<   2005年 08月 ( 39 )   > この月の画像一覧


2005年 08月 07日

【DVD】 「社長忍法帖」 会社忍法単身赴任の巻

◆小説家の故山田風太郎、いちおうエンタメ小説メインであるが、ミステリあり明治開化ものありでなかなか分類が難しい作家である。小説ではないが「人間臨終図鑑」は大傑作であるし、日記やエッセー類も面白い。ひと言でいうと分類不能の異能作家である。
しかし、世間的には忍法作家のレッテルを貼られているだろう。1960年代前半から次々出した忍法帖シリーズが大当たりして、日本中が空前の忍法ブームになった。「甲賀忍法帖」や「くの一忍法帖」など著名であるが、全部で30作近く書いているのではないか。従来の時代小説の延長線にあるものではなく、時代SFといったほうが適当かもしれない。とにかく奇想天外、こんなアイデアをどこからひねりだすんだろうと感心したものである。
もっとも、ワタシが読んだのはブームの去った後であり、忍法帖というよりも、エロ小説としての興味で読みふけったことも白状しなければならない(汗)。いまから思うとどれも下積み忍者の悲哀が隠し味になっており、戦中戦後に青春期を過ごした風太郎の無常観が根底にあることもたしかだ。
閑話休題、そんな日本中を席捲した忍法ブームを映画界が見逃すはずがない。社長シリーズも早速忍法を取り入れるのである。ちょっと強引すぎやしないか(笑)。b0036803_7592357.jpg
◆1965年東宝映画、前作「社長紳士録」で小林桂樹と司葉子が結婚にゴールインしたことを機に、社長シリーズはひとまず終了となっていたが、ファンの要望が相次ぎ1年ぶりに再開する。本作は第2期社長シリーズの1作目である。
今回の森繁氏は、岩戸建設の社長さん。民間の工事も公共事業同様、建設業界の話し合いで仕切られることが多い。企業グループの系列関係や親密さもある。それでもときに「話し合い」が乱れることもある。森繁社長、これまで得意先であったはずの大学体育館工事をライバル東西組に奪われそうで「業界のエチケット」に反すると憤っている。 そこへ札幌出張所のフランキーが毛ガニ持参で登場、万才生命札幌ビル新築の情報をもってくる。万才生命はこれまで東西組の縄張りであったが先ほどの件もある。よし業界仁義を無視した報復だ、いっぺん勝負したれとあいなります。
◆のり平総務部長が忍法に凝っている。受注競争に勝つには「くの一忍法」だの持論を展開、なに宴会できれいどころの芸者をパァーっと使って篭絡しようという、相も変らぬ接待作戦である。そんなものが都合よく通用するはずもなく、くの一忍法はあえなくおじゃん。以下「忍法回転レシーブ」とかあるが、しようもないので略(笑)。
最後は忍法を駆使するよりも、ていねいな工事施工による信頼性維持がなによりいちばんという、きわめてまっとうな結論になります(笑)。
◆残念ながら宴会芸はない。見どころは発展途上の札幌とその周辺である。時計台とか(時計台は実物よりも映像にかぎる)、羊が丘とかである。札チョン族なるコトバも既にあってすすきのトルコが公然の話題になっている(笑)。札幌のクラブの売り上げの8割までが東京からの社用族だなんて会話も出てくる。まだ冬季オリンピックの前であり、ニュータウンとして発展途上の真駒内団地も出てくる。札幌の街もまだそんなに大きい建物はないし、千歳空港なんて小さなものである。洞爺湖に昭和新山も出てくる。ラストを飾るのは羊蹄山。なんだ、ほとんど北海道の観光紹介映画みたいである。
冒頭、本社出張のフランキーは社長から飛行機でなく安上がりの汽車でくるよう云われている。札幌ー東京間を国鉄利用にすると、片道だけで1日がかりではなかったか。日本人の大半にとって、まだ北海道は半分外国みたいなところであって、北海道観光がそんなに一般化していなかった時期だ。だから、映画の観客は札幌の光景だけでも新鮮で満足したかもしれない。
◆札幌ラーメンの店「三平」が出てくる、みなさん旨いねえと食べている。加東大介の常務は持ち帰りスープを一升瓶につめてもらうよう頼んでいる。ワタシも札幌で味噌ラーメンなるものをはじめて食べたが、その旨いことに感激したことがある。その時は街中が「虹と雪のバラード」であふれかえっていた。
フランキーがつちのこみたいな形の瓶ビールを鞄に収納している。懐かしのサッポロ・ジャイアントだ。三船敏郎のテレビCMで「オトコは黙ってサッポロビール」、流行りましたな。
[PR]

by chaotzu | 2005-08-07 08:10 | 日本映画
2005年 08月 06日

清原神話の無残な終焉~年俸3億6千万円、打率2割1分

◆スポーツ新聞によると、巨人の清原選手がおかんむりらしい。打順7番が不満のようで、
“ワイにもプライドがあるんやでえ”とのたまっている。
ホームランを打っても、恒例のハイタッチは拒否、監督とは目もあわさない冷戦状態である。
いったい、どこまで勘違いしているのだろうか。チーム(監督等)に不満があるとしても、3億6千万円もの年俸をもらっているのである。世界中のプロ野球チームのなかでそれほど法外な金を払ってくれるのは巨人だけである。アメリカ・メジャーならば、とっくにクビになっているだろう。なにせあの高津投手でも2年目の途中で解雇されてしまうのである。
それが、自らの成績を恥じ入るどころか、ベンチのムードを暗くする元凶になっているとすれば、ファンに対する二重の背信ではないのか。
b0036803_18541544.jpg◆昨年の契約更改で減俸をのんだとき、「泥水をのむつもりでやる」と報道されたが、あれはマスコミの誤報だったのだろうか。もし巨人に常識あるGMが存在するとしたら残り期間の年俸を支払ってでも、即刻契約解除するだろう。裏返せば巨人という球団があまりにアホだから、選手でおられるのである。
もう巨人の成績なんかどうでもいいのだが、こうもプロスポーツ選手として最悪の晩節をみせられては、あまりに見苦しいのである。おりしも夏の甲子園の季節である。
低打率おかまいなしの一発狙い専門、チーム打撃なんか眼中になし。おまけに走ることもできない。それでも、マスコミの一部にはなにを勘違いしたのかチヤホヤする向きがあるときている。
◆野手としての素材でいえば、おそらく歴代プロ野球選手ナンバーワンだろう。PL同級生の桑田が野手に転向していれば、いい勝負かもしれないが、体力的な素質では清原のほうがはるかに上である。高卒新人で3割30本塁打なんて、もう信じられない不朽の記録である。
それがなぜここまで落ちぶれてしまったか。無名の存在からこつこつとはい上がってきた同世代の阪神・金本選手にも水をあけられてしまっているし、アメリカに渡った後輩世代のイチロー選手や松井選手は、はるかに高いレベルの野球をやっている。清原にもその可能性は十分あったのだ。
◆甲子園の大ヒーローが一転ドラフトで悲劇のヒーロー扱いになったことが清原物語のはじまりである。その注目新人が破格の成績を挙げたこと、そして巨人を打ち破って日本シリーズで優勝したことで、若干19歳にして清原神話が出来てしまう。おまけにオーナーが例のツツミさんであった。清原を猫可愛がりしたものだから、こうなると未成年者にしてはや無敵不可侵の存在になる。今にして思えば、あまりにはやくから頂点を極めた気分になってしまった。それゆえの慢心といってもいい。だから、以後の神話は崩壊一途の無残さである。結局これまで20年間の選手生活でなにひとつタイトルをとれていないのだ。
比べてイチロー選手はどうだろう。2軍戦でもその打撃は抜きん出ていたのに、なかなか1軍で使ってもらえなかった。松井選手も外野手転向を強いられたうえ前半は2軍だった。今にして思えば、万事順風満帆でいくよりは、2軍の冷や飯経験がよかったかもしれないと思えてくる。体力の涵養時期にもなったはずである。指導者が意図したことではないのだが、結果オーライになったのではないか。真に人生塞翁が馬だ。
[PR]

by chaotzu | 2005-08-06 19:04 | 野球
2005年 08月 05日

【DVD】 「ガキ帝国」 南港にこんかい!

◆第一次漫才ブームと云われるのは1980年代の前半、それまでみたこともなかった漫才コンビが次々にテレビに登場した。紳助竜介もそのうちで、自動車整備工みたいなつなぎの作業服がユニフォーム。ネタはヤンキーねたというかすぐにケンカばなしになる。虚弱体質のヤンキーが売りで、病人か老人相手のときだけたちまち威勢良くすごむというギャグ。持ちネタが弱い者いじめかいなあ、亡くなった父親ははっきり不快感をしめしていたし、ワタシもこりゃとても長持ちせんだろうなと思っていた。ところがなんのなんの、コンビの片割れである島田紳助は類まれなしゃべりの運動神経を武器にして、芸能界をぐんぐんのしあがる。完全な見込み違いであった。
思うに、漫才は跳躍台にすぎなかった、そもそもが漫才師ではなかったのだ。この点はビートたけしとよく似ている。
そんな紳竜コンビがデビューして間もないころの出演映画をみる。さすがに2人とも若いこと。b0036803_21591387.jpg
◆1981年日本映画(プレイガイド・ジャーナル&ATG)、「パッチギ」の井筒監督の一般映画デビュー作。ケンカにあけくれる若者の青春グラフィテイという点では、「岸和田少年愚連隊+パッチギ」みたいなものか。「パッチギ」ほどのテーマ性はないが、この映画なかりせば「パッチギ」は生れていないだろう。まさに、その習作版でもあるようだ。
紳助はもりやまつるのマンガに出てくるようなヤンキー頭(笑)。もりやまつるは間違いなくこの映画に影響を受けたとみた。あと上岡竜太郎もまだまだ若かったんだな。
◆おはなしは、キタの北神同盟、ミナミのホープ会という不良少年グルーフの抗争とどちらにも組しない紳竜と趙方豪3人組が入り乱れる喧嘩スケッチである。冒頭、少年院を出所したばかりの紳助がフルーツ・パフェをお替りするところがなんとなくおかしい。環状線車内での乱闘シーンなんかはちゃんとJRの許可を得て撮影したのだろろうか。もしかするとゲリラ的な撮影だったかもしれない。
紳助の口癖は“南港に来んかい”であるが、ラストはそれでたいへんなことになる。
ただし、実際の主役となると紳竜よりも趙である。在日であるが日本人の紳竜と組んでいるという設定。ケンカの武器はもっぱら頭突きである。紳竜が最後は徒党を組むが、趙はそれを嫌ってはなれていく。なんにでも化けられそうな雰囲気がある役者さんであり、ガンで早逝したことがつくづく惜しまれる。
◆奈良出身の井筒監督であれば、大阪ミナミ(難波)はホームグラウンドみたいなものだったろうが、こちらにすればまるで外国である。えらいトコロやなぁとみる。
ふりかえってみれば、ミナミにはもう10何年以上も行っていない。関西人であっても住み分けができてしまえば、縁遠い地域である。
最近はアメリカ村あたりも治安が悪いらしい。そのうち防犯カメラ設置密度日本一になるかもしれない、それがいいことかどうか(苦笑)。
[PR]

by chaotzu | 2005-08-05 22:00 | 日本映画
2005年 08月 05日

日本共産党の“玉砕”選挙

◆「郵政政局」で解散風が吹くなか、日本共産党が次回衆院選の立候補予定者名簿を発表した。このうち小選挙区の立候補予定者は240人である。実のところ、次回衆院選では全選挙区に候補者を擁立しない方針を打ち出しており、200人もたてないだろうと思っていた。まさかの240人である。おまけに残る60選挙区についても、まだ候補者を擁立する方針らしい。別段民主党に肩入れするつもりはないが、ちょっと信じられない感覚じゃなかろうか。
前回(2003)の衆院選挙で、日本共産党は全300選挙区で全敗、これだけでもかなりカッコ悪いのに、供託金300万円まで没収されたのが235選挙区にのぼった。きつい云い方をすれば、立候補者の8割近くが泡沫扱いされたわけである。これだけで国庫に7億円ばかり献上したのであるから、カンパを強いられる末端党員の気持ちは如何ばかりであろうか。
b0036803_20313770.jpg◆ふりかえれば、1970年代頃の共産党がいちばん元気だったように思う、労働組合のみならず、地域社会にけっこう根をはっていた。わたしの知る限りであるが、学童保育や子供野球の世話などにも、党員さんが頑張って汗をかいていた。文字通り草の根活動である。服装はいつも同じで垢抜けないが、とにかく真面目一途なひとが多いという印象であった。頼まれて赤旗を購読していた時期もあったぐらいである。まあ、いま隆盛?の創価学会のほうがずっと気味悪かったのである(それは今でも同じだが)。
◆その党員さん、年代進行による高齢化が著しい。会社勤めなら定年を迎えたひともかなりいるだろう。月収の1%基準の党費や赤旗購読費に加えて、選挙毎のカンパ、さらに日常の労力奉仕とくれば、疲れ果てる党員もいるようだ。かつては赤旗を熱心に勧誘されたものであるが、いまは勧誘どころか配達や集金の人材にも事欠いているかもしれない。現実にこの10年以上赤旗を勧誘された記憶がない。地域でも職域でもそうであるから、はっきり云って党活動の足腰はかなり弱っているのではないか。そんな状態で全国で240以上もの小選挙区に候補者をたてようなんて、現実的にも無茶なはなしである。いちばん盛り上がる政治イベントであるべき衆院選挙に手を抜くと党員の士気が弛緩して党がもたなくなると心配しているのかもしれない。だけど、候補者名簿をみると、大半が専従党員で地方議会経験者はほとんどいない。有権者にしてみればなんの馴染みもないだろう。市町村議会レベルの選挙のほうに重点をおくべきではないのか。このままでは党員は疲弊する一方だろう。
◆何度も云うようだが、日本共産党は民主集中制を党規約から撤廃しないと駄目だ。これが少数者による独裁制を支える理屈になっている。いくら素晴らしい卓見高説を唱えても、これがある限り大衆全般の信頼は得られない。だいたい、全国300の小選挙区で全敗しても、党のトップが交代すらせず居座っているのである。むかし陸軍、いま日共の無責任体質である。
元赤旗記者で朝鮮問題研究者の萩原遼氏を除籍したそうである。いまどき朝鮮総連との友好維持にやっきになるのもなんだかだが、萩原氏のようなユニークな人材でも抱えこめる懐の深さを願うのだ。もういくら云っても詮無いことかな。
[PR]

by chaotzu | 2005-08-05 20:45 | 時事
2005年 08月 03日

【DVD】 「原爆の子」 ピカの日に死んだものはウジ虫じゃ

◆もうすぐヒロシマそしてナガサキに原爆が投下された日がやってくる。
どんな理屈をつけようが、原子爆弾は非道な犯罪行為である。人類の歴史においても残虐な場面はいろいろあっただろうが、戦闘要員でもない一般市民を無差別にそれこそ病人から赤ん坊まで大量一瞬に抹殺してしまうということでは、歴史上最悪レベルの残酷さである。それも予告なしの不意打ちなのである。
いつまでも恨みをひきずることは前向きなことではないが、なんらかの人種差別感情があってこその大量殺戮ではないのか、そういう疑念を拭えないこともたしかだ。
先日の朝日新聞で気になる報道があった。池田勇人と佐藤栄作の両元首相が、アメリカ政府に対して、日本国内に核武装論があることを内々伝えたところ、アメリカ側があわてふためいて「核の傘」提供に動いたというはなし。
1960年代の旧いことであるし、今となって両元首相の真意を知るすべはないが、老練な政治家による外交上の駆け引きであったと願いたいところである。本気で検討していたとはどうも考えがたい。まして、池田勇人は広島出身である。
しかし、昨今の若手政治家の同種発言については、一抹の危惧を感じざるを得ないのだ。百歩譲って日本が核武装に踏み込んだとしても、もはや国民の安全を担保できるものではない。それはニューヨークやロンドンのテロで明らかになったことである。北朝鮮のごとく「物乞い」の手段としての有用性はあるかもしれないが、それも軽侮されるだけだろう。
いずれにせよ、日本人は原爆の悲惨さを忘れてはならないし、それを後代に引き継ぐとともに、外国(とくにアメリカ)に対しても粘り強くアピールしていかねばならない。それこそが国際社会に果たす日本人の役割ではないのか。お金をばらまいて常任理事国になれたとしても、アメリカの子分とみられているかぎり、どこも真剣に耳を傾けてくれないだろう。
b0036803_22471865.jpg
◆1952年日本映画(近代映画社、民芸)新藤監督は広島の出身、劇団民芸の役者さんも総出である。驚くべきことに敗戦後7年、サンフランシスコ講和条約の発効により独立した1952年4月28日から僅か3カ月後の公開である。アメリカ占領当時からの製作であることを思えば、映画人の勇気の結晶といえる作品だ。

◆ヒロシマ原爆から7年後、ひとり生き残った小学校の先生乙羽信子が、夏休みを利用して当時勤めていた幼稚園の生き残り園児を訪ねてまわるはなし。モノクロであるが、ビカドン後の凄絶な場面が回想シーンとして出てくる。
1人目の男の子は靴磨きで貧しい家計を支えている。自宅を訪ねるも父親が原爆症で危篤状態という間の悪さ、母子に来客を接遇する余裕はなくとげとげしい。2人目の女の子は孤児になり修道院に引きとられているが、寝たきりでもはや余命いくばくもない。おまけにかつて使用人の爺や(滝沢修)と偶然出会うが失明して乞食同然に落魄れている。真にここまでは悲惨きわまりない話つづきで、どうにもやりきれない。
◆3人目の男の子でやっとほっとした気分になる。両親を亡くしたものの、4人兄弟が肩を寄せ合って明るく暮らしているのだ。ちょうど姉が嫁ぐ日で長兄(宇野重吉)は感無量である。倒壊した自宅の下敷きになって、びっこをひいている妹であるのに、復員してきた婚約者の態度が変わらなかったことに感激しきりである。“もう神さまかと思いましたよ”
兄の付添いで足の悪い姉が黄昏のなかバスに乗って嫁いでいくシーン、何の嫁入り道具もなく風呂敷包みひとつであるが、これまでみた映画のなかのどの花嫁よりも素晴らしく美しい。最高のウェディング・ロードである。
◆さて、爺やには可愛い男の孫がいる。乙羽先生は将来を考えて2人を島暮らしに誘う、はじめ頑として応じなかった爺さんも、隣の婆さんの説得で孫を手放すことに同意するが、嫌がる孫を説得するために採った手段はあまりに哀しいものだった……。
滝沢修、自分的にはどこか怜悧なイメージがあったが、全くそれをくつがえす悲痛な熱演である。
◆隣のばあさん役の北林谷栄、このときまだ40歳そこそこであったのに、堂々たる?ばあさんぶり、90歳で出演した「阿弥陀堂だより」のばあさんと全然変わっていない!
50年間歳をとらなかったみたいで、まさに、永遠の婆さん女優である。
考えてみたら、ワタシはこの人の素顔をみたことがないかもしれないな。
[PR]

by chaotzu | 2005-08-03 23:12 | 日本映画
2005年 08月 03日

盗難等カード補償法成立で新「ビジネス」

◆かねて懸案であった「盗難等カード被害補償法」が本日参議院で可決、成立した。
半年間の猶予期間を経て来年の2月に施行される。これで預金者保護としては一歩前進であって、われわれ預金者の立場としてはやれやれである。
しかしモノゴトにはなんでも両面があるもので、金融機関のほうにしてみれば、新しい犯罪リスクにさらされることになるだろう。b0036803_214236.jpg
◆ウソの盗難をでっちあげることによる補償金の取り込み詐欺である。
誕生日や電話番号を暗証番号にしていたような軽過失があったとしても、被害の75%まで補償される、悪巧みする奴からすれば実においしい儲け話になりうる。
ATMによる引き出し限度額が1日1百万円であったとしても過去30日まで補償されるから、最高30百万円の被害としてその75%でも2250万円だ。
ダミーになる人間を探してきて「善意の預金者」に仕立て上げればよい。目先のきく暴力団員にすれば、かっこうの新商売になるかもしれない。
だから、大量の現金持ち込みで口座開設を急ぐ新規客なんかは警戒されるだろう、昔ならば上客だろうが、世の中どんどん変わってくる(笑)。また、連日にわたり限度額いっぱいの引出しがある口座はたちまち監視対象にされるだろう。
しかし、どんな予防手段を講じたとしても、金融機関の職員が加担する場合もないとはいえない。なにより、金融機関自らの裏金づくり等不正行為の手段にもなりうる。こうなるとモラルハザードのきわみであるが、防ぐすべはない。

◆すでに金融機関の側もいろいろ対抗策を検討していることだろう。
しかしながら、基本的に4桁の暗証番号だけでもって本人確認するシステムそれ自体が、陳腐化あるいは既に破綻しているということではないのか。
生体認証方式など、新しいカードの更なる導入を急ピッチで進めるべきだろうが、なにより、ATMという無人化システムそのものが、便利なようにみえて犯罪を誘引する仕掛けになっている。高齢化社会を踏まえて有人窓口をもっと見直してもいいのではないか。
[PR]

by chaotzu | 2005-08-03 21:32 | 時事
2005年 08月 02日

【ビデオ】 「二十四の瞳」 天皇陛下ハ押入レノ中ニオラレマス

◆ずっと昔の義務教育時代を振りかえると教師運はあまりいいほうではなかったな。男の先生はやたら体罰をふるうし、女の先生はキーキー怒ってばかり、そんな印象しか残っていない。
中学時代に懐いた先生がひとりいたが、突然首吊り自殺してしまう。失恋したらしいとの噂があったがよく分からない。
だいたい日教組教育云々を云われるが、田舎の先生はたいてい兼業農家で農協の組合員でもある。役場や国鉄の職員と似たようなもの、選挙のときは夫婦でちゃんと自社に分散投票する、いってみれば家庭内55年体制である(笑)。だから大半がデモシカ先生みたいなもんだった。世間の目も寛容であったから、アルバイトもし放題、大らかというべきかいい加減な教師が多かったのである。代用教員あがりもまだけっこういたのではないか(もっとも教育者の質とは無関係であるが)。
さて、本日は素晴らしい先生が登場する映画をみる。そーかあ、オレが根性曲がりになったのは、いい先生に出会わなかったせいかもなと、早速他人のせいにしたりする。b0036803_232412100.jpg
◆1954年松竹映画、子供のとき、学校か公民館でみたことはたしかであるが、サッパリ憶えていない。錦ちゃんのチャンバラものならともかく、こんな160分もの映画、子供がおとなしくみられるわけがない。いまあらためて見直すとだいぶ思い違いをしていた。分教場のオナゴ先生と子供たちのほのぼの交歓映画だと思っていたのだ。前半だけであればそうかもしれないが、後半の辛くなるところが、すっかり脱落していた。実際は、戦時下の女性の半生を描くとともに、反戦平和を静かに訴えた映画である。涙腺がゆるくなったのか、最後のほうはもう涙がとまらない。
同年公開の「七人の侍」を抑えてキネ旬1位というのも納得である。ただし、いま現在となれば、当時の貧しさが想像しがたいかもしれない。若いひとはアルマイトの弁当箱なんて知ってるだろうか。

◆1928(昭和3)年4月4日に小豆島の分教場に入学した12人の子供たちと新任の大石先生(高峰秀子)の18年間にわたる物語である。高峰秀子、最初は洋服で自転車乗りのキャピキャピ、モダンガールで登場するが、最後は戦争で苦しめられた40歳前後の疲弊した中年女性である。声の調子も変えて、年令進行を無難に演じている。
この18年間は昭和の激動の時代である。支那事変、上海事変、満州事変と戦火が拡大したあげく太平洋戦争に突入、そして終戦。この間男の子は出征、女の子の一部は辛い奉公である。
◆老練な校長先生が大石オナゴ先生に訴える。
“兵隊になっちゃつまらんと云うたそうだが、お国にご奉公できる国民を育てるのが義務じゃ”
“うまく云わんとバカをみる、みざる云わざる聞かざる、本音と建前を上手に使い分けにゃいかんときもある”
オナゴ先生、12人の教え子の卒業とともに、とうとう教師を辞めてしまう。
オナゴ先生が息子に云ったことば、先生を辞めても信念はいささかも揺らがない。
“靖国の母がそんなにいいのんか” “ただの人間になってほしい”
◆18年後の1946(昭和21)年4月4日に集まった元の子供たち、12人が7人に減っている。戦死が3人、病死が1人、そして1人は不明である。なお戦死した3人の墓碑は中尉に軍曹に一等兵、ホトケさまになっても差がつけられている。そして戦地から生還した1人(田村高広)も失明している。オナゴ先生自身も母親が亡くなり、夫(なんと天本英世)は戦死、腹を空かせた末娘が柿の木から転落死する不幸もあって、息子2人と慎ましやかな3人家族である。
今となっては分教場時代の記念写真が宝物だ。盲目になった磯吉がみたいという。
“この写真はなぁ見えるんじゃ”
“これが先生じゃろう、この前にわしと竹一と仁太が並んどる”
“これがまあちゃんで、こっちがふじこじゃ……”
いかんいかん、ここまでこらえていた涙がこぼれそうだ(泣)。
◆唱歌でいっぱいの映画である。
「仰げば尊し」「蛍の光」はいうに及ばず、「七つの子」「故郷」「冬の星座」「浜辺の歌」「埴生の宿」「おぼろ月夜」「荒城の月」など懐かしい歌が流れる。とくに「アニー・ローリー」が印象的である。
倍賞千恵子の抒情歌集が聴きたくなった。

◆たまたま偶然にも、日本テレビで黒木瞳版があったので、こちらも途中からみる。
もう大違いだった。黒木瞳ではオナゴ先生の清新さは無理というもの、ファンの方には申しわけないが、オバサン先生である(汗)。
ハナシもだいぶいじっているし、もう別の映画とみたほうが無難でしょう(苦笑)。
[PR]

by chaotzu | 2005-08-02 23:36 | 日本映画
2005年 08月 02日

道路公団近藤総裁は即刻辞任すべし

◆本日開催の道路公団民営化推進委員会の委員懇談会、これまで出席していた国土交通省幹部と道路関係4公団の理事が誰ひとり出席せず、委員2名だけという異常な事態になった。これまで国土交通省は道路局長、公団側は日本道路公団の近藤総裁などが出席していたのである。もとより、これでは懇談会にならない。広い円卓に委員2人だけのツーショットはいかにも異様である。b0036803_2292047.jpg

◆懇談会の欠席(正確にはボイコットだが)は国土交通省の差し金だろう。公団側が決められることではない。内田副総裁に続く金子理事の逮捕、そして永岡衆議院議員の自殺ときなくさい出来事があいついだ。熾烈な権力闘争を察知して当面穴熊作戦を決め込むつもりか、すなわち「黙秘権」の行使である。
懇談会である以上出席する義務はないし、なにより内田副総裁の件で、テレビカメラの恐さを思い知ったばかりである。

◆しかし、監督官庁の「指示」をはねのけてでも、日本道路公団の近藤総裁は出席すべきではなかったか。答えられないところは「捜査中の件につき発言を差し控えたい」と対応すればよいことである。同公団は7月5日に「談合等不正行為防止策検討委員会」を設置したばかりである。近藤総裁以下理事8名と外部有識者6名による内部委員会である。ところが、ひと月もしないうちにそのメンバーである副総裁と平理事が逮捕されてしまった。セクハラ防止委員会にセクハラ常習者がまぎれこんでいたようなものである。おそらく他の理事5人も談合の実態は知悉しているはずである。つまるところ茶番の委員会だ。近藤総裁はこの件についても、きちんと委員に説明すべきではないのか。そもそも改革のために乗り込んできたはずである。国土交通省の言いなりになるのは自らの存在価値を否定することだ。失礼な云い方だが、こんなロボット総裁に実効ある再発防止策の策定は期待できそうもない。
◆10月1日には新しい民間5社が発足する。もうメンツだけで民営化に邁進しているようである。取締役の数がいっぱい増えるので、喜んでいる公団幹部がいるのではないか。

◆話し変わって
・自殺した自民党の永岡洋治衆院議員(54歳)、なにやら痛々しい話である。郵政問題の板ばさみで悩んだすえと報じる向きもあるが、断じてそんなことはない。政策でクビ吊るようなヤワな神経で代議士は務まらない。まして官僚出身である。
おそらく次の選挙を悲観したのであろう。ボロボロになって失業の心配まで出てくれば、プライドの高い人には限界だったのではないか。借金まみれで3度目の落選となればさすがにきつい。
・片山猫之助?
自民党参議院幹事長の片山虎之助センセイ、郵政国会では猫になるそうだが、同じ役人出身でもこのセンセイのほうが面はだいぶ厚そうだ。ワタシははじめ公明党のセンセイかと思っていたほど(笑)。
[PR]

by chaotzu | 2005-08-02 22:16 | 時事
2005年 08月 01日

【DVD】 「社長漫遊記」 消防芸者って知ってるかい?

◆20年くらい前は日本式経営がもてはやされていた。世界に冠たるニホンのカイゼンやQC、ジャパン・アズ・ナンバーワン!で鼻息も荒かった。ところがいまは欧米式の経営が大もてだ。ゴーンさんを見習え、なんといってもMBAの資格だよ、もう「終身雇用」や「年功序列賃金」は時代おくれだとくる。
なんだか振幅がはげしすぎるのである。一部の学者先生や評論家にふり回されている気がせぬでもない。実際のところ、どちらにもいい面悪い面があるはずだ。
日本式経営についてみれば、長期的視野にたった経営、従業員のモチベーション涵養などすぐれた面もあるいっぽう、経営の透明性担保や組織的不祥事の防止については心もとないところもある。つまるところ身の丈にあった経営に徹するかどうかじゃないのか。
さて、海外視察に行った社長さんがアメリカ式経営にかぶれて帰ってきたというおはなし。b0036803_22162137.jpg
◆1963年東宝映画、社長シリーズは正続あわせて1本パターンが多く、本作も実際は前編である。当面続編をみるあてがないのだが、だいたい見当がつくからまあいいことにする(笑)。
今回の森繁氏は太陽ペイントの社長さん、アメリカへ企業視察に行って、すっかりアメリカかぶれになって帰ってくる。空港に迎えにきた社員の前で、奥さんにキスしようとして嫌がられるくらいである。会社でも早速アメリカ的合理精神による新しい経営方針を打ち出す。
・地位の上下にかかわらず云いたいことははっきり云おう
・呼びかけは役職ではなく本名の○○さんでけっこう、親しい間柄は呼び捨てでもいい
・レディ・ファーストの励行
・女子社員のお茶くみ禁止
・社用族的行為廃止、虚礼廃止でビジネスライク・オンリーにやろう
森繁社長は堂本平太郎、加東営業部長は山中源吉、九州支社長ののり平は多胡久一の役名である。だから、森繁社長は加東部長を「源さん」「源の字」と呼ぶという、早速のり平が社長に「堂さん」「ヘイちゃん」と呼びかけてたしなめられる。のり平なんかは「タコ」!になってしまうよ。
さらに、のり平氏、社長の無事帰国を祝して新橋で「パアーッといきましょう」とおなじみの提案をして、社長に一喝される始末。いいなあ、昼間からこんな議論をしている会社って大好きだ(笑)。
◆そのアメリカ式経営方針転換で社内はてんわやんやになるが、アメリカの塗料メーカーの外人支社長が森繁社長に云うには、
“社用族イイシステムネ、スキヤキベリグー、サケベリグー、オンナキレイ”
“アンド・シャチョーサン ワンダフル”
なんだから、もうなにをか云わんやである(笑)。
はなしはそれるが、カタカナの役職名をやたら導入した会社があったことは事実、「チーフ・リーダー」とか「サブ・チーフ・リーダー」に「なんとかマネジャー」とかもうわけ分からん(笑)、名刺を渡すほうも恥ずかしそうであった。結局は○○さんで呼びかけるしかない。もっとも、それで付部長なんかの非ライン職を一掃したことはたしかである。
◆毎度パターン化した展開である。ライバル企業との競争、森繁社長の浮気の虫、独身小林秘書の結婚話、そしてのり平、フランキーの「パァーッといきましょ」的個人芸である。ある意味、これほど安心してみられる映画はありません(笑)。
今回の宴会芸、のり平の天草四郎時貞である。手回し蓄音機のでたらめな再生速度にふりまわされる踊りっぷりがとてつもなくおかしい。加東大介が十字架につながれたキリストで登場、むかし「俺たちひょうきん族」で似たようなキャラがあったような。のり平が問う。
“アンタ、ほんとにキリストさんですか?”
“イエース”
むかしの脚本家ってホントにいいですなあ、うらやましくてならん(笑)。
◆フランキー堺、きざなメガネの日系三世役でまたも珍妙な日本語をあやつる、淡路恵子のクラブで披露する日系アメリカ人風日本語による「アカシアの雨に打たれて」には大笑い、ハンカチによるサックス演奏芸までやるが、いやあこの人はほんとにスゴいです。みていた森繁が「感じの悪い奴だ」と毒づくが、マジに対抗心があったかもしれない。
◆池内淳子が演じる北九州若松の「消防芸者」〆奴、火事があったらなにがあっても現場にすっとんでいく、おかげでモリシゲは浮気しそびれるが、若松の消防芸者なんてのは全然知らなかった。また、若戸大橋の開通シーンがでてくるが、当時としては画期的な橋梁だったことをあらためて認識する。まあ何かと知識がつく映画であります(笑)。
◆蕎麦の斬新な食べ方
森繁社長、はさみちょっきんはやめて、フォークで食べている。しまいに箸にもちかえるが、匙を投げるではなく、フォークを投げるの巻。
[PR]

by chaotzu | 2005-08-01 22:21 | 日本映画