2005年 07月 29日
◆毎日放送の看板長寿番組となる「アップダウンクイズ」がはじまったのは1963年。回答者はゴンドラに乗って、1問正解すれば一段上がる、ただし間違えたら一番下までストンである。天国と地獄みたいなもので、子供ながらにみているほうもスリルがあった。司会の小池アナの手際よい進行ぶりも記憶に残る。 この番組のキャッチ・フレーズが「10問正解して夢のハワイに行きましょう」。今でこそハワイ旅行もポピュラーになったが、当時は憧れの海外旅行先だった。たしか巨人の王選手(当時)も10問正解してハワイ旅行を射止めたはずである。 このほか、サントリーの「トリスを飲んでハワイに行こう!」キャンペーン(by山口瞳)もあった。 1960年代、日本人にとってハワイはまさに憧れの楽園。福島県に常磐ハワイアンセンターなるテーマ・パークのはしりみたいな施設ができたぐらいである。 そんな時代のハワイ現地ロケ映画である。なんとも豪勢じゃないですか。 ◆1963年東宝映画、社長シリーズもいよいよハワイ現地ロケ敢行である。観客にすれば憧れハワイの最新風景も味わえる仕掛け。しかし、あの真珠湾攻撃から20年ちょっとである。日本の戦後復興テンポアップのなんと目覚しいこと。 ◆森繁氏、今回の役どころは丸急デパートの社長、5人娘の父親なんである。めぐみ、ひろみ、はるみと上の3人はまっとうな命名だが、四女は末子、五女となると留子(上原ゆかり)である。この5人娘がなにかと父親に甘えてあの手この手のおねだりするのが、サイド・ストーリーになる。 はっきり云って公私混同5人娘、今ならたいへんだ(笑)。 さて、ライバル百貨店の福助屋が香港に出店するらしい、加東大介常務の“たいへんです情報”を聞いた森繁社長、その場でハワイ出店を決めてしまう。重要事項を取締役会も開催しないで決めてしまうというサラリーマン社長らしからぬ荒業、いや蛮勇か(笑)。 ◆先乗りの現地駐在員で派遣されたのが小林桂樹秘書課長、そしてハワイ・オアフ島での世話役は日系三世のフランキー堺、今でいえばABCマートみたいな店をやっている。もうめちゃくちゃおかしい関西+薩摩弁みたいなハイブリッド日本語をつかっている。天才コメディアンたるフランキーをあらためて認識する。 そして、森繁社長と電気釜持参の加東常務、宴会用カツラ持参ののり平部長がいよいよハワイに乗り込んでくる……。 おはなしのほうは、商売敵とのビジネス争い、独身小林桂樹の恋、森繁家の家庭波乱など、毎度お決まりご都合主義というか、かなり強引な展開。ラストで森繁社長が観客席に向かって“ちょっと都合よすぎますな”と言いわけするぐらいである(笑)。 でもまあいいでしょう。ヌアヌ・パリ峠、ハナウマ湾、ダイヤモンド・ヘッド、そしてワイキキ・ビーチ。まだワイキキの街も高層ビルが林立していない、ひと昔前のオアフ島がみられます。 それにしても、ハワイで海に落ちる夕陽をぼんやりずっと見続けたいものだ。 ◆見どころはやはり宴会芸、とくにのり平がひとり気を吐いて大爆笑ものである。飛び入り参加したフラダンス大会での女装芸に抱腹する。とにかくオモシロすぎる、シュールすぎてまだ明るいうちから、こんなのみとっていいのかな、罪の意識を感じるほど(笑)。 ◆思いたって、社長シリーズ登場俳優の生年月日等を調べてみる。 加東大介 1911年 2月18日(1975年7月31日死亡) 森繁久弥 1913年 5月 4日 小林桂樹 1923年11月23日 三木のり平 1924年 4月11日(1999年1月25日死亡) フランキー堺 1929年 2月13日(1996年7月31日死亡) そうか、のり平よりも小林桂樹のほうが年長だったのか、これは意外。加東大介は森繁より2歳年長、これでまた知識が増えたわけである、死ぬまで勉強だ。 しかし、妻子の誕生日のほうはいよいよ怪しくなりかけている。まるでトコロテン式の脳細胞である(苦笑)。
by chaotzu
| 2005-07-29 22:57
| 日本映画
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