2005年 12月 29日

介護共倒れ

◆長姉と同居している母親の具合がいよいよ悪くなってきた。まだ80歳前であるが、歩行がおぼつかないことに加えて、自分の排泄もコントロールできない状態になっている。それで長姉からの電話がよくかかってくる。半分以上はぼやきである。
「トイレを汚されて往生してん、いまお風呂に入ってる、その他ああだこうだ……」、もうウンウンじっと聞いてやるしかない。最近はストレスがたまってしまうので、老母に紙オムツをあてがって、半日パチンコで過ごすこともあるという。

◆もともと自分が引き取る算段をしていたのであるが、先に辛い状態になってしまい、それどころじゃなくなってしまった。それで三年前、みかねた長姉が同居を申し出たのである。夫はだいぶ前に亡くなって、ひとり息子も就職で巣立ったので、ひとり暮らしになった。そんならふたりでいっしょに住もうかということになった。それまで母親も自分のことは自分で出来ていたのである。ただ、悪質な訪問セールスに騙されたことがたてつづけにあった。水道の浄水器とか風呂のお湯を温泉にする装置?などであるが、いっぺんひっかかるとそういう連中どうし横の連絡があるのか、セールスがひんぱんにおしかけるようになった。それでとうとう、母親も娘との同居を承知したのである。

◆ところが、その母親にとってなじみのない土地であったので、なんとなく出不精になってしまった。外出といえば病院に行くときだけである。おまけに長姉が生活の世話をしてくれるものだから、ますますひきこもるようになり、とうとうアタマが半分呆けたようになってしまった。それでも内臓はいたって丈夫であるから、食事は三食きっちり食べる。だから太るいっぽうで、それが足腰をさらに弱くするという悪循環。
そうこうしてるうちに長姉の胃がんが判明して、胃を切除するはめになった。10年以上前にも乳がんの手術をしており、長姉は多重がん患者である。いまや痩せてしまって鶏がらみたいな有り様である。母親の体重の半分もないかもしれない。食事も思うように摂れない、逆に母親のほうは三度のめしはきっちり食べるという。それで、またストレスがつのるのか電話をかけてくる。もう疲労困憊しているようだ。内容はたいてい同じで、マクラにひと通りぼやきがあって、今の調子でいけば、母親より自分のほうが先に逝くかもしれない、そうなればどうしょうかと不安を訴えて締めくくる。

◆しかたがない、他の兄弟宅はもう無理だろうし、それぞれの事情もある。特別養護老人ホームを探すしかないよ。ただ、入所一時金で相当とられるそうだ。そんなお金ある?
“ないにきまっとるやんか、あれば、今でも入れたいぐらいやわ”
“じゃあ兄弟で奉加帳でも回すか、それで集まらんかったら、お互いの生命保険をあてにするしかないな、オレが死んだら保険金を回してやるよ”
てなことを云って慰めるしかない。しかし、母親よりこっちが先にくたばるかもしれない。そうなると実際たまらんなあと思う。
同性どうしの口先は親娘でもきついというが、おそらく母親のほうも相当なストレスを感じているのだろう。だからますます体が思うように動いてくれない。どちらが悪いということではないのに、お互いにストレスを溜め込んでしまう悪い展開になってしまった。いやはや、正月も近いというのに、気がめいるはなしである。
こんな老老介護の辛いはなしはずっと前からあったんだろうが、恥ずかしながらそのときは実感できなかったのである。だけど、本格的な高齢化社会となれば、この程度のはなしなんぞ、そころ中にありふれてたいして珍しくもなくなるだろうなとも思う。
とりあえず、正月は出かけていって、まずはじっくりはなしを聞いてみるしかない。とにかくそこから手をつけるしかない。
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# by chaotzu | 2005-12-29 19:03 | 身辺雑記
2005年 12月 28日

読売と完全訣別した松井選手

◆前から噂されていたとおり、ヤンキース松井選手がWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の出場を辞退した。王監督のもとへ長文の手紙を届けたらしい。はじめから歯切れが悪かったし、本人もかなり苦汁の決断であろうから、まあ仕方ないのかなと思う。
このWBC、傍からみてもサッカー・ワールドカップの猿真似であるが、何分開催時期が悪すぎる。第一次予選が実施される3月3~6日といえば、まだオープン戦がはじまったばかりの時期だし、日本では寒さも残っている。この時期にやるのならば、もっと暖かい地域で開催するべきだと思う。

◆おまけに、アジア地区予選の開催球場は東京ドームである。まだ3月初めに人工芝球場、云いかえればコンクリートの上で世界選手権の予選をやろうというわけだ。もう発想が安易すぎて、ベースボールの世界的普及というよりは、新たな商売利権を狙っているんじゃないかと思ってしまう。案の定というか、東京での一次予選を運営委託された読売グループはやけに熱心なのである。お金や利権がからめば、シドニー五輪時の冷淡さとは様変わりする、またそれを恬と恥じようともしない。
そういう意味でも松井選手の不参加はいいクスリではないか。なにより、元巨人の選手であったから、読売の行事には当然協力してくれるはずだといった勘違いぶりがイタい。そして、松井選手に嫌われていることを分からないナベツネ以下読売首脳のノーテンキぶり、この連中にはつける薬がないんじゃないかと思ってしまうほどだ。

◆WBCをほんとうにサッカーのワールド・カップなみに盛り上げたい、そしてもっとベースボールを普及させたい、と真剣に思うならば、開催時期から考えるべきだろう。公式戦を1か月ぐらい中断してやるのも厭わずといった覚悟が要るのではないか。それが無理であるならば、二軍選手+アマチュア混成軍(アメリカならば3Aクラス)でもいい。そして、運営委託は球団保有者である読売なんかには絶対任せないこと、とにかく、最初は商売気を薄めてでもやってみることがかんじんだと思う。
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# by chaotzu | 2005-12-28 22:24 | 野球
2005年 12月 28日

どうにか年賀状の差出し完了

◆年を経るほどに、年賀状の作成がおっくうになってくる。早めに済ませなくてはと思いつつ、いつも年の瀬の突貫作業になってしまう、毎年その繰り返しである。半分は自分の横着であるが、なにせあて先の大半はここ10年来ほとんど会ったことがないという人である(毎度顔をあわせるような人とは年賀状のやりとりをしない主義である)。しかも、それが年々増えるいっぽう。
とはいえ「虚礼」だからやめておこうといった発想まではない。一年一回とはいえ、近況報告、住所の移転、転職のお知らせ、どこそこに旅行に行きました……など、淡い交際であるからこそ、それなりに便利なツールである。また、いつなんどき交友が再開するかもしれない、正直そんな打算めいたものもある。
しかしながら、それでも年々重荷になってくる。どっかでリセットしたい思いもある。

◆なんといえばいいか、もうこちらも大して伝えることがない状況である。それでも、
“新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます”
なんて、ほとんど心にもないような賀詞をどっかの無料ダウンロードで拾ってきて貼り付けたりするのである。本音丸出しを書けば、「明けましておめでとう」どころか、
“去年はホンマさっぱりやったし、今年もぼちぼち、ほどほどにやりましょか”
まったく賀詞とはウラハラになってしまう。「どこがめでたいねん」というわけだ。これはやっぱり後ろめたいものである(苦笑)。
それとこんなこといってはなんだが、頂戴する年賀状のなかにもお手軽きわまりないもの、それが年々増えつつある。パソコン年賀状の普及と軌を一にしているようだ。手書き部分や素人版画などすっかり減ったし、全く同じデザインのものもある。なかには同じ人から二枚もらったり、差出人が洩れていたりすることもある。ただ年賀状ソフトに従って機械的に作成しているのがみえてしまう。「喪中につき……」の欠礼はがきも随分増えた。なかには三年連続といった身内の不幸つづきの人もいる。そういう年代なのである。
それで結局のところ、喪中はがきも含めて年賀状は「生存通知」になっているだけじゃないかと思ってしまうのだ。それではあまりに侘しすぎる。だからリセットしたい、毎年こんな考えがループしているのである。

◆それはそうと、今頃になって気がつくのも恥ずかしいが、これまで師走の恒例アナウンスであった「年賀状は12月何日までにお出しください」というキャンペーンもなくなっている。いまは「できるだけ早くお出しください」である。ということは、郵便局は全力集中、全速力で年賀状の配達に努力するということか。
そういえば、テレビで某郵便局の年賀状仕訳風景を報じていたが、管理職の人が、
「年賀状の束を左手で持っているか」
「両足の間隔は30cmあけているか」
なんて、数十項目の点検を実にマジメにやっておられる。
一生懸命頑張っておられるのに申しわけないが、もう、なにもそこまで律儀にせんでもええよ、と思ってしまう。年賀状が1、2日遅れたって、別段こちらの生活に支障があるわけではないし、それに、何日に着いたかどうかなんて実際大したことではない。だらだらさみだれ式で到着するのも年始の味があるではないか。横着おじさんとしてはそんな風に思ってしまうのだ。
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# by chaotzu | 2005-12-28 22:12 | 身辺雑記
2005年 12月 27日

被害者を捜せ!

◆アメリカの女流ミステリ作家パット・マガーの処女作「被害者を捜せ!」、もうだいぶ昔の古い推理小説であるが、発想がなによりユニークだった。
第二次大戦末期、アリューシャン列島駐屯の海兵隊員が故郷からの慰問品を包んでいた地元紙をみると、以前に勤務していたなんとか協会の会長が殺人を自白している。被害者はどうも自分の知人らしいが、名前のところがちょうどちぎれている、ということで、暇にまかせてあれこれ推理していく。ふつうミステリといえば、犯人捜しであるが、逆に被害者のほうを捜すという、意表をついた設定である。
まあパズル趣向の小説だから許せるけど、現実にはちょっとありえないよなあというはなしである。ところが小説が書かれてから60年ほど経った後、それが現実になりかけている。

◆本日閣議決定された「犯罪被害者等基本計画」、マスコミによれば、事件や事故の被害者を実名・匿名のどちらで発表するか、その判断を警察に委ねるそうだ。
内閣府が公表した同計画をちょいとのぞいてみる。該当は以下のくだりらしい。
「警察による被害者の実名発表、匿名発表については、犯罪被害者等の匿名発表を望む意見と、マスコミによる報道の自由、国民の知る権利を理由とする実名発表に
対する要望を踏まえ、プライバシーの保護、発表することの公益性等の事情を総合的勘案しつつ、個別具体的な案件ごとに適切な発表内容となるよう配慮していく。【警察庁】」
なるほど、警察が「適切に配慮していく」ということか。この便利な役所用語をホンヤクすれば「警察の好きにさせてもらう」ということである。

◆ふつうの事件・事故ならば、それでいいんだろう。警察がインチキ発表をしても被害者側から異議申立てができる。だけど、ほんとに「被害者を捜せ」状態になったらどうなるか。もっとはっきり云うと、被害者が不在の事件すなわち警察のでっちあげである。そんなことありっこないよと思われる向きもあるかもしれないが、桶川ストーカー事件のように、警察が目茶苦茶なデタラメやった実例もあるし、最近の「プチ逮捕」の横行などみると、とうてい警察を100%信用することはできない。とくに公安がらみの事件ではなおさらである。匿名発表をたてにして「被害者」を隠しとおせば、事件なんかいくらでも「偽装」も出来る。そうなれば恣意的な拘留が好き放題に出来るわけで、それこそ昔の特高警察が復活したようなもんである。
もっとも、マスコミもさっぱり信用されていない、いまになって被害者本位を云い立てているが、これまでの報道スタンスがあまりに無責任すぎたのだ。
しかし、嘆いていても仕方ない、いよいよ自分の身は自分が守るしかない、そんな時代なんだとハラ括るしかないか。息苦しい社会がじわりじわり忍び寄ってくる。
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# by chaotzu | 2005-12-27 23:10 | 時事
2005年 12月 23日

「巣鴨化」社会へGO!

◆ウチの近くに店員がおばあさんだけというお好み焼き屋があって、それがけっこう繁盛している。もう色気こそさっぱりないものの(笑)、客あしらいがいいのだろう。そして、みなさん、実にテキパキと働いていらっしゃるので、みていて気持ちがいい。求人年齢の上限というとふつう50代前半までが多いが、その逆張り発想ともいえる高齢者限定の求人が効果をあげているようだ。もっとも、当のおばあさん店員に訊けば「なにも好きで働いてへんで」と云われるかもしれない。
それでも、近い将来、このようなお年寄り従業員の店が増えるのではないか。いわば日本全国の「巣鴨化」である。そうでもしないと、高齢化&人口減少社会はしのげない。

◆いつかはやって来るだろうといわれていた人口減少社会、実はもうきていた。ただし、いまさら驚くようなはなしではない。少子化の次に人口減少となるのは当然のなりゆきである。日本を大国に思っていたいひとには不愉快なニュースかもしれないが、けっしてカネやタイコを打ち鳴らして騒ぐ必要まではない。ちょっと個性がある中どころの国でいいと思えばよいではないか。
先進国では、イギリスが5800万人(24万平方キロ)、フランスも5800万人(55万平方キロ)、ドイツが8200万人(35万平方キロ)の規模である。いっぽう日本は12600万人(37万平方キロ)、もともと過剰なのであって、前にも書いたが、そもそも食料自給率が5割を切っている国である。

◆人口減少の流れは、ある程度のところまでなかなか止まらないだろう。少子化対策と称して政府が予算をつけたとしても、簡単に歯止めがかかるようなものではない。公明党のおねだりで来年度から児童手当の支給範囲を拡充するという、同党(=創価学会)お得意のバラマキ作戦であるが、以前の商品券と同様、目ぼしい効果は期待できないだろう。少子化の背景にはいろんな要因がからみあっている。ただ、お金をばら撒いたからといって、直ちに生めよ増やせよになるわけではない。これからも、政治家や役人が「少子化対策」のお題目で、予算の分捕り作戦にかかってくるだろうが、眉につばつけておいたほうがいい。新たな「少子化利権」「少子化天下り」をつくるだけである。

◆問題はこれから約30~40年間、逆ピラミッドの人口構成時代をどうしのぐかである。そちらのほうがよほど切実だ。それを乗り切りさえすれば落ち着いてくる。はっきり云って、これまでの社会保障制度ではもうしのげない。それは目にみえている。政治家は明確にそのためのビジョンを提示すべきであるのにダレも云わない、自分の年金は口出しするのにである。
実もふたもない云いようになるが、よっぽどのお金持ちは別として、お年寄りには死ぬまで働いてもらわねばならないだろう。正確に云うと「体が動くかぎり」になるが、もう年金と貯蓄だけで老後の落ち着いた生活を望むのは無理というものである。そら殺生やといわれるかもしれない、たしかにそうだ、ずっと昔は55歳でリタイアできた。江戸時代の武士なんかは50歳前で隠居できた、それが「死ぬまで働け」なんて理不尽かもしれない。だから、フルタイムではないお年寄り相応の社会参加のあり方を発想しなければならない。社会全体で真剣にワーク・シェアリングに取り組んでいく必要がある。

◆手っ取り早いのは、定年の延長であるが、これが案外と難しい。これまでの部下や後輩の風下になるのはイヤだという心理が抵抗する。だから、逆に55歳定年制ぐらいにして、いっせいにリセットしてしまうほうがよいかもしれない。ものは考えようで人生は2回あったほうがいいではないか。その代わり、法律で高齢者の雇用を義務づけるのである。法人税の減免や補助金等で誘導してもよい。うまくいけば、公務員の天下り問題も解消できるだろう。
もうひとつ、自動販売機などもそんなに要らない。だいたいお酒やタバコの自販機が存在すること自体が異常なのである。だから自販機やATMにも税金をかけていく。人頭税ならぬロボット頭税である。あわせて有人窓口にできるものはどんどん戻していくのだ。
こういうことは、従来の固定観念がかえってジャマする場合もある。とくにサラリーマン社会のカミシモが解けないおじさんにはムズカシイかもしれない。その場合はオトコが家庭の主夫になって、元気な奥さんが代わりに社会参加する方法もある(笑)。ヤワラカ頭の発想で、衆智を結集していけば、高齢化&人口減少社会も、なあになんとかなるでしょう。いまや、60代のロック・ミュージシャンが不思議でもなんでもない時代なんだから。
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# by chaotzu | 2005-12-23 23:31 | 時事
2005年 12月 22日

ニッポンをぶっ壊しました

◆昨日のエントリー「コストカット」のはなしをつづけたい。
いまの日本でいちばんありふれたコストカット手段は、社員を安月給で長時間働かせることによる人件費の切り下げである。最近は労働組合が形骸化しているから、三六協定それがどうしたてなもんである。また労働関係の規制緩和がそれに拍車をかけた。木村建設のシノヅカ氏ではないが、
“代わりはいくらでもいるんだ”
が大手をふってまかりとおっている。それで
“うちは少数精鋭主義でやってますから”
なんて、得意然とのたまう経営者がいたりする。そんな経営者にかぎって、明け方社員がトイレで倒れて亡くなっていようが、鬱病を発症する社員がいくらいようが平気である。病気で休職しようものなら直ちに解雇することもためらわない。だから、そういう企業の社員はみんな有給休暇を使わない、病気になったときに備えて貯めておくもんだと思っている。

◆最近問題になっている人殺し暖房機に発火洗濯機など「一流メーカー」による欠陥商品、これらに通底しているのは、目先の設計変更をやたら繰り返すいっぽうで、必要な人件費コストをけちって、モノづくりにかけるプライドを薄れさせてしまったことにあるんじゃなかろうか。航空機の整備不良問題についても、同類項の発想がきっとあるのだろう。コストカット(表向きは経済効率という)がなにより全てに~人命よりも健康よりも優先する社会にしてしまった。そのいきつく先が、ソーケンなりオジャマモンの姿である。そして、これらの風潮は、コイズミさんが首相になり「改革」をやたら連呼するようになってから、加速しだしたと思うのである。
嘘吐きウチカワさんや開き直りオジャマモンの一派は「経済設計」と称してバッタモンの脆弱なビジネスホテルやマンションをたくさんおっ建てたが、コイズミさんは「構造改革」と称して、この国全体の基礎構造を弱くしているのじゃないか。詭弁にすり替え、開き直り……モノの言い方も、「偽装一派」と実によく似ている。

◆4年前の自民党総裁選に立候補したコイズミさん、「自民党をぶっ壊します」と絶叫して世間の快哉を浴び、とうとう総理の座を射止めた。ところで自民党はぶっ壊れたのだろうか。とんでもない、総選挙で圧勝したいま、やりたい放題になっている。アホな党首を抱えた野党は凋落し、検察・警察も手なづけて前より強大になっているぐらいだ。あるいは旧い体質の自民党をぶっ壊したのだという見方もあるが、ワタシはそうは思わない。たしかにかつての田中派の流れを継ぐ旧橋本派はぶっ壊したかもしれない。なにしろコイズミさんが政界入り当時師事した福田派以来の怨念の敵である。その仕返しを果たしたことはたしかだろう(それも角栄の実娘のアシストによってである。政治の世界というのはまことに面妖なものだ)。それで、旧橋本派=現津島派はみるかげもなくなった。だけど自民党のDNAたる利権体質は未だ温存されており、旧橋本派がもっていた土木建設利権を森派が侵食していっただけではないのか。いまや大問題になった建築物の強度偽装事件、建設利権の受け皿が森派に移行していくさなかで起きた、だからこそ証人喚問をいったん拒否するなど事態の拡散防止に懸命なんだろう。

◆だいたい、なんにでもひと言あるコイズミさんが、この件ではほとんど口を閉ざしている。唯一、ニュースで目にしたのが
“(建築基準法の罰則について)全体に軽すぎるんじゃないかという気持ちを持っている”
という中学生なみの発言、これだけ(苦笑)、政治家としてなんの識見哲学も感じられない。あるいは、まだ振り付けが出来ていないので、めったなことは云えないと用心しているのかもしれない。もしかして、浅田真央ちゃんのオリンピック出場問題とか朝青龍の優勝と同じような意識~なんでもテレビ向けパフォーマンスになるかどうかで判断しているのかもしれない、いや、まさかそこまではないだろうと思いたいが。
それで相変わらず「改革なくして成長なし」のワンフレーズ連呼である。いま現在多くの国民が抱えている不安心理にはなんのコメントもなく知らぬ顔をしている。
自民党をぶっ壊しますと云いつつ、ニッポンを根こそぎ壊している。稀代のポピュリストに郵政民営化だけで白紙委任してしまったそのつけをこれから払わされる。
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# by chaotzu | 2005-12-22 22:02 | 時事
2005年 12月 21日

ゴミの分別とコストカット社会

◆時代は使い捨てから循環型社会へと移行しつつある。ゴミの種類もずいぶん増えた。以前は燃えるゴミ&燃えないゴミ&粗大ゴミの3分別で済んでいたが、いまはそれにリサイクルゴミ(びん、カン、ペットボトル)&金属系ゴミ&カセットボンベ・スプレー缶が加わったので、市役所の収集は6分別になる。このほか、地元のスーパーが牛乳パック&発泡スチロールトレー&アルミ缶を回収しているので、我が家ではゴミを9種類に分別している。ただでさえ狭い台所が、それでさらに狭くなる。まあ、それで「男子厨房に入るべからず」を決め込んで不興をかったりするのである(笑)。

◆ゴミの分別自体はアバウトにとらえればそう面倒なことではない、場所をとるだけである。だけど、分別する以上はきちんとやりたくなってしまうのである。性分かもしれない。いちばん手間がかかるのは、リサイクルゴミと燃えないゴミ(プラスチック)あるいは燃えるゴミ(紙など)の分離である。たとえぱ、ビン類のキャップやラベルは出来れば取り除いておきたい、そう思うのだが、これが案外面倒なのだ。そのために、ペットボトル専用のリングカッターまで用意したほどである。なお、念のため云うと、市の清掃局がそこまで強制しているわけではない。

◆そういうことを日常重ねていくと、リサイクルについて十分配慮した商品づくりを意識しているメーカーとあまり顧慮していないメーカーがあることに気がついてくる。言い換えればコストをかける会社とコストをけちる会社の差である。たとえば、びんのプラスチック・キャップなんかは、指先だけでむけるように外せる商品もあれば、その逆にカッターナイフでギコギコ切り目を入れてやっとこさ外れるような商品もある。これは気を抜いてやるとけっこう危ない作業である。ラベルも簡単に剥がせる工夫のものもあれば、びっしり糊づけしているものもあるといった具合、ひと晩水に浸しておけばいいのだろうが、いま現代そこまで習慣づけることは、なかなか簡単なことではない。
そんなこんなで、リサイクルに配慮した製品づくりをしているメーカーに、どうしても親近感をもってしまうのである。おそらく中身のほうも消費者本位に作っているんだろうと思わせてくれる。だから、少々割高であってもそっちのメーカーのほうを買ってみようかという気になってくる。

◆耐震強度偽装問題が大騒ぎになったから云うわけではないが、昨今はなんでもかんでも「コストダウン」が大流行りである。なかには画期的なアイデアによる万人がハッピーなコストダウン商品もあるだろうが、はたして全部がそうなのか疑わしい。安物のいわゆるバッタモンやアスベストみたいな恐ろしいものがはびこっては困るのだ。目先のコストダウンが、社会全体では欠陥商品の頻出になって、大きなコストアップではね返る。そういうのは、ただの「コストカット」というべきなんだろう。アトからその副作用に苦しむのはたいてい消費者である。
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# by chaotzu | 2005-12-21 22:12 | 身辺雑記
2005年 12月 21日

【DVD】「ああ結婚」 黄金トリオによるナポリ人情噺

◆イタリアの名優マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンの共演作品を調べてみる。
「バストで勝負」(1955)、「昨日・今日・明日」(1963)、「ああ結婚」(1964)、「ひまわり」(1969)、「結婚宣言」(1971)、「ガンモール」(1975)、「特別な一日」(1977)、「愛の彷徨」(1979)、「プレタ・ポルテ」(1994)……、なんと40年間近い共演歴である。まだ他にも日本未公開作品があるかもしれない。
そしてこのうち、「昨日・今日・明日」「ああ結婚」「ひまわり」の三作品がビットリオ・デ・シーカ監督によるものであり、いわば黄金トリオによる名作になるが、中身はみんな違う。爆笑コメデイ、人情噺、戦争の悲劇と全く肌合いの異なる映画を撮り分ける監督と演じ分ける俳優、いやスバらしいもんです。

b0036803_2195147.jpg◆1964年イタリア映画。ナポリの街、菓子屋の後継ぎであるマストロヤンニは女たらしの道楽息子。20年来の内縁女(ローレン)がいるが、女中代わりとしか思っていない。もういい年のくせして毎度店のレジ娘に夢中になっており、今度の相手とは結婚まで考えている。要するに無茶苦茶いい加減なオトコである、しかしこんな役を演じるとまた絶品だ。
いっぽうソフィア・ローレンもなかなかしたたか、いつまでもオトコにいいようにされてはいない。ある日突然「急病」で倒れる。瀕死の病床で最後のお願いだからと結婚の申し入れをして、オトコが署名したとたんに元気になる(笑)。

◆詐術による結婚は無効だと弁護士を立てて主張するオトコ、“あらそう、じゃいいわよ”とやけにあっさりあきらめるオンナ、ここで切り札を出す。“実はアンタとの子供がいるのよ”
ビックリするオトコ、だけど
“3人いる息子のうちひとりがそうよ”
ときた(笑)。
このお札にその子どもを授かった記念の日を書き込んでいるという、日付だけ切り取って紙幣をオトコに渡すオンナ。3人の息子と分け隔てなく接したい母親と、自分の子供が気になってならないオトコ、丁々発止のやりとりである。そのアトは大いに笑わせてくれる。子供がまた愛らしい。

◆公開当時のこの二人の年齢は40歳と30歳。ちょうど10歳違いだった。そしてマストロヤンニは20代から50歳代、ローレンは10代から40歳代まで演じる、さすがにローレンの17歳はちょっと無理筋じゃないかと思うが、マストロヤンニのほうはもともと年齢不詳っぽいところがあるゆえかそれで押し切っている。あるいはヒゲの効用かもしれない。
そりゃそうと、ソフィア・ローレンとフィギュアスケートの安藤美姫選手、なんだかよく似ているなと思ってしまった、いや、他意は全くありませんが。
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# by chaotzu | 2005-12-21 21:12 | 外国映画
2005年 12月 20日

強制捜査ショー

◆“指示じゃなくて提案なんです”  “数字はワタシの勘によるものです”
 “そういったかもしれませんが、あくまで法令の範囲内のつもりでした”
真に不謹慎ながら、「醜い言い逃れコンテスト」の様相を呈してきた偽装建物問題、やっと関係先の強制捜索に入った。110箇所以上、500人動員の「史上最大級」の一斉捜索だそうだ。とくに総研本社(グループ)には100人以上の捜査員が入ったらしい。

b0036803_22513374.jpg◆しかし、着手する前からマスコミにリークしまくりで、はっきり申しあげて、ケーサツお得意の「ショー・タイム」やりよったなという感想もある。こういうテレビ向けの演出はホントに得意である。なんせ、テレビカメラがスタンバイするのを待って、調査に着手するのである(爆)。
つい中島みゆきの唄を想い出してしまうほどだ。
♪いまやニュースはショウ・タイム
いまや総理はスーパースター
カメラ回ればショウ・タイム
それにしても、おそるべき予言ソングである。

◆それでも、ここまでやるからには、泰山鳴動ネズミ一匹というわけにはいかないだろう。建築基準法違反で50万円の罰金、はいオシマイなんてことになったら、そりゃ怒るよ。泰山鳴動イタチ五匹ぐらいにはなるかもしれない、いやそれもまた虚しいか。
それにしても、内河のじいさん、どこまでやってくれるものか。昼のテレビで平成設計からのキックバック先を現地取材していたが、福岡市内のなんとか企画というところ、経営コンサルタントというもののただの民家、要するにペーパー・カンパニーである。そこには60歳ぐらいの女性が住んでいて月に数回内河所長が訪れているという近所の人のはなしも伝える。なんだ「愛人」じゃないのか。妾?の手当てまで送金させていたとはなんちゅう人間かと呆れかえったりする。それでいて
“ワタシはコンサルタント料以外ピタ一文受け取っておりません”
なんてことを喋っているのである。もちろん、このペーパー会社の役員も12月8日付で退任済みだそうな。どこまでも往生際の悪い人だ、そうみえてならない。

◆国会では与党が証人喚問の追加を嫌がっているらしい。確かに司直の手が入った以上、立法府として取調べの真似事はしづらいだろう。しかし、建築確認制度の欠陥が明らかになった以上、建築基準法の改正時(1998年)に関係した政治家や建設省(当時)の役人、そして特定行政庁の担当者、関係業界の役員等を参考人招致して、法制度の奈辺に問題があったのか議論するのも立法府の役割ではないか。なにも国会が罪人捜しすることはないにしても、これだけ社会問題、それも相当額の国費を投入する事態になったのだから、国民のまえで堂々と法律制度の議論をするべきと思うが、自民党はそれをもイヤだというのだろうか。

追記(12/21)
ウチカワさんが「愛人」?のためにつくった福岡のペーパー会社は「栄光企画」である。それにしてもなんというイヤミきわまりない商号だろうか。
そして、証人喚問は与党の反対でやらないことになった。しかし、ヒューザーの小嶋社長は「証人喚問によんでほしい」と開き直っている。しかも「国土交通省の方が立場を失うことになるでしょう」と恫喝込みである。ここまで国会をこけにされていいものだろうか。
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# by chaotzu | 2005-12-20 22:57 | 時事
2005年 12月 20日

【DVD】「この世の外へ クラブ進駐軍」 エンタツでアチャコじゃないか

◆小林信彦の「テレビの黄金時代」を読むと、進駐軍のクラブ回り経験があるバンドマンが戦後日本の芸能界を牽引していったことがよく分かる。日本テレビの名物ディレクターであった井原高忠、渡辺プロ社長の渡辺晋、ホリプロ社長の堀威夫、さらにはフランキー堺にクレージー・キャッツ……。
終戦後、いの一番にアメリカン・ポップ・カルチャーの雰囲気に接した人間が、そのまま日本のテレビ黎明期にかかわっていく、といってもはじめのお手本はみんなアメリカである。「シャボン玉ホリデー」しかり「ザ・ヒットパレード」しかり。最初はアメリカのポップソングを日本語にして唄うだけ。はっきり云って猿真似みたいなもんだから、子供のアタマでもなんだか面白くなかった。
だけどアトになって分かるのだが、実際に進駐軍のキャンプ回りをした人には複雑な気持ちもあったんだろうなと。実入りはいいかもしれないが、ついこないだまでの敵国「鬼畜米英」相手の商売である。戦勝国の横暴に腹立つこともあっただろうし、同胞のみる目もある。なにより、音楽センスの立ち遅れに歯噛みしたことだろう。しかしそういった悔しさを土壌にして、今のJポップが育っていったのかなんてことも思ったりする。

b0036803_2202330.jpg◆2004年日本映画(松竹ほか)、阪本順治監督のオリジナル脚本による終戦直後の日本人と進駐軍兵士の群像劇である。
終戦を知らないままフィリピン戦線で死線を彷徨っていた広岡(萩原聖人)は、上空の飛行機から流れてきたジャズでやっと戦争の終結を実感する。楽器店の息子で軍楽隊ではサックスを吹いていた、さあやっと音楽が出来るぞ。引揚後、早速バンドを結成する、バンド名はラッキー・ストライカーズ!ところが、メンバーがみんな戦争の影やトラウマをひきずっている。
ベーシスト(松岡俊介)は、教師の兄貴が戦中の軍国主義教育の反動で共産党員になり、家は四六時中公安警察に監視されている。ピアニスト(村上淳)は浮浪児になった実の弟をずっと探している。神戸出身のトランペッター(MITCH)はヒロポン中毒、さらにドラマー(オダギリ・ジョー)は長崎で被爆した母と妹を抱えているといったぐあい、ラッキー・ストライカーズとはよくいったものだ(苦笑)。

◆戦勝国側である進駐軍兵士にも戦争の傷跡は残っている。基地慰安クラブの責任者である軍曹(ピーター・ムラン)は弟のダニーを戦争で亡くした。だから「ダニー・ボーイ」だけは演奏させない。沖縄戦線で日本兵を殺した記憶にうなされるサックス奏者上がりの兵士(シェー・ウィガム)もいる。さらに人種間の反目もあって、朝鮮戦争の勃発によって、黒人兵のなかには先に戦場に動員されるのかという怨嗟がたちこめている。

◆オダギリ・ジョーがコミカルな三枚目を演じる。哀川翔のニセ日系二世とともに、暗くなりがちなムードを救っている。
もともと太鼓経験しかないのに金欲しさでバンドに潜り込んだにせドラマーである。スティックのことを「ばち」と呼んだりするので、たちまちモロバレ(笑)。そんな彼がバンド仲間のケンカに絶叫する。
“いまはケンカよりジャズだろ、ヒロポンよりジャズだろ、GHQよりジャズだろ、六大学野球よりジャズだろ、羽黒山よりジャズだろ、バーグマンよりジャズだろ”
“いまのオレたち、ラッキーでストライクじゃないか、ハッピーでプリーズじゃないか、ワンダフルでビーチフルじゃないか、エンタツでアチャコじゃないか”
云ってることはもう支離滅裂ながら、実に真摯な思いがよく伝わるのである(笑)。

◆トランペットのMITCHを除き、出演者は楽器が素人のはずである、実際に俳優が音も出したのかはよく分からない。萩原聖人のボーカルがご愛嬌である、ほとんど笑わず無表情なのも、また役柄にあっている。
難をいうと、はなしが出来すぎていること、そしてエピソードが多すぎて焦点がぼやけた感があること。結局、戦争のトラウマを癒すのは音楽ということなんだろうが、それじゃ当たり前すぎるような、まあそこそこ愉しめる作品ではありますが。
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# by chaotzu | 2005-12-20 22:08 | 日本映画
2005年 12月 18日

けっしてミラクルじゃない

◆この三日間、フィギュア・スケート浅田真央選手の活躍にすっかりなごんでしまった。まだ15歳である、顔つきはあどけないし、体もまだ小さい。それが氷上で堂々とのびやかに舞う、ときに笑顔もみせる。なにより姿勢がいいから気品がある。
b0036803_23285699.jpg
真に世のおじさん連中を勇気づけてくれる。久方ぶりに心洗われるものをみせたもらったような気分になる。本日のエキシビジョンではアンコールで転んでしまったが、なにご愛嬌というもの。
それにしても、新人の台頭が著しい世界だ。この間まで安藤美姫選手が若手の代表格だったのに、あっという間に押しやられてしまったような感がある。だけど、二人とも羨ましいぐらい若いし、先はまだまだ長い。浅田真央選手もこれから体の成長とのバランスで悩む時期がくるだろう。

◆それにしても、テレビ朝日の煩すぎというか仰々しい放送にはうんざりしてしまう。日本人選手にニックネームまでつけているが、みているこちらが恥ずかしくなるような(苦笑)。
・イケメン魔術師(高橋大輔選手)
・17代目の天下統一(織田信成選手)
・シンデレラガール(中野友加里選手)
なんちゅ~センス(呆)。

そして、真央選手には「ミラクルマオ」ときた。とんでもない、けっしてミラクルなんかじゃないって、練習に相当打ち込んだ賜物だろう。ほんとに無神経だなあ。
ただのミラクルでは、本番でとうてい実力発揮できないし、あそこまで心うつプレーは出来ない。心底そう思うぞ。
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# by chaotzu | 2005-12-18 23:38 | 時事
2005年 12月 18日

メリークリスマス! ミスター・プレジデント

◆敬愛するジョージへ
一足早いクリスマス・レターだ。君のおかげでこの奇妙な国ではじめてクリスマスを迎えることになったが、けっこう愉しんでいるよ。だけどこんなに寒い国とは思わなかったな、テキサスが懐かしい。いや帰りたいと云ってるんじゃないよ、その逆さ。物分りのいい国だから仕事のほうは気楽なもんだ、君の配慮に感謝している。まあ、ベースボールとフットボールがみられないのはさびしいが、君がいま置かれている辛い立場を思えばぜいたくというものだろう。
対イラク戦の開戦口実や盗聴の件、苦しいだろうが、今のうちに認めておいてよかったと思うよ、ああむろん君を支持しているとも。あのフセインの糞野郎はいずれ叩いておかないとな。あれだけ面倒みてやったというのに、恩を仇にして逆らってくる奴だ。それに君の云うとおり、我々はいいことをしてあげている。なにしろ独裁者を追い出してやったんだ。イラク人が3万人かそこら亡くなったそうだが、犠牲者のいない戦争なんてない。

b0036803_21203227.jpg◆それにしてもここは変わった国だ、ふつうならインチキ戦争の巻き添えにされたとカンカンに怒るところだよ、それがデモひとつないんだからね。それどころか、ミニスターは君が贈った例のセグウェイに乗ってご機嫌でご出勤ときたから目を疑ったよ(笑)。わが国ならばひと悶着必至だろうが、国民はおとなしいものだ。おまけに牛肉の輸入まで再開してくれた。信じられないよ。マスコミも突っ込まないからね。あのヘレン婆さんみたいなうるさい記者もいないし、それどころか、支持率が上がっているらしい。なんというラッキーマンだろう。とにかく政治家にとっては最高の国じゃないか。
次のミニスター候補ナンバーワンは戦犯の孫だそうだが、
“大量破壊兵器が存在しなくとも合理的な開戦理由があった”なんて、頼みもしないのに代弁してくれる。ここまで物分りがいいと逆に気味悪くなってしまうほどだが、北京で仕事するのと比べたら、そりゃサイコーだよ。
ああ、ノース・コリアの件ではもう勝手なことはさせないよ、それだけは釘をさしている。だいたいあの独裁者のおかげで政権の人気があるようなもんだろう。そのことは十分承知しているはずだ。

◆だけど、国務省に特別レボートを送るようなめぼしい政治家はいないね。野党第一党の代表者なんて情けないもんだ、北京で相手にされなくて大恥かいてきた。無理に会いに行かなくとも向こうから会いに来たがるような存在になるべきなのに、とてもそんな器量はないようだ。欠陥ストーブをつくった有名電気メーカーの出身だそうだけど、欠陥政治家もつくっていたらしい(笑)。こんな有様だから、とにかく与党はなにをやっても安泰というわけだ。まあ、アジアで相手にされなかったのは、いまのミニスターも同じで、その点では与党も野党もよく似ている。たまたま政党が違っているというだけのようだ。
いま、欠陥建築物問題でもめているが、モノづくりで定評のあった国なのに、いまやあちこち欠陥品だらけというわけ。なかでもいちばんの欠陥品は政治家で、ミニスターは隣国の要人と会談すらできない、その代わりをしているのはなんと自動車メーカーの会長だし、野党の指導者はその隣国を「現実的脅威」なんて公言している。政治家たるものソフィストケーテッドな対話能力も必要と思うが、この国では威勢のいい言辞のほうが好まれているようだ。その割りにわが国に忠実なのは有難いがね。こんなこと云っちゃいかんだろうが、通商部の「年次改革要望書」をなんでも拙速に実現しようとしすぎだよ。ときどきそうアドバイスしたくなるときがあるね。
あ、そうそう、また君の牧場で特別飼育された厳選牛のサーロインステーキを食べさせてほしいね。ここじゃ、わが国の牛肉なんて怖くてとても食えないからね(笑)。テキサスの豆料理も時々懐かしくなる。じゃ奥さんと娘さんにもよろしく。
                         いつまでも君の忠実な友人である“トム”より
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# by chaotzu | 2005-12-18 21:35 | 時事
2005年 12月 17日

当面の米国産牛肉の普及広報について(未定稿)

◆標題の件につきまして、当社の提案を以下のとおり取りまとめましたので、ご照覧願います。
米国産牛肉の輸入は年明けから本格化するものと見込まれますが、国民の間になお一定の留保感情があることは遺憾ながら否めない現状でありまして、これをいかに緩和していくかが喫緊の課題であるものと存じます。当面は国民の不安感情の宥和に努めなければなりません。
b0036803_16541928.jpgしたがいまして、年内のうちになるべく多くの媒体を利用した積極広報策を推進して、米国産牛肉に対する「アレルギー」感情を少しでも払拭しておくことを、第一の広報目標に置いております。そのためには、いわゆるターゲット「B層」に徹底フォーカスすることが、いちばん効果的であろうと結論いたしました。
早急に関係各方面にてご検討いただきますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

~以下途中(略)

◆テレビCMの例
日米友好第一が持論の総理ご自身に出演していただいて、直接茶の間に呼びかけていただければ、間違いなく絶大なる効果が見込めるものと思います。あの郵政解散時の記者会見と同様、ワインカラーの幕の前で力強くきっぱりと発言していただきます。
“アメリカと仲良くしておきさえすればすべてうまくいきます。アメリカの牛肉とも仲良くしようではありませんか。私は死んでもかまいません。そういう決意でアメリカ産の牛肉を食べます。これは「心の問題」なんであります”
もうひとつの案は、いま渦中のオジャマモン社長が出演するプランです。全国民仰天、話題騒然間違いなしのウルトラ案と自負しております。
“(アメリカ産牛肉をおいしそうに食べながら)、まったく農林水産省もいい加減にしてほしいもんですね! これだけ安くておいしい肉なのに、これまで国民が食べる機会を奪っていたんですから、アメリカの検査に通ったものは信用するしかないじゃないですか”
さらに、ソーケンの所長さんも共演するという豪華プランもございます。
“ご家庭の経済設計はお台所のコストダウンから、それにはアメリカ産牛肉がいちばんです”
なお、CMの最後に「くれぐれも自己責任で召し上がってください」と小さな字幕を追加いたしますので、万一問題が起きたとしても、責任を追及される心配は一切ございません。

◆ラジオCMの例
ここは、売れっ子タイゾー議員の若々しい元気なメッセージはいかがでしょうか。
“いやあフリーター時代には牛丼よく食べましたよ、早い旨い安い、牛丼は若者の味方ですよ~、アメリカ産牛肉入るようになって、ホントうれしいっす”
これも小声で「くれぐれも自己責任で召し上がってください」の追加アナウンスが付きます。

◆その他各官庁における対策等
国会の食堂や外務省、農林水産省など霞ヶ関諸官庁の職員食堂において、米国産牛肉を使用したメニューを積極的に常時用意していただいて、それをテレビニュース等でとりあげる方法もあります。事務次官会議等で官房長官から強力にプッシュしてもらう必要がありますが、ここは米国産牛肉100%ハンバーグなど庶民的なメニューがいいでしょう。
また、与党の朝食会あるいは昼食会で米国産牛肉入りのカレーライスをおいしそうに食べていただくシーンなんかも紹介していただいたら、なおいっそうの宣伝効果があろうかと思います。センセイ方の脂ぎったテカテカのご尊顔は、国民を元気づけるにちがいありません。ぜひこの点もご検討をお願いいたします。
(注)実際に食べていただく必要はございません、あくまで宣伝であることにご留意ください。
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# by chaotzu | 2005-12-17 17:03 | 時事
2005年 12月 16日

思わず仰天、金融資産28億円超の24歳会社役員

◆この前、片山さつき政務官(46歳)の金融資産1億9千万円におそれいったばかりであるというのに、今度はかのジェイコム株式の現金決済によって、24歳男性の「会社役員」が5億6300万円の利益を挙げたそうだ。買付するだけであらかじめ約28億円の資金が必要である。しかも全額自己資金であるとのこと、こうなると「じっと手を見る」どころか、口から泡をふいて悶絶しそうになる(苦笑)。

◆う~ん、28億円の軍資金かあ、これを取引証券会社(何社あるか知らんが)に換金可能な証券か現金で預けていたということになる。24歳の青年がいかにして28億円もの資産形成を成し遂げたのか、個人の投資家が株のウリカイ数年間で28億円も蓄積するなんて、ワタシのあたまではなかなか考えられない。仮に相続や贈与があったとしても生半可な金額ではない、不動産ならあり得るかもしれないが金融資産である。ベンチャー企業等未公開株式の大株主で上場利益を得たというはなしも聞かないし、これまで株式の大量保有報告で名前が出たこともない。森電機の大株主といっても、二部のボロ株であって大した金額にはならない。あれやこれやで、ちと申しわけないが素朴な疑問があることも正直云って拭えないのである。
20歳前後から株式投資いや投機をやりはじめたとして、この5年間ほとんど連戦連勝、倍々ゲームがうまくいったとしたらあり得るかもしれない。それほど株式の天才であるとしても、なおかつ幸運の女神がついているのだろう、たいていの個人プレーヤーは小金を稼げたら良しとする世界である。

◆それはまあいいとして、気になるのは、こういうことでマネーゲームへの憧憬が国中に蔓延しやしないかということである。「パチンコ社会」とはよくいったもので、ダレもが勝ったときのことを夢見る。だけど、僥倖な勝者は少数であって、圧倒的大多数は損をして泣く泣く撤退しているのである。
別に大儲けしたひとを責める意図はないが、一穫千金を狙うよりも、地道に汗水流してこつこつ働いて食っていけたらそれでよし、そう思えるような社会のほうがいい、そうあってほしいと思ってしまう。
この間、テレビで国民健康保険料を滞納して保険証を取り上げられてしまい、病気をぎりぎりまで我慢している人が増えつつあることを報道していた。それとあまりにも対照的なのである。はっきり云って、まっとうな社会のかくあるべしという姿だとは思えない。だいいちすでに28億円(最低に見積もって)持っていて、そのうえに5億円稼いだとしても使いきれない、ワタシだったらそうだ。
それはそうと、プロの証券会社と同様に儲けを返上しろという趣旨ではない、これは念の為。
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# by chaotzu | 2005-12-16 23:44 | 時事
2005年 12月 16日

【DVD】「小さな中国のお針子」 文革下放青年の青春記

◆岩波文庫的な文学小説をとんと読まなくなってしまった。バルザック、スタンダール、デュマ、ゴーゴリ、キプリング……。いっぺん腰を据えて読み直したい気分もあるのだが、いまの生活のままではなかなか落ち着けない。どこかテレビも新聞も週刊誌もそしてDVDもないような世界に行けば、ボロボロになった文庫本でもむさぼるように読むかもしれない。きっと活字の一句一句が心の襞にしみわたるだろう。しかし、いまどきそんなところは刑務所あるいは拘置所ぐらいしか思い浮かばない(苦笑)。
ところが、30年ほど前の中国にはあったのである。国全体が刑務所みたいになってしまい、本が目の敵にされて燃やされた時代である。

b0036803_2145895.jpg◆2002年フランス映画、文化大革命さなかの1971年、反革命分子の子弟として中国の農村に再教育のため下放された二人の青年の物語。実際に下放経験のある在仏中国人映画監督がフランス語で書いたベストセラー小説をその監督自身により映画化したもの。
さぞかし暗い映画であろうと思いきや、意外と明るい。文革の悲劇を訴えたり糾弾したりするものではなく、ユーモラスな部分もけっこうある。
もちろん、農村の仕事は辛く生活も不便きわまりないし、不愉快な嫌がらせもある。そんななかで活字の力がこの二人を救う、そして本の縁で可愛い女の子ともなかよくなる。こうなると、ディズニーランドやアイポッドとかブロードバンドがなくとも十分に愉しめるものだ(笑)。そして、美しい山村の景色、水墨画のような風景や滝つぼに湧く温泉があったりする。「文革もまた愉しや」ということではないが、苦しみに満ちた時代、読書によって支えられた若者の物語である。

◆なにしろ、下放された先がどえらい農村、四川省は長江のずっと上流である。電気や水道なんぞむろんない。村民はみんな文盲で、目覚まし時計やバイオリンすらみたことない。料理の本までブルジョワを疑われる始末で燃やされてしまう。バイオリンは「毛主席を想う」曲を演奏して燃やすことをなんとか免れるが、ほんとうはモーツァルトのソナタである(笑)。
二人は村長にハッパをかけられる。
“トリ肉はブルジョワの食い物だ、トウモロコシと白菜食ってとことん働くんだ”
翌日からたいへんだ。豚の屎尿を木桶に入れて背中に担ぎ山上の畑まで運びあげる。慣れぬ都会青年の上体は糞尿まみれになってしまう。さらに、手掘り銅山の重労働、はじめはとにかく悲惨きわまりない。家畜同然の暮らしである。そしてそれは農民も同じなのだ。

◆村でいちばん尊敬されているのは、足踏みの古ミシンを持って農村を巡回する仕立て屋の爺さん。その孫娘(お針子)と仲良くなって、別の下放青年が本を隠し持っていることを聞き出すと、その青年が都会に帰る機会をとらえて、かばんごと本を盗みだす。中国語訳の海外小説があるわあるわ、「赤と黒」「ゴリオ爺さん」「死せる魂」……。60年代の古本であるが、活字に飢える二人はむさぼるように読む。
辺鄙な農村では、北朝鮮映画の上映会でも代表で観に行った者が村民にあらすじを説明しなければならない。もみ殻を粉雪みたいにとばして村民に映画のはなしをする二人、まるでマルセ太郎である。ときには、バルザックの「ユリシュール・ミルエ」のはなしをアルバニア映画だと偽って語り聞かせたりする。傑作なのは「モンテクリスト伯」に影響された仕立て屋爺さんのファッションデザインがたちまちフランス風に変化したりするところである。

◆青年二人にお針子の女の子、この三人のせつなくも明るい三角関係の日々を描く。
そして、ラストは一気に25年後にとぶ。下放先の農村は三峡ダムの建設によってダム湖の底に沈む、そんな時代になっている。最後は話をちと拵えすぎかもしれない。
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# by chaotzu | 2005-12-16 21:49 | 外国映画