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マイ・ラスト・ソング

chaotzu.exblog.jp
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2006年 01月 28日

東横イン“チキ”ホテル 某トップ流弁明術

◆東横インの西田某なる社長の釈明会見、実に噴飯ものであった。ああ日本人の品性、とうとうここまで落ちたのかと嘆かしめるほど、まさに恥も外聞もない言訳である。だけど、この国ではいちばん偉い人、国民の規範になるべき人が、詭弁、屁理屈、すり替えをいっぱいつかって、それが堂々まかり通っているのだ。上に立つ人間の物言いがそうであるならば、やがて一般世間にも同様の追随が波及するだろうことは免れない。魚は頭から腐るという。

◆「まあ、そんなに責めなくてもいいじゃないですか。そりゃ、たしかに違反はしました。だけど60キロの制限速度のところをちょっとオーバーしたようなもんですから。ソーケンさんが指導しているホテルに比べたら、耐震強度もしっかりしてますし、ずっとまともなんです。それとはあくまで別問題ですから。
それにうちはね、ネット環境がかなりいいって、マスコミの皆さんにもずっとほめられていたんですよ。現実にお客さんにも好評だったんですよ。だから、そんなたったひとつの問題じゃないですか。なにを皆さんそんなに怒っているんですか、そう急に手のひら返しされても理解できませんねえ。
直せばいいんでしょう、いや、そう云われるならば、批判は社長として甘受いたしますよ。だけどね、うちはね、これまでお客さんの要望に応えてきたつもりできたんですよ、それが結果的にこうなっちゃったということで……。
ね、人生いろいろ、ホテルもいろいろなんですから」

# by chaotzu | 2006-01-28 22:41 | 時事
2006年 01月 28日

【DVD】 「続拝啓天皇陛下様」 陛下、こんな赤子もおりました

◆亡くなった名優、長谷川一夫の軍隊時代のエピソードを同僚兵であったひとから聞いたことがある。ずっと昔のことである。昔の軍隊であり、とくに有名人だからといって特別待遇があったわけではないが、とにかく評判がべらぽうによかったそうな。裏表なくかいがいしく働く、ひとが嫌がることは率先して手を上げる。それで本人はケロッとしていたという。
“なあに、この程度の苦労なんて芸事の修練にくらべれば、苦労のうちに入りませんよ”
う~ん、すごいなあ。マンダム(意味不明)。

【DVD】 「続拝啓天皇陛下様」 陛下、こんな赤子もおりました_b0036803_22341190.jpg◆1964年松竹映画、続と銘打たれているが、前作に続くものではない。
今度の渥美清演じる山口善助は、貧困ゆえに拾った魚で家族が全滅、天涯孤独になるというものスゴイ設定。勉強の世話をやいてくれたオナゴ先生(岩下志麻)に花を捧げるつもりがはずみで抱きついてしまい、少年院送りになるという運のなさ。出所後は汚わい屋稼業で、悪童たちからは「ウンコ善助」と呼ばれている。口をきく友人といえば、周りから排斥されている中国人散髪屋の王万林夫婦(小沢昭一&南田洋子)だけ。まあ誰からも無視される悲惨な青春期であったが、そんなオトコでも、軍隊は別世界だった。叱られるにしろとにかく平等に扱ってくれる。みんな陛下の赤子だ。

◆支那事変で召集された渥美清は北京にある軍犬育成部隊に配属される。ここでシェパードの友春号に出遭う。この犬が可愛い、とことん主人に忠実を尽くす。渥美清が営倉に入れられたら、じっと建物のそばで待っている。ウンコ善助は感激の涙である。敗戦によってやむなくこの友春号と別離する場面もなかなか感動ものであるし、軍用犬の教官役藤山寛もなかなかいい味を出している。

◆とはいっても、軍隊場面は全体の三分の一ほどで済んでしまう。あとは敗戦後の荒廃した日本で必死に生きる人間たちの群像劇である。雇われ仕事で出向いた先は闇市にある三国人食堂の打ちこわし、そこでばったり王万林と再会する。その縁でカツギやになり、友春号の元飼主を京都南禅寺まで訪ねてみれば、財産税で息も絶え絶えの旧家、シベリアに抑留された夫の留守をひとり守る夫人(久我美子)は栄養失調でふらふらしている。ダレも他人のことなどかまっていられない時代であったが、渥美清はせっせと京都に出かけて支援する。ヤミで手に入れたラックス石鹸を米軍MPに咎められて、沖縄送り?にされたりと、敗戦直後の人物ドラマが点描される。なかでは、中国人を演じた小沢昭一が抜群の存在感である。

◆脚本に山田洋次が参加している。もしも寅さんが結婚していたら、いったいどうなっていただろう。もしかして、その解のひとつが提示されたかもしれない。大阪城近くのバタヤ部落で昔馴染みの宮城まり子に邂逅する。米軍兵に暴行された宮城まり子は娼婦になっていたが、渥美清はこだわらない。やがて二人は結婚する。そこから誤解等いろいろあって、女の赤ちゃんを遺して妻は逝ってしまう。
ラストは赤い夕日に照らされたなか、ねんねこ半てんで赤ちゃんを背負った渥美清が子犬を連れて、どこかに去っていく。う~ん、寅さん映画がこんな最後になっていたとしたら、ファンはとうてい承知しないでしょうな。

# by chaotzu | 2006-01-28 22:38 | 日本映画
2006年 01月 27日

【DVD】「影なき狙撃者」 ダイヤのクィーンにご用心

◆米ソ冷戦が続いた20世紀の後半は、万事猜疑心がはびこる時代であった。お互いに相手陣営の策謀を批難するやりとりの応酬があって、さらにそれぞれの国の内部でも国際的な謀略論が大流行りした。ソ連や中共の場合は粛清、そしてアメリカでは赤狩りである。ケネデイ大統領暗殺の背景にも共産陣営の魔手が取り沙汰されたりしている、まあなんでもあり。さて実際に両陣営が直接戦火を交えた朝鮮戦争、捕虜になったアメリカ人は帰国してからも相当洗脳工作を疑われたことだろう。そんなことを彷彿させる映画である。

【DVD】「影なき狙撃者」 ダイヤのクィーンにご用心_b0036803_22272577.jpg◆1962年アメリカ映画、モノクロ。フランク・シナトラの俳優としてのキャリアのなかでは後期に属する作品、共産陣営の洗脳工作をテーマとした異色作である。1952年朝鮮戦争の最中、シナトラの小隊が不意打ちにあってヘリコプターでどこかに拉致される。気がつけばニュージャージーのホテルで開かれている園芸クラブの会合に顔を出している。ところが、園芸クラブのおばちゃん連が途中で東洋人に入れ替わるという不思議な出だし。実際は満州にある中共軍の洗脳施設、ところが米軍捕虜には園芸クラブの会合にみえるという洗脳工作のありさまを、うまく映像化している。

◆実質的な主役はシナトラの部下であるローレンス・ハーベイ演じる軍曹、徹底した無表情のまま、洗脳医師の命ずるままに同僚兵を絞殺したり射殺する。それが帰国したときは戦場の英雄として迎えられる。義理の父親はマッカーシーを連想させる反共議員であるし、母親(なんと息子役のハーベイより3歳だけ年長だったそうな)は口うるさい。政治に利用されるワシントンを嫌ってニューヨークに勤める。ところが、あるモノを見せられた途端、たちまち面前の人間の支配下に置かれるという潜在催眠下におかれていたのである。究極の時限兵器、すなわち影なき狙撃者であるが、よくよく考えたらそんなのありかいという設定なんである。それでもなんとなく納得させられてしまう(笑)。役者の力もあるかもしれない。

◆ここから先はミステリ趣向である。ではいったいダレがハーベイを操るのか? 意外性はあるし、ラストのおちもなかなかやるわいである。また、共産陣営の非情な洗脳工作を採りあげるいっぽうで、アメリカにはびこった赤狩りの風潮も批判している。眼目は赤狩り批判にあって、洗脳云々はそのカムフラージュかもしれない。だとしたらうまく考えたものだ。

# by chaotzu | 2006-01-27 23:55 | 外国映画
2006年 01月 26日

ボキャ貧総理

◆「心の問題」
「たったひとつの問題」
「別の問題」
まあ、普通人がこの三つのフレーズをテキトーに使い回しておけば、とりあえずの言分けにはなるだろう。だけど、せいぜいが子供の口喧嘩レベルである。潔さというものが全然みられず、「おまえのカーチャン、出ベソ」と同類項の言い逃れ、論点そらしととられかねない。だから、大の大人がしょっちゅう使えば、そのうちダレからも相手にされなくなってしまうだろう。
いわんや、一国の最高権力の座についた人間であれば尚更のことである。おまけに、コイズミさんの場合は逆切れすると、
“そんなこと私に聞かれても分かるわけないじゃないですか”
“さっぱり理解できませんねえ”
まで云ってのけるのである。
理解できないのはこっちのほうである。

◆一般人が濫用すればどうか(使用例見本)。
“ボクのワイシャツに口紅がついてるからといって、それと浮気とは別の問題じゃないか”
“ボ、ボクが女性の下着を集めてるから付き合えないなんて、そ、そんなたったひとつの問題で仲良くできないってことないでしょう。なに、女装趣味もあるって。そ、そんなこと云うならつきまとってやるぞ”
“え~ワタクシが談合土建の銭亀社長と日頃親しくしているのは事実でありますが、え~そのことと入札で便宜を図ったという疑いは、まったくの別問題なんであります”
“あのねえ、僕が前の家内とまだ離婚手続きが済んでないからといって、結婚できないなんて、そんなのたったひとつの問題じゃないか。とても理解できないなあ”
“ええ、たしかに私の論文のうち20ヶ所ほどは出来杉君のところから引用してますよ。ちょっと了解もらうのが遅れているだけですよ。それを盗作と云われてもねえ、それは別問題とみてほしいもんですな”

◆いやしくも、一国の最高地位に就いた人物である。その人が語るコトバ、とくに国会における発言となれば、国民に向かって語りかけているのだから、誠実な説明責任の履行若しくは政治家としての含蓄なり哲学の一片を期待したいのである。それがあまりにも薄っぺらいペラペラの言い逃れを濫用してばかりである。単なる負けず嫌いや自分のことをタナに上げた開き直りを恬として恥じない。政治闘争だけは長けているが政治思想がお粗末な正体をすっかり露呈しているようだ。
国民のほうがそれこそ居たたまれない。

# by chaotzu | 2006-01-26 22:06 | 時事
2006年 01月 26日

【DVD】 「拝啓天皇陛下様」 陛下、最後の赤子が戦死しました

◆ともすれば、昭和の戦前が全て軍部圧制下の暗黒時代であったかのごとく錯覚しそうであるが、実際はそれほどでもない。軍部もしょっちゅう戦争を仕掛けていたわけではないし、大正デモクラシーの余韻をひきついで、モボにモガそしてエログロナンセンスが大流行りのときもあった。江戸川乱歩なんかがモノスゴイ猟奇小説を書いていた時代である。
個人的な見方であるが、小林多喜二が特高警察に虐殺された1933年(昭和8年)あたりまで、大雑把にいって日本国内は平穏な時代だったのではなかろうか。だから、その時分の軍隊(除く外地)にはまだのどかな雰囲気があったかもしれない。
~なんてことを書いてみたが、もともと明確にそう意識していたわけではない。白状すれば、映画をみてああそうであったかと認識し直した次第なんである(汗)。

◆1963年松竹映画、原作は棟田博(今やほとんど忘れさられている)、監督脚本は野村芳太郎、そして渥美清が俳優としてはじめて評価をあげた作品である。今見れば、後年の寅さんのルーツにもなっている。渥美演じる主人公の山田正助こと山ショウは天涯孤独の前科もので無学無教養、人のいいオトコでインテリへの憧れもある。だけど何をしでかすか分からない不気味さもある。そして女性との付きあいがへたくそ……、
なんだ寅さんとほとんどオンナジじゃないか。

【DVD】 「拝啓天皇陛下様」 陛下、最後の赤子が戦死しました_b0036803_2143886.jpg◆1931(昭和6)年、徴兵で岡山の連隊に入営した初年兵の3人組、渥美清と長門裕之と桂小金治、先輩兵と和気あいあいだったのは初日だけで、翌日から二年兵(西村晃)が鬼みたいになる。とはいっても、その二年兵も満期除隊が近づくにつれ、一年兵に媚をうるようになってくるところが大いに笑わせる。渥美清たちも二年兵になれば天国だ、飯も山盛りいっぱいたらふく食べられる。中隊長(加藤嘉)もうっとうしいぐらい優しい、営倉に入れば黙って正座を付きあってくれるし、読み書きを勉強する段取りもつけてくれる。軍隊に入ればみんな天皇陛下の赤子で平等だ。せちがらい娑婆と比べりゃ天国じゃないか。これは、おそれおおくも天皇陛下様のご慈悲なんだろう。
だから、南京陥落(1937年)で戦争終結の噂が流れたときは大慌てする、思い余って崇拝する天皇陛下様あて手紙で直訴しようとする。「どうか軍隊においてください」、さすがに長門裕之に「不敬罪になるぞ」と制止される。

◆ただし、軍隊時代は映画の半分ぐらいしかない。後半は主人公の戦後苦闘編である。もともと立ち回りが上手な器用人間ではない。カツギ屋になったり、信州の開拓団に入ったり職を転々とする。想いをかけていた未亡人(高千穂ちづる)にもすげなく振られてしまう。そして、やっと嫁さんになってくれる女性(中村メイコ)にめぐりあうのだが……。天皇陛下の赤子であり続けた男の悲しい一生である。

◆喜劇的なところもあるが、全体は幸福に恵まれたとはいえない男の一生であって悲劇である。また、天皇制批判なのかあるいはそうでないのか、そこのところは巧みにぼやかしている。とはいえみるひとが見ればはっきりしているだろう。
今現在、こんな直截的なテーマで映画制作できるひとはまずいないだろうことはたしか。それほど、世の中の空気がおかしくなっている。昭和天皇が亡くなる時期の「自粛」騒動は異常であったが、それがまかり通ってしまった。皮肉なことに、いま現在そんな風潮の防波堤になっているのは今上天皇である。

# by chaotzu | 2006-01-26 21:45 | 日本映画