どうみても恣意的に生産された反日感情があるようにみえてしまう。だから、過剰に遠慮する必要はないし、ケンカはいかんが議論は堂々とやるべきと思ったものである。
しかし、番組アンケートの結果において、日中関係の打開で「歩み寄る必要なし」の意見が多かったことには、正直云って驚いた。とくに20代、30代の若いひとに目立つということである。日中関係で日本人が卑屈になることはないが、かといって開き直って居丈高になる必要もない。侵略した側の国民としては、謙虚にならざるを得ない場合もある。どうもいい塩梅というのは難しいものだ。

◆やっぱり出ましたか、南京虐殺マポロシ論。30代自営業女性の方が滔々とおっしゃる。犠牲者30万人なんてありえない。当時20万人が1ヶ月後には25万人に増えたぐらい、治安がよくなったからだ。ジャーナリストはダレひとり目撃していない。写真はことごとくウソ……。
これまで犠牲者の多寡を巡る議論を目にしたことはあるが、事件そのものがなかったとまで踏み込んだ意見をナマでみるのは、はじめてである。たしかに30万人云々はどうかと思う、それにしても事件までなかったとは、ちと飛躍しすぎじゃないだろうか。
ワタシが子供時分は大陸帰りのひとが周りにけっこういて、なかには「チャンコロ」なんて平然と口にするひともいた。戦争そのものは「いろいろやった」と口を濁していたが、南京虐殺事件そのものを否定する声はなかったのである。戦後の60年間、日中戦争における細かい新事実の発掘はあっても、南京の「虐殺」事件そのものを全否定する事実は出ていないはずだ。
ここまでくると戦争記憶の風化というよりも、歴史認識自体が退行しているようである。過剰に自虐的な歴史観も余分であるが、別種の自虐史観が登場したかと思うほどだ。いったい、ここまで開き直って、日本人にとってなんらかのご利益があるのだろうか。

◆靖国神社、コイズミさんは15日の公式参拝を見送った。この件、中韓が嫌がることはやめたほうがいい、逆に口出しされてやめるのはよくないなど、とにかく外国を「意識」した意見ばかりであることをかねて奇異に思っていた。だからまずは、日本人として結論を出すべきという意見に同感である。靖国に行くとか行かないは個人が主体的に判断すればいいことであって、他人に考えを押しつけるべきではない。
ただ、国民のなかに多様な意見があるなかで、コイズミさんがあたかも国民の代表みたいに仰々しく参拝するのはどうかなと思うだけだ。行きたいのならば、ヨミウリ・ナベツネ氏の云うごとく、深夜か早朝に個人として静かにいってほしい。
ただ、出席したひとから出た「靖国=平和のシンボル」意見には正直言って唖然。遊就館をみたことあるのかな(笑)。

◆教科書問題、喧々諤々であるが正直よく分からないし、なにより実物に接したことがない。いっそのこと、教科書検定なんか辞めてしまえばと思うこともある。結局はその国の民度の反映になる。最終的に迷惑をこうむるのはその国の国民だから、もうちよっと真剣になるだろう。個人的にはどんなSFもどきの教科書がつくられるか興味がないこともない(笑)。
あの戦争は自衛のための聖戦だった。侵略なんてとんでもない。虐殺事件なんて全部ウソだ。朝鮮の人にもたくさんいいことをした。アジア解放を支援した……。
そのうち、ホントは日本が戦争に勝ったんだということになるかもしれない(笑)。
“アメリカにバクダンをたくさんおとされましたが、ここらでゆるしといたろかとせんそうのしゅうけつにおうじてやりました”(by池野めだか)。
脱線するが、日本がアメリカに勝ったというSFも実際にある。「ブレード・ランナー」の原作者であるF・K・ディックの「高い城の男」である。

教科書なんてどうでもいいやと乱暴めいたことを云うのは、実際には現場の教師の力量次第だからである。この点、町村大臣が日教組の影響云々を発言したが、自分の見聞きした範囲では、ただ面倒くさくてややこしい近現代史を素通りした教師が大半であった。マルクス史観のセンセイもいただろうが、軍国主義教育のセンセイもいたのである。これまでの実態は触らぬ神にたたりなしの歴史教育だったのではないか。
そもそも、個人の歴史認識形成において、学校教育の果たす役割なんてそれほどたいしたことはないだろう。入り口で余分な先入観を与えないようにすることと、いろんな見かたがあることを教えてもらえばいい。あとは個々人がそれぞれ勉強し、さらに実際に見聞することでその人なりの見識を深めていくことに尽きるのではないか。

◆ゲストのはなし。
桜井よしこさんが、いろいろと発言されていたが、このひとは、どうもご自分に都合のいい材料だけつまんでるなという印象がある。両論併記めいたことをはじめ持ち出すなどしゃべり方がうまいので、尻尾を出さないが、断片的な材料を持ち出して結論を誘導するやり方である。サブリミナル話法といえばいいか。これじゃジャーナリストじゃなくてただのコメンテーターだろうといったら云いすぎだろうか。
しかし、このひとに影響を受けるひとは多いだろうな。自分的にみれば、日本総研の寺島氏のほうがまだ誠実に話している印象があるのだが、まことに弁舌テクニック侮るべからず。
それにしても、町村大臣、字下手すぎ(笑)。谷村チンペイ氏は精彩がないのひと言、きっととあちこちに気を使いすぎたのだろう。
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by chaotzu | 2005-08-16 23:57 | 時事
2005年 08月 15日

【DVD】「大冒険」 まことに遺憾に存じます

◆60年前の本日は日本が戦争に敗れた日、正確に云うとポツダム宣言の受諾を表明した日である。昨夜、NHK・BSで8月15日の特集をやっていたが、昭和天皇の玉音放送を聴いて直ちに敗戦を理解できたひとは少なかったようだ。たいていのひとは口コミなど別ルートでようやく敗戦を知るに至る。まだ戦争状態のひともいれば、下士官が日本刀で将校を追いかけ回したり、軍需物資の猫ババがはじまったりなど、当時居あわせたひとの証言はいやはや想像を超える人間模様を描き出す。
まあそれはさておき、本日は戦禍に倒れた戦没者310万人の御霊を追悼するべき日なのである。
ところがそれなのにクレージー・キャッツの映画なんかみて、ついつい笑ってしまったりしたのである。まことに遺憾に存じます。

b0036803_23271432.jpg◆1965年東宝映画、クレージー・キャッツ結成10周年記念と銘打たれた作品であるが、なんというか、ごちゃ混ぜチャンプルー映画である。
はっきり云うと全編でたらめだらけの怪作、突っ込みどころ一杯でそれを愉しむ映画にもなっている(笑)。
例→神戸のシーンなのに、なぜ横浜のマリンタワーが堂々と映っているんだ? 新幹線で敵一味に捕まった谷啓が、平然と神戸で再登場するが、この間なにがあったの?

◆オープニング・タイトルのあと、ボロ・アパートが登場、植木等と谷啓・団令子兄妹が住んでいる。植木等は三流週刊誌の記者役、いわゆるトップ屋である。学生時代は体操選手でならしていたらしい。いきなり調子よく唄がはじまる。こういうのは植木等でなければさまにならない。
♪ 学生時代は優等生 万能選手で人気者~今じゃしがないサラリーマン
  こりゃまたどう云うわけだ 世の中間違っとるよ まことに遺憾に存じます
このとき、植木等38歳であるが、体がよく動くこと、走り回るだけじゃなく、トラックの荷台に飛び乗ったり、馬から落ちたりのハラハラアクション連発である。荒唐無稽といってもいい。実際芝居はたいへんだったろう。
他のクレージー・メンバーは谷啓が発明家、ハナ肇、犬塚弘、石橋エータローは警視庁の珍妙な刑事トリオ、桜井センリは週刊誌編集長役、安田伸は金持ち坊ちゃんの二世社長役と、それぞれキャラに見合った役どころである。犬山城で植木等が突然犬山節?を唄いだして、尾行の刑事トリオがいっしょに唄って踊りだすところなんかは、バカバカしすぎて笑ってしまう。

◆くどいようだが、はなしそのものは目茶苦茶、国際にせ札団の暗躍からはじまって、ヒトラーまで登場、チープなポロアパートからはじまったはずが、絶海の秘密基地と円谷流大特撮に至る。無責任サラリーマン映画+007にナポレオン・ソロみたいな、もう説明するのもアホらしいぐらいのいい加減さ(笑)。
それでも、そこそこヒットしたそうだから、絶頂期のクレージー・パワーたるやおそるべし。この当時は、クレージーの映画をみにいくのがトレンドであったし、植木等の唄は小学校でもたちまち大流行りしたように記憶している。

◆植木等のトボケ味炸裂。潜水艦で捕まったとき、ニセ札組織の女ボス越路吹雪(よく出演したもの!)に辞世の歌を歌わせてくれと頼む。
“ねえちゃんよ、死ぬ前にいっぺん唄歌わせてくれねえかな”
♪たとえこの世にながらえて毎日おいしいもの食べて~
~同じことなら、死にたくないよう、ウッヒャッヒャッヒャ
越路吹雪がひと言 “バカぁ”
銃殺刑を執行される直前まで団令子を口説いている
“こうなったらせめて生きてるうちに僕と結婚してよ”
“だったらわたしは清い乙女のままで死にたいわ”
“ぼくがこんだけ愛してるのに、死ぬ前の人間がウソなんかいわないよ”
“じゃ結婚してもいいわ”
オイオイ、それどころかよ(笑)

◆最後は当然、クレージー・キャッツ7人の唄でしめる。大冒険マーチだ。
♪ドッカン、ドンガラガッタ  株で儲けて特許をとって 石油堀りあて大金つかむ
 やって出来ないことはない、まずてはじめにい~
 ちょいと100円貸してくれ。

うーん、クレージー・キャッツって、やっぱり素晴らしいですな。
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by chaotzu | 2005-08-15 23:40 | 日本映画