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マイ・ラスト・ソング

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2005年 12月 28日

どうにか年賀状の差出し完了

◆年を経るほどに、年賀状の作成がおっくうになってくる。早めに済ませなくてはと思いつつ、いつも年の瀬の突貫作業になってしまう、毎年その繰り返しである。半分は自分の横着であるが、なにせあて先の大半はここ10年来ほとんど会ったことがないという人である(毎度顔をあわせるような人とは年賀状のやりとりをしない主義である)。しかも、それが年々増えるいっぽう。
とはいえ「虚礼」だからやめておこうといった発想まではない。一年一回とはいえ、近況報告、住所の移転、転職のお知らせ、どこそこに旅行に行きました……など、淡い交際であるからこそ、それなりに便利なツールである。また、いつなんどき交友が再開するかもしれない、正直そんな打算めいたものもある。
しかしながら、それでも年々重荷になってくる。どっかでリセットしたい思いもある。

◆なんといえばいいか、もうこちらも大して伝えることがない状況である。それでも、
“新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます”
なんて、ほとんど心にもないような賀詞をどっかの無料ダウンロードで拾ってきて貼り付けたりするのである。本音丸出しを書けば、「明けましておめでとう」どころか、
“去年はホンマさっぱりやったし、今年もぼちぼち、ほどほどにやりましょか”
まったく賀詞とはウラハラになってしまう。「どこがめでたいねん」というわけだ。これはやっぱり後ろめたいものである(苦笑)。
それとこんなこといってはなんだが、頂戴する年賀状のなかにもお手軽きわまりないもの、それが年々増えつつある。パソコン年賀状の普及と軌を一にしているようだ。手書き部分や素人版画などすっかり減ったし、全く同じデザインのものもある。なかには同じ人から二枚もらったり、差出人が洩れていたりすることもある。ただ年賀状ソフトに従って機械的に作成しているのがみえてしまう。「喪中につき……」の欠礼はがきも随分増えた。なかには三年連続といった身内の不幸つづきの人もいる。そういう年代なのである。
それで結局のところ、喪中はがきも含めて年賀状は「生存通知」になっているだけじゃないかと思ってしまうのだ。それではあまりに侘しすぎる。だからリセットしたい、毎年こんな考えがループしているのである。

◆それはそうと、今頃になって気がつくのも恥ずかしいが、これまで師走の恒例アナウンスであった「年賀状は12月何日までにお出しください」というキャンペーンもなくなっている。いまは「できるだけ早くお出しください」である。ということは、郵便局は全力集中、全速力で年賀状の配達に努力するということか。
そういえば、テレビで某郵便局の年賀状仕訳風景を報じていたが、管理職の人が、
「年賀状の束を左手で持っているか」
「両足の間隔は30cmあけているか」
なんて、数十項目の点検を実にマジメにやっておられる。
一生懸命頑張っておられるのに申しわけないが、もう、なにもそこまで律儀にせんでもええよ、と思ってしまう。年賀状が1、2日遅れたって、別段こちらの生活に支障があるわけではないし、それに、何日に着いたかどうかなんて実際大したことではない。だらだらさみだれ式で到着するのも年始の味があるではないか。横着おじさんとしてはそんな風に思ってしまうのだ。

by chaotzu | 2005-12-28 22:12 | 身辺雑記


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