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2005年 10月 18日

まるで子供外交

◆懲りないコイズミさんがやってくれた。秋季例大祭の初日に靖国参拝である。この前の大阪高裁の「違憲」判決を参拝見送りの口実にすればいいのにと期待していたのだが、まったく意固地になっているとしか思えない。総選挙で大勝して300議席近くも獲ったのだから、こういうときこそ、大人感覚であってほしいのだが、最後まで人気取りのいいカッコしいを通したいのだろうか。外圧に屈しないコイズミ・イメージにこだわっているのかもしれない、しかしそんなのBSE牛肉でとっくにボロが出ているじゃないか。
b0036803_0191246.jpg何度も云うが、国民の総意でないことを国民の代表者面をしてやってほしくないのだ。今日の日本の礎となったのは、なにも戦争で亡くなった兵士だけではない。空襲や原爆で死んだ市民、沖縄戦の犠牲者島民、満州の土になった開拓農民もそうだ。戦闘行為だけではなく餓死したひと、病死したひともいる。みんなそうだ。戦争で亡くなった人に変わりはない。おまけにA級戦犯に対する複雑な国民感情もからんでいる。だからこそ、今上天皇も靖国には参拝していない。まして、権力者がなす行為は「心の問題」で片付けられるものではない。どうしても行きたいのであれば、総理大臣を辞めてから好きなだけ思う存分参拝すればよいではないか。
また、前述の高裁判決を意識してか「簡易参拝」で済ませたらしいが、表面だけ取り繕ってもみっともないだけである。なるほど、いま外務事務次官が訪中しているのは「簡易参拝にするからどうか理解して頂戴」のメッセンジャー役だったのか、それで待ちぼうけを食らわされたとしたらいかにも惨めなことである。なによりれっきとした法治国家の為政者が裁判所の判決よりも個人的信条を上位におくさまを、子供にもみせている。
これではやり放題云いたい放題の「辞め逃げ」になってしまうだろう。

◆それにしても、首相が意地で続ける靖国参拝、国民にとってなにか利益があるのだろうか。中国や韓国との外交も当面機能不全におちいるだろう。拉致問題の解決や東シナ海のガス田開発問題はどうなるのだろう。APECの首脳会議や東アジアサミット、日韓首脳会談も予定されている。地政的にみてどう考えても賢いやり方にみえない。普段から近所づきあいのよくない隣人に、わざわざ「ファ○ク・ユー」と挑発して得意満面で快哉を叫んでいるようにみえてしまうのだ。
“外国の干渉をはねつけてかっこいいじゃん”
“いつまでも文句たれるのはうざいんだよ”
ガキの時分ならば、こんなレベルのつきあいもありかもしれないが、とてもプロ政治家のする外交ではない。ところがまさしく、それをやっている。これでは外務省アジア太平洋州局の役人はほんとうに子供のつかいにならざるを得ないだろう。
云いたいことがあれば堂々と主張することは当然のことであって、冷静に議論を重ねていくべきであるのに、なんの得にもならず逆に揚げ足をとられそうな自慰外交に突進することはどうみても感心できたことではない。
案外、中国や韓国のなかには喜んでいる連中がいるかもしれない。自分の国のボロ隠しを意図する権力者にとって、「仮想敵日本」の燃料を供給してくれるコイズミさんの行為は真に有り難い援軍になる。早速宇宙ロケットの帰還にからめて「重大な挑発行為」とまで言い出している。神舟6号となんの関係があるのかムチャクチャな理屈であるが、腹に一物ある相手にすればかっこうの好餌をばら撒いたようなものだ。

◆当のコイズミさん、郵政法案の可決に際しては、さかんに国民が拾いあげてくれた、国民の支持があればこそとぶちまくっている。ところが、都合によっては、世論なんか歯牙にもかけない政治家なんである。

[平成16年11月26日]
参議院 イラク人道復興支援活動等及び武力攻撃事態等への対処に関する特別委員会

○若林秀樹君(民主党参院議員)
 (前略)国会における議論とか国民世論の動向を本当に踏まえているのかなと。少なくとも、最近の世論調査を見れば六割ぐらいが反対でありまして、まあ賛成しているのはまあその半分、三割、昨日の日経では二五%ということになりますけれども、国民世論の動向を踏まえればという意味はどういうことなんですか、この意味において。
○内閣総理大臣(小泉純一郎君)
 あるときは国民の世論調査がすべて正しいとは私は思っておりません。それは、国会の議論、国会議員の議論、総合的な情勢、すべて勘案してやっていかなきゃならない。世論調査の支持がすべて正しいとは思っておりません。
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by chaotzu | 2005-10-18 00:29 | 時事
2005年 10月 17日

【DVD】「なつかしい風来坊」 有島一郎畢生の小市民演技

◆もう20年近い前に亡くなった俳優の有島一郎、加山雄三「若大将」の親父さん役がいちばん知られていたと思うが、自分的にはもうひとつつかみどころのない俳優だった。コミカルなようで小ズルイ、飄々として小心、乱暴にくくると、イッセー尾形の前世代バージョンのような役者さん。もっとも生の舞台をみたわけでないし、映画もそれほどみているわけじゃない、まあそんな自分なりの思い込みがあったのである。
ところがなんのなんの、あるんですな、そんな脇役一筋の俳優さんが主役として輝いた映画が。
ラストの目玉ウルウル演技には思わずもらい泣きしそうになりました。

b0036803_2241338.jpg◆1966年松竹映画、一般的には山田洋次=ハナ肇コンビによる寅さん前史的な映画という位置付けである。事実そういった先入観をもってみたのであるが、実際にみると助演の有島一郎の存在感が大きいこと、主役級といってもいいぐらいだ。ハナ肇がばっとしないということではない。有島一郎の真価(あるいはその一部)が発揮されたのだろう。
職場でも家庭でもうだつのあがらないまま、人生の後半にさしかかった小市民、はたして彼に救いの瞬間はくるのだろうか。


◆厚生省?の技官(医師)で課長補佐の有島一郎、職場では「つつが虫」と陰口されるほど、さえない窓際小心男、出世の見込みもほとんどない。唯一仲の良かった同僚「さなだ虫」が福岡の国立病院に転勤となり、役人人生もさびしい晩年にさしかかっている。ところがひょんなことから流れ者の労務者(ハナ肇)と知りあう、そして無教養だが気の優しいハナ肇が何かと有島「小市民」家庭を活性化してくれるのである。男の子には薬殺寸前のボクサー犬をもらってきてやり、家中の修理仕事から大きな庭石の搬入まで引き受ける、そしてとうとう茅ヶ崎の海岸で自殺を図った女性(倍賞千恵子)まで連れてくる。旦那を軽んじていた奥さん(中北千枝子)の評判も上々だ。有島一郎の平板無為かつ潤いのなかった人生が俄然活気づいてくる。職場でも「この頃つつが虫変わったね」と云われるほどになる。

◆成り行きというか、ハナ肇が倍賞千恵子に惚れてしまう。それを知った有島一郎がハナを大いに督励する。「デートは映画がいい」「ぐっと抱きしめるのだ」と熱心なアドバイスをする。ところがこれがみんな裏目になってしまうのだ。
ここから先はもう悪い目の一途である。一時はあった家庭での権威もたちまち失墜、おまけに職場では八戸への転勤を申し渡される。家族はダレもついてこない、単身赴任で行ってくれという。なんとさびしいものよとがっくり肩を落とすお父さん、とぼとぼ二等列車で赴任先に向かう有島一郎、ところが思わぬ遭遇が待っていた。ラストは賛否両論かもしれません。

◆おまけ
実際のところ、医師の資格があって厚生省の課長補佐となれば、モノスゴい権力者だろうと思う、そのことは薬害エイズ事件を想起すれば十分だろう。左遷とされる転勤先も八戸の検疫所長である。だから、いくら官僚の落ちこぼれといっても、とても小市民レベルじゃなかろうという突っ込みはある。もうちょっとその辺の設定は考えてほしかったところ、まあそこは目をつぶる(苦笑)。
だけど、gooの映画案内(あらすじ紹介)では課長という設定である。gooの解説はこの他にもマチガイだらけで、もうひとつ信頼がおけない。なにも本作品に限ったことではなくて、目茶苦茶状態といってもいいぐらい。よほど安い単価で外注したのだろうか。
閑話休題、有島一郎の奥さん役を演じた中北千枝子が先月亡くなられた。映画中では亭主を軽くみる無神経な妻を見事に演じていたが、黒沢明の「素晴らしき日曜日」など、記憶に残る女優さんであった、合掌。
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by chaotzu | 2005-10-17 22:51 | 日本映画
2005年 10月 16日

【読書】「松本清張傑作短編コレクション」やっぱりセイチョーはオモシロイ

◆松本清張の小説再訪のきっかけとして、宮部みゆき責任編集と銘うった短編コレクション(上・中・下)を読んでみる。1年ほど前に出た文春文庫の企画本であるが、これがベラボーに面白い。読み出すとやめられない。
まずはっきりしたこと~短編(あるいは中篇)については、昔読んだ記憶をすっかり喪失していること、もうことごとく忘れとる(苦笑)。
b0036803_22225742.jpg「西郷札」って西南の役の戦後悲話だったのか、あるいは「カルネアデスの舟板」を読んで歴史学者の世界はなんと陰険なことかと感嘆しきり、はじめて読んだも同然である。少々断片的に憶えていたとしても、経年によってこちらの感受性も大きく変わっているから、ほとんど新規の小説である。考えようによっては、これほど有り難いことはない。もう一度、たっぷり清張ワールドに浸ることができるのだから。
もうひとつは、同じ根っこから次々と作品が派生しているらしいこと、「地方紙」というテーマで検索すれば、「地方紙を買う女」「空白の意匠」「山」とか次々と出てきそうである。おそらく執筆することによって、アイデアが連想ゲームみたいに続々派生していったのだろう。書いて書いて書きまくるいっぽうで、作品のアイデアもどんどん溜まりこんできて、時間がいくらあっても足りない時期があったにちがいない。まさに小説家として至福の時期だったろうな。

◆清張爆笑ワールド
現役バリバリ当時は社会派推理小説の巨匠的存在であった。それまでの本格推理小説と違って、我々とそう変わらない等身大の人間がなにげない日常のなかで落ち込む陥穽を描く、いってみればリアル・ミステリの旗手だと、そう思いこんでいた。
ところがいま読み返してみるとそうでもないのである。こんなひとそんなにいないよなという突飛な人間たちがまき起こすファース、どうみても人間喜劇にみえてしまう。そういうはなしが多い。
それまでのいわゆる本格モノと称される推理小説が、神の如き名探偵とかおどろおどろしい装飾だらけで現実離れしてしまった反動から、清張が社会派ミステリの代表格にみなされたのかもしれない、しかしあらためて読み直してみると清張の小説世界も十分突飛なのである。いま現在のミステリ小説のほうがよほどリアルであって、清張作品では探偵役も犯人も被害者もみな手の込んだことをしたがる一癖も二癖もある人間ばかりである。もちろん、だからこそオモシロイのである。

「支払いすぎた縁談」 娘の縁談を巡るいわゆるコン・ゲーム、いまでも「三高願望」とかあるそうだが、当事者父娘の貪婪さはもう爆笑ものであって、被害者なんだけど可哀想な気が全くしないというか。
「式場の微笑」 成人式の日に晴れ着姿のオンナのコが勢いのおもむくまま、ついカレとホテルに行っちゃって……、あとの着付けがさあたいへん、出張着付けサービスが大繁盛というのはきわめて今日的なはなしと思うかもしれないが、なんと30年も前の発表なのである。昭和50年当時の成人といえば、いまやもう50歳、そうか「いまどきの若いもんは……なんて」、なかなかいえないよなあ、なにせ、その先駆者なんだから(笑)。
これは本編も面白いが、宮部みゆきさんの前口上(解説)も秀逸で心にしみる。

◆清張純愛ワールド
清張といえば、男女のどろどろした情念が得意といったイメージがあった(ワタシには)。なんというか、欲得でくっついた男女のみもふたもないはなしは描いても、ひたむきな男女のラヴ・ストーリーにはあまり縁がないと思いこんでいたのである。
ところが、いい齢になってから読んでみると、それが勘違いであったことに、ようやく気がつく。若いころは読みきれなかったのだろう。たとえば「張り込み」なんかは、警察小説の体裁をとっているものの、別角度からみれば立派な恋愛小説にもなる。
犯罪小説としての清張ミステリは経年劣化するかもしれない(たとえば、「砂の器」の殺害方法なんかは奇抜すぎてほとんど笑ってしまうほどだ)。だけど、人間心理の深奥とくに男女間の愛情の機微や親子とくに母親と息子の情愛などを描いた部分は、いつまでも色褪せることがない、むしろこっちのほうが清張ワールドの真髄かもしれない。

「遠くからの声」 相手のことが好きだからこそ意識的に離れていく、もうとことんクラシックなプラトニック・ラヴ・ストーリー、今どきそんなことあるもんかいと思いそうだが、それにしても心にしみるのである。
「火の記憶」 小説のテーマとなった男女の出来事も印象深いが、その娘夫婦の愛情の機微にしみじみさせられる。そしてこれ以上ないというほど、さわやかな終わり方に感服。
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by chaotzu | 2005-10-16 22:36 | 読書
2005年 10月 16日

プレーオフを中継しない怠慢テレビ局

◆昨日は久々に当ブログの更新をせにゃいかんなと思っていたのである。ところが、バリーグ・プレーオフの中継にひっかかってしまったのである。別段どちらのチームにも肩入れするつもりはないが、どうも、ロッテが30何年ぶりかのリーグ優勝をしそうな気配らしい。その瞬間だけでも確認しておきたかった。ところが、ご存知のとおり、たいへんな試合になった。おかげでとうとう更新を怠けてしまったという次第である。

◆ところで、実際に視聴した「中継」なるものはテレビでもないし、ましてラジオでもない。関西地区ではずっとパリーグ・プレーオフを放送していないのである。ロッテvs西武戦のときもそうだった。おかげでスポーツ紙のウェブ・サイトにあるなんというか、エポック社の野球盤みたいな「中継」を観戦していたのである。最新のIT環境であるのに、コンテンツといえばひと昔前のアナログそのものである。だけどそのまどろしいこと、かったるいこと(苦笑)。ほかに手段がないから仕方ないのだが、球場の臨場感もなにもない、へたくそな紙芝居みたいなものである。なんだか、みているこちらのほうがオバカさんに見えてしまう、それぐらいの出来だ。一生懸命やっておられる裏方さんには申し訳ないが、テレビなりラジオの迫力にはとうていかなわない。
もっとも、ネットのリアル中継なんてものは仕事中にこっそり愉しむものであって、家でみるなんて了見が間違っていると云われればそのとおりである。

b0036803_9374299.jpg◆かんじんの試合であるが、いやはやプレーオフ史上に残るモノスゴイ試合だった。途中まではロッテがリーグ優勝するものとすっかり思い込んでいたのである。各スポーツ紙もその雰囲気であった。9回裏ソフトバンク最後の攻撃時点で0-4の負け、ロッテは救援の切り札を繰り出してきた。ああ王監督は去年につづいて気の毒だなあとみていたのである。あわせて短期決戦どうも上手じゃないなとも思っていたのである(汗)。いっぽう、ロッテのバレンタイン監督については、まさに「プロの監督」をみる思いであった。
ところが、なんのなんの結果はご承知のとおり、公式戦でどたん場4点差からの逆転というのはたまにあろうが、こういう大試合での逆転例はあまり知らない。いや、いい試合でした。
しかし、アトのニュースでみると決勝打を放った川崎選手というのは実に可愛い顔をしている、いや別に特別な趣味はありませんが。セリーグにいけばもっと人気沸騰する選手だろうなと思ったものである。もっとも、それが本人にとっていいかどうかは分からない。

◆ここで冒頭に戻る。なぜ、こんな重要な試合をテレビ局はどこも中継しようとしないのか。昨夜なんて、どこも番組改編期の特別番組ぞろいだったが、どのチャンネルも脱力感ばっちりの番組だらけである。NHKなんかは土曜コメディ「道中でござる」、なんだか泣けてくるよ。アメリカ大リーグのプレーオフは生中継しても、日本のそれは無視するらしい。
これまで長年の巨人(あるいは阪神)信仰の呪縛、もっと突っ込めばパリーグ軽視ということもあるのだろうが、関西地区でも、プレーオフの視聴需要はかなりあったのではなかろうか。番組編成責任者のセンスのなさ、それも横並びの怠慢にはアキレるばかりである。
それでもって、なんかあると「テレビ放送は公共財」云々をいいだす。ウソもたいがいにしろよといいたい。

[追記]ラジオはNHK第一放送がやっていたらしい。単純にこちらが気がつかなかったのである(泣)。エポック社もどきの野球盤をにらんであれこれ煩悶することもなかったのか(苦笑)。それでもやっぱりテレビ放映はしてほしかった。それは変わりません。
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by chaotzu | 2005-10-16 09:47 | 野球
2005年 10月 10日

国勢調査は統計役人の自慰仕事にあらず

◆国会で法律案が議決されたときには思いもよらなかった事態が、施行されてから発生することがある。いろいろすったもんだのすえ2003年5月に制定され、今年の4月から施行された「個人情報保護法」、国会議決時点では「メディア規制法」あるいは「政治家スキャンダル隠蔽法」などとさんざん叩かれていた。おかげでわが愛読雑誌であった「噂の真相」なんかは廃刊になってしまったぐらいである。
ところが、いまその法律が為政者側に厄介ゴトをもたらしている。プライバシー意識の昂りによる国勢調査への非協力である。

b0036803_13243470.jpg◆国勢調査票、結局は調査員の方にお渡しさせていただいた。ただし、当方のセレヴぶりをひけらかすのも申しわけないので、のり付け提出である(笑)。とくだん、調査員の方に他意があるわけではない。ただ、各地で委嘱された調査員が大量に辞めてしまったり、あるいは調査票の用紙を焼却してしまうなどのニュースを見聞きするにつけ、市役所に直接提出したほうがよかったかなとも思ってしまう。こういうことは、機会をとらえて小さくてもなんらかのアピールをしておくべきであった。

◆第18回目の国勢調査、おそらく調査開始以来史上最低の回収率になるだろう。総務省の役人は誰か責任をとるのだろうか。
個人情報保護法の制定後に「振り込め詐欺」や「リフォーム詐欺」が大発生したことなどで、個人情報の秘匿意識が格段に高まるなど社会事情の変化もあっただろう。しかし、指定統計であることにあぐらをかいて、時代の変化を無視した旧弊な統計を漫然と続けようとした役人さん、その考えは甘すぎたのではないか。しかも、650億円もの巨大事業である。不断の見直しはあってしかるべきだった。
実際のところ、かつて個人情報への関心がいまほどなかった時代においては、調査員さんにとってけっこうな小遣い稼ぎの仕事であった一面はある。おまけに住民の情報も把握できるという「余禄」もあった。こんなこと云ってはなんだが、これまで地方公務員にしてみれば選挙事務とならぶおいしい仕事だったのではないか。それが長年月つづくと、業務そのものが既得権みたいになる。だけど時代環境が様変わりしているというのに、これまでのやり方のまま踏襲しょうとしたことは、ハッキリ云って役人の怠慢である。しかも、5年前の調査時点においてもプライバシー問題がかなり指摘されていたのである。最低限、法令に則した調査項目にとどめておくべきなのに、それさえも怠っている。もう何をかいわんやである。

◆逆に、個人の過剰なまでのプライバシー意識による弊害を危惧する意見もある。国家的事業の支障になるようでは、行き過ぎではないかということである。
いやいや、これまでがあまりに杜撰すぎというか無神経すぎたのである。なにしろ、詐欺犯罪のネタに使われて、現実に広範囲で具体的な被害が発生しているのである。そうでなくても、夜間の無神経なセールス電話にどれだけ悩まされていることか。
たとえば、10年ちよっと前ぐらいまでは、学校の父兄名簿に職業の記載を求められていた。片親家庭あるいは低所得者層の子供はさぞや肩身のせまい思いをしたことだろう。親の職業地位が子供にとってなんの関係があるというのだろうか。だけどたいていの教師は平然たるものである。ご丁寧にも全校版の冊子をつくってばらまいたりする。父兄の氏名住所から勤務先まで丸分かりである。なかには、企業の寮らしき一室を住所にしている子供もいる。夫を亡くした母親が住み込みの管理人で懸命に子供を育てているのだろうが、そんなことまで、あからさまにする必要があったのかどうか。実際、子供というのは残酷なところがある。
だから、こんなもんにまで真面目に書く必要なんぞないという、ところが変わり者の親がいると子供が変な目でみられるから、かえって可哀相だといわれる。それほど、個人情報の取扱がぞんざいきわまる時代がついこの間まであった。

◆メディアの被害者報道もけったいなものであった。最近に至ってようやく改善されてきたものの、これまでは何も悪いことはしていない、一方的な被害者なのに、世間に氏名住所、それに職業年齢までがさらされてきた。真に泣きっ面にハチというか二重の災厄である。いっぽう加害者のほうの個人情報はなんだかんだで守られることがある。こういった本末転倒がずっとまかりとおってきたのだ。
長年溜まりこんできた不満が爆発したとしても、少しも不思議ではないだろう。

◆個人情報は守秘義務によって、万全に秘匿されるという、建前的にはそのとおりだろう。だけど思いもよらぬ事故というものがあって、情報の流出事故なんぞいくらでも起きている。こういう個人情報の塊りみたいな調査の実施にあたっては、情報が漏れる場合も想定して実施すべきじゃないのか。もう精神論だけでは無理である。そういう意味では、氏名の記入をせずに済む方法(番号制など)を検討してほしいものだ。そうすれば、だいぶ風向きが変わるだろうと思う。
それと「小さな政府」を本気で志向するのならば、余計な調査項目はやめてほしい。あるいは国勢調査の具体的な成果、そういうものがあるとするならば、それが国民にもたらした果実を具体的に還元説明してほしい。たとえば「直近一週間の就労時間」などの統計データが立法あるいは行政の施策にどう反映したかということである。
少なくとも、ただ回答内容の信ぴょう性を確認したいがためだけで集計もできない、おまけに法令に定めのないような調査項目なんぞは、大きなおせっかいそのものである。
指定統計といえど、役人のオナニー調査にまでつきあう義務はない。
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by chaotzu | 2005-10-10 13:36 | 時事
2005年 10月 10日

民営化で「北朝鮮化」する郵政公社

◆日本郵政公社が妙なことを考え出した、接客態度を4分類に評価して、それを表示したバッジを胸につけさせるとか。民営化をひかえて職員の意識を改革したいがための「ショック療法」のつもりかもしれないが、本気であるとすれば、常軌を逸しているとしかいいようがない。働く人間の尊厳もへったくれもないやり口であって、はっきり云って、この方針が気にくわなければ辞めろということだろう。また、それに労働組合も追従しているということだから、ほんとにナサケないかぎりである。
この前の総選挙の結果をみた公社内のお調子者が思いついたのだろうか。
まるで北朝鮮の首領様バッジと同じではないか。

◆仮に導入すればどうなるか、まずブック・オフやコンビニみたいに平板な定型挨拶がたちまち蔓延するだろう。挨拶は1回でいいのに、あちこちから振り向きもしない機械的な掛け声を浴びせられる。まるで呪文であって煩いだけである。しかし、呪文を始終唱えておかないとバッジがもらえないとなれば、職員は必死にならざるを得ないだろう。
次にダレが評価するかである。ろくに業務知識もないような一部の特定郵便局長がバッジのランクを決めるとなれば、たいへんである。いや、もはやマンガといってもいいかもしれない。あるいは、上司が恣意的に運用するとどうなるか。気にくわない奴はもうヤメロということになりかねない。「二つ星」と「三つ星」のチガイなんて上司の心証如何じゃなかろうか。ホントに馬鹿げてる。そもそもそんなものは、利用者が決めることなのである。

◆客にしてみれば、「一つ星」あるいは「星なし」の職員には接客して欲しくないだろう。採用まもない見習い期間中の新米職員限定のランクになるかもしれないが、普通に考えれば接客能力がないと決め付けられた人材である。現実にはベテランといわれる歳になっても、「一つ星」あるいは「星なし」に相当する不良社員はいるかもしれない。いや、おそらくいるだろう。大きな組織になるほどそれは避けられない。旧国鉄にはそんな勘違いの輩がたくさんいた。だけど、そんなことは胸のバッジで周知させるようなものではないだろう。「うちはこんなダメ社員を雇っています」と満天下に向けて喧伝したいということだろうか。あるいは「接遇能力のない社員ですのであらかじめご了知ください」ということだろうか。客にすればたまったもんじゃないよ。
冷たい現実であるが、研修してもどうしょうもない人材は辞めてもらうしかないということだ。それはいずこの業界であっても同じことである。そもそも、こんなことはバッジ着用以前のはなしなのである。
それでもあえてアドバルーンを上げるということは、民営化後の営業方針に不満をたれそうな社員に対する事前恫喝としかみえないのである。それにしてもやり方が子供じみている。

◆現実にこんなバッジ方式の会社があるとしたら、絶対に働きたくない会社である。職員の個性も創意工夫もない、闊達な意見も云えずただ盲従するだけ、アホ社員ぞろいの会社になる。顧客にサービスするよりも、いかに上司にへつらうかである。たちまち没落するにちがいない。なにより、働くものの矜持を踏みにじられる。労働組合はこんなことまで黙っているのだろうか。
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by chaotzu | 2005-10-10 07:04 | 時事
2005年 10月 09日

【読書】「のり平のパーッといきましょう」 映画なんて糞だよ、ウンコ

◆ふ~っやっと読了、それにしてもエドムラサキのおっさん、女形もやるけったいなコメディアンかと思っていたらただ者じゃない。なんとも複雑な人間である。自分の出演した映画みんなウンコ呼ばわりである。なんちゅうか、江戸っ子の矜持というかキョーレツな自負心が、そこにひそんでいるのを感じてしまうのだ。
b0036803_2175367.jpg小学館刊、単行本初刊は1999年4月。1999(平成11)年1月25日に74歳で亡くなった三木のり平の芸能回顧録みたいなものである。「みたいなもの」というのは、のり平が自ら著述したものではなく、小田豊二というフリーの編集者の聞き書きだからである。この分野では竹中労の「聞書アラカン一代」という大傑作があるが、本書の面白さもひけをとらない。もっとも、エッチ度では負けるかもしれない(汗)。
聞き書きといっても、実際はたいへんな作業だろうなと思う。のり平が興がのるまま喋べりまくったことを、忠実にテキストにしたら膨大な分量になるだろう。だいぶ編集しなければならない。のり平独特の語り口を活かして、なおかつはなしの核心を洩らしてはならない。たいへんな作業だろうと思う。8割方は編集者の著述作業といっていいかもしれない。

◆さて三木のり平である。本名は田沼則子(タヌマタダシ)、関東大震災の直後に尾久のテント村で出生、妾腹の子であり、浜町の待合のせがれとして成長する。日大の芸術科に入って同級生が西村晃、戦争中に俳優座の前身に入団する。だから、本人には生涯、舞台人意識がある。しかし、のり平が新劇の出身とは知らなかった。
戦後、左翼運動に傾斜して芝居をしない新劇に愛想をつかして、冗談音楽の三木鶏郎グループに加わる。後の水戸黄門(西村晃)も特攻隊帰りのこの時期、せっせと共産党のビラ貼りばかりしていたそうだ。
のり平の芸名の変遷がおもしろい。トリロー・グループに入ったからみんな三木ということではじめは「三木則子」、それがミスプリで「三木則平」、そして「三木のり平」に落ち着いたとある。芸名なんてホントにいい加減なものだ(笑)。ただ、そのおかげで江戸紫(のり佃煮)のCMが舞い込むのだから、何が幸いするか分からない。

◆一般にのり平といえば、喜劇映画の俳優イメージが強いが、本人はそれをものすごく毛嫌いしている。「社長シリーズ」に「駅前シリーズ」なんて、もうめった切りのクソミソである。
“社長シリーズ?あんなの実にくだらない映画ですからね”
“糞だよ、ウンコ。作品なんてもんじゃないよ。だから見たことない、”
“芝居もクソもない、おもしろくもなんともないよ”
“駅前?ああ、あれもくだらなかったな。ずいぶん出たよ。どーでもいいよ、あんなの”
オイオイ、そんなこと云われたら、「駅前」や「社長」をひいひい喜んでみていたオイラの立場はどうなるんだい(苦笑)。
映画はただお金を稼ぐ手段と割りきっている。とにかく演劇人としての矜持たるやものすごいものがある。
“シゲさんがどんなに名優だろうと、やっぱり元アナウンサーだし、加東大介だって前進座では脇だったんだから、芝居をさせたら負けないよっていう自負があったし、映画なんかで俺の芸を評価されてたまるかって気持ちはあった。こちとらは、千田是也とか青山杉作に新劇を教わったってんだから”
たしかに、映画のなかで、この人実はすごく醒めてるんじゃないかとみえるときがある。森繁の浮気に茶々入れるときなんかそうで、目が全然笑っていない(笑)。

◆映画のほうはかなり謙遜が入っていると思いたい(なによりそうじゃないと、こちらが浮ばれんよ)。パーッといきましょひとつにしても、なかなか簡単に出来る芸じゃないはずだ。
だから、こんなはなしもしている。
“駅前シリーズはみんなさりげなくやっているよ、舞台流につくってみようと相談したんだよ、カットを細切れにしないこと、そう長回しにしてさ、勝手に芝居させたんだよ。監督なんかなにも注文出さないもの、台本なんかあってなきがごとしだよ。監督はなにも云わないで、ただクックッとわらってりゃ終わってしまうんだから”

◆のり平が自ら本領発揮というのは舞台である。とくに「雲の上団五郎一座」でのエノケンや八波むとしとの共演を懐かしんでいる。台詞回しに歩き方、アドリブ、芝居のはなしとなるともうとまらない。
“よく舞台で相手を食うか食われるかっていうでしょう。僕はそれが好きなんだと思う。役者同士が本気で「おっこうきたか」「そう来たらこういくぞ」みたいなレベルで舞台ができたら最高だけどな”
妻に先立たれ晩年は一人暮らし、生涯演劇人を貫いた人生、ええパーッと逝きましたとも。
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by chaotzu | 2005-10-09 21:12 | 読書
2005年 10月 08日

拉致問題、「小出し」情報に懸念

◆2002年10月15日だった、もうあれから3年になる。北朝鮮に囚われていた日本人拉致被害者の男女5人が、特別機で羽田空港に戻ってきた日だ。24年ぶりの「奪還」である。その後、ご家族も戻ってきた。ところがそれからが、すっかり膠着状態なのである。
まだ日本政府が認定した拉致被害者だけでも11名残っている。それなのに、人さらいをした北朝鮮は「拉致問題は解決済」とうそぶいている。

b0036803_225434.jpg◆自民党による新憲法草案の前文には「愛国心」が盛り込まれているそうだ。あたり前のことだが、自国民を拉致されて何もできない国家に愛国心なんぞ抱きようもない。断っておくが、日本も戦争しろとか核武装せよなんて考えは毛頭ない。あたりまえの独立国家として、考えうる外交手段を駆使せよということだ。政治家や外交官はそのためにこそある。
コイズミさんのお得意フレーズになった「この程度の改革ができないで大改革をやろうなんというのはおこがましい」じゃないが、「拉致被害者の救済もできないで、愛国心を称揚しようなんておこがましい」である。

◆残された拉致被害者の救済はさっぱり進展しないものの、断片的な情報だけはポツリポツリとでてくる。帰国されてから、もう3年になろうかという時期である。正直云って、情報の背景等分からないので、なんだか釈然としない部分がだんだん増えてくる。
10月8日「他国からの拉致女性3人とも暮らす 曽我さん証言」(朝日)
9月16日「工作員の日本語教育を中止 北朝鮮、大韓機事件の翌年」(共同通信)
9月15日「拉致被害者が一緒に生活 田口さんら6人、工作員も」(共同通信)
7月14日「辛光洙容疑者が教育係 拉致直後の曽我、横田さん」(共同通信)
5月27日「有本さん平壌で見た 曽我さん、家族に証言」(産経)
5月13日「拉致?平壌で日本人男女…曽我さん、目撃と明かす」(読売)
……以下略

◆はっきり云って「情報を小出しにしている」面は否定しづらい。だけど家族会の心情を思うと、それもやんぬるかなとは思う。ただでさえ日本人は忘れやすいのだから(苦笑)。
気になるのはこういった報道の状況が続くと、そのうちかつての大本営発表みたいに受けとめられやしないかということだ。
とくに、本日付の外国人拉致に関する記事、タイやルーマニアの女性まで拉致されていたなんて重要な新情報であるが、それがなぜ今頃に至っての発表なのか、大いに疑問がある。
ワタシのみるかぎり、昨日出版されたジェンキンス氏の手記本のパブリシティとしか思えないのである。これまでたいした金額ではないにせよ拉致問題救援のカンパをしてきた人間としては、ショージキ申し上げて、あまり愉快ではない。
マスコミは情報をただ右から左に流すことなく、差しさわりのない限り、情報背景を開示してほしいもんだと思う。
しかし、こんなことを感じてしまうのはワタシだけだろうか。コンジョー曲がりと叱られるかもしれないな(汗ダク)。

◆ところで、そのジェンキンスさんが、自動車運転免許の取得のために、東京で一ヶ月ほど単身生活をするという。これだけ日本人妻と長くいっしょにいるというのに、なぜ佐渡島の教習所で済ませられないのだろうか。免許取得費用は自費で賄うにしても、佐渡市役所は世話役を出張で派遣するだろうし、警視庁はSPの人繰りが要るだろう。
こういうことを云ってまことに申しわけないが、どうにも出版の宣伝臭く見えてしかたがない。
いや、こんなこと書いているとオマエはやけにジェンキンス氏に辛口だな?って云われそうである。それははっきりいって拉致被害者じゃないからである。自分の考えとしては峻別してみざるを得ないということ、それに尽きる。
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by chaotzu | 2005-10-08 23:05 | 時事
2005年 10月 07日

【DVD】「デブラ・ウィンガーを探して」 40代女優の本音語り

◆2002年アメリカ映画、アメリカ女優のロザンナ・アークェットがハリウッドやヨーロッパの女優34名にインタビューして回るドキュメンタリー。
b0036803_21335169.jpg登場する女優の大半は40歳代、彼女たちの言い分ではとても中途半端な年齢である。もうピチピチのセクシー女優ではやっていけない。みんな、スーザン・サランドンやメリル・ストリープのような性格俳優を目指しているが、それは50歳以降まで待たねばならない。おまけに子供との距離のとり方という切実な問題も抱えている。それまでいかにしのいでいくか、赤裸々な悩みが語られる。
日本でもこのような企画があってもいいと思う。


◆さすがに百戦錬磨のつわものぞろい、とくにウービー・ゴルドバーグ(53歳)が笑わせてくれる。
“ケツがデカクなった、それに気づいた時はシヨックだった。いったい誰のケツよ。
なんでこんなのが私の体にくっついてるわけ? お尻にストーカーされてる気分。
しかもオッパイが云うのよ、落ちたと! 今さらジタバタしても遅いわよ”

◆かつての美少女スター、ダイアン・レイン(37歳)は性格俳優を目指している、すっぴんで堂々と登場する。
“メリル・ストリープがこうやってほっぺををねじるシーンがあったでしょ、美しさにはある一定の基準みたいなものがあって、そこから外れると、傷んだとかくすんだとか云われるけど、わたしはそうは思わない。価値観が違うってことなの”

◆一般にセックス俳優にみられがちなシャロン・ストーン(44歳)、しかしこの映画では全く別の率直さと真摯な一面をみせてくれる。
“実力のあるすごい女優には正直恐くなるときがある。J・ムーア、彼女はほんとにすごい。あとはC・ブランシェットも、「エリザベス」をみて圧倒されちゃって、しかも「リブリー」ではまるで違う一面をみせてくれたからオドロキなのよ、だから怖いの。だって落ち込みたくないわ「すごい、アナタはステキよ」って素直にほめたいでしょ、もしそれがちゃんとできれば、それが女として強いエネルギーになるはずよ。割り切っちゃうの、私は私、彼女は彼女でステキでいい、こうしたほうが自分にとってずっといい刺激になるわ”

◆かつてガキの頃、かいまみた映画「愛の嵐」でたちまち憧れのひととなったシャーロット・ランプリング(57歳)、ガキがたちまち少年になった、そのひとが突然登場する。かつての妖艶な女優さんは、いまや落ち着いた熟年女性である。
“「己に正直であれ」よ、自分で決めるの。これだけは蔑ろにしないこと”

◆タイトルにあるデブラ・ウィンガー(47歳)、「愛と青春の旅立ち」のヒロインで有名であるが、映画界を引退していたとは知らなかった。アムトラックの沿線のそばに住んでいる。
“ハリウッドの夢を信じてる女優は気の毒だったわ
「愛と青春の旅立ち」の撮影二日目のとき、ドン・シンブソンが私のところにきたの。こんな茶色い封筒を渡されたの、クスリの入ってる封筒よ。
「ラッシュフィルムをみたが、君はむくんでる」 利尿剤を渡されたのよ。今でも憶えてるけど、そのとき、私はかなり汚い言葉を吐いた、思うにひとって、こういうことをきっかけに、モノになるか潰れるかが別れるのよね。私の場合あれでモノになるってことはなかった。フェミニストとして戦うことはしなかったのよ。でも屈服もしなかった”

◆その他名言集いろいろ
テりー・ガー(53歳)
“ジーナが云ったの、アンタは 年で顔がボロボロだって云われるまで粘りなさいって、ショックよ。アッハハハ”
フランシス・マクドーマンド(45歳)
“整形手術?今を耐えればひとり勝ち。54歳のいい女優が必要な時に独り占めよ”
トレーシー・ウルマン(43歳)
“この国の、とくに36歳の女をみるとむかつくわ、歳をとるのを恐れてシワを取りにはしる”
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by chaotzu | 2005-10-07 21:41 | 外国映画
2005年 10月 06日

ゆかりとさつき

◆特別国会たけなわというのに、タイゾーくんがまたお騒がせである。学生時代の国民年金保険料未納とかオンナのコを妊娠中絶させた過去を発掘されまくっている。マスコミにしてみれば、思わぬ鉱脈発見だから有頂天で大はしゃぎである。いやそう見えてしまうのだが。
しかし、こうなったら、タイゾー、イイゾー!もっとやれやれである(苦笑)。
たしかに歯医者のどら息子というか、苦労知らずのおぼっちゃまくんの行状は誉められたものではない。
しかし、中川大臣の国民年金未納歴のモノすごさと比べてみよ、そして山崎“飲尿”センセイの変態ぶりと比べてみよ、まだ可愛いもんではないか。タイゾーくんが触媒になって、自民党に思わぬ化学反応を引きおこすかもしれないぞ。

b0036803_2256069.jpg◆いわゆる「小泉チルドレン」のなかで、タイゾーくんより、もっと胡散臭い連中がいる。この前も同じようなことを書いたがまあいっか、きょうは感情任せだ(苦笑)。
「ゆかり」といえば、坂角の海老せんべい、本来大好物なのである、ところが「ゆかりしてね」の佐藤ゆかり、この新人代議士の舞い上がりようはどうだろう。もしかすると政治を為すことよりも、政治家になることが目的だったかもしれない。選挙区では負けているくせにである。ついでに不倫の始末はどうつけたんだといいたい。
「ゆかり」よりもっと気分が悪くなるのが、片山さつき。マスゾエ氏の元嫁といったらもう旧いか。元ミス東大のふれこみだそうだが、あのタカピーな雰囲気はいったいなんだろう。
“わたしは答弁書を何年も作ってきたのよ”
“議員会館なんて慣れたもんよ”
もう、「そこらの新人議員といっしょにせんといて」ビームを放散しまくっている感じなんだが、なんだかおっさん議員みたいにみえてしまう。人間を外観で判断してはいけないのだろうが、年輪を重ねて滲み出すその人なりの魅力がサッパリうかがえない。まるで権力欲の権化みたいで醜悪である。いったい、官僚時代になにを学んだのだろうか。出世の知恵だけ仕込んだといったら云い過ぎか。土下座も辞さない計算高さのいっぽうで、庶民の哀歓、生活の実相なんてあまりご存知ないだろう。まあテレビで拝見すると不愉快になるいっぽうだ。
コイズミさんは自分がつくった大量の新人議員にいずれ足をひっぱられるだろう。
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by chaotzu | 2005-10-06 22:59 | 時事