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2005年 12月 31日

「情報」に踊って踊らされて年も暮れ…

◆年の瀬であるというのに、次々ときなくさいニュースが流れてくる。マスコミはただ中途半端な情報を垂れ流すだけであって、情報源をぼやかしたままであるが、国民に対する情報操作の片棒を担いでいるのだとしたら、恥ずかしいことである。それとも、同じア○なら踊らにゃ損損ってわけか。
中国上海の日本領事館職員の自殺事件、どうもよく分からない。いや、別に中国をかばい立てしようなんて気持ちは毛頭ない、女性の色気をつかった外交官の懐柔作戦は情報戦の古典的な手口であって、なかでも旧ソ連KGBの手口なんかは広く膾炙されており、もう秘密でもなんでもない。かつての共産国どうしの紐帯ゆえ、中国も旧ソ連を教師にしたのだろう。橋本“ポマード”首相の醜聞など、以前から中国の色気戦術は公然の秘密でなかったか。それが、今回にかぎって俄然騒ぎ出す、怪訝なことである。

◆なぜ今頃になってから、この事件を一部メディアにリークして騒ぎ立てるのか。あえて遺族の意思は捨象するとして、事件が起きたその時に、事実を公表して中国外交部に突きつけるというのならばまだ理解できる。しかし、1年何ヶ月もたってから、のこのこ抗議したって鼻であしらわれるのがオチである。
結局のところ、外交問題ではなくて内政問題、すなわちコイズミ政権の人気取りに利用しているとしかみえない。支持率が下がってきたら、いったん秘密裡にフタをした事実をリークして、ほらやっぱり中国って悪いことしてるだろう、こんな国に毅然と対処できるのはコイズミ自民党だけだよって云いたいってことか。それとも、他に目をそらせたいことがあるのか。だけど、毅然と対応するべきであったのは、当該事件が発生したそのときなのである。現状は、中途半端な情報小出しの悪い見本にしかみえない。

◆ことし4月にあった、中国各地での「愛国無罪」暴動についても、ワタシの知るかぎり、中国政府はきちんとした謝罪をしていない。ただ、領事館等の建物被害は原状回復するという、これも本来は公式の謝罪が先なのである。それがない以上、あえて建物の外装は現状の汚れたままで保存しておくべきだった。これは過去の歴史云々とも全く別次元のはなしである。領事館等の職員には申しわけないが、暴動の事実を語るモニュメントとして晒してもかまわんという覚悟で臨んでほしかった。要するに何もかも中途半端で腰が引けている。
裏側では、首脳会談等要人会見のお膳立て交渉で、中国外交部にかなりの気をつかっているのだろう。それでかえって足元をみられている。表向きは相手を刺激するような威勢のいいことばかり云って、裏では会見の段取りなんとかせいでは、そら舐められるというものだ。日本の首相がそこまでの発言をすれば、そらムリですと割り切ってしまえばよいのだが、外務省アジア太平洋州局にそんな腹の据わった役人はいない。案の定、そのへんのチグハグさを衝かれてしまう、結局、国民にとってなんの利益にもならない不毛な外交をやっている、そしてそれを糊塗するための情報操作を繰り返しているが、最後にそのつけを払わされるのは国民である。

◆もうひとつ、北朝鮮拉致問題で、シン・ガンスの実行犯証言が出た。これもなんで今頃になっての「新証言」なのかよく分からない。シン・ガンスが日本人拉致に関与していたことはこれまで何度も指摘されたことであって、格別目新しいことではない。
帰国した方に問い質すようで申しわけないが、これまで「知っていることは全て、日本政府に洗いざらいお伝えしております」ということであったと憶えている。それでも「新証言」が出てくるということは、忘れていた記憶が突然甦ったということなのか。これも背景がよく分からない。
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by chaotzu | 2005-12-31 23:54 | 時事
2005年 12月 30日

【DVD】「候補者ビル・マッケイ」 教えてくれ、これからどうするんだ

◆日本の選挙ではこれまで「どぶ板戦術」が最強だった。笑顔をふりまきダレとでも握手して回る、路地裏でミニ演説、商店街では桃太郎、農村では畦道を歩きときには水田に靴を踏み込むこともいとわない……。
それがコイズミさんの「劇場型選挙」で大きく変わった。候補者個人の人となりや政見がどうのこうのは関係ない、徹頭徹尾いいイメージを売り込むこと、旧くさい抵抗勢力なんかじゃない、我こそ新しい改革者なり、なにより有権者にそう思わせることだ。そしてテレビ映りもばかにならない。
なに、当選してからどうしたいかって? そんなこと分かるわけないじゃないか。

b0036803_22361564.jpg◆1972年アメリカ映画、R・レッドフォードの主演作品であるが、日本での公開は遅れたらしい。政治の内幕ものなんか到底あたらんと思われたのだろうか。ところが、これがアメリカの選挙実態をよく映していてなかなか面白い。アメリカではずっと前から劇場型選挙だったことがよく分かる。なにより、選挙区が広すぎてどぶ板なんかはじめから無理なんだろう。とにかくテレビでカッコよく映ればよい、それだけ(笑)。見ようによってはコメデイ的な素材でもあるが、徹頭徹尾大真面目に撮っている、それでラストの「大ギャグ」が痛烈に響く仕掛けである。
日本映画でもいつかはこのようなテーマを採りあげるかもしれない。さしづめコイズミさんの郵政解散総選挙などはかっこうの素材であるが、そんな勇気ある製作者がいるわけないか。

◆レッドフォード演じるカリフォルニア州の民主党上院議員候補者ビル・マッケイ、はじめは正義感あふれる少壮弁護士だった。個人の意見も率直に表明する。中絶手術は賛成か?→もちろん賛成さ。白人と黒人混乗の通学バスはどうか?→それも賛成さ。加えて父親は元カリフォルニア州知事、しかし、父親の威光には頼りたくないという。そんな理想に燃える若者である。
対する現職の共和党候補は百戦錬磨、フレンドリーだが悪者には厳しいマッチョイメージが売りである。ただし政治的信念など全くない(笑)。昔から云ってることがコロコロ変わっている。テレビ映りさえ良ければいいのだ。この新旧対決、はじめは現職の圧倒的有利でスタートする。実の父親でさえ日和見を決め込んでいるぐらいである。

◆候補者ビル・マッケイは選挙のプロ集団によって、どんどん個性を失っていく。もみあげは切るんだ、カメラをまっすぐ見すえること、原稿以外のことはしゃべるな。中絶の合法化について聞かれたらどうするかって、いま研究中だと答えておけばいい。いやいや父親を訪れて協力を頼んだりもする。もうここまで来たんだ、勝つためには理想は云ってられない。
レッドフォードの表情の変化が絶妙である。はじめは自信に満ち溢れた若手弁護士で登場する。それが目がきょろきょろ、のどごっくんと落ち着きがなくなったり、演説の録画中に笑い出したりと不安定な精神状態に落ちこんだりする。そして、選挙戦が進んでいくにつれて、だんだん無表情になっていく、かくて創りあげられた候補者ビル・マッケイが誕生する。
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by chaotzu | 2005-12-30 22:45 | 外国映画
2005年 12月 29日

介護共倒れ

◆長姉と同居している母親の具合がいよいよ悪くなってきた。まだ80歳前であるが、歩行がおぼつかないことに加えて、自分の排泄もコントロールできない状態になっている。それで長姉からの電話がよくかかってくる。半分以上はぼやきである。
「トイレを汚されて往生してん、いまお風呂に入ってる、その他ああだこうだ……」、もうウンウンじっと聞いてやるしかない。最近はストレスがたまってしまうので、老母に紙オムツをあてがって、半日パチンコで過ごすこともあるという。

◆もともと自分が引き取る算段をしていたのであるが、先に辛い状態になってしまい、それどころじゃなくなってしまった。それで三年前、みかねた長姉が同居を申し出たのである。夫はだいぶ前に亡くなって、ひとり息子も就職で巣立ったので、ひとり暮らしになった。そんならふたりでいっしょに住もうかということになった。それまで母親も自分のことは自分で出来ていたのである。ただ、悪質な訪問セールスに騙されたことがたてつづけにあった。水道の浄水器とか風呂のお湯を温泉にする装置?などであるが、いっぺんひっかかるとそういう連中どうし横の連絡があるのか、セールスがひんぱんにおしかけるようになった。それでとうとう、母親も娘との同居を承知したのである。

◆ところが、その母親にとってなじみのない土地であったので、なんとなく出不精になってしまった。外出といえば病院に行くときだけである。おまけに長姉が生活の世話をしてくれるものだから、ますますひきこもるようになり、とうとうアタマが半分呆けたようになってしまった。それでも内臓はいたって丈夫であるから、食事は三食きっちり食べる。だから太るいっぽうで、それが足腰をさらに弱くするという悪循環。
そうこうしてるうちに長姉の胃がんが判明して、胃を切除するはめになった。10年以上前にも乳がんの手術をしており、長姉は多重がん患者である。いまや痩せてしまって鶏がらみたいな有り様である。母親の体重の半分もないかもしれない。食事も思うように摂れない、逆に母親のほうは三度のめしはきっちり食べるという。それで、またストレスがつのるのか電話をかけてくる。もう疲労困憊しているようだ。内容はたいてい同じで、マクラにひと通りぼやきがあって、今の調子でいけば、母親より自分のほうが先に逝くかもしれない、そうなればどうしょうかと不安を訴えて締めくくる。

◆しかたがない、他の兄弟宅はもう無理だろうし、それぞれの事情もある。特別養護老人ホームを探すしかないよ。ただ、入所一時金で相当とられるそうだ。そんなお金ある?
“ないにきまっとるやんか、あれば、今でも入れたいぐらいやわ”
“じゃあ兄弟で奉加帳でも回すか、それで集まらんかったら、お互いの生命保険をあてにするしかないな、オレが死んだら保険金を回してやるよ”
てなことを云って慰めるしかない。しかし、母親よりこっちが先にくたばるかもしれない。そうなると実際たまらんなあと思う。
同性どうしの口先は親娘でもきついというが、おそらく母親のほうも相当なストレスを感じているのだろう。だからますます体が思うように動いてくれない。どちらが悪いということではないのに、お互いにストレスを溜め込んでしまう悪い展開になってしまった。いやはや、正月も近いというのに、気がめいるはなしである。
こんな老老介護の辛いはなしはずっと前からあったんだろうが、恥ずかしながらそのときは実感できなかったのである。だけど、本格的な高齢化社会となれば、この程度のはなしなんぞ、そころ中にありふれてたいして珍しくもなくなるだろうなとも思う。
とりあえず、正月は出かけていって、まずはじっくりはなしを聞いてみるしかない。とにかくそこから手をつけるしかない。
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by chaotzu | 2005-12-29 19:03 | 身辺雑記
2005年 12月 28日

読売と完全訣別した松井選手

◆前から噂されていたとおり、ヤンキース松井選手がWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の出場を辞退した。王監督のもとへ長文の手紙を届けたらしい。はじめから歯切れが悪かったし、本人もかなり苦汁の決断であろうから、まあ仕方ないのかなと思う。
このWBC、傍からみてもサッカー・ワールドカップの猿真似であるが、何分開催時期が悪すぎる。第一次予選が実施される3月3~6日といえば、まだオープン戦がはじまったばかりの時期だし、日本では寒さも残っている。この時期にやるのならば、もっと暖かい地域で開催するべきだと思う。

◆おまけに、アジア地区予選の開催球場は東京ドームである。まだ3月初めに人工芝球場、云いかえればコンクリートの上で世界選手権の予選をやろうというわけだ。もう発想が安易すぎて、ベースボールの世界的普及というよりは、新たな商売利権を狙っているんじゃないかと思ってしまう。案の定というか、東京での一次予選を運営委託された読売グループはやけに熱心なのである。お金や利権がからめば、シドニー五輪時の冷淡さとは様変わりする、またそれを恬と恥じようともしない。
そういう意味でも松井選手の不参加はいいクスリではないか。なにより、元巨人の選手であったから、読売の行事には当然協力してくれるはずだといった勘違いぶりがイタい。そして、松井選手に嫌われていることを分からないナベツネ以下読売首脳のノーテンキぶり、この連中にはつける薬がないんじゃないかと思ってしまうほどだ。

◆WBCをほんとうにサッカーのワールド・カップなみに盛り上げたい、そしてもっとベースボールを普及させたい、と真剣に思うならば、開催時期から考えるべきだろう。公式戦を1か月ぐらい中断してやるのも厭わずといった覚悟が要るのではないか。それが無理であるならば、二軍選手+アマチュア混成軍(アメリカならば3Aクラス)でもいい。そして、運営委託は球団保有者である読売なんかには絶対任せないこと、とにかく、最初は商売気を薄めてでもやってみることがかんじんだと思う。
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by chaotzu | 2005-12-28 22:24 | 野球
2005年 12月 28日

どうにか年賀状の差出し完了

◆年を経るほどに、年賀状の作成がおっくうになってくる。早めに済ませなくてはと思いつつ、いつも年の瀬の突貫作業になってしまう、毎年その繰り返しである。半分は自分の横着であるが、なにせあて先の大半はここ10年来ほとんど会ったことがないという人である(毎度顔をあわせるような人とは年賀状のやりとりをしない主義である)。しかも、それが年々増えるいっぽう。
とはいえ「虚礼」だからやめておこうといった発想まではない。一年一回とはいえ、近況報告、住所の移転、転職のお知らせ、どこそこに旅行に行きました……など、淡い交際であるからこそ、それなりに便利なツールである。また、いつなんどき交友が再開するかもしれない、正直そんな打算めいたものもある。
しかしながら、それでも年々重荷になってくる。どっかでリセットしたい思いもある。

◆なんといえばいいか、もうこちらも大して伝えることがない状況である。それでも、
“新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます”
なんて、ほとんど心にもないような賀詞をどっかの無料ダウンロードで拾ってきて貼り付けたりするのである。本音丸出しを書けば、「明けましておめでとう」どころか、
“去年はホンマさっぱりやったし、今年もぼちぼち、ほどほどにやりましょか”
まったく賀詞とはウラハラになってしまう。「どこがめでたいねん」というわけだ。これはやっぱり後ろめたいものである(苦笑)。
それとこんなこといってはなんだが、頂戴する年賀状のなかにもお手軽きわまりないもの、それが年々増えつつある。パソコン年賀状の普及と軌を一にしているようだ。手書き部分や素人版画などすっかり減ったし、全く同じデザインのものもある。なかには同じ人から二枚もらったり、差出人が洩れていたりすることもある。ただ年賀状ソフトに従って機械的に作成しているのがみえてしまう。「喪中につき……」の欠礼はがきも随分増えた。なかには三年連続といった身内の不幸つづきの人もいる。そういう年代なのである。
それで結局のところ、喪中はがきも含めて年賀状は「生存通知」になっているだけじゃないかと思ってしまうのだ。それではあまりに侘しすぎる。だからリセットしたい、毎年こんな考えがループしているのである。

◆それはそうと、今頃になって気がつくのも恥ずかしいが、これまで師走の恒例アナウンスであった「年賀状は12月何日までにお出しください」というキャンペーンもなくなっている。いまは「できるだけ早くお出しください」である。ということは、郵便局は全力集中、全速力で年賀状の配達に努力するということか。
そういえば、テレビで某郵便局の年賀状仕訳風景を報じていたが、管理職の人が、
「年賀状の束を左手で持っているか」
「両足の間隔は30cmあけているか」
なんて、数十項目の点検を実にマジメにやっておられる。
一生懸命頑張っておられるのに申しわけないが、もう、なにもそこまで律儀にせんでもええよ、と思ってしまう。年賀状が1、2日遅れたって、別段こちらの生活に支障があるわけではないし、それに、何日に着いたかどうかなんて実際大したことではない。だらだらさみだれ式で到着するのも年始の味があるではないか。横着おじさんとしてはそんな風に思ってしまうのだ。
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by chaotzu | 2005-12-28 22:12 | 身辺雑記
2005年 12月 27日

被害者を捜せ!

◆アメリカの女流ミステリ作家パット・マガーの処女作「被害者を捜せ!」、もうだいぶ昔の古い推理小説であるが、発想がなによりユニークだった。
第二次大戦末期、アリューシャン列島駐屯の海兵隊員が故郷からの慰問品を包んでいた地元紙をみると、以前に勤務していたなんとか協会の会長が殺人を自白している。被害者はどうも自分の知人らしいが、名前のところがちょうどちぎれている、ということで、暇にまかせてあれこれ推理していく。ふつうミステリといえば、犯人捜しであるが、逆に被害者のほうを捜すという、意表をついた設定である。
まあパズル趣向の小説だから許せるけど、現実にはちょっとありえないよなあというはなしである。ところが小説が書かれてから60年ほど経った後、それが現実になりかけている。

◆本日閣議決定された「犯罪被害者等基本計画」、マスコミによれば、事件や事故の被害者を実名・匿名のどちらで発表するか、その判断を警察に委ねるそうだ。
内閣府が公表した同計画をちょいとのぞいてみる。該当は以下のくだりらしい。
「警察による被害者の実名発表、匿名発表については、犯罪被害者等の匿名発表を望む意見と、マスコミによる報道の自由、国民の知る権利を理由とする実名発表に
対する要望を踏まえ、プライバシーの保護、発表することの公益性等の事情を総合的勘案しつつ、個別具体的な案件ごとに適切な発表内容となるよう配慮していく。【警察庁】」
なるほど、警察が「適切に配慮していく」ということか。この便利な役所用語をホンヤクすれば「警察の好きにさせてもらう」ということである。

◆ふつうの事件・事故ならば、それでいいんだろう。警察がインチキ発表をしても被害者側から異議申立てができる。だけど、ほんとに「被害者を捜せ」状態になったらどうなるか。もっとはっきり云うと、被害者が不在の事件すなわち警察のでっちあげである。そんなことありっこないよと思われる向きもあるかもしれないが、桶川ストーカー事件のように、警察が目茶苦茶なデタラメやった実例もあるし、最近の「プチ逮捕」の横行などみると、とうてい警察を100%信用することはできない。とくに公安がらみの事件ではなおさらである。匿名発表をたてにして「被害者」を隠しとおせば、事件なんかいくらでも「偽装」も出来る。そうなれば恣意的な拘留が好き放題に出来るわけで、それこそ昔の特高警察が復活したようなもんである。
もっとも、マスコミもさっぱり信用されていない、いまになって被害者本位を云い立てているが、これまでの報道スタンスがあまりに無責任すぎたのだ。
しかし、嘆いていても仕方ない、いよいよ自分の身は自分が守るしかない、そんな時代なんだとハラ括るしかないか。息苦しい社会がじわりじわり忍び寄ってくる。
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by chaotzu | 2005-12-27 23:10 | 時事
2005年 12月 23日

「巣鴨化」社会へGO!

◆ウチの近くに店員がおばあさんだけというお好み焼き屋があって、それがけっこう繁盛している。もう色気こそさっぱりないものの(笑)、客あしらいがいいのだろう。そして、みなさん、実にテキパキと働いていらっしゃるので、みていて気持ちがいい。求人年齢の上限というとふつう50代前半までが多いが、その逆張り発想ともいえる高齢者限定の求人が効果をあげているようだ。もっとも、当のおばあさん店員に訊けば「なにも好きで働いてへんで」と云われるかもしれない。
それでも、近い将来、このようなお年寄り従業員の店が増えるのではないか。いわば日本全国の「巣鴨化」である。そうでもしないと、高齢化&人口減少社会はしのげない。

◆いつかはやって来るだろうといわれていた人口減少社会、実はもうきていた。ただし、いまさら驚くようなはなしではない。少子化の次に人口減少となるのは当然のなりゆきである。日本を大国に思っていたいひとには不愉快なニュースかもしれないが、けっしてカネやタイコを打ち鳴らして騒ぐ必要まではない。ちょっと個性がある中どころの国でいいと思えばよいではないか。
先進国では、イギリスが5800万人(24万平方キロ)、フランスも5800万人(55万平方キロ)、ドイツが8200万人(35万平方キロ)の規模である。いっぽう日本は12600万人(37万平方キロ)、もともと過剰なのであって、前にも書いたが、そもそも食料自給率が5割を切っている国である。

◆人口減少の流れは、ある程度のところまでなかなか止まらないだろう。少子化対策と称して政府が予算をつけたとしても、簡単に歯止めがかかるようなものではない。公明党のおねだりで来年度から児童手当の支給範囲を拡充するという、同党(=創価学会)お得意のバラマキ作戦であるが、以前の商品券と同様、目ぼしい効果は期待できないだろう。少子化の背景にはいろんな要因がからみあっている。ただ、お金をばら撒いたからといって、直ちに生めよ増やせよになるわけではない。これからも、政治家や役人が「少子化対策」のお題目で、予算の分捕り作戦にかかってくるだろうが、眉につばつけておいたほうがいい。新たな「少子化利権」「少子化天下り」をつくるだけである。

◆問題はこれから約30~40年間、逆ピラミッドの人口構成時代をどうしのぐかである。そちらのほうがよほど切実だ。それを乗り切りさえすれば落ち着いてくる。はっきり云って、これまでの社会保障制度ではもうしのげない。それは目にみえている。政治家は明確にそのためのビジョンを提示すべきであるのにダレも云わない、自分の年金は口出しするのにである。
実もふたもない云いようになるが、よっぽどのお金持ちは別として、お年寄りには死ぬまで働いてもらわねばならないだろう。正確に云うと「体が動くかぎり」になるが、もう年金と貯蓄だけで老後の落ち着いた生活を望むのは無理というものである。そら殺生やといわれるかもしれない、たしかにそうだ、ずっと昔は55歳でリタイアできた。江戸時代の武士なんかは50歳前で隠居できた、それが「死ぬまで働け」なんて理不尽かもしれない。だから、フルタイムではないお年寄り相応の社会参加のあり方を発想しなければならない。社会全体で真剣にワーク・シェアリングに取り組んでいく必要がある。

◆手っ取り早いのは、定年の延長であるが、これが案外と難しい。これまでの部下や後輩の風下になるのはイヤだという心理が抵抗する。だから、逆に55歳定年制ぐらいにして、いっせいにリセットしてしまうほうがよいかもしれない。ものは考えようで人生は2回あったほうがいいではないか。その代わり、法律で高齢者の雇用を義務づけるのである。法人税の減免や補助金等で誘導してもよい。うまくいけば、公務員の天下り問題も解消できるだろう。
もうひとつ、自動販売機などもそんなに要らない。だいたいお酒やタバコの自販機が存在すること自体が異常なのである。だから自販機やATMにも税金をかけていく。人頭税ならぬロボット頭税である。あわせて有人窓口にできるものはどんどん戻していくのだ。
こういうことは、従来の固定観念がかえってジャマする場合もある。とくにサラリーマン社会のカミシモが解けないおじさんにはムズカシイかもしれない。その場合はオトコが家庭の主夫になって、元気な奥さんが代わりに社会参加する方法もある(笑)。ヤワラカ頭の発想で、衆智を結集していけば、高齢化&人口減少社会も、なあになんとかなるでしょう。いまや、60代のロック・ミュージシャンが不思議でもなんでもない時代なんだから。
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by chaotzu | 2005-12-23 23:31 | 時事
2005年 12月 22日

ニッポンをぶっ壊しました

◆昨日のエントリー「コストカット」のはなしをつづけたい。
いまの日本でいちばんありふれたコストカット手段は、社員を安月給で長時間働かせることによる人件費の切り下げである。最近は労働組合が形骸化しているから、三六協定それがどうしたてなもんである。また労働関係の規制緩和がそれに拍車をかけた。木村建設のシノヅカ氏ではないが、
“代わりはいくらでもいるんだ”
が大手をふってまかりとおっている。それで
“うちは少数精鋭主義でやってますから”
なんて、得意然とのたまう経営者がいたりする。そんな経営者にかぎって、明け方社員がトイレで倒れて亡くなっていようが、鬱病を発症する社員がいくらいようが平気である。病気で休職しようものなら直ちに解雇することもためらわない。だから、そういう企業の社員はみんな有給休暇を使わない、病気になったときに備えて貯めておくもんだと思っている。

◆最近問題になっている人殺し暖房機に発火洗濯機など「一流メーカー」による欠陥商品、これらに通底しているのは、目先の設計変更をやたら繰り返すいっぽうで、必要な人件費コストをけちって、モノづくりにかけるプライドを薄れさせてしまったことにあるんじゃなかろうか。航空機の整備不良問題についても、同類項の発想がきっとあるのだろう。コストカット(表向きは経済効率という)がなにより全てに~人命よりも健康よりも優先する社会にしてしまった。そのいきつく先が、ソーケンなりオジャマモンの姿である。そして、これらの風潮は、コイズミさんが首相になり「改革」をやたら連呼するようになってから、加速しだしたと思うのである。
嘘吐きウチカワさんや開き直りオジャマモンの一派は「経済設計」と称してバッタモンの脆弱なビジネスホテルやマンションをたくさんおっ建てたが、コイズミさんは「構造改革」と称して、この国全体の基礎構造を弱くしているのじゃないか。詭弁にすり替え、開き直り……モノの言い方も、「偽装一派」と実によく似ている。

◆4年前の自民党総裁選に立候補したコイズミさん、「自民党をぶっ壊します」と絶叫して世間の快哉を浴び、とうとう総理の座を射止めた。ところで自民党はぶっ壊れたのだろうか。とんでもない、総選挙で圧勝したいま、やりたい放題になっている。アホな党首を抱えた野党は凋落し、検察・警察も手なづけて前より強大になっているぐらいだ。あるいは旧い体質の自民党をぶっ壊したのだという見方もあるが、ワタシはそうは思わない。たしかにかつての田中派の流れを継ぐ旧橋本派はぶっ壊したかもしれない。なにしろコイズミさんが政界入り当時師事した福田派以来の怨念の敵である。その仕返しを果たしたことはたしかだろう(それも角栄の実娘のアシストによってである。政治の世界というのはまことに面妖なものだ)。それで、旧橋本派=現津島派はみるかげもなくなった。だけど自民党のDNAたる利権体質は未だ温存されており、旧橋本派がもっていた土木建設利権を森派が侵食していっただけではないのか。いまや大問題になった建築物の強度偽装事件、建設利権の受け皿が森派に移行していくさなかで起きた、だからこそ証人喚問をいったん拒否するなど事態の拡散防止に懸命なんだろう。

◆だいたい、なんにでもひと言あるコイズミさんが、この件ではほとんど口を閉ざしている。唯一、ニュースで目にしたのが
“(建築基準法の罰則について)全体に軽すぎるんじゃないかという気持ちを持っている”
という中学生なみの発言、これだけ(苦笑)、政治家としてなんの識見哲学も感じられない。あるいは、まだ振り付けが出来ていないので、めったなことは云えないと用心しているのかもしれない。もしかして、浅田真央ちゃんのオリンピック出場問題とか朝青龍の優勝と同じような意識~なんでもテレビ向けパフォーマンスになるかどうかで判断しているのかもしれない、いや、まさかそこまではないだろうと思いたいが。
それで相変わらず「改革なくして成長なし」のワンフレーズ連呼である。いま現在多くの国民が抱えている不安心理にはなんのコメントもなく知らぬ顔をしている。
自民党をぶっ壊しますと云いつつ、ニッポンを根こそぎ壊している。稀代のポピュリストに郵政民営化だけで白紙委任してしまったそのつけをこれから払わされる。
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by chaotzu | 2005-12-22 22:02 | 時事
2005年 12月 21日

ゴミの分別とコストカット社会

◆時代は使い捨てから循環型社会へと移行しつつある。ゴミの種類もずいぶん増えた。以前は燃えるゴミ&燃えないゴミ&粗大ゴミの3分別で済んでいたが、いまはそれにリサイクルゴミ(びん、カン、ペットボトル)&金属系ゴミ&カセットボンベ・スプレー缶が加わったので、市役所の収集は6分別になる。このほか、地元のスーパーが牛乳パック&発泡スチロールトレー&アルミ缶を回収しているので、我が家ではゴミを9種類に分別している。ただでさえ狭い台所が、それでさらに狭くなる。まあ、それで「男子厨房に入るべからず」を決め込んで不興をかったりするのである(笑)。

◆ゴミの分別自体はアバウトにとらえればそう面倒なことではない、場所をとるだけである。だけど、分別する以上はきちんとやりたくなってしまうのである。性分かもしれない。いちばん手間がかかるのは、リサイクルゴミと燃えないゴミ(プラスチック)あるいは燃えるゴミ(紙など)の分離である。たとえぱ、ビン類のキャップやラベルは出来れば取り除いておきたい、そう思うのだが、これが案外面倒なのだ。そのために、ペットボトル専用のリングカッターまで用意したほどである。なお、念のため云うと、市の清掃局がそこまで強制しているわけではない。

◆そういうことを日常重ねていくと、リサイクルについて十分配慮した商品づくりを意識しているメーカーとあまり顧慮していないメーカーがあることに気がついてくる。言い換えればコストをかける会社とコストをけちる会社の差である。たとえば、びんのプラスチック・キャップなんかは、指先だけでむけるように外せる商品もあれば、その逆にカッターナイフでギコギコ切り目を入れてやっとこさ外れるような商品もある。これは気を抜いてやるとけっこう危ない作業である。ラベルも簡単に剥がせる工夫のものもあれば、びっしり糊づけしているものもあるといった具合、ひと晩水に浸しておけばいいのだろうが、いま現代そこまで習慣づけることは、なかなか簡単なことではない。
そんなこんなで、リサイクルに配慮した製品づくりをしているメーカーに、どうしても親近感をもってしまうのである。おそらく中身のほうも消費者本位に作っているんだろうと思わせてくれる。だから、少々割高であってもそっちのメーカーのほうを買ってみようかという気になってくる。

◆耐震強度偽装問題が大騒ぎになったから云うわけではないが、昨今はなんでもかんでも「コストダウン」が大流行りである。なかには画期的なアイデアによる万人がハッピーなコストダウン商品もあるだろうが、はたして全部がそうなのか疑わしい。安物のいわゆるバッタモンやアスベストみたいな恐ろしいものがはびこっては困るのだ。目先のコストダウンが、社会全体では欠陥商品の頻出になって、大きなコストアップではね返る。そういうのは、ただの「コストカット」というべきなんだろう。アトからその副作用に苦しむのはたいてい消費者である。
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by chaotzu | 2005-12-21 22:12 | 身辺雑記
2005年 12月 21日

【DVD】「ああ結婚」 黄金トリオによるナポリ人情噺

◆イタリアの名優マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンの共演作品を調べてみる。
「バストで勝負」(1955)、「昨日・今日・明日」(1963)、「ああ結婚」(1964)、「ひまわり」(1969)、「結婚宣言」(1971)、「ガンモール」(1975)、「特別な一日」(1977)、「愛の彷徨」(1979)、「プレタ・ポルテ」(1994)……、なんと40年間近い共演歴である。まだ他にも日本未公開作品があるかもしれない。
そしてこのうち、「昨日・今日・明日」「ああ結婚」「ひまわり」の三作品がビットリオ・デ・シーカ監督によるものであり、いわば黄金トリオによる名作になるが、中身はみんな違う。爆笑コメデイ、人情噺、戦争の悲劇と全く肌合いの異なる映画を撮り分ける監督と演じ分ける俳優、いやスバらしいもんです。

b0036803_2195147.jpg◆1964年イタリア映画。ナポリの街、菓子屋の後継ぎであるマストロヤンニは女たらしの道楽息子。20年来の内縁女(ローレン)がいるが、女中代わりとしか思っていない。もういい年のくせして毎度店のレジ娘に夢中になっており、今度の相手とは結婚まで考えている。要するに無茶苦茶いい加減なオトコである、しかしこんな役を演じるとまた絶品だ。
いっぽうソフィア・ローレンもなかなかしたたか、いつまでもオトコにいいようにされてはいない。ある日突然「急病」で倒れる。瀕死の病床で最後のお願いだからと結婚の申し入れをして、オトコが署名したとたんに元気になる(笑)。

◆詐術による結婚は無効だと弁護士を立てて主張するオトコ、“あらそう、じゃいいわよ”とやけにあっさりあきらめるオンナ、ここで切り札を出す。“実はアンタとの子供がいるのよ”
ビックリするオトコ、だけど
“3人いる息子のうちひとりがそうよ”
ときた(笑)。
このお札にその子どもを授かった記念の日を書き込んでいるという、日付だけ切り取って紙幣をオトコに渡すオンナ。3人の息子と分け隔てなく接したい母親と、自分の子供が気になってならないオトコ、丁々発止のやりとりである。そのアトは大いに笑わせてくれる。子供がまた愛らしい。

◆公開当時のこの二人の年齢は40歳と30歳。ちょうど10歳違いだった。そしてマストロヤンニは20代から50歳代、ローレンは10代から40歳代まで演じる、さすがにローレンの17歳はちょっと無理筋じゃないかと思うが、マストロヤンニのほうはもともと年齢不詳っぽいところがあるゆえかそれで押し切っている。あるいはヒゲの効用かもしれない。
そりゃそうと、ソフィア・ローレンとフィギュアスケートの安藤美姫選手、なんだかよく似ているなと思ってしまった、いや、他意は全くありませんが。
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by chaotzu | 2005-12-21 21:12 | 外国映画