2005年 11月 21日
◆種田山頭火や尾崎放哉といえば漂泊放浪のビンボー俳人として、根強い人気がある。自由気ままに生き抜いたようなイメージに共鳴するのだろうか。日本人は放浪に憧れるところもある。しかし、後半生は乞食同然で、ほとんど野垂れ死である。もっとも、どうしょうもない酒呑みだったようだけど(苦笑)。 もしも、当人がいま現在の脚光を知ったとすれば、「生きているうちにちょっとは優しくしてくれよ」と腹立たしく思うかもしれない。それほど晩年はあまり恵まれなかった。 それとは逆の人生である。青少年期は辛酸をなめつくした放浪生活、それが後半生は花開く。才能を見出したひともえらいが、なんといっても母親のあふれる愛があった。 ◆1977年日本映画(近代映画協会&ジァンジァン)、津軽三味線を海外にまでひろめた一世高橋竹山の青春時代を描く。いまでこそ吉田兄弟など津軽三味線のアーティストは珍しくないが、竹山以前はみんな無名の演奏者である。いや、それどころか乞食同然に蔑まれる芸人だった。 映画の内容は、簡単にまとめると、北島三郎が唄う「風雪流れ旅」の世界。 ♪破れ単衣に三味線抱けば、よされよされと雪が降る。 …アイヤー、アイヤー、津軽、八戸、大湊 冒頭に本人その人が登場して前説明をする。そして映画のなかで竹山を演じるのは林隆三、なかなかの熱演ではまっている。 竹山の生演奏を聴くことはなかったが、この映画をみると、ああなんとしてでも聴いとくべきだったなあと後悔しきりになる。 ◆竹山は明治43年生れ、3歳時に麻疹をこじらせて半失明、凶作による栄養不良もあったのだろう、竹山以外にも多くの子供が失明していた、そんな時代である。ずっと冷たい父親と違って、母親(乙羽信子)は我が子の不幸を申し訳なく思いつづけである。 学校にも行けないので、ボサマの弟子入りする。ボサマ=坊様らしい、他家の門口で唄などの芸を披露して、お金や食べ物などなんらかの喜捨にありつく、ありていに云えば乞食と似たような存在である。この映画ではそのような門付け芸人がたくさん登場する。殿山泰司はなんとか踊り(忘れた)、絵沢萌子は福の神さまを呼びますみたいなお札売り、戸浦六宏は飴売り……、面白いといえば語弊があるかもしれないが、みんなかつかつの生活のなかで、それなりに明るくたくましく生きている。そんななかで、竹山は三味線の腕を上げていく。 ◆ボサマ生活はたいへんである。とにかく貧乏の極北だ。最初の師匠戸田重太郎(観世栄夫)は、1泊食事つき1円の宿代を85銭に値切りさらに80銭にまからないかという、宿の主人が血相変えて怒る、ならば83銭でどうかといつてとうとう根負けさせる。もちろん宿に泊まれば上等であり、寺のお堂や舟小屋の寝泊りもあたり前である。よく体が臭いと云われる、“オラ30日前に入ったけどなあ”と竹山は答えている。 そして、最初の妻は2人一緒の門付け道中の途中で助平な富農オヤジに蔵のなかで強姦されたりと悲惨な目にもあう。30歳過ぎに入学した盲学校では、口先の巧い教師に妊娠した教え子を押し付けられたりする。 “目明きなんて、ウソツキばっかりだ” 津軽三味線の巨匠の前半生は、不遇つづきでほとんど人間扱いされない。 絶望のあまり家出した竹山を懸命に探す母親と二番目の妻(倍賞美津子)、やっと再会した母親が息子に「十三の砂山」を弾けとリクエストするシーン、おもわず目頭がアツクなった。
by chaotzu
| 2005-11-21 22:32
| 日本映画
|
ファン申請 |
||