マイ・ラスト・ソング

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2006年 01月 25日

「改革親子」

◆“我が息子です”
それにしてもよく似ているのである。
タケベさんとホリエモンじゃない。コイズミさんとホリエモンである。
まず、どちらもバツ一だ、そして別れた妻子とも疎遠である。
権力亡者と拝金主義、欲望の対象こそ違えど、そのためには手段を選ばぬことも似ている。片や参議院の否決で衆議院を解散したし、もうひとりは非常識な株式の分割である。どちらも、ルールブックのグレーゾーンであるならば、先にやったもん勝ちだと思っている。

◆そして、ご両人とも無類のパフォーマンス好きである。いや、世間の耳目を引く行動をずっと取り続けるしかないのだろうか。コイズミさんは、ご存知コイズミ劇場である。選挙の前になると必ずなにか目立つことをしたがる。ホリエモンとなればプロ野球参入だ、ニッポン放送買収だ、政界立候補だ、宇宙旅行だ、たこやきだ、と会社の仕事どころじゃない、始終世間に顔をさらし続けている。

◆やっていることも大した中味がない。コイズミさんが自ら宰相の権力を駆使して果たした実績たるや、いったい何があるか、中途半端な道路公団の民営化、これも先行き不透明な郵貯の民営化、外交はあちこちかき回しただけで国連常任理事国入りは頓挫し、北朝鮮拉致問題の解決は停滞、北方領土はなんら進展なし、米国牛肉の輸入再開はお粗末なてん末である。要するになんらまともな実績はない。いっぽうで借金だけはさかんに増やしたし、アメリカ型の格差社会がどんどん進行している。「改革」がやっと緒に就いたところだという意見もあるかもしれない、しかし、首相に就任してもうまる5年近いのである。
いっぽうホリエモンも似たようなものだ、あれこれアドバルーンは打ち上げるがなにひとつものにならない。プロ野球の買収は拒絶され、放送とインターネットの融合は金勘定で決着した。たいていが虚業である。いや、まだホリエモンのほうにこそ実があるかもしれない。少なくとも「弥生会計」なんかは中味があるのだから。

◆要するに中味の乏しさをパフォーマンスの自転車操業でずっと粉飾してきた。そして「改革」を連呼して、なんかやってくれそうだとの幻想を煽ってきた。実のところ、「改革」の正体とは叫んでいる当人にとって都合のいい「改革」なんであるが、雰囲気でなんとなく人のいい聴衆を勘違いさせてきたのである。こんな2人がやがてくっつくのは必然であって、やがてホリエモンは総選挙広島6区の立候補を自民党本部で記者会見発表、コイズミさんもさかんにエールを送った。とうとう「改革」詐欺ブラザースの誕生である。それを今になって、
“メディアが持ち上げすぎた”
なんて笑止なことを云っているのである。

◆似ているところも多いが、決定的に異なるところもある。それはコイズミさんが家業としての政治家業を世襲したことに比べて、ホリエモンは無一文のゼロからスタートしたことだ。それが運命の分かれ道になった、そんな気もする。詐欺師も血統次第なんだろうか。
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by chaotzu | 2006-01-25 22:54 | 時事
2006年 01月 25日

【DVD】「グリフターズ 詐欺師たち」 ドリフターズじゃないってば

◆ジム・トンプソンといえば、日本でも再評価が定着したアメリカの犯罪小説作家である。半世紀ほど昔にもう実もふたもない犯罪小説をたくさん書いており、なかにはペーパーバック・ライター界のドストエフスキーに喩えるぐらいの絶賛意見もある。まあ、それはちょっと大げさじゃないかと思うが、アタマのいかれた人間を描いたらサイコーというか、それは現在でも十分に通じるものがある。全然古びていない。ひと言で云うととても変わった作家である。
そのトンプソンの原作をかのドナルド・ウエストレイクがシナリオ化した映画というから、ひとつ見ておくべしと思ったのである。やっぱりというか案の定というか、なんのカタルシスもない、何じゃこりゃ!という終わり方でありました(苦笑)。

b0036803_2246241.jpg◆1990年アメリカ映画、タイトルからはコンゲーム映画を想像するが、それは全然なし。3人の男女~みんな詐欺師みたいなもんである、による愛情と金欲の入り混じったなんともドロドロした話である。しかも、うち2人は実の母子という設定だ。
せこい詐欺師が3人登場する。手品師崩れのジョン・キューザックは酒場で20ドル札と誤認させてつり銭をしこしこ稼いでいる。詐欺師というよりはいかさま師が近いかもしれない。その恋人のアネット・ベニングはインチキ宝飾品の売付け、武器は色仕掛けである。そして、キューザックを14歳で産んだという設定のアンジェリカ・ヒューストンは、ノミ屋の手下で大穴馬券を実際に競馬場で保険買いするのが仕事である。

◆J.キューザックはこのときまだ23歳、もともと童顔だからもっと若くみえる。とても大物詐欺師の風格はない、あるいはそれが狙いかもしれない。それなのに、A・ベニングはチーム詐欺に引っ張り込もうとする。こちらは、すぐに服を脱ぎたがるといった今では考えられない全裸体当たり演技である。もともとコンビは合わないし、なにより男のほうは単独プレーにこだわっている。しかし、そのためA・ベニングのほうは嫉妬心から近親相姦の疑惑まで抱いてしまうという、なんともものすごい展開になる。アトはもうドロドロ、なんともやりきれない結末まで一直線である。

◆Aアンジェリカ・ヒューストン・ヒューストン、これまで馬面がやたら目立って、ゲテモノ女優の印象があったが(失礼)、この映画で見直す。難しい役柄をさらっとこなしている。たいした貫禄発揮である。それにしても、父親のJ・ヒューストンにもたしか近親相姦の役どころがあったはずだ。親の因果が子に報い……、いや、そりゃありませんか。
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by chaotzu | 2006-01-25 22:49 | 外国映画
2006年 01月 24日

【DVD】「天城越え」 ♪山が燃える、じゃなくて少年は萌える

◆俳優の渡瀬恒彦、渡哲也の実弟であるが最近あまりみなくなった。この人も味のあるなかなかいい俳優さんである。かつて桃井かおりと共演した「神様がくれた赤ん坊」などは忘れ難い。兄貴のほうは再三の病魔を克服して、なお第一線でバリバリ活躍しているというのにいったいどうしたんだろうか。そんな渡瀬恒彦に久々対面する。

b0036803_22365410.jpg◆1983年松竹映画(霧プロと共同制作)、松本清張の同名短編小説が原作である。冒頭、渡瀬恒彦が杖突いたよたよたの老人として登場する。ただし、鳥打帽にサングラスおまけにマスクまでしているから、誰だかサッパリ分からない。静岡市内のとあるビルの階段をハアハア上って、印刷屋を訪れ、ある資料の印刷を依頼する。かつて迷宮入りになった戦時中の殺人事件に関する刑事調書である。しかし、いくらはるか昔の時効入り事件とはいえ、こんなことしていいんだろうか。いまだったら、情報漏えいでたいへんなことになりはしないか(苦笑)。

◆先を云ってしまうと、印刷屋の経営者(平幹二朗)が真犯人なのである。渡瀬恒彦の元刑事、執念深いといえどもう犯人を罰する意思はない、ただ、動機がよく分からない、それを知りたい一心で奇抜なアプローチに及んだのである。果たして平幹二朗は激しく動揺する。いまや「けものみち」のヌルヌルした気色悪い老人が板についたヒラミキにも純情な時代はあった(笑)。回想がはじまる。あれは戦争中、まだ14歳のときだった。
ここから物語がタイムスリップする。石川さゆり唄う名曲ではないがもうひとつの「天城越え」である。こちらは、思春期の少年と若い女との切ない交情(情交じゃないよ、念のため)のはなしだ。

◆伊豆半島の南、下田の鍛冶屋の倅14歳少年が、母親の情事にショックを受けて、家を飛び出してしまう。ゴム底草履で天城越えの旅だ。途中、坂上二郎の菓子屋や柄本明の呉服屋などの行商人と同行したりするが、夜も更けてきて心もとなくなり、修善寺の手前で引き返す決心をする。そして湯ヶ島温泉の遊郭を足抜けした若い娼婦(田中裕子)に出会う。足裏のマメが破れて血だらけになった少年は、女から手当てしてもらう。まるで観音様みたいだ、そんな女がよりによって……。
映画で描かれる天城街道は美しい、浄蓮の滝や天城トンネル、思わず夏場のハイキングに行ってみたいなあ、いいだろうなあと思わせる、そんな景色とはうらはらに、ドラマのなかでは思春期の少年のもやもやした揺れ動く心理が展開する。もうやるせない映画。

◆田中裕子が素晴らしい。警察署で尋問されるときのはすっぱな態度、便所に行かせてもらえず、刑事に突き飛ばされて、漏らしてしまうときの半泣きの顔。もともと、はじめから主演級扱いの女優ではなかったので、吉永小百合クラスならば絶対しないであろう役柄でも演じる根性がこのひとにはある。
そして護送されるときに少年と再会して全てを覚る、“あんたのことは絶対云わないよ”と無言の演技。ここが胸にしみいるいちばんの見どころシーン。少年を演じた伊藤洋一もなかなかの適役でありました。
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by chaotzu | 2006-01-24 23:50 | 日本映画
2006年 01月 22日

【映画】 「THE有頂天ホテル」 それを云わんとオシマイよ

◆三谷幸喜の脚本兼監督映画の三作目、こんどは「グランドホテル」形式に則ったコメデイである。
起用した俳優陣がすごい、主役級の俳優を贅沢に使い回している。なかでも、唐沢寿明とオダギリ・ジョーが笑わせてくれる。ヘアスタイルからしてよくやるよという珍妙な化けぶり、こりゃ、演ってるほうは愉しかっただろうなと思う。
あと、ミュージカル女優の堀内敬子も登場する、いやあ若々しいです。

◆アヒルちゃんのエピソードなど、そこそこ笑わせてくれるのであるが……
以下ネタバレ注意b0036803_1734029.jpg












汚職政治家で渦中の佐藤浩市(ストレスなのかしょっちゅう飲み食いしている)、ホテルに篭城中、ベルボーイ香取信吾のやけに明るい唄に触発されたのか、ついに腹を括って報道陣に全てをぶちまけようとする。その寸前に、かつての愛人でいまは客室係として世を忍ぶ松たか子が現れて叱咤する。
“全部しゃべったら、政治家生命は終わりなのよ、それでもいいの。カッコ悪くても政治家として生き残りなさいよ、それで理想を実現するのよ”(大意)
と、こんなことを云われた佐藤浩市は、せっかくの決意を翻意し、また沈黙してしまうのである。
なんだかなあ(嘆息)。
まるで、この前のオジャマモンの証人喚問を彷彿させるようでタイミング悪すぎである。
ここは逆に政治家としての道は捨ててでも、全ての事実を明かすことで、まっとうな人間として復権するはなしにしてほしかった。少なくともスクリーンのなかだけでもそうあってほしい。これじゃオジャマモンみたいな人間を称揚するみたいで笑うに笑えない。だいいち、そんな現実はもう見飽きているのである。だから、どうしょうもない後味の悪さが残ってしまう。見終わってたいしたものが残らない。
あえて書く、コメディとしては失敗作、ちと有頂天になりすぎたのではないか。
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by chaotzu | 2006-01-22 17:08 | 日本映画
2006年 01月 20日

【DVD】「池袋ウエストゲートパーク 1~6」 多層構造の青春群像劇

◆テレビ局製作ドラマはめったに見ないのだが、「黒革の手帖」に味をしめて日本ミステリのドラマ化作品をもう一度、今度の原作は石田衣良による同名の連作短編集である。DVD全6巻に11話収められている。1話が45分ほど、長いことは長いがダラダラ気分で気軽に見られるのがいい。
6年ほど前にTBS系列で放映されたものであるが、脚本はいまをときめく宮藤官九郎。実のところクドカンのドラマは初体験であるが、けっこう面白く愉しめる。なるほど若いひとに受けるはずである。

b0036803_22355743.jpg◆ドラマの本筋に関係のないギャグがてんこもり。セコい果物屋をやっている主人公のマコト(長瀬智也)とそのおふくろ(森下愛子)とのやりとり、かつてのアイドル・キャラが“クソババア”と息子に罵られる。赤塚不二夫のマンガから出現したみたいな警官(阿部サダヲ~なんちゅう芸名!)、マコトのマヨネーズ焼きそばへの偏愛、ズーズー弁の刑事(前原一輝)、難儀なラーメンの注文方法、そしてきわめつけはGボーイズを束ねるタカシ(窪塚洋介)の怪演である。いちばんの儲け役かもしれない。ああそうそういまをときめくツマブキくんもイジメラレッ子あがりの暴力団員役で出演している。

◆とはいっても、池袋にたむろするブータロー連中の日常劇ではない。全11話をつらぬくストーリーはシリアスな悲劇である。BGMとしてチャイコフスキーの弦楽セレナードがさかんに流される。原作短編の第一作目を分解して、各エピソードに細切れではめこんだ。ジグソーパズルみたいなアイデアであるが、これはコロンブスの卵。1話ごとのエピソードは完結するのだが、もうひとつ長編的なエピソード(立派なミステリ!)も同時並行で進行する仕掛けになっている。いわば多層構造の物語である。脚本家の力技というしかない。

◆ただし、原作にくらべると、主人公マコトやその母親にもうひとつ違和感がある。原作のマコトは暴力的な性向があるものの、クラシック音楽や読書に浸る内省的な部分もある青年として描写されているが、長瀬智也にそんな雰囲気は皆無である(笑)。もっとも、それでも十分に面白い。これはもう原作とは別物にみたほうがいいかもしれない。クドカン版の「池袋ウエストゲートパーク」である。
まだ、原作のストックはあるのだから、続編を期待したいのだが、これだけイメージが固定してしまうともう無理かな。

◆はじめ、いちごの回、にんじんの回、みかんの回……というドラマのサブタイトルが何のことか分からなかった。しいたけの回、ゴリラの回、TBS(6チャンネル)の回、洋七の回、洋八の回ときてやっと気がついた。なんだナンバー遊びをしていたのか(笑)。以下、九州の回、十手の回、士(さむらい)の回と続き、最終話の侍はクドカン本人が演っている。いい年こいて恥ずかしいが、こういった細かい遊び心もけっこう好きである。
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by chaotzu | 2006-01-20 22:42 | 日本映画
2006年 01月 19日

だから天下りがなくならない

◆「構造改革」を看板に掲げるコイズミ内閣、いちばんの「構造改革」は役人の天下り禁止(在籍省庁と関わりのある業界への再就職禁止)だと思うが、なかなか手をつけようとしない、あるいは手がつけられない。それは何故か?
ひらたく云うと、官僚に弱みを握られているからだろう。卑近なコトバでいえば、キン○マを握られている。だから、いつまでたっても天下りを粛清できない。

◆例えば渦中の耐震偽装問題、伊藤公介代議士がどうとか安部官房長官がこうとか、いろいろ囁かれるが、国土交通省の関係役人は一切口をつぐんでいる。官僚が腹を括って前向きに情報公開すれば、国会で喚問ショーをやるまでもなく、政治家(とくに与党)を取り巻くモヤモヤ感は一掃されるであろうが、けっしてそういうことはしない。黙っているほうが自分の保身や将来にとっても利益になるからだ。そこに国民の利益という発想はあまりみられない。

◆ただし、官邸等権力筋からのお墨付きがあればまた別である。かつての鈴木ムネオ追放劇のときに、どれだけ外務省の「マル秘メモ」が流出したことか。日本共産党の議員のところまで匿名による情報が届いたそうだからモノスゴイ。要するに政治家を潰してしまえる材料はいつでも溜め込んでいる。その蓄積が官僚の強みなのだろう。とりわけ外務省なんかは政治家が外遊したときのアテンドで「夜の醜態」なり「失言」をかなり把握している。だから、どれだけ無能省庁ぶりをさらけ出しても、外交官の高待遇は安泰である。

◆本来、政治家と官僚との間には節度ある緊張感の存在が理想なのであろうが、日本ではほとんど自民党の長期支配体制が続いている。だから、政官が癒着してしまう。コイズミ内閣がいくら公務員改革を唱えようが、霞ヶ関の特権官僚は何の痛痒も感じないだろう。自分たちに降りかかってくることではないことを熟知しているだろうから。
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by chaotzu | 2006-01-19 22:12 | 時事
2006年 01月 17日

大震災11年

◆あれから丸11年経った。たいていの記憶は風化していくが、この震災だけは体の深奥までこびり付いており、いまだに恐怖感が甦る。誰かがテーブルを揺すっただけで、ビクついたりするぐらいである。まあそれでもいい、亡くなった6400余の人に比べれば恵まれているんだからと思う。そのなかには、暗闇で長時間苦痛を耐え忍んで力尽きたひと、生きたまま目の前に迫り来る炎を直視したひともいるだろう。そういう無念の塊りがある以上、絶対に風化させるわけにはいかないのだ。

◆それと共に、日本中から無償の善意が結集した時代がかつて間違いなくあった、被災者も互いにいたわり助け合った、そんな懐かしい感慨を巡らせたりもする。しかし、仮にいま同様の震災が起きれば、打って変わった薄情かつ不寛容な社会をみせられるのではなかろうか、そんな怖さもある。それほど、この10年ほどで、日本人の心の風景が変わってしまったように思うのだ。とくにコイズミさんが登場してから、その傾向が加速した。強いものが肥え太って礼賛され、弱者は蔑視されたあげく淘汰される社会である。「自己責任ホンダラ教」の出現といってもいい。

◆それでも、6400人余の犠牲を払って得た教訓が生かされたのならばいい。それがまた、なんとも心もとない。
本日、国会では耐震強度偽装問題に係る証人喚問があった。奇遇というべきかよりによってというべきか、それとも皮肉といったらいいのか。あれだけの大地震を経験したのだから、建物の耐震性能を上げる方向で頑張っていくのが普通と思うが、そうは思わなかった人間が少なからずいたことを、まざまざと思いしらされる。それどころか、手抜き建築のボロが露見しなかったこと、そっちのほうに着目した人間がだいぶいたようだ。またそういう発想で行動する人間を利する方向の規制緩和をどんどんやってしまった。それで、震災を契機にバッタモンの建築物が横行するようになってしまったとしたら、情けないはなしである。
震災の教訓を希釈してしまったこの11年はいったいなんだったのか。

◆それにしても、ビッグニュースてんこもりの日であった。まれにみるといってもいい。前述の証人喚問のほか、ライブドアの強制捜査続報、そして宮崎勤事件の最高裁判決まであった。いくらなんでも多すぎやしないか、というか姑息な意図が働かないとこうはならないだろう。
戦後最大の災厄があった日である。この日ぐらいは静かに犠牲者を追悼する日であってほしい、そう願う気持ちまで踏みにじられた、そんな思いもある。
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by chaotzu | 2006-01-17 22:16 | 身辺雑記
2006年 01月 16日

【DVD】「カサンドラ・クロス」 ありえないけど面白い物語

◆「将軍様」を除く一般大衆にとって、海外旅行といえば飛行機が常識の時代であるが、それでもオリエント急行など複数国家を通過する国際鉄道の旅はなにやらロマンをかりたてるものだ。
さて、ジュネーヴを始発としてストックホルムまでいくヨーロッパ大陸縦断列車、途中通過するのはバーゼル、パリ、アムステルダム、コペンハーゲンときた。うわあ、すごいな、鉄道ファンなら垂涎ものだろう。もう走っていないだろうが、なにやら家畜運搬を連想するジャンボ機エコノミーツアーよりも、昔の鉄道旅行のほうがはるかに豪華に思えてしまう。
そんな国際列車をテーマにした映画であるが、思わぬ成り行きから、パリ方面に行くどころか、ドイツを通ってポーランドの強制収容所のあったヤノフに行き先を変えられてしまう。おまけに途中のカサンドラ鉄橋はもう30年間近く使われておらず、老朽化してボロボロである。つまるところ、地獄行き特急になってしまった、さあこの危地をいかに脱するかというはなし。

b0036803_22264437.jpg◆1976年イタリア・イギリス合作映画、冒頭ヨーロッパ・アルプスが映り、そしてスイスはレマン湖のほとりジュネーヴの街の鳥瞰となり、やがてそこにある世界保健機構に急病人が担ぎこまれるところからはじまる。
映像はキレイ、加えてパニックもの、そして鉄道アクションもありと思わぬ拾い物である。ソフィア・ローレン、バート・ランカスターなど大スターが共演しており、けっしてB級ということではなくA級としての作品づくりを意図したのだろうが、あれこれ欲張りすぎてしまって、結果としてB級映画としての愉しみ方だけ残ったような作品。あれ、ほめコトバのつもりなんだけどなんかヘンなような。まあストーリー的にも突っ込みどころはたくさんあるが、そこは大らかな気持ちでみたい映画である(笑)。

◆1970年代らしく、いちばんのワルはアメリカ陸軍である。外国の領土で秘密裏に細菌兵器の研究を進めたあげく、それがテロリストに破壊され感染者が出現したとなると、多数の乗客もろともひとつの国際列車を抹殺にかかる。もう目茶苦茶であるが、冷戦時代でCIAが暗躍し、加えてベトナム戦争の影響もあった。米軍ワルモノ映画が作られてもおかしくない時代であった。しかし、今現在でも実際何しているのか分からない部分はある。

◆主役のリチャード・ハリスがどうにもしょぼくみえてしまう。これがB級化したいちばんの要因だろう。ものすごいスーパーマンなのにちっともそうみえてこない。そして、「ガラスの部屋」レイモンド・ラブロックも出てくるが、なんだかヒロシがかぶってしまうのである(笑)。かのO.J.シンプソンも登場する、はじめは胡散臭い正体不明の役どころであったが、なんと○○役である。モノスゴイ皮肉というしかないが、意外とまともな芝居をしている、いったいどこで道を誤ったのだろうか。
そして、ラストのカサンドラ陸橋のシーンはかなりの迫力、というか鉄道模型ファンにしてみれば堪らないだろうことうけおい。
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by chaotzu | 2006-01-16 22:30 | 外国映画
2006年 01月 16日

プア・カンパニー

◆上場以来黒字決算を続け、なおかつ当期は150億円を超える利益(連結)を挙げながら、無配を頑なに継続する会社、株主には株価で儲けてくれのトンデモ主張。それでいて社長個人は月収1000万円と巨額の報酬を得ている。そして、与党の応援を得て、縁もゆかりもないところから国政選挙に突然出馬したりする。まあいつも話題の自転車操業みたいなことをやっている。
こんな会社ってありかあと思っていたら、今度は検察庁に強制捜査に入られた。証券取引法違反(風説の流布)の疑いがあるという。

◆常識的かつ冷静にみつめれば、おそらくこれまでの日本の経済史ではあまりなかったであろう錬金術を駆使する「上場」会社である。かつて日本熱学というインチキ会社があったけど、それ以上に得体が知れない。ニッポン放送株式を巡るフジテレビとの攻防戦の際は応援する気持ちもあったけど、その後の有り様をみると、ITイメージで仮装した正体不明会社の臭いがどうにも拭えない。素直に云うと、とてもまっとうな商売をする会社にはみえないのだ。

◆構造改革特区を利用して日本にもカジノをもってこようという意見がある。だけど、それに近いものはとっくにあるのではないか、東証のマザーズに大証のヘラクレスである。これで、正体不明、得体のしれぬ会社が大衆から資金を容易に集められるようになった。コンプライアンスもガバナンスもないプア・カンパニーの濫造である。いってみれば白昼堂々の鉄火場開帳みたいなもんであるが、日本経済の土台にシロアリが巣食う心配はどうにも否めない。
そして胴元(取引所)も今や株式会社になって、自身が上場したいと言い出している。恥も外聞もないとはまさにこのことだ。
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by chaotzu | 2006-01-16 22:01 | 時事
2006年 01月 15日

最高裁がインチキ金利に喝

◆貸金業者ボロ儲けの温床になっていた出資法上限金利(29.2%)の適用要件について、最高裁が厳しい判断を示した。これまで利息制限法という法律がありながら、それを出資法がザル法にしていた、いわば法律そのもののダブルスタンダード~あるまじき異常な状態が、これでやっと解消されるかもしれない。
それにしても、ここに至るまで随分と時間がかかったものだ。たくさんの自殺や自己破産そして犯罪の発生背景になっており、これまではかり知れない社会ロスをもたらして来たのである。改善を求める意見もいっぱいあった。それなのに、こんな相矛盾する法律の並存状態が長い間許容されてきたのは行政や立法機関の怠慢というしかない。最高裁がストップをかけるもっと前に、なんとかならなかったものか。

◆利息制限法による上限金利は15~20%(元本によって3段階)であるが、サラ金業者やクレジット会社でこれを律儀に遵守しているところは皆無だろう。いずれも出資法で刑罰が科せられない上限金利の29.2%近くまで最高金利を設定している。それも堂々とである。これを「グレーゾーン金利」というらしいが、これでどれだけ儲かるかは、毎年の長者番付にサラ金業者のオーナーが上位に名を連ねるのをみれば一目瞭然であるし、巨額の脱税事件までもたらしていた。クレジット会社がよく宣伝するリボ払いもこの仕組みを利用したもので、金利計算に疎い消費者から詐取同然に法外な金利をまきあげていたのである。
さらに突っ込んで云うと、以前はもっと高かった、6年前までは約40%まで刑事罰がかからなかったのである。ほとんど犯罪に近い荒稼ぎといってもいい。アイフルのチワワ犬を使ったほのぼのCMとはウラハラに業界の裏側はドロドロである。
そして儲けの一部は政治献金になり、テレビ局のCM収入やスポーツ新聞や大衆週刊誌などの広告収入にも還流していた。もちつもたれつ暗黙の諒解がずっとのさばっていて、それがサラ金地獄を黙認していたのではないのか。

◆出資法金利をなくすと、かえってヤミ金業者が跋扈しかねない、おそらくその手の反論が増えるだろう。これまで何べんも繰り返されてきたいわば手垢にまみれた云い分であり、100%サラ金業者の代弁である。ヤミ金業者の存在と法外な高金利を天秤にかけるという発想がどうにもうす汚い。世の中、濡れ手で粟みたいなボロい商売があるべきでないし、それを法律が容認することがあってもならない。
そう思うが、さて新自由主義政府の対応は如何。
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by chaotzu | 2006-01-15 16:21 | 時事