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2005年 08月 15日

政治家のワン・フレーズ考

◆権力者なり為政者が好む短いコトバづかいには注意したほうがいい。くれぐれも鵜呑みにしないことだ。
たとえば、60年以上昔「東亜新秩序建設」とか「大東亜共栄圏」というコトバに多くの国民が熱狂したがその実態はどうであったか。美しいコトバの裏側をのぞいてみれば死屍累々ではなかったか。
戦後政治においても、同じことが繰り返される。田中角栄が総理大臣になってぶち上げた「列島改造」、流行語になるぐらいのブームで沸いたが、裏側の実態はとなると選挙区への公共事業誘導とその公共事業費が政治献金で還流することであった。
◆かつてバブル前の昭和60年前後、中曽根内閣時代に「民間活力の活用」というコトバが大流行りした。いわゆる中曽根民活であるが、あけてもくれてもミンカツの大合唱は今のミンエイカ万能論と全くオンナジだった。これもコトバ本来の意味だけとらえれば、美しくて誤りがないはずであったが、実際はどんな結果を招いたか。
・バブル経済を推進加速する燃料になり、やがて地価高騰から銀行の不良債権問題に発展
・関西空港株式会社や東京湾横断道路株式会社を代表格とする三セクの惨状あるいは破綻
・リゾート・ブームの誘引とその頓挫による全国あちこちの虫食い乱開発
要するに政治主導の「民間活力」でいいことなんかひとつもなかったのである。今では政治家や役人のダレもミンカツなんて云わない、みんな口を拭って素知らぬ顔をしている。

◆そして今は民営化というコトバが大流行りである。たとえば郵政を民営化すれば小さな政府になって、役人天国もなくなって、お金の回りもよくなって……、となにやら良いことづくめみたいに喧伝される。もとよりコトバ本来としてはごもっともで文句のつけようがない。まことにワン・フレーズ・ポリティクスはポロが出ないから重宝である。いまやコイズミさんが選挙に勝つための万能呪文になっているみたいだ。
しかし、中味がよく分からぬまま、短いフレーズが浮遊しているだけじゃないのか。

◆民営化で先行した道路公団はいまどうか、わざわざ法律で設置した民営化推進委員会が途中で空中分解、7人の委員のうち5人まで辞めてしまったので、委員会が機能しなくなって委員懇談会になっている有様である。まだ推進委員会の使命は残っているというのに委員の補充等すっかり放置されてしまった。株式会社化へのカッコさえつけば、コイズミさんの興味もすっかり薄れたみたいだ。だけど、先ほどの関空や東京湾横断道路(アクアライン)も株式会社なのであって、その同類会社を増やすだけになりはしないのか。ただ株式会社にすればいいってもんではないでしょう。
虫食いみたいな民営化ならなにも変わらない。いや役人の出向やら天下り先が間違いなく増えるはずである。中途半端な民営化は新たな役人天国を生み出しかねない。
おまけに、公取の告発なかりせば、談合構造がそのまま新会社でも温存される手はずになっていたことだろう。

b0036803_20484688.jpg◆さて、構造改革の本丸とされた郵政は如何、なにしろ郵便事業と貯金保険事業のふたつをいっしょくたにした「ドンブリ民営化」だから、ややこしいことである。それゆえタケナカ大臣が説く民営化=バラ色の将来なんて美辞に簡単に折伏されるわけにはいかないのである。
それぞれのビジネス毎に民営化の成算を見積もるべきであるのに、「民営化」すれば340兆円のお金がすぐさま民間に出回るような錯覚誘導発言をしている。さらに全国津々浦々の郵便局はコンビニみたいになって、住民利便が向上するかもしれないというご託宣である。
前にも記事にしたが、貯金保険事業の「民営化」にはずっと懐疑心があって、それは今でも変わらない。現状の「公営金融」を肯定しているのではない、もうこれだけ異常なまでに肥大化した郵貯の民営化そのものが無理ではないかということである。ついこの間まで民間金融機関の多くが不良債権でバタバタ討ち死にした。あの長銀ですら破綻して外国資本に買収されたのである。そんなところに240兆円の新銀行がのりこんで、莫大なシステム開発までして店舗を改装して、そして資産を毀損せずにやっていけるのかどうかということだ。もとより、個人の金融資産は証券投資にシフトさせていくのが本筋だという思いもある。
だから、数10年かけてでも、徐々に資産規模を縮小していく方策をとるほうが現実的ではないのか。損失が発生すれば取り返しがつかないのである。あえてきわどい表現を使うとすれば「安楽死」である。しかし、いったん銀行免許を付与してしまえば、コントロールしづらくなるだろうことは目にみえている。だいたい新設される郵貯銀行が金融業としていったいどこまでリスクを許容できるのか、その辺の情報すらさっぱり分からないのである。
また、小さな政府というが、郵貯銀行が出来れば、検査要員等で金融庁の人間が今の倍近くになるのではないか。

◆もうひとつの郵便事業のほう、もともと明治以来このかたずっと半官半民みたいな事業だった。「民」の部分はいわずとしれた特定郵便局長である。いまどき世襲制であったり、仕事をほりだして永田町界隈を駆け回れるような局長さんは明らかに公務員の範疇じゃないだろう。現行の公社制度のなかで、この歪んだ特定郵便局制度をどこまで是正できるのか、まずはこの辺りの検討状況を知りたいのだが、寝た子を起したくないのか、この辺の情報もさっぱり教えてもらえない。
だからこそ、冒頭に戻るのである。政治家の短いコトバを鵜呑みにするなと。
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by chaotzu | 2005-08-15 21:16 | 時事
2005年 08月 14日

【DVD】 「いいかげん馬鹿」 ハナ肇版フーテンの安

◆1993年に63歳で亡くなったハナ肇、あまりに唐突な死に驚くとともに、ああこれでクレージー・キャッツが完全に終わったなと思った。スターは植木等であるが、クレージーの顔となれば、自分的にはハナ肇である。
そんなハナ肇、もしかしたら「男はつらいよ」シリーズの主役になっていたかもしれない。ほとんど寅さんの原型みたいなテキヤの役までやっているのである。
寅さんになりそこねた男といえるかもしれない。寅さんシリーズの大ヒットを横目にいったいどう感じていただろうか。山田洋次と先に仕事をしたのは自分のほうだという矜持は間違いなくあったはずである。
ただし、それはそれでよかったかもしれない。渥美清のタンカ売の口上の見事さに比べると、やはり寅さん役としては一枚落ちると思うし、なにより、キャラが若干暑苦しいのである。だから個性的な脇役で奔放にやったほうが活きたように思う。「遥かなる山の呼び声」の好演は、今でも印象深いものがある。
いっぽう、渥美清は国民的な人気者になってしまったがために、幅広い芸域を封印してしまい、死ぬまで寅さんに殉じてしまうことになる。
そして、このふたり、どちらも肝臓ガンに罹り、60代で亡くなってしまうのである。

b0036803_2212876.jpg◆1964年松竹映画、馬鹿3部作(スゴい云い方だ)の2作目。前作「馬鹿まるだし」が無法松のオマージュであったとすれば、こちらはぐっと後年の寅さんに近づいてくる。いわばプレ寅さん映画である。この時期から山田洋次監督のなかに寅さん構想があったことがはっきりと分かる。
しかし、物語として前作ほどのパンチはみあたらない。

◆瀬戸内海の小島が舞台。昭和19年、東京から疎開でやってきた女の子(のち岩下志麻)が、汚いなりの男の子(のちハナ肇)と出会う。独り者の漁師(花沢徳衛)が育て上げた捨て子である。都会からやってきた垢抜けた女の子に声をかけられた男の子は、その瞬間から「お嬢さん」に仕える忠僕になる。
“お嬢さんは外国人やろな、そばによるとなんやええにおいがしたがの”
ハナ肇の行動原理はふたつあって、ひたすらお嬢さんに喜んでもらうことと、もうひとつは島の役に立ちたいことである。いつも“ふるさと”の唄を口ずさんでいる。
ところが、善意のつもりの行動が毎度うまく運ばず、島に波乱を巻き起こしてしまう、その都度島に居たたまれなくなって出て行き、何年かたって帰ってくる。あれ。ほとんど寅さんとそっくりパターンじゃないか。そう、さくらやおばちゃんはまだおらずフル・メンバーではないが、マドンナとおいちゃんと寅さんならぬ安さんの3人によるまぎれもない「男はつらいよ」の前哨作なのである。

◆ハナ肇のスタンスはなにひとつ変わらないのに、周りの思惑で浮き沈みするのは、前作と同じ。松村達雄の人気作家をそれとは知らずに島に案内する。気がついた周囲が大騒ぎして芸者を呼んでドンちゃん騒ぎになる。ところがどうも偽者くさいぞとなるとハナ肇が槍玉にあげられ、ホンモノだと分かると、今度は一転、島の功労者だともちあげられる。人気ラジオ番組「めぐりあう君」(マンマ「君の名は」)で紹介されて、漁業しかない島がいちやく全国に知れ渡るのである。
地方の活性化問題については、むかしもいまもほとんど変わっていないようだ。

◆前作より落ちると評したが、ひとつだけセールスポイントがある。
岩下志麻のセーラー服姿である。
おシマ姐さんのセーラー服なんて、お宝映像の価値おおありだと思いますがいかがでしょうか。
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by chaotzu | 2005-08-14 22:22 | 日本映画
2005年 08月 13日

【ビデオ】「プライド・運命の瞬間」 戦犯のプライドそして映画人のプライド

◆亡くなった富島健夫に「青春の野望」という自伝的小説……というか自分的にはエロ小説があるが、その冒頭に敗戦後起きた杉山元帥夫婦自決事件が記されている。陸軍大臣、参謀総長、教育総監の陸軍三権トップを全て歴任した元帥杉山元は、富島健夫の旧制福岡県立豊津中学の先輩なのである。
自決事件が起きたのは、昭和20年9月12日。阿南大臣が事後処理を放擲して自決してしまったので、降伏処理が片付くまで延び延びになっていたのである。
小説家が元帥ゆかりのひとから公表を許された事実も含まれると付記した自決のてん末、
・杉山元帥の意思は本人独りの自決であり、夫人の後追いは思いとどまらせるよう属官に頼んでいた
・杉山元帥は拳銃弾四発を胸に撃ち込んだものの、なお死ねなかったので、最後は軍医が毒物を口に流し込んだ
・きっぱり自決を否定していた夫人は、夫の死亡確認後すぐさま自刃した
意外に思ったのは属官等周囲の人間がダレも自殺を諫止しようとしないことである。それどころか、ほとんど自殺幇助行為をやっており、最後は毒殺そのものである。
ということは、当時の軍上層部に、高官の自決は当然という空気があったということなのか。

◆杉山元帥の自決前日、対照的な自殺未遂事件を起した人物がいる。東条英機である。
山田風太郎の「戦中派不戦日記」の昭和20年9月12日の記述(抜粋)
「なぜ東条大将は、阿南陸相のごとくいさぎよくあの夜に死ななかったのか。
なぜ東条大将は、阿南陸相のごとく日本刀を用いなかったのか。
逮捕状の出ることは明々白々なのに、今までみれんげに生きていて、外国人のようにピストルを使って、そして死に損なっている。日本人は苦い笑いを浮かべずにはいられない。
逮捕状は続々と発せられるであろう。それにあたるべき人々はみな自決してもらいたい。
今、百の理屈よりも一の死は、後世に於いて千の言葉を以って国民に語りかけるにちがいないのだ。」
まことに、風太郎先生手厳しい。

b0036803_22315031.jpg◆1998年東映映画、東京裁判で絞首刑になった東条英機が主人公であるが、あまりに東条像を美化しすぎだということで、公開当時から物議をかもした映画である。
なにしろ監修がイラク戦争イケイケの加瀬英明、そしてスポンサーは政治マニアがオーナーの東日本ハウスである。テーマははじめから決まっているも同然(笑)、悲劇のヒーローとしてのトージョー映画を製作しようということだ。東日本ハウス=青年自由党であることを踏まえれば、政治団体の近縁会社からもらったカネで映画をつくること自体、首をかしげざるを得ない。映画人の見識が問われるはなしであろうが、そのことはさておき、製作側がどれだけ映画人としての意地をみせたのか、そんな興味もあってレンタルする。

◆これより30年近く前の東宝映画「軍閥」(1970年)のなかの東条英機は、多くの日本人を無意味な死亡に引きずり込んだ狂信的戦争指導者として描かれるが、本作ではまず家族想いの好々爺としてのイメージで登場する。しかも、東京裁判では日本人を代表して検事に堂々の論陣を張るのである。すごい変わりようである。もっとも、そのためにこそスポンサーは10億円近くをポンと出したのだろう。

◆冒頭はお決まり東京裁判の正当性を問う法理論争、ひらたく云えば戦勝国による茶番ショーじゃないか。アメリカ人のキーナン検事がオーストラリア人のウェッブ裁判長に「命令」し、少数派のインド人パール判事は悩みぬく。アメリカ人弁護人が原爆の犯罪性に言及すれば、たちまち日本語の同時通訳はとめられる。
そして、武人東条であっても、家庭においてはよき夫、よき父親であり、よき祖父だった。家族との愛情溢れるエピソードや悲痛な出来事の紹介。孫が学校で先生から「東条君のおじいさんはドロボウよりひどいことをしました」と云われる。一時母方姓を名乗っていた娘が東条姓に戻してくれるという……。
次いで、先の戦争はアジアにおける白人の植民地支配からの解放支援であったこと、そのために、故チャンドラ・ボースや架空の元日本兵士(大鶴義丹)まで登場させる。
しかし、かきあつめた材料がこれだけでは、まだまだ悲劇のヒーローになりえない。

◆きわめつけは、昭和天皇に累が及ばぬよう、東条が天皇の意思に背いて開戦に動いたことを証言するよう清瀬弁護人が依頼したときの東条の反応である。津川雅彦がオーバーアクションと思えるぐらい慟哭する。
“神とあがめてきた天皇陛下をこのわたしが裏切ったというのか。わたしは逆臣になるのか”
結局。東条は“わたしの進言によって(天皇陛下が)しぶしぶとご同意されたことは事実でしょう”と証言して、やがて絞首台に上がるのである。
“東条閣下、よくぞ耐えてくれた、あなたこそ天皇を守りきったヒーローだ”
なるほど、昭和天皇の戦争責任を東条が身を挺して防いだということか。
しかし、東条を悲劇のヒーローに仕立てようとすればするほど、昭和天皇の戦争責任を炙りだすことになってくるのである。
みようによっては、ものすごく不敬な映画にみえぬでもない。
これってジレンマだったにちがいないな。

◆仮に日本人による自主的な戦犯裁判があったとした場合、どうなっていたか。おそらくはもっと厳しくなっていただろうと思う。前述山田風太郎の日記のとおり、当時の日本人のなかには物すごい怨嗟の感情がたちこめていたのである。人民裁判まがいになってしまい、収拾がつかなくなっていたかもしれない。なにより衆目のなかで昭和天皇の戦争責任追及論議が起きることは避けられなかっただろう。
そういう観点からすると、戦後日本の指導者層にとって、本音ベースでは東京裁判アリガトサーン(by坂田利夫)だったのではなかろうか。
清瀬弁護人が作中でいみじくも語っているセリフがある。
“日本人及び日本民族に対しては有罪”

◆さて、映画人としての意地はみせただろうか。ワタシの主観的結論であるが、少しはあったと思いたい。
戦争未亡人の烏丸セツコによる壮絶な切腹シーン、巣鴨拘置所と市谷法廷を移動する戦犯護送車を体を張って停車させたうえで、ハラ切り抗議である。多くのよき夫、よき父親、よき祖父が、戦地であるいは空襲で亡くなった。なかには餓死したひともいる。戦犯に怒っても当然というものだ。
このシーンなかりせば、プロパガンダ映画といわれてもしかたがないだろう。
それにしても、ピストル一発のけったいな自殺未遂をひき起こした陸軍大将~戦陣訓を策定し生きて虜囚の辱しめをうけずの精神を説いた軍人の面前で、一般人の女性が腹をかっさばくのである。これって、物スゴい皮肉である。この映画のMVPは烏丸セツコに決定。
あと、検察側証人の田中隆吉少将役に吉本の「パチパチパンチ」島木譲ニを起用しているが、東京裁判のキーパースンにお笑い芸人を充てるとは、なんだか二重に茶化しているようにもみえる。
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by chaotzu | 2005-08-13 22:54 | 日本映画
2005年 08月 12日

【ビデオ】 「軍閥」 東条英機と竹槍事件

◆1970年東宝映画。激動の昭和史シリーズ第2作である。「日本のいちばん長い日」が敗戦の秘話であるとしたら、本作品は太平洋戦争開戦までに至るてん末とその後の惨状を描く。
メインキャラは小林桂樹の演じる東条英機、そして加山雄三の新聞記者である。
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◆2・26事件からはじまってほとんど史実に沿って進む。あいまに悲惨な実写フィルムが挿入されるが、戦争映画というよりはむしろ政治ドラマの色彩が強い。政府内部の右往左往や陸海軍の反目など定番ネタも盛り込まれるが、なんといっても見どころは、「竹槍事件」のてん末で、戦時体制化におけるマスコミのあり方を真正面からとりあげたことだろう。

◆東条首相と東京日日新聞社(現毎日新聞)との確執であるが、ガダルカナル島の悲惨な敗北が発端になる。ミッドウェー海戦でも「赫々たる成果」と嘘八百の大本営発表垂れ流しであったが、こんどは「退却」を「転進」にして国民を誤魔化そうとする。海軍報道班員の加山記者は退却の現場に居合わせたことから、大本営発表の欺瞞に気がつく。
帰社次第、真実の報道を進言、とうとう「勝利が滅亡か、戦局はここまできた」、「竹槍では間に合わぬ、飛行機だ。海洋航空機だ」の記事掲載にこぎつける(昭和19年2月)。海軍の言い分を代弁した側面もあったが、常識的な記事である。ところが、日ごろ竹槍精神を鼓吹する東条首相が激怒し、異例の37歳兵役免除者の二等兵召集となる。危険な外地に追いやるという事実上死刑判決同然の「懲罰召集」である。さらに辻褄あわせのため大正生まれの兵役免除者250名も追加召集するというえげつなさ。

◆東条内閣の言論統制、憲兵政治はエスカレートするいっぽうで、中央公論の谷崎潤一郎「細雪」も連載禁止処分をうける。映画ではとりあげられないが、当時の「懲罰召集」はこれだけではない。逓信省松前局長(後の東海大総長)の二等兵召集は有名な事件であるし、政敵中野正剛取調べがらみで現役検事召集事件もある。また、この逆に有力者子弟の召集に手心を加えたことも云われている。この他、異論を唱える幕僚の外地への左遷人事も再三断行、ちなみに当時の陸軍次官が陸軍三バカのひとり富永恭次であり、イエスマンで周りを固めていたわけである。
こうみると戦時下とはいえ、小心陰湿な独裁者の印象がどうしても拭えない。厳しい見方をすれば、真面目さと忠勤をかわれてせいぜいヒラ取締役が出世限度の人物である。生真面目ではあるが、後に石原莞爾にボロクソに云われるがごとく、全軍の将たる風格はとてもうかがえないのだ。
ところが、この程度の人物が首相&陸軍相&軍需相&陸軍参謀総長と一身に権力を集中するに至るのであるから、当時の重臣や軍隊中枢にも問題があったのだろう。
東条英機ひとりに戦争責任を集中させるのは酷なことかもしれない。

◆竹槍事件そのものは、陸軍と海軍の対立が招いたことでもあり、加山雄三の記者は後に海軍の配慮でフィリピンに派遣されて生きながらえるが、巻添え召集された250名のおじさん新兵の大半はサイパン島で亡くなってしまう。
敗戦末期鹿児島の特攻基地に赴いた加山記者、特攻隊員の黒沢年男から激しく面罵される。
“日本中を好戦的にしたのは貴様達だ、何でも東条のせいにしているが貴様らに責任はないのか”
“勝ち戦ならば戦争はやってもいいのか”
“こんな国負けてしまえ、負けるためなら喜んで死んでやらあ”
いちばんのサワリであり、ここは映画のフィクションであるが、製作者側がいちばんいいたかったことだろう。なお脚本は社長シリーズの笠原良三である。正直見直しました。

◆加山雄三がメガネをかけてわざと男前をかくしている。そして小林桂樹が丸坊主丸メガネのヒゲ扮装で東条英機を演じる。山下清から聾唖者からそして社長シリーズの秘書までやるんだから、まことに俳優商売面白いだろうなと思う。もともと社長シリーズでも基本は真面目キャラの設定であるから、東条役もそう違和感はないのである。
もしも、のり平タイプが東条役をやったらどうだったろうか。もっぱら得意とする接待攻勢をアメリカにしかけたりするかもしれないな。真珠湾攻撃もハワイの料亭「攻撃」だったりする。そして
“ぱぁーっといきましょうよアメリカさん、ABCD包囲網なんか固いこといわないで”
とかいってたりするかもしれません。
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by chaotzu | 2005-08-12 22:48 | 日本映画
2005年 08月 11日

【DVD】「大菩薩峠(雷蔵版3部作)」ドラゴン机、いまならサイコパスだよ

◆かつて文学少年に憧れたことがある。簡単に読めそうもないドストエフスキーとかトルストイの大河小説に挑戦しよう。そして、カバーを外した岩波文庫なんか持ち歩いて、“まるでラスコーリニコフ的世界だねえ”とか“スタヴローギンの告白だがね”なんて会話できたら、なにやらカッコよさそうだ。オンナのコにもてるかもしれんぞ、「若き飢えてる君の悩み」である(笑)。
いや我ながら底が浅すぎた。「戦争と平和」「カラマーゾフの兄弟」「チボー家の人々」……みんなギブアップの連続である。
仕方ないから、「戦争と平和」は映画で間に合わせたし、「罪と罰」は手塚治虫の漫画で代替したのである。返す返す取り返しのつかない人生をスゴしてしまったわけだが、今さらもう遅い(苦笑)。
その時はちゃんと言い訳も用意していた。
“ホンヤクものはダメだねえ、なんとかスキーとか、かんとかビッチだらけだもんな。登場人物の名前からして覚え難くて読者に親切じゃないよ”
じゃあ、日本語小説はどうなんだ?有名どころでは中里介山の「大菩薩峠」、かつて角川文庫だったか全30巻近くあったように思う。とにかくケタ外れギネス級の長さである。だけど、そんな旧くさい小説なんぞ若い頃に読む気なんかするものか。10代で「大菩薩峠」を読む奴なんていたら、それこそアブナいやつにちがいない。絶対フォースの暗黒面にとりつかれているぞ(笑)。
それでも、日本人たるもの、不朽の名作のホマレ高いいわば国民的小説を一生素通りしたままでいいものか。どんなはなしかぐらいは知っておくべきだ。よし、いっぺん介山世界にとびこむか。
もちろん映画でチャレンジである(笑)。

b0036803_22295453.jpg◆1960~1961年大映映画、市川雷蔵の主演版である。3部作であるが、1・2巻の監督は三隅研次、3巻目の監督は森一生である。なにがあったか知らないが、これってひどすぎるよなと悪い予感。案の定というか、まとまりのない作品でワタシの目からは破綻している。みていてサッパリ面白くない。3巻で5時間近くも付き合ったのになあ。み終った後漂う無常観たるや……。
ひと言でいっちゃうと、刀をもったアブナいひとがオンナを連れて、美しい日本を放浪するはなしである。ただし、写真はとてもいい。

◆ストーリーの説明は省略する。白状するとよく分からなかったのである。中村玉緒が1人3役を演じるが、みんな同じ芝居でお浜なのかお豊なのかそれともお銀なのか、混乱してますます分からなくなる。山本富士子に至っては3巻目、全然出てこんじゃないか(憤)。
さて、雷蔵竜之助、冒頭から大菩薩峠で旅の老巡礼をいきなり斬殺する。その後も奉納試合の対戦相手の妻(中村玉緒)を手ごめにする、もちろんその旦那も試合で叩き殺す、あげく中村玉緒と江戸に出奔するが、その玉緒も殺してしまうのだ。もちろんその後も殺人行為はやまない。
“人の命を奪って生きていくのだ”
“頼まれて斬るのではない、斬りたいから斬るのだ”
“死にたければ、勝手に死ね”
なんだ、机竜之助って、サイコ野郎のシリアル・キラーじゃないか。

◆3巻目の完結編になると、とうとう髪振り乱した中村玉緒の亡霊が出現して、なんだか四谷怪談みたいになる。しまいに勝手に棄ててきた息子の名前を絶叫しつつ、氾濫する濁流のなか家屋ともどもどこかに流されてしまうのである。長年竜之助を兄のカタキと追っていた本郷功次郎も脱力してしまい、しまいにあだ討ち意志をなくしてしまうほどだ。なんかスゴイ終わり方。仏教思想どこに流れているんだ、大乗仏教どこにあるんだと云いたい。あっそれも含めての無常観か(笑)。
しかし、この役は不健康そうな市川雷蔵でこそ適役かもしれない。健康な机竜之助なんてとても考えられない。大映同期の勝新太郎がやったりすると、座頭市もどきになってしまいそうだし(笑)。

◆雷蔵よりは中村玉緒が光る映画である。云うまでもなく二世中村鴈治郎.の娘、亡夫の借金返済のため、近年はバラエテイ番組やらCMで玉乗りするやら、仕事を選ばないので、すっかりオモシロおばさんになってしまったが、この時期は松たか子みたいな存在だったのである。
みんな同じ演技の1人3役であるから、メーキャップ等で区別しなければならない。1人目のお浜は眉毛を剃った“ヤンキー”玉緒、3人目のお銀は顔に大痣をこしらえた“お岩”玉緒である。全然似合わんぞという見方もあるが、大乗仏教に免じて甘めにみていただきたい。このときはまだ21歳だしね。いっぽう、祖父を殺された山本富士子のほう、その後主体性なくフラフラしてばかりで存在感薄すぎ、とうとう3巻目には出てこない。本郷巧次郎との恋の行方はどうなったんだと問い詰めたい。

◆第1部で新国劇の島田正吾が江戸の剣術道場主で登場、見事な剣戟をみせる。1人で新撰組の10何人かを打ち倒して、びしっときめる。
“剣は心なり、心正しからざれば剣も正からず、剣を学ばん者は心を学べ”
全編通していちばんの見せ場である。机竜之助よりはるかに強いのではと思わせるほどだ。
だいいち、当の竜之助が呆然と突っ立っているだけだもんなあ。
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by chaotzu | 2005-08-11 22:42 | 日本映画
2005年 08月 10日

【NHK・BS】 「馬鹿まるだし」 ご新造さん、あっしは汚れておりやす

◆「無法松の一生」といえば超有名物語でござんす。いまさら説明もやぼでありましょうが、小倉の無教養な車夫富島松五郎が亡くなりやした後で、吉岡大尉夫人の息子名義の貯金通帳が出てきやす。あっしにとっちゃあ、もうたまらない場面でさあ。日本人ならたいていそうでやしょう。なんちゅうか、胸がたまらなくせつなくなりやすな。松五郎の奴あ不器用なんでさあ、そいつがプ、プラスチックな愛ちゅうやつでさあ、そんで、ぼんへの気持ち、ありゃ、父親そのものってやつだ。ちくしょう、これが泣かずにいられるかってんだ、なに古くさい、それがどうしたってんだよ。あっしはねえ、「忠臣蔵」も好きだが「無法松」もいっぱい好きだねえ。
そいから「寅さん」も好きなんでやすよ、もう大ファンでござんす。なんてったって松五郎と似てやすからねえ、だから「寅さん」みるといつも泣けてきやすな。ぐっときちゃうんでさあ。え、そんなのダレでも知ってるって、いやこりゃどうも失礼しやした。いやね、きょうみた映画がですな、ちょうど「無法松」と「寅さん」の橋渡しをしてるんでやす。なかなか泣けやしたねえ。b0036803_22233042.jpg

◆1964年松竹映画、NHKBSの録画である。なんといってもタイトルが秀逸、まるでオレのことみたいじゃん(マジ)。
さて、戦後まもない頃、瀬戸内海のとある町にふらっとやってきたシベリア帰りのハナ肇、ひょんなことから寺男になり、その町に住み着くようになる。お寺の嫁である桑野みゆきの夫は戦地で行方不明、シベリア抑留の情報もある。ハナ肇はそんな桑野みゆきにひそかな思慕をよせており、ご新造さんに喜んでもらうことが、何よりいちばんの行動原理だ。力もちであるが格別に喧嘩が強いわけでなく、特段の主義主張があるわけでもない、ただただ、ご新造さんにほめてもらえるような人助けをしたい、その一心だけ。そんな善良な「馬鹿まるだし」人間が、町の有力者等町民の思惑で人気者になったり逆に邪険にされたりする。
煙突男(桜井センリ)の騒動から町の工場争議に介入して工員たちのヒーローになる、インターナショナルで気勢をあげようとする工員のなかで、ひとり人生劇場を唄い出して、やがてみんな唱和するシーンは傑作である。
♪たてえ、飢えたるものよ~♪やると思えば、どこまでやるさあ
~♪おれも生きたや仁吉のように 義理と人情のこの世界

◆脱走囚が有力者の娘をさらって山にたてこもった。ダイナマイトで威嚇するので警察はなかなか救援しようとしない。しびれを切らせた有力者連中、こんどは一転ハナ肇を持ち上げ、ご新造さんの「頼み」まででっち上げて、救出に差し向けようとする。ご新造さんが駆けつけて思いとどまらせようとする。
“あっしは男一匹、頼まれたら後にひけねえんでござんす”
“馬鹿ねえ”
“バカ……”
茫然自失となったハナ肇、特攻突撃してしまう。さてどうなるか。
ご新造さんとの別れのシーンが名シーンであり、ついホロリとさせられる。
ナレーターの声“親分一世一代の愛の告白はけっして空振りじゃなかったんだ”
いや、ほんとにそうだ。ハナ肇にとっても一世一代の主演作だったかもしれない。
もっと評価されてしかるべき作品じゃないかな。

◆ところが、ラストに至って突然人気者の植木等が登場するのだ。それまでナレーターだったことは承知していたが、実物まで出るとはね、お寺の坊さん役だからこれ以上のはまり役はないのだが。
このひと独特の植木節ウッシッシッは、やはり無敵である。とにかくオカシくて面白い。しかし、その分、ハナ肇の熱演を薄めてしまったような気がせぬでもない。おまけに植木等はノークレジットなのである。いわば不意打ちみたいな出演である。

◆人気役者がそこそこセリフがある役をやって、おまけにナレーターもやっているというのに、全然出演者名でクレジットされない映画ってある? 外国映画でいうカメオ出演のようなちょい役ならばあるかもしれないが、日本映画でこういうのははじめてだなあ。ちょい役で出てくる藤山寛美と渥美清はちゃんと「特別出演」として紹介されているのにである。
おそらくは、植木等が東宝系で売り出していたので、松竹が遠慮したこと、そしてクレージーの所属するワタナベ・プロが、メンバーのばら売り政策を採っていたため、人気者の共演をアピールすることに大してこだわらなかった、まあそんなところじゃないか(推測)。
だけど、植木等まで駆りださなくっても十分傑作になりえたと思う。実に惜しい。
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by chaotzu | 2005-08-10 22:28 | 日本映画
2005年 08月 09日

【DVD】「津軽じょんがら節」 あんた、ふる里がみつかってよかったね

◆1973年日本映画(斉藤耕一プロ&ATG)。1970年代ATGの大ヒットであり、リアルタイムでみておれば、間違いなくはまったであろうと思う。絵もよし三味線もよし、なによりストーリーが明快で分かりやすい。先の展開がよめて、それがまたそのとおりになるから、解釈に悩む必要がない(悪口に非ず)。
津軽の荒波にしびれたあげく、あーオレもこんな寒村でひっそりとしじみ漁でもして生きていければいいなあ、もう都会の喧騒は性に合わんよ、なんて思ったかもしれない(笑)。
ところが、いまみると、もうひとつ盛り上がるものがないのだ。ナンデダロ(byテツ&トモ)?
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◆東京に出奔していた江波杏子がわけありのチンピラヤクザ織田あきらを連れて、津軽の故郷に戻ってくる。両親も兄弟も亡くなり、住んでいた家も他人の手に渡っている。海辺のポロ小屋を手入れして2人の生活をはじめる。なにせ近くのパチンコ屋までバスで2時間という過疎の寒村であるので、オトコのほうはいらいらしてばかりである。

◆オトコ1人とオンナ2人の物語である。うち江波杏子が抜群にいい。親の墓を建てられない悲しみ、故郷に決別する哀しさ、オトコと別れる辛さ、もう胸をうたずにいられない。それまでの女ツボふり師のイメージを払拭する出来であり、この作品でうまくイメチェンできたことはまちがいない。
問題は新人の織田あきら、とにかくアマちゃんぶりが目立ってしかたない。厳しく突き放すと、はじめは年上の江波杏子に甘えて、次は不幸な出生で盲目の少女中川三穂子に甘えである。東京で事件起して逃げてきてるんだろ、もうちょっとコンジョー入れてしっかりせんかいと思ってしまうほどだ。せっかく西村晃の老漁師と擬似親子の関係まで出来かかっていたのに、ラストは案の定というか……、まあもうひとつ感情移入しづらいキャラ、きつく云うと芝居下手なのだ。
だけど、公開当時であればそれでよかったかもしれない。ヘアスタイルからファッションまでもう70年代そのもの、スーツ姿のまま海に駆け出したり、しじみ漁に出たりの着たきりスズメである。だけど、そのダサいところが70年代の空気というものだったかもしれない。いまなら、気恥ずかしいけどね。
◆この映画は故郷のないオトコが、オンナの故郷である津軽の寒村に行って、そこではじめて自分なりの故郷を見出すはなしでもある。脚本(共同)は中島丈博、ははあ「祭りの準備」は、この映画の逆パターンをやったんだなと気がついた。
◆ムラの若い衆で漫画家の上村一夫(故人)、川本コオ、山松ゆうきち、高信太郎、葉原アキなどが「特別出演」している。失業保険がもらえる間はオイチョ・カブなどでぐうたら過ごし、保険が切れると出稼ぎに行くという、希望のない過疎地の青春を演じている。
「同棲時代」で映画界に縁ができた上村一夫が引っぱりこんだのだろうか。
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by chaotzu | 2005-08-09 22:42 | 日本映画
2005年 08月 09日

【DVD】 「社長行状記」 イワ・マ・サンシャイン?

◆1966年東宝映画。今まで「こうじょうき」と読んでおりましたが「ぎょうじょうき」なんですな。いや、お恥ずかしい。b0036803_23571420.jpg
今回の森繁氏はアパレル・メーカー、栗原サンライズの社長さん、既製服メーカーもブランド戦略が重視される時代になりつつある。手っとり早いのは外国の有名ブランドと提携することだ。そこで森繁社長が狙うのはディオールならぬチオール(笑)。
だが、ここの日本支社支配人のフランキーは病的女好きのイヤな奴。小林桂樹秘書課長が出向いても居留守をつかわれる、ところが美人秘書の原恵子が甘い声でアポを頼むと一発オーケー、それも自分からすぐさま出向いてくるという。あげくのはて、当時大流行のボウリング場まで秘書を追いかけ回して、ボウリングの球の代わりに本人がレーンを転がるはめになるのである。
いや、ここまでビジネスよりオンナ優先を徹底すると、いっそ清々しいというべきか(笑)。
まあけったいなフランス人もどきの日本人である。
“トゥーレビアン!” “シルプ・プレ”が口癖で、語尾は○○でゴザイマス、そして相手は常にオマエ呼ばわり。だから小林桂樹もオマエで返して、それで会話がちゃんとできている。実際のフランス人がみたら怒るかもしれんな。
◆見せ場はチオールの社長夫妻を招待した志摩旅行での恒例宴会芸、のり平が云う「とっておきの芸術」とは、なんとビートルズの物まねショー。森繁、のり平、桂樹の3人がマッシュルーム・ヘアのカツラをかぶり、ほうきをエレキに見立てて大奮闘する。チオール夫妻が大笑いしている。
これまでみた社長シリーズではいちばんの珍芸であり、この場面だけてもDVD購入の値打ちがあるかもしれない。なお、森繁はマンガ評論の竹熊健太郎にそっくりで、これまたびっくり、
のり平のギャグも炸裂する。伊勢の二見が浦の夫婦岩、アベック岩と紹介して、日の出の様子を熱心に説明、岩の間からお日様が出てまいります。
“ですから岩間サンシャイン、イワマ・サンシャインでございますね”
とひとり悦に入っている。
いわば「わっかるかなあ?わっかんねえだろうなあ~」の世界(by松鶴家千とせ)。
はなしが前後するが、本作で紹介されるのは伊勢志摩ツアーである。御木本真珠島もでてくるし、泊まりは志摩観光ホテル、もちろん赤福もちも必須アイテムである。
◆これまでのシリーズと大きく異なるところは、会社がはじめて資金繰りに窮することである。こうなると森繁社長、浮気の虫もすっとんで、資金繰り行脚にとびまわる。非常時の社長さんたるやそりゃたいへんなもんである。それで、資金繰り援助を頼む相手が尾張デパートの山茶花社長なのである。もう借金頼むにはナバロンの要塞級、難攻不落の相手である。さていかがあいなりますやら。
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by chaotzu | 2005-08-09 00:04 | 日本映画
2005年 08月 08日

ユウセイ・ウォーズ!3部作とりあえず完

◆今日は日本の何番目かに長い日でたいへんだったようです。号外まで出てました。
映画の素材としてつい考えてしまった。もう洒落にするっきゃありませんって(笑)。
それでは、各巻の内容紹介とあいなります。b0036803_2284285.jpg

◆エピソード1「パブリック・メナス」

chapter1・ 自民党をぶっ壊す
chapter2・ 聖域なき構造改革、郵政民営化は初恋のひと
chapter3・ マキコ追放
chapter4・ ムネオも逮捕で追放
chapter5・ とにもかくにも郵政公社法成立
chapter6・ 日本郵政公社スタート
chapter7・ ダース・アベちゃんで人気取り
chapter8・ 道路公団総裁のしぶとい抵抗
chapter9・ とうとう大勲位に引導渡したった
chapter10・ アライの奴は大うそつき

◆エピソード2「苦労戦争」

chapter1・ やっとこさ民営化準備室
chapter2・ 人生いろいろ会社もいろいろ
chapter3・ どうにかこうにか民営化基本方針の骨子
chapter4・ 与党了承抜き異例の閣議決定
chapter5・ 郵政民営化シフト内閣発足だ
chapter6・ ダース・タケベ&ダース・ヘイゾーの誕生
chapter7・ 恐れずひるまずとらわれず
chapter8・ 反乱軍ついに公然化/ワタヌキ勉強会
chapter9・ 与党に法律案提示、いよいよ戦端ひらく
chapter10 大樹会の策動激化、議員会館はトクテー局長だらけ
 

◆エピソード3 「ジュニアの復讐」

chapter1・ 盟友エロ拓の帰還
chapter2・ 総務会は異例の多数決だ
chapter3・ 薄氷の衆院可決、陣笠が右往左往
chapter4・ 敵はスティルス作戦できた
chapter5・ 昔日のミキオハウス
chapter6・ 聖子と庸介のものがたり
chapter7・ ナガオカ議員の自殺とカメの咆哮
chapter8・ ナカソネ・ジュニアの復讐
chapter9・ 乾いたチーズと缶ビール
chapter10・ 洞ヶ峠のファイアー大仁田
chapter11・ 文句いう奴はクビだ
chapter12・ とうとう自爆解散、エンド・ロール

主題歌はもちろんXジャパンの「フォーエバー・ラブ」ですか。

[追記]もうエビソード4がはじまったみたいです。
◆エピソード4 「(未定)」
chapter1・くの一刺客その名はユリコ
chapter2・ホリエモン見参、仁義なき亀豚戦争
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by chaotzu | 2005-08-08 22:16 | 時事
2005年 08月 07日

【DVD】「第五福竜丸」原水爆の被害者は私を最後にしてほしい 

◆いまやゴジラといえば、NYヤンキース松井選手のニックネームとしても著名であり、親しみキャラに転じた感があるが、もともとは原水爆の恐怖を具現したオッソロシイ存在だったのである。
1954年、太平洋ビキニ環礁であったアメリカの水爆実験によって、怪獣が太古の眠りから覚めて、やがて日本に上陸する。大八車にありったけの家財道具を積んであたふた避難する日本人……、要するにゴジラ=水爆なのであった。もともと当時の日本人の水爆批判がこめられた映画なのであるが、それが鈍感なアメリカ人に受けてしまい、しまいにハリウッド版の「ゴジラ」まで製作されるというギャグもどきの展開になる。もっとも、ハリウッド版ではフランス核実験のせいにしており、そこらはすましたものである。
ゴジラが水爆を具現化した存在であったとすれば、「死の灰」のほうは目にみえない分、子供心にずっと不気味であった。とにかく雨に濡れてはいけないと大人にしつこく云われた記憶がある。死の灰が雨に溶けこんでいるからだそうだ。昭和の30年代にあっては、今どきの紫外線よりはよっぽどコワイ存在だったのである。
あーそうそう、もうひとつの怪獣映画「ラドン」は死の灰に含まれた放射性元素によって、巨大変異した翼手竜が誕生するはなしである。怪獣の父は原水爆だったんですな。
閑話休題、その「ゴジラ」が誕生するきっかけとなった日本人の被曝事件を描いた映画をみる。b0036803_22264833.jpg
◆1959年日本映画(近代映画社&新世紀映画)、「原爆の子」つながりのレンタルで、同じ新藤兼人監督である。
事件のモデルとなったマグロ漁船第五福竜丸、実のところこの映画をみるまで具体的なことはほとんど知らなかった。1954年3月1日太平洋中西部のビキニ環礁におけるアメリカの水爆実験がもたらした被曝被害であるが、ヒロシマ型原爆の1000倍の威力というから凄まじい。福竜丸乗組員が“西から太陽が上がった”と云うほどである。そしてピカドンに遭遇したことを理解するも、アメリカにスパイ扱いされることを懸念して黙って帰国したというのも哀しいはなしである。しかし、「南洋土人」みたいに真っ黒になったカオは明らかに異常で体調も悪くなる。やがて、新聞のスクープで被曝事件が明らかになり、原水爆実験反対の世論が沸騰する。
ヒロシマ、ナガサキにつづく3度目の被曝者は静岡県焼津の漁師であった。
◆たちまち焼津は全世界注目のまちになる。地元民もたいへんだ。殿山泰司の助役さんは対応でてんてこまいである。乗組員とつきあっている娘に父親が詰問している。
“キッスしたのかどうかそれを聞いとるじゃ” “したのか え? どうじゃ”
娘がしたと云うと父親は腰を抜かしてしまう。呑み屋のオンナたちも原爆病の心配でパニックであるし、みやげでもらったマグロを食った市民は心配でならない。床屋も乗組員の散髪を嫌がる。ガイガー・カウンターの音でみんなびびっている。
この辺り放射能の恐怖感をテンポよく表現しているが、後半になると久保山無線長の悲劇的な死亡に特化してしまう。これが少し仰々しくみえてしまうほどだ。もっとも、当時の受け止め方はそうであったかもしれない。なにしろ、まともに情報が開示されなかったのである。よくぞここまで再現したというべきだろう。
◆第五福竜丸の乗組員23名のうち、年長者の久保山無線長(宇野重吉)は被曝半年後の9月23日、苦しみぬいたあげく、“原水爆の被害者は私を最後にしてほしい”のコトバを遺して亡くなってしまう。享年40歳。しかし、その後も物故者はあい次ぎ現在生存者は11名、それも輸血後遺症によるC型肝炎等に苦しんでいる。しかし、犠牲者はこれだけではない。
◆大国アメリカの身勝手な一面をまざまざとみせられる。この映画でもアメリカの調査団は日本人医師団になんの情報提供をしようともしない。死の灰の成分を解明したのは京都大学の学者であるが、アメリカはずっと知らん顔である。実際には福竜丸=スパイ説を一時流すようなこともしている。死亡した無線長を核実験の犠牲者であると認めようとしない。後に判明したが「さんごのちりの科学的影響」だと言いぬけようとしていた。実に噴飯ものの「さんご有害説」である。
だいたいが、自分の国ではなく、マーシャル諸島に元からいた住民を強制的に移転させたうえでの核実験である。そして地球的規模で死の灰をばらまいたのである。
もとより付近の船舶にはなんの警告も発していない。被曝した漁船は第五福竜丸だけでない。もっとあった、1000隻近くあったといわれている。廃棄処分を免れた原爆まぐろがかなり出回ったのではないか。
そして、マーシャル諸島の一部住民も後に被曝の後遺症で苦しむのである。
◆「唯一の被爆国」といいながら日本政府の態度もあいまいであった。外務大臣の国会答弁は
“この程度のことは自由主義国家の防衛力強化という点からいえばやむを得ないだろう”
そして、その後も国連における核兵器使用禁止決議には棄権しつづけるなど、国際的にも後ろ向きの姿勢をとりつづけている。核兵器の使用禁止は現実的ではなく究極の廃絶を求めるという説明であるが、どうみてもアメリカの顔色をうかがっているとしか思えない。
常任理事国が潰えたのもむべなるかな。

[追記] ちょっと長いが、1954(昭和29)年3月25日の衆議院委員会における、
岡崎勝男外務大臣(当時)の福竜丸事件関係の答弁(抜粋)を掲記しておく。

○外務委員会における外相答弁
政府としましても、原子力の国際管理ということについては、これはぜひやりたいものだと考えております。それで、チヤーチル首相も言われておる通り、これは困難かもしれませんけれども、今後いろいろの機会に、希望を失わずにできるだけこちらの方にものを持つて行くように、努力をいたすべきだと考えております。しかしながら、それができ上る間におきましては、ソ連側においても英米側においても、いろいろの実験をし、発明をやろうと努力をしておるのであつて、自由主義諸国の防衛力を弱めるような措置は、私はとりたくないと考えております。
○厚生委員会における外相答弁
それから世界の今の実情から言えば、アメリカ側のかかる実験を阻止する手段は、自由主義諸国の一国としてとるべきでない。もし世界中が原子管理ということになればこれは別でありますが、ただいまのところは、私はこのアメリカの実験等をむしろ助けるべきであろうと考えております。これは日本が被爆を受けたからということではなくて、世界平和の維持のために必要であると確信をしております。しかし今申す通り、この地域は一般に言つて――人道問題とか何とかいうお説でありますが、この危険地域に関する限りは、日本の漁業の問題であろうと思つております。
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by chaotzu | 2005-08-07 22:43 | 日本映画