2005年 06月 17日
◆サラリーマンの読み物といえば、なにはともあれ日経新聞だ。最初に目を通すのは最終面、連載中のエロ小説である(大汗)、渡辺淳一の「愛の流刑地」。間違っても一面ではない。おそらく日本中の謹厳実直氏が毎朝熟読玩味し、こういうところへ自分も流刑されたいと願望している(笑)。 次に読むのは「私の履歴書」、エラくなってここで好き放題云えたらどんなにいいだろうか夢想する。サラリーマン夢の殿堂である。ここに6月から野球の野村監督が登場した。これがまた面白いのである。 ◆ノムラさん、サッチー騒動や阪神監督退任などで、すっかり落魄したかと思った時期もあるが、どうしてまだまだしぶとい。日本一を経験した監督が新興社会人チームの監督を務めるなど。そう真似のできる生き方ではない。球界の不倒翁は健在であり、月見草はたやすくしおれない。 今週の記事は南海時代の“蔭山新監督急死事件”に触れており、なかなか興味深いものがあった。戦後初の三冠王をとったのに、当時の鶴岡監督から“チャンチャラおかしいわい”と云われたこと、また蔭山派にみられて疎まれていたこと、派閥争いがもたらした蔭山新監督の心労などアケスケに開陳している。また、西鉄のエース稲尾投手に手こずり、打者としていろいろ攻略の工夫をする様子を、盟友の杉浦投手が稲尾投手にカンタンに喋ってしまったことなど、独特のぼやき節恨み節のさくれつである。 ◆もっとも、鶴岡氏や杉浦氏などもう反論しようもない故人をあげつらうのはよくないという見方もある。なによりノムラさんの一方的な発言かもしれない、あるいは些細な行きちがいが歳月と共に肥大したかもしれない。そういうことはよく分かる。 それでも、今こそ常識のシンキング・ベースボールに逸早く着目するなど、日本野球の技術革新に目覚しい功績があることは誰も否めないだろう。いってみれば、ナガシマさんの生き方とは何もかも好対照である。日本人としては異端の人生かもしれない。毀誉褒貶はあっても、なにか惹きつけられるものがあるのだ。 サッチーは好きになれないが、サッチーを最後まで見捨てないノムラさんの生き方、それもまた大したものじゃないかと思っている。
by chaotzu
| 2005-06-17 21:28
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